ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

私は「民」の立場ではありつつも、行政と近いところで仕事をしています。一市民は、「一点突破」が必要な時だけ役所に行き、カウンター越しに「一点突破」を試みればいいんですが、行政側は、同時並行的に何十も、ヘタすると何百もの仕事を持続的に処理し続けなければならないのが、辛いところだよな〜〜と、いつも思っています。

つい、最近も、そんな思いをするできごとがありました。
そしたら、タイミングよく、北海道・釧路の日置真世さんの「新 サロン日記」に「そう!そう!」と思えるような書き込みがありました。
日置さんの了解を得て、転載しました。(一部省略、改行などの変更加えました)

=・=・=・=・=・=・=・ここから=・=・=・−・=・=・=・=

新サロン日記    2月6日記事

今日は午後に困りごとワークショップの5回目を開催しました。

昨年の10月から釧路のパーソナル・サポート・サービスモデル事業でつながった方たちとの情報共有や学び合いの場としてスタートして、毎月ランダム開催ではありますが、続けてきました。

ここ3回は事例検討をしています。

正直なところ、事例検討って言葉は私は好きではありません。

だって、事例っていうのはつまり「ある人が真剣に悩んだり、困ったりしていることを解決するお手伝いの実践プロセス」であり、それについて検討することはある人の真剣な人生について扱うことなのに、「事例」とか言っちゃう軽い感じが好きではないのです。

人の人生を「事例」とか言われちゃったら、自分なら嫌だなぁって思います。

とか何とか、通常使っているからついつい今日も当たり前に使ってしまいましたが、今度から別の呼び名にしたいとひそかに考えています。

私の感覚としては、事例検討とはその人の人生の悩みごとや困りごとについてとか、困ってる人のことをあれこれ検討するのではなく、その人に向き合っている「自分たちの支援」について振り返り、検討することだと思っています。

いくら、あれこれと困っている人のことをどんな人だとか、こんな人だとか、ここが課題だとか、こんなことがあったとか、こういうところがあるとか知ったり、探ったり、語ったりしたとしても、それがその人にとって何かしら役に立つようなことにつながらないと何の意味もありません。

その人について知ることが目的ではないのです。

目的はあくまでも、その人が少しでも本当に望むような人生に近づくことができること。

そのために支援者と言う自分たちが何ができるのか?を考えることです。

それが、ついつい「事例検討」なんて言っちゃうから、「この困った人をどうしようか」とか「この困っている状態を何とかしてあげよう」とかいう発想になりがちです。

そうですね、事例検討改めて「支援向上会議」とか「支援振り返り会」とかそんな呼び名の方がいいと思います。

実際にやってみると、そうした視点で検討が進むと、非常に有意義な感じがします。

今日は、支援のプロセスのうち支援者が関わりを持つ中でとらえたアセスメント(見立て)について、相談者にフィードバックする(伝える)ということを重点的に考える機会を設けたのですが、これが実に実際のところできていないというのか、タブー視されていることが改めて分かりました。

私は常々、自分が感じていること、その方と関わっていて気付いたことについて、その方が次に進むために必要だと思えることについては、必ず伝えるようにしています。

もっとも、私はその人が自分自身について知る、他者から見てどう思うのか?という客観的な見方を得るということがその人にとって有益にならないことはないと思っています。

知らないことがありすぎて、教えてもらえず、遠まわしだったり、教えるのではなく怒られたり、一方的な評価を与えられたりする経験ばかりで、自分自身について他者の目を通した時にどう見えるのか?どう感じさせるのか?という貴重な情報を得られることができずにいることが不利益になったり、自立を妨げていたりすることがあまりにも多くあります。

だからこそ、支援者が見立てたその人についての情報をその人のわかる言葉、表現で伝えることがとても重要だと思っています。

そう言うと、よく言われるのは「そんなこと言えません」「言いづらいです」「失礼だと思われる」などなど。

実は、そう思うのは私たち支援者の都合と価値観なのです。

自分自身が表面的にいい支援者でいたいから人が嫌がであろうことは言いたくないとか、怒られたらどうしようとか思ったり、失礼だとか思うのは自分自身のその物事に対する否定的な価値がそこに含まれるから思うだけの話です。

私は意地悪をしたいとか、評価をしたいとか、自分が上に立ちたいとか、ダメなことに気付いてほしいとか、現状をわからせたいとか、危機感を持ってほしいとか、そんな勝手な期待やこちらの意向ではなく、その人を応援することに具体的に必要だから伝えるのです。

そうやって伝えることで、実際のところ関係が壊れてしまったり、自分自身で失敗したと思ったことはないですし、むしろそのプロセスをしないことがその先を進めることの妨げになることの方が圧倒的に多いです。

それはきっと尊重の基本姿勢ではないかと私は思っています。

誠心誠意、自分の感じることを伝える。

それは、支援というプロセスで相手と協働でこの社会を創造する仲間として対等に関わりたいと願う私自身の精一杯のメッセージです。

とは言っても、伝えることがとても難しいということもよくわかっています。
だからこそ、日ごろの練習がとても大事なんだと思います。

なかなか、この伝えることについて学ぶ機会がないんですよね。
逆に誤学習をする機会が多かったりして。

そのためにも、事例検討あらため「支援振り返り会」はいろいろな意味で重要なのでした

=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=

私も「ケース会議」とか、「事例検討」とかいうことばが大きらいです。
自分を「支援者」と表現することもほとんどしないと思います。
だって「支援者」なんかのつもりは毛頭ないですから。
応援団の一員だったり、「前途に幸多かれと祈る人」、だったりはしますけれど。

最近、相談時間を終えて、じゃあ3ヵ月後にまた、という別れ方をするときに、親ごさんや、先生方に「健闘を祈ります」って言うことが多いです。
または、「共に、がんばりましょう」とも。

「がんばってね」と「ようすを見ましょう」は、自分に対して禁句にしています。

週末(2月1日−3日)北海道に行っていました。
お目あては 名寄(なよろ)。旭川と稚内の間を結ぶ宗谷本線の沿線です。
名寄から講演依頼をいただいたとき、「名寄って、たしか、稚内の方だったゾ!」と思い、大喜びでお引き受けしました。

というのも、道内の飛行場でまだ降りたことのない唯一の空港が稚内空港だったからです。しめしめ、稚内空港を使うチャンス!と考えましたが、残念ながら、今回はその野望(?)は実現しませんでした。

というのも・・・・
名寄は、宗谷本線経由、旭川から特急だと一時間少々で行くのに、稚内からだと二時間かかります。そして、この線は、吹雪いたり、強風だったりすると止まってしまうことが多いのだそうです。
そんなわけで、稚内空港を利用するのは、またの機会の楽しみにして、今回は安全な方を選び、旭川空港を利用することにしました。

ちなみに、旭川からのJR線は、比布(ぴっぷ)ー塩狩(しおかり)ー和寒(わっさむ)−剣淵(けんぶち)−士別(しべつ)ー風連(ふうれん)などを通って名寄に行きます。
名寄から北には美深(びふか)、音威子府(おといねっぷ)、歌内(うたない)などの魅力的な名前の駅がたくさんあります。いつかゼッタイ通りたい!!


さて、出発一週間ほど前には、北海道の猛烈な寒さが報道されていました。
零下20度とか、25度とか。
名寄市は内陸なので、例年、とても寒いそうです。ダイヤモンドダストもみられるとか。ちょっと楽しみ。

ところが、出発前後から全国的に異様なあたたかさになりました。
1日夜の最終便で行ったのですが、旭川空港に着陸する前の機内放送で「ただいまの地上気温は摂氏3℃」と言われてびっくりしました。
夜だというのに旭川市内は、雪がとけて  びちゃびちゃの水たまりができ、雪も溶けかけてざくざく、ぐちゃぐちゃでした。あり得ない!!この時期の北海道は、雪がキシキシいうほど寒いはずなのに。
ありったけの暖かい服を着込んで行ったので汗ばむ思いでした。

2日は、時間の余裕があったので、知り合いのSTさんのいる東神楽(ひがしかぐら)町や東川町の子育て支援関係者、療育関係者の勉強会に混ぜてもらい、とても勉強になりました。
いつもながら、北海道の早期療育システム、支援ネットワークはすごい!
人の熱意がつなぐネットワーク。

東神楽町は旭川空港のある町です。以前、旭岳ロープウェーに乗ろうと行ったときや、富良野・美瑛に行く途中で通ったことがあります。

そういえば、旭岳ロープウェー、1回目は強風のため運行中止、雪辱のために行った2回目は定期点検のためにお休みでしたっけ。私は、高いところが大好きで、ロープウェーとかケーブルカーとかがあると、すぐに乗りたいクセがあるのですが。

20130203 ホテル前.jpg

2日の午後、時ならぬあたたかい雨の中、旭川から汽車で名寄に向かうと、途中から雪になり名寄に着いてまもなく、猛烈な吹雪になりました。

すっごく居心地のいい「Bird Inn」というホテルを取っていただいていました。
夕方、ホテルの向かい側のお店までちょっと買い物に出ようとしましたがあたりは真っ白で、道も、方角もまったく見当がつかず、遭難の恐れがあったので(?)いっぺん道路を渡っただけで、すぐに引き返しました。

20130203雪が積もったクルマ.jpg

翌日、3日の名寄は雪。待望の零下10℃
何から何まで真っ白。

そんな中でも保育士さん、保健師さん、療育関係者、子育て支援の関係者、学校の先生方、保護者などなど多様な方たちが100人以上がわざわざ話を聞きに来て下さったことに感激しました。
申し込みは150人だったけれど、道路が通行止めになってこられない方もあったそうです。

20130203ディーゼルの前面.jpg

帰り  旭川方面行きの電車の前面は雪だらけ。
でも  このあたりでは当たり前のことらしいです。
一両編成の快速だったのですが、運転手さん1名のワンマンカーです。
途中で雪崩があったり、何かの支障があったときに、一人じゃあ心細かろうなど思いつつ、でも、こんな中だから、北海道の方たちは、互いに手を貸し、力を出し、助け合うことが当たり前になり、また、自分の力で考えて判断する気風になってるのかも・・・などと思いました。
私が、ディーゼルカーの写真に撮りながら「前面は、全部雪がつくんですね」と運転手さんに言ったら、ちょっと面食らった様子で「雪の時は、いつもこんななんですよ。雪を巻き上げるからね・・・」と笑っていました。

そういえば、タクシーの運転手さんに、「東京では、こないだちょっと雪が積もった時、横断歩道が全然見えなくなって、クルマの運転はすごく大変だったんですよ」といったら「こっちでは、横断歩道が見えるなんてことは冬場にはありえないからね・・・」とびっくりされました。

帰り道、JR旭川の駅から、吹雪の中、空港行きバスの停留所に行くまでが一苦労。
バスを待つわずか5分の間、零下(たった!)10度とはいえ、だいぶ寒かったです。 あったかい北海道と、寒い北海道を味わえて、よかったです。

東京にいると見えないことが、たくさんあります。

名寄市には市立大学があるのです。保育、看護、栄養などの科があるそうです。
若い学生さんがたくさん住むので、市の活力にもなっているとか。
狛江にも、大学を誘致できないかしら・・・など考えたことがあるので、とてもうらやましかったです。

蛇足ですが、「名寄(なよろ)ってどういう意味かしら?」ってとても気になっていました。アイヌ語の「ナイ・オロ・プト」(渓流に注ぐ口)が由来。名寄川が天塩川に注ぐ様子をいったもの、だそうです。

2013-01-14

今日(1月14日)は大雪。交通機関も乱れてお出かけの人は大変でしたね。

これが2日ずれていたら、危ないところだった  \(◎o◎)/!
と言うのも・・・・

1月12日(土)、三重県津市の保健センターのお招きで、健診にかかわる職種の方たちの研修会のため、津に行ってきました。
研修は午後1時開始、津に12時に着けばいいので、当日の朝出ても間に合うのですが、前夜に着いておくことにしました。

早起きしたくないことと、乗り換え乗り換えてやっとこさ到着したとたんに講演という生活がそろそろ負担に感じられるトシになりつつあること、そして、「講師がちゃんと来てくれるかしら?」という、主催者側の心配を少しでも減らしておこうという意図です。

前日は夕方までかかる仕事がありました。
終わったあと、荷物を持って、19時前に家を出て、名古屋着が22時前。名古屋から近鉄特急で津までは1時間です。
「たしか、近鉄のホームに、おいしいコーヒーのスタンドがあったっけ」とキョロキョロすると、あったあった!  

無事、カフェラテをゲットし、「ああ、やっぱり、おいしい」と幸せな気持ちで飲みながら、津に到着したのが23時前でした。
ホテルは駅前すぐの「ドーミーイン」というホテルを取ってありました。
この系列ホテルは、温泉大浴場、または、大浴場つきが特徴で、部屋の中にミニキッチンがついていたりして、居心地がいいので、愛用しています。
朝ごはんも美味しいんですよ!
入り口とベッドルームの間がドアで区切られている構造のところも多く、津でも間にドアがありまして、大変落ち着きました。

せっかくの3連休の1日目の土曜日。にもかかわらず、乳幼児健診に携わるスタッフが自己研鑽のために、日当も出ないのに、70人も出席してくださるとのこと。
英気を養って、伝えるべきことをきちんとお伝えしなくてはね。
で、いつものとおり、熟睡しました。

12日、お昼に保健師さんが公用車で迎えに来てくださり、駅から30分ほどの芸濃町の会場に行きました。
津もご多分にもれず、合併して市域がとてもとても広くなったとのこと。
でも、保健師さんを初めとするスタッフの方たちは、地域住民の健康や、親子さんの健やかな育ちを保障するために、と、こころを一つによいお仕事をしてらっしゃるようすでした。

どうしてそれが分かるかというと、講演後のグループワーク用に、教室形式ではなく、グループ分けした席の配置になっていたんですが、講演開始前も、グループワークのときも、あちこちでワイワイ話が盛り上がり、大きな笑い声もあっちこっちで上がっていたからです。

私はいつも、「ナカガワを招いてよかった!」と言っていただけるように、と念じながら講演活動をしていますが、特に、保健師さんや、健診にかかわる職種の方たちへの講演の機会は一番大事にしたいと思っています。

それは、今回の講演の題のとおり、「支援の入り口としての乳幼児健診における専門職の役割と具体的な対応」を意識して動いていただけるようになることが、育てにくい子、発達障害かもしれない子を持つ親御さんにとって、一番の応援になると思うからです。
特に、専門スタッフを確保することが難しい地域にあっては、保健師さん、保育園の保育士さんがカナメとなるのですから。
今回も「『ようすを見ましょう』って言わないで!」「伸びを待つ間、何をしたらいいのか、具体的に伝えて下さい」と強くお願いしました。

だいぶ前ですが、やはり、東海・近畿地方の保健師さんに招かれた際、「お医者さんでさえ確保がほんとに難しくて・・・・。高齢のドクターをやっと口説き落として、3時間かかって3ヶ月に一回来ていただき、健診を確保するのがやっとなんです。発達の診立てがおできになるとかならないとか、そんなこと、言ってられないんです! 心理職や言語の専門家確保は夢のまた夢です」という話を聞いたこともあります。

津、松坂、伊勢、伊賀上野、熊野・・・ 三重県も、ずいぶんいろんな所に呼んでいただいたなぁ、全国津々浦々、母子保健分野の人たちはがんばってるなぁ、私ももうひとがんばり!と思いながら帰路につきました。

帰り道も、近鉄名古屋駅ホームのコーヒーショップで、またまたカフェラテを買い、揺らさないように運んで(だから、お土産を見繕う余裕がなかった!)新幹線に乗り込み「ああ、やっぱり、おいしいなぁ」とチビチビ飲みながら、幸せな時間でした。

こんなふうに「あそこのお店のあれが美味しいから、今度行ったら、また食べよう」と思えるのが旅の楽しみの一つ。

でも、これはどうやら、同一性保持、こだわりの強い特性からかもしれず。
「もっと美味しいかもしれないから、新しい店で、または同じ店でも、別のものを注文してみる」ってことも時に、やりますが、ついつい、「前の時に大丈夫だった」ってものに傾きがち。

ADHD傾向の人は、食べるものも、泊まるところも、移動の経路も、そのつど、そのつど新しいものに挑戦するのかしら???

年があらたまりました。
家族が欠けることなく、病人もなく、お正月を迎えられることは、奇跡のようにありがたいことだ、と毎年思います。

年末、世田谷に住む実家の母が少々体調不良になりました。
いくら元気とは言っても、92歳という年齢もあり、あわやと心配しましたが、無事回復し、「もう、今年はダメかと思った」というおせち料理も作ってくれて、例年通り2日に、家族で遊びに行ってきました。

母が「いただき物のカステラがあるから」、と年末から言っていたので、食後にコーヒーをいれて、さあ!と長方形のちょうどカステラの大きさの包みを開けると、なんと!おいしそうな大きな栗最中が入っていました。
みんなで「ぎゃ!」と一瞬うろたえて、でも、口々にいろんなことを言いました。

「包みの大きさは、まさにカステラそのものだよね」
「お店の人が間違えたんじゃないの?」
「下さった方の勘違いじゃあないの?」
「開けてみて、佃煮だったり、海苔の缶だったりすることを思えば、ずっとマシだよね」
「逆にさ、『栗最中です』って言われてもらって、緑茶をいれて、開けてみたらカステラだったとしたらどうだろうか?」などなど大笑いした挙句、結論的には「おいしい最中だ」「栗最中はコーヒーにだって合うよね」といいながら、ありがたくいただきました。

そんな、ありふれた日常生活も送りつつ・・・・

一方では、社会的に期待されることは大きくなり、自分としてやりたいこともふえ放題ではありますが(年々ADD傾向=多動系の傾向が強まっているみたいです)何もかもができるわけではありませんし・・・・。

年齢と、幕引きについて、いろいろ考えながらの新年でもあります。

元日に地元・伊豆美神社でいただいたおみくじのありがたい「おことば」を心にとめて、ほどほどに、でも、「わきめも振らず」「一心に」取り組みたいと思います   (^_-)-☆

おみくじの ありがたい おことば
運気盛んにして事をなすによいけれど、万事細やかに気をつけて、一度思い定めたことはわきめもふらず一心になさい。何事も成功します。
【願いごと】 遅いが思い通りになる
【学問】    努力すればよし
【争い】    心和(やわら)かにして吉
【縁談】    心かわらねば叶うでしょう 

世の中には、タナボタということはなくて、努力したり、心がけたりしないと実現しない・・との教訓なのでした。
やっぱりね。。。。。。。

12月24日、クリスマスイブのその日、池袋の東京芸術劇場に第九(合唱つき)を聞きに行きました。

10月に新聞に都響の演奏会の広告を見つけたその日に衝動的にチケットを申し込んだのでした。

席の希望の欄に「舞台に向かって右の方」と書いて購入したのですが、な、な、な、なんと右も右!!  舞台の真上の右でした。

指揮者の表情は手に取るように見え、息づかいも聞こえ、楽団員がページをめくるようすや、ラッパ(?)係の人が吹き口をさかさまにして水分を出す様子や、ティンパニーの人がマレットを取り替えたり、響きを確かめながら演奏する様子も、実に興味深かったです。

あ、そうそう、バイオリンやウヴィオラの人が坐る椅子は普通の椅子なのに、チェロやコントラバスの人が坐る椅子は高さが調節できる椅子なんですね。知らなかったなぁ〜。考えれば当然ですね。楽器の大きさが一定なのに、背の高さが違うのだから、椅子で高さを調節しないと、弾きにくいですから。


第九の第2楽章では、ティンパニーがモノスゴク大きな役割を果たしていることも、よ〜〜く分かりました。
メロディが出せない打楽器で“歌う”ことができるなんて、思いもしませんでした。

4名のソリストも真上から見えるので、その歌声に魅了されました。
声楽は体じゅうを楽器にする、って教えられましたが、ほんとにそうでした。

15年以上前でしょうか、豊島区の「
ゆきわりそう」主催の障がいのある人と一緒に第九を歌う会(私たちは心で歌う、目で歌う合唱団)に参加して、ソプラノパートを歌ったことがあります。
上野の文化会館大ホールの舞台に乗れるというのが魅力でして。

自分が歌った時は、一番高い音を、長〜〜く伸ばすところでは、いくら「コーラスの人は、代わりばんこに息つぎをしてもいいですよ」って言われていても、貧血になりそうだったという記憶が鮮明です。

が、24日の二期会合唱団はさすが、でした。
どんなに高い音も、ラクラクと、声がひっくり返ることもかすれることもなく。
まあ、プロだから当たり前といえば当たり前ですけど、それにしてもスゴイと感心しました。

♪♪引き裂かれた者たちが、ふたたび結びつけられ、人はみんな兄弟となる♪♪ というテーマは、何回聞いても感動です。

音楽は、久しく自分に封印(?)していたのですが、人生も、明らかに、残りの方が短くなってきている今日この頃。
再び 音楽に触れることをしたいなぁ、という気持ちが強くなってきています。

聞くより、歌ったり演奏したり、作り出す方がゼッタイ楽しいと私は思うんですが、そうなると、騒音で周りに多大な迷惑(!)がかかるので、そこが思案のしどころ。

12月16日の自主講演会は無事終了しました。
急な選挙で、行政などにかかわる方のキャンセルなどもありましたが、地震や大きな災害に遭遇することなく、スムーズに運んでよかったです。
ありがとうございました。

ほっと一息ついたりすると、風邪につけ込まれるスキを与えることになるかもしれませんが、幸い(?)一息つく間もなく、次々と用事が山積みです。。。
山積みにしちゃった私の責任もありますけど。

世田谷の実家に、高齢の母がいるので、可能な限り行くようにしています。世田谷通りを使って往復するので、成育医療センター前を通ります。
昨日、いつものように、夜11時近くに、成育医療センター前を通ったら、木がイルミネーションで飾られていました。
街のクリスマスのイルミネーションは、とてもきらびやかなものが多いですが、成育医療のイルミネーションは、抑えた色調のシックなものでした。

病室から、また、病院の行き帰りに、このイルミネーションを見る人たちはどういう思いなのかな〜と思いました。
夜、暗くなってから病院に行く、または付き添いから帰る方たちの中には、重篤な病気の子の親ごさんもいるのだろうな、と。

未熟児で生まれた長男が入院していた新生児室の隣には、白血病のお子さんたちの入院している病室がありました。

わが子は、「高濃度酸素を与えたので、未熟児網膜症になる可能性があります」との宣告は受けていたものの、生まれた直後の危機を脱し、今には退院できるだろうという状態での入院でしたが、すぐ近くに、生命の危機と背中合わせのお子さんたちがいる・・・ということが、若い母親であった私には、直視するのが難しい課題でした。

成育医療センターの、美しいイルミネーションを見ながら、そんな、40年近い前の気持ちを思い出し、入院しているお子さんたちが順調に回復し、ご家族に笑顔がもどりますように、と祈る気持ちになりました。

講演会に招かれるのには慣れていても、自分が主催する講演会の時には、忘れていることがないかどうか、心配になります。

特に、今回の講演会は主催が「そらとも」。実態は、私と長男の二人だけです。
各地にお招きいただくチャンスは多いのに、保健師限定や、言語聴覚士などの支援者限定であることが多く、なかなか情報が届かないので・・・・といわれ、開催することにしました。
それこそ、北は北海道から、南は沖縄まで、ご参加の方々、ありがとうございます。

保育士、保健師、教員、小児科医、子ども支援の職種、保護者など、多種多様な方たちの参加名簿を見るとびっくりしてしまいます。

家内工業的催しなのですが、周辺の方たちが受付やら、いろんなことを快く手伝ってくださり、また、資料の印刷は、狛江市内にある
「フリースクールコピエ」にお願いして、ボランティアみたいな、ささやかなオシゴトみたいな形で、作り上げていただきました。

おっと!!  会場はほんとに予約してあったかしら!!と一週間前に心配になって問い合わせたら、ちゃーんと予約されていて一安心。

会場があり、資料があり、プロジェクターとパソコンさえあれば、もう安心です。

本の販売は、例によって、「スペース96」さんに依頼しました。
毎回、講演テーマとぴったりの本を品揃えしてくださるのはさすがです。

ちなみに、「スペース96」さんは、クレジットカード支払いに限り、送料無料サービスとなっていました。
「障害者関係専門書店」との触れ込みの通り、新しい本、マイナーな本、多分、すべて揃っていると思います・・・・。

今日はおもしろいことがありました。

用事があってさる所にお邪魔しました。何人か一緒に行きました。
着いた時、靴を脱いで上がるお部屋には、人が大勢集まっていました。
集まっていた方たちがお帰りになったあと、お話ししたり、いろいろ予定を済ませて、さあ、帰りましょう という段になって、あれぇぇぇぇ、私の愛靴(?)がない!!

とても、似たクツが一足残されているものの、大足の私にはゼッタイに入りっこない小さいサイズ。居合わせたお仲間たちと「ええっ〜〜〜」と驚愕し、その場の方が心当たりに問い合わせてくれたりしましたが、残念、真相は分からず。

「大は小を兼ねる」って言うから、きっと、私のクツを履いて帰った「小足」の方がいたのではないか、というのが、みんなの推理でした。ブカブカだったんじゃないかな、転ばずに帰れたかしら・・・・。

で、その会場に備えてあった花柄のかわいらしいサボ風のサンダルをお借りして、帰りました。
久しぶりに通る、多摩センター。
狛江よりずっとにぎわっている大きな街。
多摩センターにはデパートもあり、その中のクツ屋さんで、同じ型のクツがないかと探しましたが、残念、ありませんでした。

お店の方が足元をジロジロ見るわけでもないでしょうが、何となく「足元を見られている」ような気がしてそそくさとデパートを後にしました。
ズボン姿のオバサンがかわいらしいサボ、ってのも、ちょっと・・・ね。
おかげで、ムダな買い物をしないですんでよかった!
クリスマスセールとて、いろんなきれいなものが一杯あったんですけど。

私が最近愛用しているのは「ヨネックス」の「パワークッション」です。
歩くのが大きらいな私ですが、これにめぐり合って以来、次の一歩が勝手に前に出る、という感じで、歩くのが苦にならなくなりました。
えんえん長い羽田空港内通路だって、新幹線のホームだってスタスタ歩けますから。

とても履きやすいので、この一足だけを履き続けていて、だいぶクタビレテ来ています。今朝、家を出るときに、「この靴もだいぶクタビレテ来たから、そろそろ次の一足を用意しておいた方がいいかも・・・・」とチラッと思ったのでした。
クツくん、私の心を声を察して、「ふん!  じゃあ、よその家の靴(カ)になるからいいもん!」っていなくなっちゃったのかな、と、ちょっと反省しました。

靴クン、帰ってきてちょうだい。
ボロボロになるまで大事にするから (^_-)-☆

足元を固める」って言いますが、足元は大事。
足に合った靴は、歩きやすいだけではなく、気持ちも安定します。
普段着姿とはいえ、この季節に、つっかけ姿で電車に乗るのはちょっと気が引けることでした。
が、とても、興味深い体験でもありました。
つまり、こちらがいくら「気が引けて」いても、周りの人は、多分、ほとんど気にしていないだろう・・・・ということ。

もう一つ、思い出したことがあります。
中学一年生の新学期始まってまもなく、登校すると、下駄箱に上履きが見つからず頭が真っ白になったことがあります。
その時は、五十音順で私の隣の下駄箱の主がそそっかしく間違えただけのことでしたが、「靴がない」って、途方に暮れる体験でした。
中学生の時には、途方に暮れて、ほとんど泣きそうになりましたが(確か先生に言って、先生がクラスにきいてくれて見つかったのだと思います)、今回は、「まあ、そういうこと、あるよね!」程度で、全くうろたえることはありませんでした。

長く生きてきて、成長したんだな(?)と、実感しました。
いえ、単に、面の皮が厚くなっただけかもしれませんけどね。

 言語聴覚士の全国組織として「日本言語聴覚士協会」があります。そして、各自治体に県(都、府)士会が組織されています。
 最初はメンバーがとても少なかった県も、この数年でどんどん人が増えています。その多くは病院のリハや高齢者施設で摂食嚥下等にかかわる方たちであり、幼児や子どもの発達にかかわるポストはなかなか増えないのが悲しいところです。

12月2日(日)には、長野県言語聴覚士会のお招きで、長野に行きました。
会場は安曇野にある「
長野県立こども病院」でした。
午前は講演、午後の研究発表会にも参加させていただきました。
ST以外にもOTさんや保健師さんの参加もあり、日曜日というのに100名近い参加者がありました。こんなにたくさん集まるのは珍しいとのことでした。

午後の研究発表では、事例報告がありました。一人のお子さんとその家族を地域の中でどう支えてゆけるのか、そのためのスキルアップをどうしたらいいかと、休日返上で真剣に考え合っている皆さんの姿に、感動しました。自分もその一員なんですけど。

分からないことだらけで、反省することばかりの臨床ですが、それでも、長くやってきたご褒美なのか、発表へのコメントを求められると、それなりに言えることがいろいろあるので、自分でも驚きました。

前日到着した松本は、この冬一番の冷え込みとのこと。きりっとした空気でした。
一度泊まりたいと思っていた「
松本ホテル花月」に泊まって念願を果たしました。
以前松本に来た時、喫茶室でお茶を飲んでいたら、その横をとおって別館の宿泊室に行く人たちがいて、とてもうらやましかったのでした。

前夜に県士会の役員の方たちがお食事会を開いてくださり、馬肉やキノコのてんぷらなどの郷土料理を味わいました。馬の「タテガミ」や「大動脈」なども食べました。
大動脈は想像どおり、白っぽい色で、強靭な組織でした・・・・。噛むとこりこりします。食べながら「ここの血管の内側にプラークが溜まるんですよねぇ」などと言う話題になるのも、医療系の職種ならでは・・・かな?

お開きになったのは、10時近いかったのに、松本城を、みんなで見に行きました。ライトアップされていて、とても美しかったです。

ホテルに戻ってから部屋で見た信濃毎日新聞の記事によれば、電球をLEDに取り替えていく途中なのだそうです。LEDの電球は高価ですが、何でも、10年間の電気代2300万円が500万円代になるとか。
そういう話題に目が向くのも、行政と協働して何かをやろうという立場にいるからかもしれないな・・・などと思いつつ。

日ごろ、STの人たちとの交流はめったにありませんし、異質の人たちとの交流の方が楽しいと思っているのですが、同業の人たちの中にいると「やっぱり同じ思いの人たちはいいなぁ」「ことばが通じるってうれしいなぁ」「STってステキな人たちだなぁ」とつくづく思いました。

UTCP(=東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属共生のための国際哲学研究センター)主催の「当事者研究の現象学 3」が11月29日ー30日に東大駒場の教養学部で開催されました。

メーリングリストで紹介してくださった方があり、たまたま29日は時間があったこと、べてるの家から向谷地さんはじめ、メンバーの方たちが登壇し、また、4月に狛江に狛江に講演でお呼びして以来、興味津々の(「追っかけ」というほどは追っかけることができていない)熊谷晋一郎さんと、綾屋紗月さんもメンバーとして参加されるということで、聞きに行って来ました。

会場の東大教養学部(駒場)に足を踏み入れるのは何十年ぶり?だったでしょうか。建物が新築され、カフェやラウンジがたくさんできて、私が知っている頃とはずいぶん様変わりしているのにも驚きました。

べてるの家からは早坂さん、森さんをはじめとするメンバーが参加、向谷地さんをファシリテーターとして当事者ライブが繰り広げられ、後半は綾屋紗月さん主催のneccoメンバーによる当事者研究が公開されました。

一昨年の夏、北海道浦河べてるの家に見学に行ったときも、運良く向谷地さんが札幌から戻って来られる月曜日だったため、「べてるの家」と「浦河日赤」と、2回の当事者研究に見学参加できたのですが、その時と同じトーンの、何とも不思議な時間と空間が作り出されていました。

2日目のプログラムに参加できなかったのはとても残念でしたが、「当事者」が「苦労」を「研究対象」にして自分を知り、「苦労」との付き合い方を知ってゆく「当事者研究」は、どんな人にとっても、実は大事なことだよな・・・・と思いました。

「現象学」というものは何か難しいものだ・・・・程度の認識しかありませんでしたが、対象と意味との関係、現実を相互主観的にとらえられるかどうかの「共同性」の問題と、妄想・幻覚との関連を簡潔に説明してくださった主催者の石原孝二准教授の文章を読み、なーるほど、自閉症の人たちや精神障害の人たちの世界理解を読み解くには、脳科学とか神経生理学からのアプローチも役に立つけど、哲学からのアプローチもありえるんだな・・・と、とても感心しました。
依然として、難しくてよく分からないながら。

久しぶりに
「べてるの家」のホームページを訪問し、変わらぬ空気を感じました。
昆布や手帳やカレンダーを売ってますよ。

紅茶を飲むと、てきめんに心臓がドキドキするのでなるべく控えていますが、最近おさまってきたので、また飲み始めました。
あ、ご心配なく。心臓に関しては、薬も処方されていて、忘れずに服用しております。

さて、紅茶はミルクティーが好きです。
ミルクティーにするには、「Williamson & Mago」のピュアアッサムにまさるものはないと、この銘柄に決めていたのに、手に入らなくなって泣きたい気持ち・・・って以前書いたことがあります。
読んでくださっていた方があり、講演先で「紅茶がお好きなんですってね」と言われてびっくりしたことがあります。

その後、おいしいアッサムはないかといろいろ買い比べてみましたが、どうしても気に入ったものがなくて。
ミルクティーをいれるたびに「あ〜〜〜 おいしい!!」ではなく、「う〜〜〜ん、まあ、こんなものよね」と、いかにも“ガマンしている感”が残念でした。
こだわりの強い特性があると、こういう些細なところで、不便です。
よく言えば、「最高を求める、向上心が高い」のかもしれないけど、まあ、単にこだわりが強いだけ、ですよね。

しばらく前に、羽田空港に行く途中に通る川崎の地下街(アゼリア)の中の紅茶専門店
「マユール(Mayoor)」で飲んだロイヤルミルクティーが美味しかったので、アッサムの茶葉を購入してみたところ「あ〜〜〜 おいしい!」と言えるミルクティーになりました。
これで、紅茶をいれるたびに「間に合わせ」をしている気分にならなくてすむので、うれしいです (^_-)-☆
通信販売もあるので、安心です。

ミルクティーと言えば、釧路空港内のカフェらぽーとのミルクティーも、オススメですよ。
ミルクティーの好きな方、釧路空港をお通りになることがあったらお試しください。
こないだ10月末に息子たちと一緒に釧路訪問した時にも飲みましたがやっぱりおいしかったです。これで4回目かな?何回飲んでもがっかりしないのでうれしいです。

人生、些細なことの中に、うれしいことがいっぱい!! です (^_^)v

Williamson & Mago  に関するウンチクを書こうかと思いましたが、興味ない方には迷惑だろうと思うので、やめることにします。私って思いやりがあるワ(?!?!)

自閉症の漢方治療で成果を上げている飯田誠先生。
ご高齢でもあり、この春以降、とても体調が悪そうで心配していました。

新患の申し込みが後を絶たず、お昼ご飯も食べられない状況が続いている、ってゴホゴホ咳をしながらおっしゃってましたが、その時、実はひどい肺炎(無熱)にかかっておられたのだそうでした。しばらく入院・休診になっていました。

診療開始後、午前中の診療の受付を11時打ち切りにし、午後の時間の新患の予約を制限していると聞きました。

診療再開された後に、何回も医院の前を通りかかってのぞいてみていたのですが、いつも、待合室に人があふれていたので、遠慮していましたが、昨夜は久しぶりに長居しました。夜は割合空いているのです。近くに住んでいる者の特権ですね。

今、私が興味を持っているのは幻覚・幻聴についてなので、あれこれ質問しました。先生の長〜〜い経験の中には、興味深い、というか、おもしろい話が山盛りで、そういう例を交えながら解説してくださるので、「腑に落ちた!!」て感じに、精神科の知識が増えました。

自閉症への漢方治療も、少しずつ広がり、最初の診断を飯田先生がされると、その後の投薬を引き受けてくれる医療機関もだいぶ増えてきたとのことでした。一歩ずつですね。
自閉症とは似ても似つかぬ状態なのに「自閉症」と名前をつけられる誤診があまりに多い!!って憤慨してらっしゃいました。
障害のある子どもを「生活の中で」長い期間見てこられた先生の経験は、診察室でしか子どもを診ないお医者さんの目とは、レベルが違いますから。

ともかく、飯田先生がお元気だったので安心しました。

先生を頼りにしている患者さんたちのためにも、長持ちしていただかなくちゃいけないので、新患がどんどん来ませんように・・・と思っています。
でも、親ごさんの気持ちを考えると、そうも言ってられないし。
「私が担当するお子さんだけは、新患でも、診て下さいね」って言うのもあつかましすぎるし。

飯田医院 http://www.iida-neurological-clinic.biz/

漢方服用日記を書いている方のブログ発見!

   

今日、11月20日は私の誕生日でした。校正ゲラも返送したし、締め切り原稿も書き終えたし、気持ち的にも丸一日オフなのもありがたい限りでした。

年下の友人から立派なフラワーアレンジメントのプレゼントが届き(大好きなピンク系で統一されていて)、同い年の友人からもあれこれが届き、ウフフと、幸せでした。

ちょっと所用もあり、小田急線の向ヶ丘遊園のダイエーに行きました。結婚後しばらく住んでいた町なので、懐かしかったです。
名古屋が本拠の「コメダコーヒー」があります。←これは数年前に開店したもので、私が若かりしウン十年前にはありませんでしたよ。

狛江でお仲間たちと行ってきた地域活動の団体「一般社団法人サポート狛江」の活動も、9年目の秋を迎えました。
市との協働事業の実績を積み、さらに、展開すべき課題が見えてきています。

どうしても活動拠点が必要だ・・・・とみんなで思っていたのですが、ついに、市役所の近くのマンションの一室を借りて拠点とすることにしました。
18日(日)に机などの家具類の運び込みを決行し、今日20日は遅れていた畳替えが完了しました。
我らが拠点の記念すべき誕生日が、自分の誕生日なのもうれしいことでした。

引っ越した翌日から、早速、急な相談に乗ってほしいと言う方があったり、その後も次々「じゃあ、事務所においで下さい」と言うハメになる話が続出しています。

まあ、本音のところでは、「還暦を過ぎて、そろそろ世代交代、リタイアだ、と思っていたこの時期に、なんでまた新しいことを始めなくちゃいけないんダロー」との思いもありつつ、周りの皆さんには「悠々自適なんて、団塊世代にはあり得ない話だ!」と一蹴されています。

開設よりも、維持・継続していくことの方がずっと大変なのは分かっていますが、「ともかく始めちゃうことよ!」との励ましの声を背に、やれることを続けてゆこうと思っています。

ひと手間余分にかかる子育てを通して見えてくるのは、「地域づくり」「ネットワーク構築」そして、「地域での働き場所の創出」の課題です。

先日、羽田空港に向かう電車の中で、男の子を3人連れたお母さんがいました。
一番上が4年生、真ん中が2年生、一番下の子が4歳児さんかな?と思えるにぎやかな親子でした。

一番上の兄ちゃんが、結構、あわてんぼみたいで、真ん中の人は沈着冷静で、末っ子はおかあさんにぶら下がったりして甘えん坊みたいでした。
乗り込むところから、おかあさんはお兄ちゃんに「ほら、他の人にぶつからないように!」と注意し、合間で末っ子に「重いからぶら下がるんじゃないの!」と言い、二駅乗って降りるときには3人ともに「電車とホームの間が開いてるから気をつけるのよ!」と声をかけて降りて行きました。

いやーーー、男の子の子育ては、大変!!
心の中で「健闘を祈る!」とつぶやきました。

また、別のある坊やは、まだ1歳半になっていませんが、もっぱらブーブに夢中だそう。
わが家でも、ミニカーがどんどんふえて行った時期がありましたっけ。子どもの喜ぶ 顔を見たくて、ついつい財布のヒモが緩むんですよね・・・。

親が「男の子だから」とか「女の子だから」と意識していない場合でも、どうして男の子は「ブーブ」や「ゴッゴー」(電車)に魅入られるのでしょうか。

実に不思議です。

10日ほど前からのどの奥がムズムズしたり、イガイガしたりして、風邪が出たり入ったりしてるな・・・との自覚がありました。
何とか持ちこたえていたのですが、いくつか、どうしても出なければならない会議や、引き受けていた講演が終わり、久々のお休みができたとたんに、ゴホゴホといかにも風邪っぽい咳になり、鼻水も出てきました・・・・。

普通は、薬はあまり飲まないのですが、今日、特定健診の結果を聞きにかかりつけのお医者さんに行ったついでにお薬をいただいてきました。

夏から冬の身体にギアチェンジするためには、一度くらい風邪を引かなきゃダメだという考え方もあるみたいだし、野口整体などでは「経過」とか「調整」という考え方をするようで、それは、とてもナットクできる考え方ではありますが、でも、いざ、風邪を引くと、「早く治りたい!」って思うのも事実。

10月27日、桐生の「ひろさわ保育園」に招いていただき、行ってきました。
もう長いお付き合いで、いつ行っても、「保育園はかくあるべき!」と思わされます。ひろさわ保育園は、保育園には珍しく、神社の中にあります。

桐生ついでに、親友・金居孝子さんのお店「とおりゃんせ」に行ってきました。
夜通し・・・ってわけには行きませんでしたが、どうして、こうたくさんしゃべることがあるんダロ、と思うほどしゃべってきました。当然、夜は桐生泊まりでした。
しゃべりすぎて口から風邪が入りこんだのかも・・・・。


桐生「ふる川」の「ひもかわうどん」を食べに連れて行ってもらったのですが、それはそれは美味しいものでした。

「麺処酒処ふる川 暮六つ 相生店」です。
駅近くのホテルパークイン桐生にある「味処 ふる川」も有名ですが、相生店の方が夜遅くまでやっているので(長々としゃべるには)便利でした。
「ひもかわうどん」の想像を超えた姿が「食べログ」に出ているので、興味ある方は見てください。http://tabelog.com/gunma/A1002/A100201/10001434/

なにせ、幅が10センチくらいあるんですから  \(◎o◎)/!

相生(あいおい)は、わたらせ渓谷鉄道と東武桐生線の乗り換え駅である「相老」(あいおい)駅の近くの地名です。
相老といえば、以前、まだ、星野冨弘さんが、東村に住んでいらしたころ、お宅に伺う時に何回か乗り換えたものです。
とおりゃんせの金居さんと知り合ったのも、ちょうど、同じころ。

人の縁は不思議だなぁ、人間は、支え、支えられて生きるんだなぁ、など、なつかしく20年前を思い出しました。
40代のころ、私は、ほんとに、生きるのが大変でした・・・・。

2012-10-25

暑いってどんな感じだったかしら?と思い出だせないほど涼しく、朝夕は肌寒いほどになってきました。

このまま、気温が下がって、冬の訪れということになるのですね。
なんだか不思議な気持ちがします。

今週末10月27日は桐生へ、そのあと、大分、長野、大阪など、いくつかの遠出が控えています。保健師さんからの講演依頼以外は極力断っている、と言っても、言語聴覚士の県士会や、小児科医研修など、今伝えておかないと! と思う依頼があり、ついつい動き回ることになっています。
そうこうしているうちに12月16日、東京での自分の主催研修会もあり、それが終わると年が暮れます。

あたふたの毎日ですが、でも、待ってくださる人がいるのは、本当にありがたいことです。

ずっと前、コーラスをしていた頃に知った歌があります。

「友だちはいいな」(繁下和雄作詞 小山章三作曲)

一度聞いたらすぐに歌えるような、なつかしい歌です。

♪♪友だちはいいな/どんな時でも/心と心が 通じあう♪♪

♪♪     喜び悲しみ/分かち合う ♪♪

作曲者の小山章三先生は、いくつもの合唱曲を作曲している方です。

どんな曲か?  YouTubeにありました。⇒ 「友だちはいいな」

私はこの歌を歌うと、なぜか、涙が出てきます。

小山先生は、長野県出身の方です。
長野県+歌といえば、県歌「信濃の国」が有名です!  
長野県人が集まると、必ず歌うという。
時々買いに行く肉屋さんの壁にも、「信濃の国」の歌詞が張ってあります (^_-)-☆
歌詞が難しくて、耳で聞くだけでは分からない所があるのですが、解説つきの曲がYouTubeにあったのを聞いて(見て)勉強になりました〜〜〜〜

    ⇒   歌「信濃の国」

また、歌いたいです・・・・・・。

小学校高学年~思春期〜青年期に、いろいろなうまく行かなさをかかえて、学校に行けなくなったり、お家に引きこもったり(引きこもらざるを得なくなったり)するお子さんにお会いしたり、間接的に話を聞いたりすることが、このところ、とても多くなりました。

実際に、時代、世相のせいで、そういう子どもや青年が増えているのか、「問題」としてとらえられるようになってきたので顕在化したのか、それとも、私が大きくなった人たちの育ちに注意を向けるようになったせいなのか、理由は分かりませんが。

さまざまな背景はあるでしょうが、あらためて、コミュニケーションの大切さを思っています。
そして、「きこえとことばの教室」の先生、阿部厚仁さんの本を読み直して、いろいろ考えるところがあります。

阿部先生は、こんなふうに書いています。長くなりますが引用します。


「私たち、言っていません!」

待ちに待った異動教室。みんな貸切バスに乗り込みました。こらから目的地まで、歌を歌ったりゲームをしたりして楽しく過ごすのです。
後ろの方では席の交換が始まりました。
「席、かわれよ」
「なんで」
「いいから、あっち行け」
「理由を言ってよ」

「うぜえんだよ、死ね!」

こういうことばを使っているのは、男の子でしょうか、女の子でしょうか。

どの子もかんたんに「死ね!」と口にします。

みんなのように「死ね!」とは言えない子もいます。

   (中略)

仲間になるか、仲間はずれになるか

あいさつ代わりに蹴る、押す、叩く。

「バカ」「うざい」「死ね」と言う。
そういう日常に傷ついた子はどうなるでしょうか。
ふた通りあります。

ひとつは同調です。
「何言ってんの、バーカ」
「あんたこそ、バカのくせに」

と言い返しながら、輪の中に入っていく。すると言動は、どんどんエスカレートしていきます。

もうひとつは防御です。
「オレはいい」とひとり輪からはずれていく。
そんな様子を見て、まわりはまた言います。
「なんだよ、ひとりだけ」
「バーカ」

もちろん、先生は注意します。「その“バーカ”って言う言い方がイヤなんじゃないの?」

でも、「相手を傷つけている」という自覚がないから、注意しても馬耳東風なのです。

    (中略)

子どものことばを育てるのは親

「何トロトロしてんだよっ!」   スーパーに響きわたる怒鳴り声。

見ると、小さな子どもを連れたお母さんです。
子どもが泣けば

「いつまでも 泣いてんじゃねえよ!」

そういう子が小学校にあがるとどうなるか。

やはり、ふた通りあるようです。

一つは親と同じような口調になる。
「何言ってんだよ、てめえ」
ケンカ腰だから、すぐにトラブル。友だちも増えません。

もう一つは落ち込んでしまう。
「お母さん、僕のこと嫌いなんだ」
それをお母さんに告げると
「ほんとですかぁ? 私、やさしいですよ!」

子どもは敏感。
穏やかな口調は大切です。
強くて便利なひとことですませていると、子どものことばは育ちません。
それでは、揺れ動く自分の気持ちを誰かに伝えることも難しいでしょう。

伝わらないから口も閉ざす。
聞いても答えない。
答えても単語。
子どものことばを育てるのは親なのです。

   (中略)

私自身がいちばん怖いなあと感じているのが、「死ね」なんていうことばを安易に使ってしまうところです。
どれだけ相手を傷つけているのか気づかない。
言っている本人も、それほど悪意がない。
そんななかでぶつけられることば。
そういうかかわり方をする子どもたち。
みんなどこにでもいる子どもたちなのです。

   (中略)

コミュニケーションの基盤であり、かかわり合いの始まりである家庭。
そこでどんな会話が交わされ、どんなかかわり合いができているのか。
そのことが、とても気にかかります。

もう少し、子どもを近くで見ていきませんか。
もう少していねいにかかわって行きませんか。
もう少しゆっくりおしゃべりしてみませんか。

長くつづかないコミュニケーションも、うまくかかわれない関係も、ちょっとした工夫やコツ、考え方や見方、接し方に気がつけば、よい方向に変わっていきます。

そらは「きこえとことばの教室」での実践で、私たちが証明済みです。
ためしにやってみてください。
こどもたちと一緒の時間が楽しくなります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

以下、聞きじょうず、話しじょうずになって、コミュニケーションをすすめるためのヒントが提案されています。

「子どもが変わる ハッピーコミュニケーション  家庭内編」(小学館)

ハッピーコミュニケーション家庭内編.jpg

2007年に出版された本ですが、5年たった今は、さらに切実感、いえ、切迫感が増していると感じます。

同じ著者による
「クラスが変わるハッピーコミュニケーション 学校生活編」(小学館)も合わせて読んでみてください。 


人はことばによってつながり、ことばによって気持ちを共有し、喜びや悲しみを分かち合い、 一緒にこの世界を生きていく元気をもらうのだと思うのです。

ことばを大切にする大人によって、子どもたちは、自分を大切に思い、相手をも大切にする気持ちを育ててもらえる。


そんな、当たり前すぎるほど、当たり前のことに立ち返って、乳幼児からの子育てを見直し、考えなおして行かないと、日本の社会は、これから、もっともっと殺伐とした、ヒドイありさまになってしまいそうで、心配でなりません。
何より「どうせ、オレなんか」「どうせ、アタシなんか」って、自分のことをハナから認められず、信じられない人に、育ってほしくないと思うのです。
子どもたちには、幸せでいてほしいから。


家庭での乳幼児期からの、ていねいなかかわりが大事。
世の中に、受け入れられている、という実感を持たせるようなかかわりをすること。
そのことを、是非とも発信していかなければと思います。
が、それが、「家庭の教育機能の強化」といった、“上から目線”の強制的な統制に走ること万事解決できるとも思えません。

どういう方策がありうるのか。
思春期、成人期に向けて「生きているって、悪くないね!」「助けあって、一緒に暮らそうよ!」っていう気持ちを持つ人間に育ってもらうために。 

やはり、地域での、草の根的な子育て支援の積み重ねでしかやって行けないのでしょうか・・・・。

去る9月30日(日)に、東京・霞ヶ関灘尾ホールで「子どもの心の診療医研修会」が開催されました。
主催は厚生労働省・日本小児科医会・恩賜財団母子愛育会です。
九州や西日本から参加予定だった先生方は、台風の影響で飛行機が欠航になって当日キャンセルが多く出たそうでした。
お医者さんは、勉強熱心だなーと感心し、わが身の不勉強を恥じました・・・・。

毎年夏のセミナーでお話をしている母子愛育会の担当者から「1歳半健診・3歳児健診にからめて、ことばの遅れの診立てとアドバイスについて話してください」とお声がかかったので「いいですよ〜」と軽くお引き受けしたのですが、よくよく聞くと小児科のお医者さん200人が集まる会と聞いて、ちょっとビビりました。

でも、もう一人のスピーカーが、三鷹の「あきやま子どもクリニック」の秋山千枝子先生で、コーディネーターが吉村小児科の内海裕美先生だと聞いてすっかり安心。
日ごろ、1歳2歳3歳代のお子さんたちと接する時に、どんな所に着目するのか、また、ことばやコミュニケーションを促進する毎日の関わりについて、お話しさせていただきました。

秋山先生は、三鷹市の教育委員長です。私も狛江市の教育委員長職務代理者を務めて来ました。医療職の立場から教育の分野にどう関わるか、お互いいろいろ苦労があるので、待ち時間にそんなお話もしました。

発達障がいの早期発見が大事なのは、早い時期に「育てにくさ」の原因を理解し、望ましい接し方に舵を切ることで、親子の関係が悪化しないようにするためです。
何も発達ショーガイ! というハンコを押して、どうこうするためではありません。
そこの所がなかなか正しく理解されないまま、「発達ショウガイ」ということばがどんどん一人歩きしているのが、気がかりです。

気がかりのある子なのか、単に元気いっぱいなだけの子なのか、物静かな性格の子なのか、心配した方がいい対人関係希薄な子なのか。
たくさんの子どもたちを集団で見る保健師さんの「目」は、かなり確かです。

保健師がせっかく、フォローグループに誘っても、かかりつけの小児科で「お母さん、大丈夫だよ、ようすを見れば。小さいうちはこんなもんだよ」などと言われて、かかわりの時期が遅れてしまうこともあります。

1歳6か月、3歳児健診が集団健診(保健センター等で、保健師さんが関わる形での健診)ならいいけれど、個別の小児科に委託になっている地域では、小児科の先生方の悩みも深いのだろうな、「早く見つけなくちゃ!」「見逃しのないように!」というプレッシャーを強く感じておられるのだろうな、と感じました。

全国どこに住んでも、同一基準の健診がうけられ、事後のフォロー体制も等しく整っている・・・・ようになる日が早く来るといいのですが。
ま、とりあえず、自分のいる位置で努力するしかありません。

そうそう、最近、保健師研修や、地域での発達支援関連の研修会の折には、ほぼ毎回、DVD
「ことばを育てる語りかけ育児」を映写して説明しています。
共同注意(視線の使い方や指さし)の話はことばではなかなか伝わらないのですが、動画があると一発で伝わります。ありがたや、ありがたや。

自分が監修したDVDなのですが、会場で再生画像を参加の方たちと一緒に見ながら、毎回「なーるほど、そういうことだったのかー」など、感心しきりです。
価格が価格なので、なかなか個人で購入していただくわけには行かないでしょうが、子どものコミュニケーション発達についての理解が深まるために、もっともっと広がるといいな、と思っています。

9月29日、「NPO法人エッジ」の藤堂栄子さんを狛江にお招きして、「読み書きの苦手な子どもたち〜〜ディスレクシアの理解と望ましい対応のために」を開催しました。

おもしろおかしくわかりやすい講演のほかに、参加者で疑似体験の時間もありました。
難しい文字を書き写すとか、短時間に複雑な図形を写すとか、いろんな課題が出され、しかも、藤堂さんが、わざと、とはいえ、「まだわからないかなー」とか「あと一分ですよ」「急いで、きちんと」「笑ってる場合じゃないでしょ!」など、焦らせるような、意地悪な突き放すようなことばをかけるので、とてもメゲる気持ちになりました。

そのあと、参加者がグループに分かれて「どんな気持ちになったか」「どうしてほしかったか」「先生(役の藤堂さん)のイヤな行動」などを話し合い、80名弱の参加者は、大盛り上がりでした。

学習全部が遅れているわけではなく、できるできないの差が大きいので、「怠けている」「ふざけている」「がんばりが足りない」と誤解されがちな、発達凸凹や、ディスレクシアの子どもたち。
小中学校の巡回相談でも、クラスに何人かは、必ず、どうやら読み書きで苦戦しているらしい児童生徒がいます。

学校の先生方に、一番聞いてほしいお話でしたが、先生の参加が少なくて残念でした、でも、参加された保護者から「子どもの苦しさがよく分かった」という感想もあり、実り多い講演会でした。

終了後、「サポート狛江」のメンバーと、藤堂さんとでお茶を飲みながら、いろんな話をし、互いの凸凹ぶりをシェアし、喜び合いました  \(◎o◎)/!

「私なんかね!」と、自分のやらかした失敗や、不得意なこと、子ども時代にどんなにヘンな子だったのかを、自慢しあえるのは、こういう団体ならではの楽しさです。

お問合せ・ご相談はこちら

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

お気軽にお問合せください