ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

東田直樹さんの生活をNHKテレビのクルーが半年近く(以上)密着取材していたものが番組になり、放映日が決まったとの連絡をもらいました。

2014年8月16日(土) 午後11時ー午前0時

  「君が僕の息子について教えてくれたこと」

東田くんが中学生のときに書いた「自閉症の僕が跳び跳ねる理由」(エスコアール 出版部)が英語に翻訳されて、海外20カ国でベストセラーになっています。
自閉症のお子さんが突然大声をあげたり、ピョンピョン跳ねたりするのか理由が分からず、コミュニケーションが取れないことで、親ごさんはとても苦しい立場におかれます。

この本の翻訳者のデビット・ミッチェル氏の息子さんも自閉症ですが、この本を読んで、息子の気持ちがはじめてわかった気がしたそうです。
番組は、そんなミッチェル氏と東田くんとの出会いを軸に展開します。 

           番組内容紹介はこちら(再掲)  ↓http://www4.nhk.or.jp/P3229/


  ★ぜひ、ごらんになって、自閉症の人たちの内面を理解して下さい。★

ホームレスが売る雑誌「ビッグイッシューJapan」誌上で毎号往復書簡を連載している精神科医の山登敬之先生からも連絡をいただきました。
山登先生は、東京えびすさまクリニックの先生です (^_-)-☆
いざという時に私が「せんせ〜〜い」とおすがりする先生の一人です。  

実は12月21日(日)障害者週間をちょっと過ぎますが、狛江で東田くんと山登先生とのコラボのお話会(講演会というほどかしこまったものではないものにしたいと思っているんですが)を企画しています。一般社団法人サポート狛江と市との共催です。

お二人の日程だけ押さえさせてもらって安心しちゃったので、そのあとの計画が滞ってますが、詳細が決まったらお知らせします。


ちなみに、東田直樹くんのブログも好評継続中です。
http://higashida999.blog77.fc2.com/
ほんとに魅力的な人です。東田くんは。人として。

 何年か前(十年?)に五十肩と思われる症状が起きました。何しろ病院がキライなもので、「五十肩?そのうちに治る」を信じて、痛いのをガマンしているうちに、確かにひどい痛みは治りました。
が、左右の肩とも、ある動きをすると「いててて!」が起きるので、ついつい動くのがおっくうになったりしていました。

 病院とかに行ったって、「ま、加齢現象の一種ですからしょうがないですね」と言われるにちがいない、と、不自由ではあっても、しのぎしのぎ生きて(大げさ!)おりました。

以前から、よく通る道ぞいに「接骨院」という看板がかかげてあり、とても気になっていましたが、骨が折れてるわけでもないから、接骨でもあるまい、とも思っていました。
ある日、意を決してそこの受け付けで、「あのー、接骨院と整骨院ってどうちがうんでしょうか?」と「聞いてみました。
院長先生は、「同じですよ」とこともなげなお返事。へぇ、
「肩と腕と痛いんですが」というと「お時間があるときに、来てみて下さい」と。

で、通い始めまして、なんと!!
痛みはほんとに軽くなりました。
洋服の袖に手を通すのも、自転車の前カゴにいれたバッグを取るのも、洗濯物を干すのも、高い棚に入っている調理器具を出すのも、「ああ、前はこんなふうにやってたわよ!」と、いちいち感激しております。
首の痛いほどのコリも、肩のバリバリ感も、併せて改善。

施術していただいている間の、先生との他愛ない会話とか(他の患者さんたちとの会話も筒抜けですし)、わっはっはっはという笑いとか、なんとも言えず楽しいひと時です。 

「一生この痛みとは付き合っていかなくちゃならないと思ってたんです」と言うと「どうして、そんな風に思っちゃったんでしょうねぇ。肩でも腰でも、ともかく、痛かったら、我々の所にどうぞ」と不思議がられました。

ちなみに、日本柔道整復師協会 ホームページを見ると「接骨院や整骨院では、柔道整復師によって、骨・関節・筋・腱・靭帯などに加わる急性、亜急性の原因によって発生する骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷などの損傷に対し、手術をしない『非観血的療法』によって、整復・固定などを行い、人間の持つ治癒能力を最大限に発揮させる治療を行っています。」とあります。

まだ、完全に治ったわけではないのですが、一生治らないと思っていた症状が治るかもしれない、少なくとも、改善する、と思えるのは、本当にありがたいです。


第4報    2014年7月31日

飯田医院は通常どおりの診療を再開されました。担当のお医者さんも驚くほど早い回復だったそうです。

とはいえ、ご高齢ではありますので、皆さま、診療時間内にいらっしゃるようにお願いします。
午前(月・水・木・土)は9時から11時までの受け付けです。

処方箋は出していただけますので、ご近所の薬局でクスリを貰うか、または、できたらかかりつけ医に医療連携をお願いして、飯田先生のご負担を減らしていただけると幸いです。

 

第3報  2014年6月1日

飯田先生は、5月31日、とても元気に退院されました。と言っても、まだ動くと苦しかったり、完全に通常運転に戻ったわけではないので、しばらくは自宅療養されるようすです。

89歳というご高齢で、ベッド上安静を1ヶ月も強いられると、歩行も、認知機能も大幅に低下する………というのが定説ですが、飯田先生には、そういう説は当てはまらなかったみたいです。

「もう一度、こんなにやる気になれるとは思いませんでしたよ!」と意気軒昂で、診療は少し減らしてでも、Q&Aの本の執筆も考えておられるようすでした。

診療を再開されたとしても、曜日や時間は大幅に制限するつもり、とのことですのでまた、この場を借りてお知らせしますね。

なお、診療再開に向けて、カルテ探しなどの雑用をお手伝いいただける方を本気で探しています。
週に1回2時間程度でもOK。「お問い合わせフォーム」でお知らせ下さい。

 

第2報  2014年5月15日

飯田先生のこと、ここで見てくださっている方があるらしいので、続報です。
飯田先生は、まだ入院中です。大きく言えば、肺炎です。
3年前に「危うくあの世に行きかけた」(先生談)肺炎の関連かもしれません。

入院前、主治医には「心配な状態」と言われましたが、今は、ベッド上で大変お元気で、お見舞いに行くと、興味深いお話があとからあとから出てきます。
入院前はことばをひと言ずつ区切って、ほんとに苦しそうでしたが、今はフツウの飯田先生に戻っています。
ただ、まだ、起き上がったり、動いたりすると、やっぱり息苦しさは残っているそうで、長めの入院になりそうです。

奥さまが、「退院したら、もう診察はさせません!」っておっしゃってましたが、飯田先生は横で笑いながら「言うことを聞くつもりはありませんよ」だそうです。

私も、「診察しなくなったら、飯田先生は、ただのおじいさんになっちゃうんじゃないでしょうか」と飯田先生の肩を持っておきました。

診療再開されたら、カルテを探す係りや、クスリを探す係りなど、助手を見つける必要があります。近場の方で、できますよ、という方がありましたら、「お問い合わせフォーム」からお知らせ下さい。                      

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第一報 4月30日   

自閉症の漢方治療をして下さっている調布市入間町の「飯田医院」の飯田誠先生は、4月で89歳になられました。

そのお歳で現役医師というのは、ほんとうにびっくりです。

が、3月ころから体調を崩しておられ、本日精査・加療のため入院されました。
したがってしばらくの間、医院は休診です。

診療再開されたら、またお知らせしますね。

 

2014-04-20

同窓・同期の話題、3連発です。

1)==========

3月に、狛江市の早期療育“ぱる”の第一期卒業生が成人式を迎えたのを祝って、保護者の方たちが「祝う会」を企画。私たち関係者も招いていただきました。
平成9年の開所のころには幼児だった方たちが、それぞれにりっぱに成人した姿を、目のあたりにしたり、欠席の成人については、保護者が持って来てくださった写真に驚いたり、昔をなつかしく思い出したりしました。
人は成長しますね………

2)=============

4月、ST(言語聴覚士)の養成校「国立聴力言語障害センター付属聴能言語専門職員養成所」(二期生)の時の同級生の通信「へんし〜ん」が、復刊され、28年?ぶりに、皆さんの動向を知ることができました。当時は大卒者対象1年間のコースだったので、9時から5時までみっちり授業でした。みんなで励ましあい、(ノートを貸してもらい)一生のうちで一番勉強した1年間でした。

私たち二期生は結束つよく、仲のよいクラスでした。
まとめ役にも恵まれていたので、卒業後毎年「へんし〜ん」という文集がつくられていました。
往復はがきに近況を書いて投函。そのハガキをまとめてコピーした文集が手元に届く、という趣向。
表紙はまとめ役だった故・遠藤尚志さんが毎年書いてくれていました。
「へんし〜ん」という命名も、遠藤尚志さんでした。「返信」と一年ごとの「変身」または「変心」をかけた名前でした。

遠藤さんは、「失語症友の会」という、今で言う当事者団体の立ち上げと育成の中心人物の一人であり、同級生みんなが、そして多くのSTが尊敬し、慕っていました。
その遠藤さんが、昨年4月1日、闘病の末帰らぬ人となり、私たちはみんな、愕然としたのでした。
1986年に発行された最後の「へんし〜ん」を受け持ったのは私だったのですが、それ以来すっかり息切れして、宙に浮いていたのを、今回Aさんが引き継いで復刊にこぎつけてくれました。
同業職種なので、卒業後も、何やかやと交流はありますが、今回、いろいろな人の消息が分かって、とてもうれしかったです。

3)==============
10月に、大学の時の教育心理学科の同期会をする予定が進行中です。
5年前に一度集まったのですが、再度集まろうとしています。
何でも、私たちが、本郷の専門課程(教育心理学科)に進学して45周年になるのだそうです。

これも、まとめ役の方が奮闘してくださっていて、ほぼ全員のメールアドレスを突き止めて、「全員に返信」で話が進んでいます。
今回は、海外にいる一人を除く14人全員が参加するかもしれません。スゴイ!!

教育学部は全体が小さな所帯でしたし、教育心理学科は一学年が15人。(留年生もいたので、実際には、あと数名いたのですが)みんなの顔が見えていました。「学生控え室」という部屋が学科ごとにあり、お弁当を食べたり、空き時間を過ごしたり、何しろ「居場所」があった、ということも大きかったです。

と言っても、知っているようで、全然知らないものですね、クラスメートが考えていたことは。

卒業後は、みんな、それぞれの分野に散らばって同窓会なんて余裕もありませんでしたが、なつかしさと、もう会えないかもしれない、という思いとが、それぞれに胸にあるのではないかと思います。

  長い冬が終るまえに 春が
  夢の匂いのようにはじまっている
  落葉樹の森の まばらな透明。
  その向うでは 海が やがて落日。
        
で始まる詩と久しぶりに出会いました。(詩集「固い芽」 青土社  1975より)

「アカシアの大連」の作者であり、詩人、小説家の清岡卓行さんの作品です。
生き続けることがとても大変と思っていた30代、40代の私は、清岡さんの作品のほぼ全部を読みました。

一高の後輩、原口統三の自殺が題材となっている「海の瞳」、「鯨もいる秋の空」、自分を客観視するユーモアに満ちたエッセイ集、詩集「固い芽」「幼い夢と」………
どの本も、どの詩集も大好きでした。
清岡さんのサイトがつくられています。⇒ 
清岡卓行の世界


さて、みずみずしい愛をうたった「固い芽」の最後は「誓いの言葉は 未来を語るだろうか」と結ばれています。

私は清岡さんの「固い芽」に、うたとして出会いました。
私が参加していた地元のコーラスの指揮者の杉本龍之先生は作曲家でもあり、清岡さんの詩をいくつか作曲しておられ、「固い芽」もその一つでした。
「ことば」が「音」として立ち上がり、「うた」として自分の心を通して、他者の心にも届き、しみこんでゆく、という体験は、「ことば」も、「ひと」も信じられなくなっていた私にとって、本当に新鮮なものでした。

そこから始まって民族音楽の研究者
小泉文夫さんの「呼吸する民族音楽」(青土社) とか、「フィールドワーク 人はなぜ歌をうたうか」(冬樹社)などに興味が広がり、人の声や、鳥の歌など、あれもこれも、不思議でたまらない世界を知りました。

結局、(というのはおこがましいですが)歌は祈りから始まり、ことばも(ある意味)祈りにもなりうる………と考えられるようになったことで、“未来を語り”うるとはとても思えなかった「ことば」を、再び、信じてみようか、と思えるようになったのでしたっけ。
ヒトという動物に与えられている独特な能力「ことば」を大事にしなくてはならない、とも思えるようになりました。
そして、さらに、「ことば」を越えた、大きな力の中で生かされている自分に気づいた、と言いますか………


歌うことがあまりに好きなので、歌に接近したら、現実的な仕事なんかに興味が持てなくなることがよ〜く分かっているので、音楽としての「歌」は、当面自分に封印しています。
が、そろそろ、要請される職を、少しずつ切り捨てそぎ落とし、再度、音楽と歌に接近できないものか、ともくろんでいます。

「仕事してたって、歌うくらいできるでしょ?」と友人には不思議がられますが、一度に一つのことしかできない「特性」(アスペルガーぽい)は、深く集中できるというメリットもありますが、複数のことを並行させられないというデメリットと背中合わせ。ほんとに不便です (=_=)

ま、当面、コーラス時代の練習テープを聴いたり、あまり行ったことのないカラオケに行ったりして、封印を解く準備を始めようかな、なんて。

もう今期は着ることもなさそうな冬服を近くのクリーニング屋さんに持って行きました。中綿のコートを2枚とカーディガンを1枚。12日のことです。

そしたら、お店の人が教えてくれました。
「カーディガンは、18日以後に出した方がお得ですよ。18日から20パーセント割引になりますからね。17日までは、割引はコート類だけです」と。

そのまま出かける用事があったので、一瞬迷いました。カーディガン1枚といえども、かさばるので、割引にならなくてもいいから、預けてしまおうかな、と。
でも、せっかく安くなる方法を教えてくれたんですから、その親切を大事にすることにしました。
お店としては、定価で引き受けた方がもうかるだろうに、狛江らしいな………って、心の中でくすっと笑い、一日、あったかな気持ちですごしました。

卒業式シーズンです。
今日は、近くの幼稚園の卒園式だったらしく、胸に造花をつけた坊やとお母さんがお話ししながら歩いていました。

2期務めた教育委員から卒業したので、入学式も、卒業式も参列しなくてすむようになりました。教育委員は来賓のトップ位置なので、校長先生に先導されて、体育館に入る時の順番が第一番なので、毎回、プレッシャーでした。
市長か市議会議長が列席される場合にはナンバー2の位置なので、助かったーと思うのでした。

そのうえ、演壇に上がるときに転ばないかしら、とか、スリッパが脱げないかしら、とか、せっかく指導室が書いてくれた祝辞を読む時にくしゃみ発作(花粉症の)におそわれたらどうしよう、とか、くしゃみ発作に備えてティッシュだけはフォーマルのウェスト部分に隠しておこうかとか、いやいや、隠したティッシュが、壇に登るときにポトンと落ちたら末代の恥だわ………とか、ばかばかしいことを心配しなくてすむようになりました。

リルケのことばに「人間にとって一番不幸なのは、これから起こるかもしれない不幸の数々を想像している時だ」とかなんとか、たしかそんなことばがあったと思いますが全くそんな感じ。

教育委員を8年間やったので、単純計算すれば、小学校中学校の入学式と卒業式それぞれ1回ずつ年4回を8年分=32回 式に参列した計算ですが、一度も転ばなかったし、くしゃみ発作にもおそわれずにすみました。

別の誰かのことば、「想像した最悪のことは、たいてい起きないものだ」です。

さて、こんなことを言いたいのではなくて、お子さんたちの成長は、本当に素晴らしい、といいたかったのです。

卒業式に出なくてすむようになってラクになった反面、特別支援学級併設校の卒業式で、幼児期、2歳、3歳でお会いしたお子さんが、りっぱなお兄さんお姉さんになって巣立ってゆくまぶしい姿を見られないのは。、とても残念です。

「2しゃい(歳)」「3しゃい(歳)」のころ、ベッタリ床にへばりついてベェベェ泣いていた姿は片鱗もなくスラリとした笑顔のステキな長身の少年になっていたり、
3しゃいころに、「マシラのごとく」多動で、お友達をひっかくわ、つきとばすわ、かみつくわ、だった問題児?が、下級生に頼られる兄貴に育っていたり、
はたまた、感覚過敏で、これじゃあ生きていくのが大変だよねぇぇぇぇと同情していたお嬢さんが、運動部で活躍して「高校ではバスケをがんばりたいと思います」などと述べるのを聞くと「あ〜れぇ〜。3歳のころは、ボールなんか、ゼッタイに取れなくて、逃げ回ってたじゃない?」とびっくりしてしまいます。

人は成長します。
子どもの成長は、なおさらすばらしいです。
だからこそ、今、先が見えなくて不安で不安でたまらない保護者には、先を歩いた保護者の体験談が、何より必要だな〜と思うのです。

両者をうまくマッチングさせる「場」と「しかけ」が必要で、これが難しいんですね。
狛江市では「家族まるごと支援」の方向を打ち出して、これから進んで行こうとしていますが、実際に、何をどう進められるのか、総論OKでも、各論は多難です。

 半年ほど自宅療養していた長男が、塾のセンセイに復帰しました。
一時は、一生寝たきりか、と覚悟するほどの状態だったので、このような日が来たことを奇跡かと思うほどです。感謝にたえません。
本人も、「書いていいよ」というので、心配かけた方々の目に留まって、安心していただければと思って、てんまつを書きます。

忘れもしない2013年9月14日。息子から電話がありました。
狛江市内にある勤め先(個人塾)からです。
「腰が痛くて動けなくなったから救援要請!」。
すぐに車で迎えに行きました。
階段なんて、降りられるはずもない状態でしたが、精神力(?)で降りて、家についたとたんに寝付いて、文字通り、身動きできなくなってしまいました。

と、ここまで聞けばたいていの人は「ああ、ぎっくり腰ね。私もやったことある。あれは痛いよね〜」とおっしゃると思います。
当然、私もそうだと思いました。
とりあえず、救急当番の病院に電話したところ「ぎっくり腰の場合は、来ていただいても、大した治療はできません。お家で痛みが治まるまで寝ているのが一番です!」といわれましたので、ようすを見ていました。

が、痛み方がただごとではなく、どうやら、神経や筋肉にも異常が来ているような症状の数々。
もしも、興味のある方は「脊髄炎」の闘病記などを読んでいただくと、どんな症状だったのかが分かりますが、それこそ「ひと言では言えない」状況が続きました。
ちょっと触れるだけでも全身に電流が走るような痛みでエビ反りになって体が飛び上がってしまうので、病院に運ぶなんて、とんでもない。
もともと痛みにはがまん強い息子なのに、「ぎゃーっ!」と叫ぶほどの痛み。
軽いタオルケットも重くてたえられず、フリース素材の軽いケットだけが体に乗せられました。
痛みで、夜も昼もほとんど寝られません。時々、うとうとする程度。

食べることだけは、続けられました。それこそ、親鳥がヒナにエサを与える…状態で、一口ずつ口に運びます。とろみのあるシチューなどは、食べにくくて却下。むせたりしたら大変!!!!

飲むのはストローか吸い飲みで。頭を横に向けることもできないので、熱帯魚に空気を送り込むチューブを買ってきてストロー代わりにしました。曲がりやすいので、長めに切って、口に差し込めば、飲めるのです
こんな所に、仕事上、手に入れたさまざまなノウハウが役に立ちました。

あたためたり、冷やしたり、ともかく、本人が少しでも痛みが少なく、気持ちよく過ごせるように、と、我ながら、よく工夫して介護したな、と思います (^_-)-☆

また、ネットで探して、訪問して下さるという、鍼灸整体の先生を捜し当て、寝付いた2日後から毎日のように来ていただきました。
お若いのに、腕は確かで、これまた、とてもよい勉強になりました。
お父様も、鍼灸整体の先生をしておられるとか。知識や守備範囲の広さ、深さがただものではない!感じです。

治療院を構えてはおらず、出張専門とのこと。
出張範囲は、おおむね都内とのこと。
依頼が集中して、うちに来てくださらなくなると困るのですが、特別にお教えします!

三華堂整体出張治療院
鍼灸治療と整体をなさいます。

さて、最初の何日間か、息子は「左足、ある?」と聞いたり、「体の位置がどういうふうに向いているのか把握できない…」と言ったり、「起き上がる、ってイメージが全くつかめない」などといいました。
腰も足も、筋肉が明らかに萎縮してタプタプになってしまっていたので、これは、単なるギックリ腰ではゼッタイないぞ、神経筋萎縮系の何かの可能性が高い、と覚悟しました。私は病院づとめをしたこともあるので、神経筋萎縮系の患者さんたちのことを知っていましたから。
ただ、マヒではなく、触られる感覚はしっかり保たれていましたし、動かすことができていたのが、一縷の望みでしたが。

体の位置感覚や、足の動かし方が分からない状態についてはニキ・リンコさんたちの本「自閉っ子、こういうふうにできてます」(花風社)に「コタツに入ると足がなくなる」というエピソードが有名ですが、私や息子の周辺でお会いする発達系のお子さんたちは、同様のエピソードを山と抱えています。
私はそういうことがありうるだろうな〜と想像して理解するのですが、息子は今回、体験して深く理解し、共感できるようになったそうです。
それにしても、叫ぶほどの痛みと眠れなさのさなかに、「体の位置情報がつかめないってこういう感覚なのかぁ」などと考えたり、話したりするのは、かなりヘンな親子ではあります。

鍼治療も回を重ねて、少しずつよくなる方向が見えてきたので、東洋医学系の方法に賭けようと思ったものの、昼夜続く全介助の生活で、私も体力の限界になりそうでした。
そこで、3週間たったところで、「死ぬ気で」介護タクシーをお願いし、4人がかりでタンカに乗せてストレッチャーに移し、(取り落としそうになりながら)病院にかつぎこみました。

病院の先生は「どうしてこんなになるまでほっておいたの!!?」とお怒りでした。
ほっておいたわけではなかったんです。病院に連れて行ったときは、最初の状態よりずっとよくなっていたのですが………
そして、やっとのことで入院させてもらいました。

なぜ、こんなになるまで病院に来なかった!!とセンセイには叱られましたが、でも、もし、すぐに病院に入ったとしても、確たる治療の方法があったとは思えないし、鍼治療を一回受けるたびに、明らかな変化が生まれるのを実感していたので、今でも、あれは最善の選択だったと思っています。

受診する前に、「入院後も、鍼の治療を病室で続けさせてもらえないか」と交渉したのですが、一言のもとに却下でした。残念。
西洋、東洋の医療を両方実施してくれる統合医療の病院がもっともっと増えれば、医療費の削減にもつながると思うんだけどな………
病院で、鍼、お灸、漢方、整体、ヨガ、などなどが併せて受けられたらいいと思いませんか?

さて、入院した病院は、近くのアットホームな小規模の病院で、入院中にも、思い出すと笑えて来る、いろんな楽しいエピソードの数々。

息子は、以前からそうでしたが、痛みやつらいことがたくさんあっても、面白いことや楽しいことを見つけ出すことにかけては天才といえる能力を持っています。そのことも、再確認しました。

レントゲン、MRI,血液検査、髄液検査やら、いろいろやっていただき、原因は不明。
でも、やがてリハビリも始まり、これまた、親身になってくださるPTさんたちに恵まれ、動きは改善しましたし、ST以外のセラピストの患者への向き合い方は、これまた、いろいろ勉強になりました。

1ヶ月ほど入院して、11月半ばに、杖をついて、ヨロヨロとなら歩けるようになり、退院したのですが、そこからなぜだか、また、全然歩けない寝たきり状態に逆戻りし、それでも、また、徐々に回復して立ち上がれるようになり、杖なしで足が一歩前に出るようになったり、前にかがめるようになったり、しゃがめるようになったり、それこそ、フツウの人たちにとっては、何でもない一つずつの動作が、「できるようになった!」という喜びを生んでいます。

介護ベッドを借りて、1階に設置。もう二度と2階には昇れないかと思いましたが、今はスタスタとは行きませんが、一日に何回でも上がったり降りたりできるようになりました。

思えば、彼が大学生のころ、乳幼児期から持っていたアトピーが成人期劇症型アトピーに進行しました。これ以上、病院で言われる治療を続けても、先は見えない。よし、クスリから離脱しよう!と親子で決心し、それこそ、「ワラにもすがる思い」で水、食べ物、漢方、気、整体など、あれこれにトライしました。
人間にこんなことが起きるのか!と 人に言っても、経験した人ではないと信じてくれないような激しい経過をたどりました。
やめずにすんだのは、ネット上の、体験者たちの記録でした。
あまりの症状のひどさに、途中で投げ出して病院に頼ったとしても、それこそ、「どうして こんなになるまでほっておいたんだぁぁぁぁぁ」とクスリ漬けに逆戻りするのは目に見えています。先を歩いた人たちの体験が一番の力になる、とそのとき感じました。

その間、生体が持つ自然治癒力とそれを助ける種々の摩訶不思議な「力」について知ることができましたし、結果、生命力のほうがまさりました。
人間は「生かされている」、と、心底思えるようになったのも、この時の経験のおかげです。
10年かかりましたが、ステロイドも、他のクスリも何も使わずに、まあまあ健康になってきて、少しずつ社会生活への参加が可能になりました。

その後、アトピー由来の網膜はく離の手術以外、お医者さんにはほとんどかからず、クスリは花粉症の時期に飲むだけで、しのいで来ました。
風邪で熱が出ても、安静にして経過を待つと自然に治るものですし。
なので、今回は、久々の大事件でした。いやー、大変でした。

まだまだ痛みはあり、フツウの生活とは行きませんが、確実に快方に向かいつつあるようなので、こんなふうに書けるようになりましたが、病気は、ある日突然やってくる、と痛感しました。

私自身、病院のリハビリのセクションに身を置いたこともあり、突然降りかかってきた病気や障害と付き合って行かねばならない方やそのご家族のやりきれない気持ちを身近に感じていました。
つらい時期を抜けていけるように、寄り添い、できることをする………ように、自分に課してきたつもりです。

今回の息子の「急性腰痛症」を通して、ほんとにいろんなことを考えさせられました。(すごい症状だったのに、ついたのはありふれた名前なので残念です。もっとも、腰痛の8割以上は原因が定かになっていないのだそうですね。)
重いものを持ったり、ムリな姿勢をして「ぎくっ!」となる………って思っていますが、腰は「体の要(かなめ)」と書くとおり、疲労や栄養の偏り、ストレス、その他、生活全般のムリが腰に来る………ものなのだそうです。

皆さまも、気をつけて下さい。


弱い側の立場になると、人の親切や善意が身にしみます。
病院の先生の辛らつだけど底にあたたかさが感じられることばとか、給食を運んできてくださる方が言ってくれた「いいお箸ですね!」とか、点滴用の針がなかなか入らないときに「全力でやるからね」という同じ高さに立ったことばかけとか、「よくしてあげたい」「治してあげたい!」と思ってくれていることがはっきり分かるリハスタッフや、鍼灸の先生のことばなどなど。本当にありがたかったです。

勤め先である塾は、ちょうど彼の父親世代にあたる塾長と長男とで、一対一または二対一のていねいな個別指導を行う塾です。
もともと体力がなく、9時−5時フルタイムの勤めにはとても耐えられそうにない長男にとってはもってこいの仕事でした。
通常の塾であれば、突然休み始めて5ヶ月も休んでしまえばクビになってもおかしくないところですが、塾長は「みんなが、中川先生が戻ってくるのをクビを長くして待ってますよ」とニコニコ笑いながら、休みの間、生徒さんを代わりに引き受けてフル回転して下さっていました。
病院のリハスタッフは、皆さん、仕事のことを気にして「こんなに長く仕事を休んで大丈夫?」と聞いて下さいましたが、そんなわけで「大丈夫」だったのです。

まだまだ、目も手も離せませんが、やっと、通常運転に戻りつつあります。
鍼灸整体の先生には「毎日お灸をするといいですよ」とアドバイスされ、一日二回、あれこれのツボにせっせとお灸をしています。
一ヶ所ずつの時間はせいぜい5分くらいなのですが、腰、背中、足、手、と場所の数が多いので、結構時間をとられます。
待っている時間に、ついでに、自分にもお灸をしています。ひじのところにお灸をすると、肩こりが、あ〜れぇ〜 ラクになるのは実に不思議。
これは確かに効き目があるわ!と実感するので、息子にも、休まずせっせと続けています。
一方、ごたぶんにもれず、高齢者介護問題も進行しつつ………です。

仕事は、いざというときには家族を優先させられるよう、今まで以上に選り好み(?) してボツボツやって行きますので、よろしくお願いします。

 3月11日(水)午後10時ー11時13分、NHK総合テレビでドラマ「生きたい たすけたい」が放送されます。
NHK広報
http://www2.nhk.or.jp/pr-movie/detail/index.cgi?id=08_0029

【ドラマの内容】
宮城県気仙沼市で、着のみ着のままで公民館に避難した人々がいた。その数、446人。
避難した人々を容赦なく襲う、10メートルを超える津波。
小さな命を守るために、大人たちは子供らに優しく語りかけ、身をていして、寒さや火災、そして恐怖と必死に闘い続けた。
そんな時、ある奇跡の絆が窮地を救う。
母が公民館に閉じ込められているのをメールで知った息子が、ロンドンからそのことをツイッターに投稿。誰に届くかもわからないまま、救助を呼びかけた。
その小さな声は、人々の善意によって世界中を駆け巡り、ついには、東京都庁にまで届く。
そして、恐ろしく静かな朝を迎えようとしていた時、1機のヘリが公民館の上空に現れる…。

震災から3年。実際に起こった出来事やエピソードを独自に取材し、再構成した上でドラマ化。絶望の中から立ちあがる、人々の勇気と、その人々を支えたいという「絆」の物語が、いま描かれる・・・・・

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イギリスにからツイッター投稿をした息子さんのお母さんは、障害児のための療育通園施設の園長先生です。
私たち「子どもの発達支援を考えるSTの会」は、被災地のいくつかの療育機関などに、ST(言語聴覚士)を派遣する・・・という応援を継続的に続けさせてもらっているのですが、この園長先生のおられる通園も、その一つです。

2年前、気仙沼に行った時には、まだ間借りしての通園対応でしたが、今は近くに、ユニセフの援助で、新しい、ステキな建物ができたそうです。
園長先生を初めとする、関係者のご努力が実を結んだのですね。

世の中にはいろいろな不思議なご縁があるものです。
知り合えた縁に感謝して、ぜひドラマを見たいと思っています。

こちらのブログでも紹介されています。 
     ↓
http://blog.livedoor.jp/motive3034/archives/51911711.html

ちょうど一年前に出版された「生まれたときからことばを育てる暮らし方」(保健同人社)、ひどすぎるスケジュールの中で、カットを担当してくださった林やよいさんと、「えーー、うそーーー」と悲鳴を上げながら、でも 励まし合いながら生み出された本なので、とても愛着があります。
多くの方に読んでいただきたいです。

この本の書評が一般社団法人家族計画協会の広報誌「家族と健康」に掲載されました。
評者は釧路の堀口クリニックの堀口貞子さんです。ありがとうございました。

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pdfファイルはこちら

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生まれたときからことばを育てる暮らし方.pdf

2014-02-15

2週間続けて、東京は大雪です。 \(◎o◎)/!

先週(2月8日)の大雪のときは、講演で宮崎に行っていました。

「保健師さんからの依頼以外は基本的にお断り」をかかげている私ですが、この時も宮崎市の保健師さんからのご依頼。

午前は保護者を中心とする一般の市民の方たち、午後は保健師を含む、関係職種の方たちが対象でした。

会場(130名)に200名を越える希望者があったとかで、会場(130名定員)に入りきれない人が、別室でビデオで見ている・・・という、しつらえだったそうです。

私の願いは、日本中のすべての人が、「あれ? 私も発達凸凹な部分を持ってるなぁ!」と思い当たり、そのうえで「みんなちがうなぁ」「それでいいんだ」と思っていただくことなのですが、この日も基本的にそういうスタンスのお話をしました。

帰りがけに、知り合いの保健師さんに「私も思い当たるところがあった!」「気がラクになった」と声をかけて帰る方が何人もいたということで、行った甲斐があったと思いました。

本当は8日(土)夜に帰るはずだったんですが、「ついでにぜひ」と言われて、小林市(宮崎からクルマで1時間ほど)にも足を延ばして9日(日)に講演することとし、帰宅日を一日延ばしました。

当初の予定どおり、8日に帰る日程だったら、東京行きは欠航で、「空港に一泊」組になっちゃっていたかもしれません。声をかけてくれた小林市さまさまでした。

小林市というのは、宮崎県の中でも鹿児島県寄りの場所にありますが、チョウザメの養殖で有名なのだそうです。ちょうど、2ヶ月くらい前に、NHKの「あさイチ」で放送していました。私はたまたまそれを見ていました。

講演終了後、保健師さんたちが一緒にお昼ご飯を、と予約して下さっていたのがチョウザメづくしの定食でした。
チョウザメの刺身、チョウザメの握り、皮のから揚げ、などなど。淡白な白身の魚で、とてもおいしかったです。

講演に呼んでいただくときにいつも感じることですが、今回も、宮崎市、小林市共にいろいろな条件の中で子どもたちの発達を支援し、家族を支えるために奮闘している人たちがここにもいた! という思いがして、それこそ「元気をもらい」ました。
土曜日や日曜日開催なのに、全員出勤してくれた保健師さんや行政の方たちや関係職員の皆さん。ありがとうございました。

余談ですが、私は保健師さんたちは血液型B型の人が多い、という説を唱えています。
血液型には何の科学的根拠もない、とされているようですが、私は何となく「なるほどね!」と思える共通点があるように思っているからです。

今回も、リサーチ(?)させていただき、少なくとも日本人の中の血液型分布とはかなりかけ離れてB型の人の割合が多いことを確かめて、内心でうっしっし、と喜びました。
私は一緒に仕事を組むことになって意気投合する人が、なぜかB型の人が多いんです。

「じゃあ 中川さんは何型?」て言われます。
私はA型。
「へぇ〜 どおりで。きちんとしてて、さぞお家は整理整頓されてるんでしょうね」といわれる前に、「で、で、でも、両親はAB型とO型なので、私は純粋Aじゃありません。整理とか、全然上手じゃないしぃ〜」と弁解します。

でも、昨夜、雪かきしながら、一ヶ所かくと、他の場所も全部、きちんと路面が出るほどちゃんとやり遂げたくなりました。
腰痛にならないために途中でやめましたが。

こういうやふうに、やり始めると完全主義になっちゃうのって、血液型系のこと? それとも、発達系の「こだわり」特性のなせるワザ?と自問したりしました。

本日(1月18日)夜9時からの「すくすく子育て」に保健師さんが出演されます。

保健師さんという職種が「すくすく」に姿を現すのは多分、初めてだと思います。

テーマは「赤ちゃんの不思議な行動」ドクターとのかけあい、と聞いています。


出演するのは、愛知県豊川市の保健師の伊藤昌子さんです。
とってもエネルギッシュな、「保健師中の保健師」という、広い視野と柔軟な発想を持っている方です。
古くからの友人なので、時間のある方は、保健師の姿を、ぜひ、見てください。

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ちなみに、実は、私は明日19日、豊川市で講演です。
2回シリーズの講演会テーマは「パパとママの願いがかなう講演会」
招いてくれたのが、上記保健師の伊藤昌子さん。

1回目はスクールカウンセラー・医師の明橋大二さんによる
           「子育てハッピーアドバイス」
2回目が私の   「こころが育つ暮らし方」
対象は乳幼児を持つ親や地域の人たちです。

そして、なんと、これは「地域自殺対策緊急強化事業」の予算を使った「睡眠とこころの講演会」の一環なのです。
乳幼児期の安定した心の育ちが、ずーっと遠い将来の心の健康、ひいては自殺予防につながる、という、地域に密着して人を見ている保健師ならではの発想。

すぐれた保健師さんの話になると、ついつい宣伝ぽくなってしまうナカガワでした。

狛江市は昨年の参議院議員選挙の際にも、知的障がいのある方のための「体験投票」を全国に先駆けて行いました。担当部署ががんばっているのです。

来る2月9日に予定されている都知事選挙に向けても、次のような企画があります。
狛江市民以外でも、近隣の方たちはどうぞ、ご参集下さい。

会場は小田急線狛江駅前です。

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【わかりやすい演説会…狛江】について

〜東京都知事選挙における知的障害者等への意思決定支援〜

                     平成26年1月10日

             狛江市地域自立支援協議会会長 柴田洋弥

狛江市地域自立支援協議会は障害者等への支援の体制の整備を図ることを目的として、「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援する法律」第89条の3に基づいて狛江市により設置され、障害当事者を含む関係機関・団体により構成されています。

 昨年5月27日に国会で公職選挙法改正が可決され、成年被後見人にも選挙権が付与されました。

これを踏まえて、狛江市では参議院議員選挙に向けて7月10日に体験投票が実施され、参加した被後見人や知的障害者等は投票の方法を、選挙事務従事者(狛江市職員)は支援の方法を、一緒に学び、マスコミ等でも注目されました。

しかし知的障害者等にとっては、通常の選挙演説等の理解が難しいため、各候補者から直接にわかりやすい言葉で話を聞き、自らの意思で候補者を選べるような機会が必要です。

都内国立市にある知的障害者施設「滝乃川学園」内では、1981年以来、候補者が知的障害者に直接アピールする「選挙のお話を聞く会」が開かれ、候補者選択の支援が行われて来ました。国や都の選挙では代理の市議会議員等が説明することもありますが、市長選や市議選では候補者のほぼ全員が登壇しているそうです。

しかし現在の公職選挙法では、選挙告示後になると個人演説会や政党演説会しか認められていないため、各候補者が同じ時に同じ場所で演説会を開催するという形式をとるとしても、候補者ではない団体が公的な会場を予約することはできません。

そこで当協議会では、今回の都知事選挙の告示日直前に、狛江市内の知的障害者等を対象とする立候補予定者の公開討論会として「わかりやすい演説会…狛江」を下記のように開催することとなりました。

昨年12月に国会で承認された障害者権利条約の理念である「保護の対象から権利の主体へ」が実現されるよう、各地で様々な取り組みが行われ、また知的障害者等がもっと選挙に参加しやすいように制度が整うことを願って、この企画の実現に努めます。

        記

     【わかりやすい演説会…狛江】
〜東京都知事選挙における知的障害者等への意思決定支援〜

 ・主催 狛江市地域自立支援協議会

・日時 平成26年1月20日(月)       午後1時30分から午後3時30分まで

・場所 東京都狛江市元和泉1-2-1         狛江市エコルマホール 4階ホール

・対象 狛江市内および近隣地域の20歳程度以上の障がいのある方および関係者

・内容 東京都知事選挙各立候補予定者が自己紹介や施策についてわかりやすく演説する

・問合せ先 狛江市地域自立支援協議会事務局
        狛江市福祉保健部福祉サービス支援室内 
        担当小川 
        電話03-3430-1111内線2215
        Fax 03-3480-1133   E
        E-mail   fukushienk@citykomae.lg.jp

しばらく、更新できずにいました。
そのわけはおいおいお話しできると思います。

ところで、北海道の倶知安駅からセキュリティパックが届きました。
何が入っているかというと・・・・・


11月2日、倶知安が属する後志(しりべし)地域の、特別支援教育にかかわる研修会にお招きを受けていました。
くっちゃん!! 何て日本離れしたひびきの地名なのでしょう! 
かねがね、行ってみたいと思ってました。
研修会の中味も、お会いする人たちも、本当に魅力的で、味わい深い勉強をさせてもらいました。

ところが、前夜(1日)、倶知安駅周辺で財布を「見失い」ました!
もしかしたら、小樽ー倶知安間のJR車内だったかもしれません。
免許証も、健康保険証も、クレジットカードも、キャッシュカードも入ってます!
ぎゃ〜〜〜〜。
しかも旅先。どーーーしよーーー、でしたが、幸い、いつも、財布とは別に、千円札を1-2枚いれた小銭入れを持ち歩き、また、常用しないキャッシュカードは別のカード入れに入れてありました。
なので、とりあえずの電車賃は払い、駅の近くのセブンイレブンでお金を下し、事なきを得ました。

駅と交番の両方に遺失物の届けを出しました。
交番での紛失届けの書類作成のためには、財布の中に何が入っていたか、ことこまかに聞かれます。
1万円札が何枚か、くらいははっきりおぼえていますが、小銭の種別と枚数までは、とても覚えてないですよね〜。でも、相手はおまわりさん。
細かく問いかけられます。
「最後に財布を使ったのはどこですか!」って厳密に聞かれると、倶知安駅だったような気もするし、乗り換え駅の小樽かもしれない気もするし、いやいや、JR新千歳駅だったかもしれないし・・・記憶って意外とあやふやなものです。

届け出たのが、連休の前夜(金)だったため、「見つかったとしても、連絡は5日(火)になります」と言われてが〜〜〜〜ん。
やむなく、帰宅してから、クレジットカードは紛失届けを出し、運転免許証は半日かかって再交付手続きをしました。
だって、どうしても6日(水)にはクルマを使う用事があったからです。
5日に連絡をもらったとしても、北海道からの荷物が届くのは、どんなに早くても7日になってしまうからです。

盗まれた気は毛頭してなかったのですが、かといって、100%出て来る確信もなく、
やむをえません。クレジットカードをとめて再発行中なので、ネットでの買い物もままなりません。

倶知安駅から「財布、お預かりしています」の連絡があった時には、思わず「あ〜りがと〜ございま〜す」と声が上ずりました。
お金も丸ごと、カード類も何一つ取られていませんでした。

すれ違う人全員に「この国はいい国ですね〜〜。なくした財布が手元に戻るんですから!!」といいたい気持ちでした。

実は、私は財布を「見失った」のは、今回が初めてではありません!
でも、今までも毎回必ず、届けてくれる人があって、手元に戻ってきていました。
今回も、また、「ありがたい、ありがたい」経験でした。

でも、今後は、席を立つときに、必ず一度振り返ることを習慣にしようと心に決めました。

2013-09-06

 広島に行くついでに、新神戸に用事ができました(作りました)
久しぶりに、林やよいさんにお会いしておしゃべりしたいとの願いもかないました。
私の本の多くに挿絵、カットを描いて下さっている林さんとのおつきあいの始まりは、ぶどう社の「1,2,3歳ことばの遅い子」(1999)でした。
もう14年前なのね、と二人でびっくりし、感激しました。

ある程度の原稿ができた時点で、ぶどう社の編集の方が、 「この方のカットを考えているのですが・・・」と見せていただいたカットにひと目ぼれ。一も二もなく「お願いします!」と言ったのが始まりでしたっけ。

脳の電線と電球の絵といい、いろいろな速度で伸びる球根くんたちといい、「それ!そのとおり!」という挿絵が次々と生み出されるのは、不思議としか言いようのない経験でしたし、今もそうです。


最新刊の「生まれたときからことばを育てる暮らし方」(保健同人社)の時は常識ではありえないスケジュールだったのですが、二人だからがんばれました。

そうそう、「1,2,3歳ことばの遅い子」と言えば、今話題の水曜ドラマの「Woman」(満島ひかりさん主演)に映っていたそうですね。子ども家庭支援センター?のスタッフの方にの息子の「りくくん」のことばが遅いのではないか、相談してみては? と勧められる場面で、「バッチリ映ってましたよ、本の名前も、著者名も。」って保健師さんや、保護者の方や、友人やら、いろんな方に言われます。

心配をあおるような場面で小道具に使われるような本じゃない!!」 って、プンプン怒ってくれる人も数人いました。

私はそのn場面を見てないので、よく分かりませんが、ほんの短い場面だったらしいのに、こんなにいろんな人が見てるんだ、そして、私の本に注目してくれてるんだと、ちょっとうれしいような、恥ずかしいような気分。

ことばが遅くても、なるべく心配せずに、必要なことを淡々とやりながら、過ごしましょうね、というメッセージをこめたつもりの本ですが(もちろん、障害かもしれないときには早めに相談しましょう、そして、こういうふうに接しましょう、とは書いてありますが) 見方によっては、心配になる本でもあるのね、と、新しい発見でした。

9月1日は「言語聴覚の日」です。この日に言語聴覚士法が施行されたことにちなんで日本言語聴覚士協会が決めました。
9月1日の前後の1週間を「言語聴覚週間」として集中的な広報活動を行うことにして、毎年、全国でいろいろな企画が立てられています。

言語聴覚士の知名度はイマイチ、いや、イマニか イマサンくらいで、まだまだ知られていませんし、摂食・嚥下障害を扱えることも知られていないし、ましてや、子どものコミュニケーションや発達についてだってかかわれるんですよ、というと「えっ! 子どもも見るんですかっ!!」と驚かれることもたびたびです。

さて、そんなこんなで今年も、9月の第一週に、各都道府県の言語聴覚士会による催しが企画されています。
皆さまお住まいの「◎◎県(都道府)言語聴覚士会」で検索してみてください。

私は、広島県士会にお招きいただいていて、
「市民公開講座」 を受け持ちます。
広島・山口のお近くの方で、お子さんのことばのことを心配している保護者、また、保育士、療育関係者などがおられたらどうぞ、聞きにいらしてください。
ちょっと安心できるようなお話をするつもりです。

 

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日時  平成25年9月8日(日)  13時30分ー15時

場所  広島市 アステールプラザ

演題  子どものこころとことばの発達に向けて

講師  中川信子

参加費 無料

申し込み等  以下参照
http://www.hiroshimast.justhpbs.jp/10syuunenntsirashikaihen.pdf

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なお、広島県言語聴覚士会の言語聴覚の日の催しの全体テーマは「おいしい心は元気の源」。

上記の市民公開講座のほか、県内の言語聴覚士による嚥下食やトロミ食の紹介や、嚥下に関するミニ講演会、無料相談会があります。

食べる、飲み込むがうまく行かない、最近よくむせる、など心配なことのある方やご家族はどうぞ、ご来場ください。「トロミ剤」も、まだまだ知名度が低いですからね。

釧路の本題である「マザーグースの会 20周年記念の会」、ひと言ではいえないほど、実り多かったです。

旭川や東川から5時間かけてクルマできてくださった人、札幌から来てくれた知人、帯広は隣町(?)ですけど、お久しぶり!の顔も見えました。
オホーツク側から来てくれた人にも会いました。
私が、昨年10月に釧路から、オホーツク側の遠軽までドライブした時は(運転のほとんどは息子がやってくれたのですが)、間で一泊して大旅行のつもりだったけど、北海道の人にとっては、5時間程度はひとっ走り感覚らしくて。

札幌から来てくれた知人もありました。
札幌ー釧路はJRの特急で4時間の距離。
釧路ー札幌間のJRといえば、エゾシカが衝突して止まったり遅れたりは日常のことだそう。
今回仕入れた新しい話題は「エゾシカはまだいいよ。ヒグマがぶつかって止まると大変。ぶつかった熊の遺体?死体?を片付けないと発車できないわけだけど、子熊だと、近くに親がいるかもしれないっしょ? 猟友会の人に来てもらって警戒したり、駆除したりしないと運行再開できなくて。最近、猟友会の人も高齢化が進んで・・」などなど、北海道では常識のことも、東京者には目をぱちくりの連続。

講演後の懇親会にはマザーグースの会関係者だけではなく、保健師さんや、学校関係者も何人も来てくださり、同志!としてうれしかったです。
また、自分が思うよりずっと、「著書」がひとりでちゃんと旅してくれていることにも驚きました。いろんな人に「座右の書です」「仕事についた最初のころに先輩に読むように勧められて以来、ボロボロになるまで読んでます」などといわれるのですからね。

翌11日は、堀口貞子さんと千栄さんと3人で、厚岸方面にドライブ。お花畑に寄って、「
厚岸 味覚ターミナル コンキリエ」で生牡蠣、焼き牡蠣、ホタテ、うになどを炉端で焼いてたらふく食べてご満悦。まさか、8月に生牡蠣を食べられるとは思いませんでした。

空港に帰る前に、「マザーグースの会」発祥の地である子どもの本屋さん「
プー横丁」 に寄って“女あるじ”にお会いしました。朝寄った時はお留守だったんですが、「ひとっぱしり、釧路湿原を歩いて来た」のだそうです。うらやましい生活。

私は瀬戸物屋さんと、よい本屋さんにはなるべく寄らないようにしています。
だって「私を連れて帰って!」っていう声がして、家の財産が増えてしまうから・・・。
そのへんのつまらんチェーン店の本屋さんなら、ほしい本がめったにないので大丈夫なのですけどね。
で、おそれていた通り「プー横丁」では「私を連れてって!」という本がワンサといたのでした。しょうがないので、連れて帰りました。
厳密に言うと、持って帰るには重いほど買い込んだのでーーサイフは軽くなったーー宅急便で送ってもらいました。

いくつかの本の紹介を近々「本の紹介」に載せますね。

あ、そうそう、講演前に、ホテルのすぐ近くの「遊学館」前の広場に野菜などの店を出していた
日置真世さんにも、一目会って来ました。
「友だちの友だちは友だちだ」っていうけど、北海道に行くととくにこういう「人のつながり」の不思議さを強く感じます。

25年8月10日(土)、釧路の「マザーグースの会」の20周年記念講演会が開かれます。


「マザーグースの会」とは何か?
 ホームページの「そもそも」に誕生のいきさつが書いてあります。
センモンカにはできないことが、親同士のつながりの中で、できる、っていうこと。

「マザーグースの会」代表の小児科医の堀口貞子さんとは40歳を過ぎてから親友になりました。何百キロも離れた所に住んでいるのに、基本的に同じこと考えてるんだよね、ということがとても不思議で。

今回の「20周年記念」に呼んでいただけるのは、とても光栄なことで、その上、猛暑の東京を脱出して3日間だけでも、涼しい所に行けるのはラッキー!!

150人近いという来場者の方たちに「来てよかった」と思っていただけるようなことをお話ししたいと思っています。
でも、もう、講演が2日後に迫っているというのに、何を話そうか・・とまだ考えているようなテイタラクです。

恩師である三木安正先生に学んだことを中心にお話ししようとは決めているのですが。
「(障害を)治すことはできないが、(その人を)活かすことはできる」という三木先生の有名なことばがあります。
最近は、障害というと発達障害で世の中は持ちきりです。でも、知的障害や重い障害を持つ人たちのことが、置きざりにされているようで、なんともいえない違和感を感じます。

すべての人に出番がある社会とは、「生活」ベースで考えられてこそ、と思うのです。

全日本特別支援教育研究連盟(全特連)の「三木安正先生生誕100年記念の会」が2011年に編纂・発行した
「知的障害教育の歩み  三木教育論と戦後小史」を読み返しています。
今に生きる三木先生の実践の足取りの確かさ、ぶれない姿勢が描きだされています。私を含めて、こんなにたくさんの人に、敬愛され、尊敬され続ける方に、近くでいろいろ教えていただいたことは、何と幸運だったんだろうと思います。

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8月2日、石巻に行ってきました。
主催は石巻市(健康推進課)、私たち「一般社団法人 子どもの発達支援を考えるSTの会」が資料準備や講師派遣などに協力した企画です。

前夜 8月1日の夜に仙台着。仙台ー石巻を結ぶ仙石線は、もう復旧したのかと思っていましたが、一部区間がまだ開通しておらず、その区間は代替バス輸送とのこと。代わりに、本数多く出ている仙台ー石巻間の高速直行バスで行きました。

8月1日は、石巻の「川開き祭り」

昼間の駅前はすごい人出だったそうですが、保健師さんによると、「お祭りの時だけです、あんなに人が出るのは」とのことでした。

私はホテル着が夜8時半を過ぎましたが、幸運なことに、窓から、盛大な花火が見えました。

2日は朝10時から、保健師・保育士・幼稚園の先生・療育関係者対象の講演会。
180名という来場者があり(平日の昼間なのに)皆さん、熱心にうなずきながら聴いてくださいました。
午後1時からは、保健師さんたちとの事例検討会や質疑応答。熱心で暖かい雰囲気で、平常の石巻の充実した保健師活動がしのばれました。

仮設住宅という恵まれない住環境の中、心のバランスを崩す親ごさんたち。
赤ちゃんを泣かせないために、おしゃぶりを口につっこむしかない生活。
同じ仮設に住んでいても、もともとの地域が違い、通う学校がバラバラなので、全員スクールバスでの送迎。
遊びの機会も、子ども集団での遊びも成立せず、子どもたちにとって、危惧される状況が山ほどあると知らされました。
家が、家財が流されて行くのを黙ってみていた子どもが、2年以上たってやっと「見たんだ、家が流れるのを」と言えるようになったとも聞きました。

泊まったホテルのすぐ目の下にも、10棟ほどの仮設住宅が見えました。

河北(かほく)町の会場(ビッグバン)からの帰り道、タクシーに少し遠回りしてもらって、多くの児童と教員が亡くなった大川小学校の横を通ってもらいました。
北上川の河口から4キロもあるのに、川を逆流して来た津波が堤防を決壊させ、一気にあたりを飲み込んでしまったのだそうです。

がんじょうなコンクリート製の橋がひとたまりもなく「流される」なんてあり得ない・・・。
それほどの力が水にあるなんて。
一緒に行った、子どもSTの会のお仲間と二人、文字通り「ことばを失い」ました。

大川小から少し離れた場所で、タクシーの運転手さんの「下流で堤防が決壊しなかったら、このあたりもやられていたはずです」とのことばを聞き、複雑な思いにかられました。
堤防が決壊したから被害を受けた地域と、それによって助かった地域と・・・・。

運転手さんのご家族が無事だったのかどうか、おたずねするにも躊躇しましたが、決心してお聞きすると「全員無事でした」といわれ、ちょっと安堵しました。

「一般社団法人 子どもの発達支援を考えるSTの会」の会員の皆さまのご協力のおかげで、陸前高田、気仙沼、石巻と3ヶ所で講演会を実現することができました。講師派遣、資料準備など、現地の負担も少なくてすみ、大変感謝されました。

また、会からの、継続的なST派遣も続けられており、それぞれの自治体で、とても頼りにされるようになっていると聞きました。

「ちゃんとしたST」に一度会えれば、需要は広がるはず、なんて私はいつも思っているのですが、子どもSTの会の周辺には、「ちゃんとしたST」さんが大勢いるんだな〜など、手前味噌なことを考えました。

石巻チラシ30%.JPG

 pdfファイルはこちら 1308_石巻講演会.pdf

おしらせするのをすっかり忘れていました。もう、直前になってしまいましたが、8月2日(金)石巻で講演会が開かれます。

主催は 石巻市
協力は 「一般社団法人子どもの発達支援を考えるSTの会」
対象は、石巻管内の子どもの発達支援に従事するスタッフです。

震災後、子どもSTの会会員の中から自然発生的に、被災地支援をしようという意思表示があり、募金が集まり、また、会の事務局のご尽力で、昨年6月に陸前高田、7月に気仙沼で、講演会やシンポジウムを開いたり、協力したりすることができました。
今回は、それに引き続く第3弾ということになります。

講演会は、1回限りですが、子どもの発達支援を考えるSTの会の会員による療育等への継続的支援も続いています。
ほんとうにありがたいことです。

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「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

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