ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

7月、8月は講演ラッシュです。ダウンして穴をあけないように、体調管理しないと。

北海道から戻ってすぐ、一昨日(7月21日)は、
一般社団法人家族計画協会主催の「お母さんと子どもの元気セミナー」でした。
保健師さん、助産師さんを中心に100名を越える参加者がありました。
保健師さんの仲間を自任するナカガワとしては、ありがたい会でした。

引き続き、7月22日は、東京都福祉保健局少子社会対策部主催の
母子保健研修でした。東京都の研修は以前に、保育士対象で引き受けたことがありましたが、今回は保健師さんと保育士さんと両方の参加がありました。

230人募集のところに700人近い応募があったとお聞きしました。
ナカガワに人気があるのだと、もちろんそれはうれしいですが、それより、「ことば」の発達について、よく分からなくて困っているスタッフがたくさんたくさんいるのだと責任を感じました。
ST(言語聴覚士)が、もう18000人を越えたというのに、子どもの現場には恩恵が全然届いていないのですから・・・。どこから手をつけたらよいのか・・・。

で、せめての助けになれば、と思い出しました。
最適のパンフレットがあります。
現場の方たちには、きっと役に立ちます。

「ことばが伸びるじょうずな子育て」(家族計画協会 250円+税)
     (購入方法は文末に)

10年ほど前、地方での講演会の折(たしか、厚生労働省が共催か後援かだったと思います。結構大きな会でしたから)にたまたま家族計画協会の担当者が来ておられて、講演を聞いてパンフレット作成の話を持ちかけてくださったのでした。

障がいのあるお子さんや、障がいかもしれないお子さん向けの本は沢山書いてきたけれど、完全に通常のお子さん向けの、言語発達の手軽な本を出して、親ごさんたちの手元に届けたい!というのが当時の私の切なる願いだったので、本当に有り難い申し出でした。
さし絵はもちろん林やよいさん。
とっても、とっても、可愛らしいパンフレットができて、私は大満足でした。

が、家族計画協会の出版物は、住民向け配布教材として各自治体の保健セクション等に100冊なりまとめて販売するためのものであり、一冊単位での販売には対応していないのです。困った・・・。

そこに、助け船を出してくれたのが
(株)エスコアール。  
ST向けの教材や、検査用具、書籍などを販売している会社です。
こちらで、一冊ずつ買える仕組みを作っていただいたので、簡単に手に入ります。

でも、そのことを、ちゃんと大々的に宣伝したことがなかったのを思い出し、今書いている次第です。
ほんとに可愛らしくて、分かりやすいパンフレットなので、どうぞ、手に取ってみてください。

こちらから購入できます。(エスコアール)    ↓

「ことばが伸びるじょうずな子育て」

「道内の飛行場でまだ降りたことのないのは稚内空港だけ。お声がかからないかなー」と、ウワゴトのように言っていたのを聞きつけた方が調整してくださって、バンザイ!稚内に来ました。

夜の講演や特別講義は稚内・名寄・留萌と三連チャンですが、北海道なら長距離移動も苦になりません、涼しいんですから。

稚内では、スタッフの方に宗谷岬に 案内していただきました。帰り道に経由した宗谷丘陵は、単なる丘陵ではなく氷河に侵食された痕がある、との説明に、なーるほどと感心しました。

長距離移動も苦にならないとは言いましたが、稚内から名寄まで200キロ弱を各駅停車でゴトゴト3時間かけて移動するのは少し苦になりました。

20130718 稚内駅掲示 .jpg

というのは、乗るつもりだった「特急サロベツ号」が当分の間運転中止になってしまったからです。道内でサロベツ号と同じ型の機関車が発火するという事故があったためです。
やむなく、早めの時間の各駅停車で移動することになったのです。

 一両編成の稚内発名寄ゆき。所要時間3時間15分。
周りは緑、緑、緑。

しばらく居眠りをして目を覚ましても、緑、緑、緑。
もういっぺん爆睡して目を覚ましたときにも、周りは緑、緑、緑。
北海道は広いです。

稚内駅の「日本最北の駅」の看板と、途中で行き合いのために停車(単線なので、時々、下り電車とすれ違わなくてはなりません)した「幌延(ほろのぶ)」駅の風景をお届けします。 

20130718幌延駅 1 .jpg
20130718幌延駅 2.jpg

宗谷本線の無人駅は、貨物列車の車両を使った質素な建物などもあり、また

耳慣れない読み方の駅

もたくさんありワクワクでした。

抜海(ばっかい)、音威子府(おといねっぷ) 美深(びふか)、紋穂内(もんぽない)、咲来(さっくる)などなど。カタカナで表記されていれば、これほどワクワクしなかったと思いますが、漢字で書いてあるにもかかわらず、意味が全く分からない・・・というのが、ナカガワの興味のツボにはまるのです。

アイヌの地名に、漢字をあてはめた人は、どんな人だったのかなぁ、と、それにも興味しんしんです。

2013-07-13

支援ということばになんともいえない違和感があります。
「私たち支援者は」などと、ポロポロ言う人がいると「んん?」と居心地が悪くなります。

「支援する人」がいるということは「支援される人」がいる、ということです。
その両者がうまく対等な関係性を保てるのならいいけど、実態はどうなのかなー、と思うのです。

カッコつき「支援者」の善意が、ありがた迷惑だったり、余計なおせっかいになっちゃうことも多々あるし・・・

湯浅誠さんが、「支援support   ではなく 協働 working  together」と話しておられたことに深く共感しましたし、北海道の田中康雄先生の二冊の本も、ガッテンガッテンでした。


■「支援から共生への道   発達障害の臨床から日常の連携へ」 田中康雄  慶應義塾大学出版会 2009年

■「発達支援のむこうとこちら」 田中康雄  日本評論社 2011年

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忙しくてなかなか遊びにいけなかった東田直樹くんのブログ、7月7日付けの所にこう書いてありました。

支援というと、みんなは、何を手伝えばいいか、あるいは

どんな風に環境を整えればいいかと考えます。

それも、大切だと思いますが、一番重要なことは、

ずっと頑張り続けられる意欲を育てることだと

思います。

持続力や忍耐力を指しているのではありません。

明日も、頑張って療育や仕事に取り組もうと思える

意欲です。

すぐに成果の出るものだけが、いい支援とは

限りません。

その人にとって大事なのは、20年後30年後の自分が、

自分らしく生きていられるかということではないでしょうか。

「その人にとって」を中心に考えられるのか、「子どもの最善の利益」を最優先に考えられるのか、私にとっても、大きな課題です。

義母が大腿骨骨折で一般病院に入院していました。
私は、「寝ているだけなんて、最悪!一日も早く、回復期リハ病棟のある病院に移らせてあげたい!」と思ったものの、MSW(医療ソーシャルワーカー)さんがあちこち当たってくれても、なかなか転院先が見つからず、このほどやっと回復期リハのある病院に移ることができました。

同室の患者さん同士で集まってお茶を飲んだりおしゃべりしたりできるようなスペースがしつらえられた病室で、通りかかるスタッフがかわるがわる声をかけてくれます。
「生活」が感じられる病院で、とてもありがたいです。

先日お見舞いに行ったら、折りよくリハビリテーションの時間。
PTさんが、ベッドサイドに来て起き上がる練習、足を動かす練習などの手ほどきをしてくれていました。
骨折部位にはまだ痛みがあるのですが、そこに負担がかかる動きをするときには「痛いですよね、痛いですよね」
動きができた時には「おじょうずですよ、そうそう、その調子」「年齢以上の動きですよ」
そして「足の指の動きがとてもいいですね」と具体的に伝えてくれて。

「もっとがんばれ」とか「それではダメだ」とはひと言も言わず、患者自身が「もう少しがんばってみよう」と思えるような声かけの数々。
横で見ていた私は、さすが!と感心しました。
やる気は「(叱咤激励して)出させる」ものではなくて、「(自分からその気に)なってもらう」もの。「なってもらう」には、ほめられる、認められるという喜びがなくては。

リハビリテーションの語源は「再び」「ふさわしいものにする」です。
単なる身体機能の機能回復訓練ではなく、心や生活を含めた「全人間的復権」をめざします。

患者さん自身が「家に戻り“たい”」とか「もう一度自分の足で歩き“たい”」「家族とコミュニケーションし“たい”」などの目標や願い、意欲を持つことが最初のステップ。
意欲を持ってもらうためには、「あなたのことを気にかけていますよ」「あなたは大切な人です」というさりげないメッセージを送ってくれる人(看護師などの病棟スタッフや家族)の存在が不可欠ですし、そこに向かって「一緒に、具体的に努力してくれる人」(リハスタッフ)がいてくれることが大事です。
そんなリハビリテーションの本質を思い出しました。

思い出すといえば、私自身が病院のリハに勤めていたころ、「どうせ、もうよくなりゃしない」「希望なんかない」「訓練なんかしたって、どうにもならない」「いっそ死んだほうがよかった」と、生きる希望や、ましてや、目標などもてずに苦しむ患者さんもいました。
障害を持った自分と折り合いをつけてゆくのは並大抵のことではなく、他人が励ましても意味はない、と分かっていましたが、リハスタッフとして「何もしないで横にいるだけ」の自分の非力を直視するのは、いたたまれない思いでしたっけ。
当時は心身症になりそうなくらいつらい経験でしたが、今思い出すと、なつかしい貴重な経験だったなぁと思えます。

リハの考え方は、発達障害の人たちやその家族、周囲の人たちにも、まったく同じことが当てはまるのだった、発達障害の人たちとの関わりも、「全人間的復権」というリハの観点から見れば当然のことばかりだったな、と、感心し、また、障害と折り合いをつけてゆく人の心のあゆみや、かかわるスタッフ(「支援者」)としての成長も、同じように進んでゆくのだな、と思います。
リハビリテーションの考え方をバックボーンに持つことのできた自分の幸運をも思います。



今年の初め、全特連の夏期セミナーの講師依頼を受けました。
何となつかしい! とお引き受けしました。
私の受け持ちは7月30日(火)横浜会場で午後の枠です。

日程等は ↓ ↓ (会場は 八戸、横浜、高知)

   全特連夏期セミナー 

なつかしい! の理由は・・・・
私の師匠、故・三木安正先生を思い出したからです。
全特連は、三木先生が創設された団体だからです。
三木先生は、
旭出学園においても常に「実践と研究。二つが車の両輪」「現場での実践に埋没せず、研究的視点を持て」といつもおっしゃっていました。
「研究のための研究ではない。子どものための研究なのだ」と。

全特連の前身 「特殊教育研究連盟」発足は昭和24年(1949年)。
機関誌 創刊のことば・・・・ 「余りにも立派な言葉はもうたくさんだ。貧しくとも心のこもった素朴な行いと言葉がほしい。この雑誌が実際家と研究者を結合させ、さらに海外の同志とも手を結ぶ機縁となることを期待する(三木安正)」

私は、旭出学園を離れ、STになって医療の場に身を置くようになったあと、久しぶりに三木先生のお話を聞こうと、全特連主催の、多分夏期セミナーに参加したことがあります。
いつもどおりのハスキーボイスのお話に、眠気を誘われましたが(!?)、終わったあと受講生の間を控え室に引き上げる先生を「先生!」と呼び止めると「ああ、来てたの?どう?元気?」といつもの笑顔で声をかけて下さったのが、思い出されます。

お会いしたのはそれが最後になりました。
昭和59年(1984年)にまだ72歳の若さでなくなったからです。

今はもっぱら発達障害、発達凸凹が世間で大流行(?)している感がありますが、知的障害のある人たち、特に、重い障害を持つ人たちのことを第一に考える視点が定まれば、おのずと、発達障害の人たちやその周辺の人たちへの立ち位置も定まるのだと思います。三木先生の思想と行動は、その中心をとらえていました。

全特連が三木先生の生誕100年を記念して編纂した
「知的障害教育の歩み〜〜三木教育論と戦後小史」。
ほんとは会員向けの本だったらしいのですが、事務局に無理やり頼み込んで一冊分けていただきました。表紙の三木先生の姿もステキで、思わず、「三木先生、お久しぶり!」って言いそうになります。中味も濃くて、時々、引っ張り出して読み返しています。

旭出学園やそれ以外の場所で、成人してもことばを持たない重度の知的障害の人たちと、ことばを使わないコミュニケーションの成立可能性について、人が分かり合うってどういうことなのか、共に生きるって? と真剣に考えていた若き自分をも、なつかしく思い出します。

三木先生の命日は5月31日。
奇しくも、62歳の若さでなくなった私の父の命日も同じ日です。
みずみずしい若葉の季節は、私にとっては、悲しい思い出の季節でもあります。

そうそう、二人とも180センチほどの、当時としては、とても大柄な人(たち)でした。
今も、たまに、180センチ超の方と話をすることがあると、少しだけ、父のこと、三木先生のことを思い出します。
そうそう、こんな具合に、首を傾けて見上げながら話したんだよね、と。

ふくしえほん「あいとぴあ」は、狛江市内の保育園・幼稚園に通う5歳児の幼児を対象に、毎月福祉に関するお話を1シートずつ配り、1年分をファイルすると一冊の「ふくしえほん」になる、という全国的にも非常に珍しい事業です。

狛江市社会福祉協議会が平成5年に開始して以来20年を迎えました。

現在保育園に通っている子どもたち、そして過去にふくしえほんを学び社会人となって活躍している方への取材などをまとめたものが6月4日(火)にNHK首都圏ニュース」で放送されました。

私は見逃してしまったのですが、再放送があるそうです。

〔番組名〕 NHK「Eテレ 週刊手話ニュース」

〔放映予定日〕 6月8日(土)午前11時40分〜午後0時

〔関連ページ〕 http://www.nhk.or.jp/shuwa/

なお「あいとぴあ」とは「であい ふれあい ささえあい」という地域福祉の心と「ユートピア」を合わせたことばです。ちなみに、狛江市の保健福祉センターの愛称は「あいとぴあセンター」です。

BS日テレ毎週月曜日9時から、「日本の歌 こころの歌」という番組があります。
声楽の勉強をした若い歌い手たちで構成された「フォレスタ」というグループが、文部省唱歌や、日本で歌い継がれてきた歌、また、時に歌謡曲や海外の歌などを歌う番組です。

シンプルな背景、伴奏はピアノのみ。時にはアカペラで、歌います。
テレビでコーラスが流れること自体、珍しいですが、フォレスタは、実に美しい日本語で、しかも、ちゃんとハーモニーのある歌を歌ってくれるのです。

西洋音楽の勉強をした歌い手さんたちは、響きを重視するあまり、「おいおい、そんな音は、日本語にはないよ」というような不自然な発音で歌ったり、時には、何て言ってるのか分からない発音で歌ったりすることがあります。

私は、それがイヤで、西洋音楽(?)系の歌い手さんたちの歌はあまり聞かないのですが、フォレスタだけは別です。

日本の歌は、もともとが単旋律のものが多いので、コーラスに編曲するのはとても難しいと思います。
編曲担当の一人、杉本龍之先生は、私が一時属していたアマチュアコーラスの指揮者でした。コーラスの真髄、人との共同作業の根本について、たくさんのことを教わりました。

杉本先生は作曲家でもあったのですが、先生の曲の特徴は、どのパートもちゃんときれいな旋律になっている、ということでした。

どういうことかと言うと、多くの場合、旋律を歌うソプラノやテナーが花形で、ハーモニーをつくる役割のメゾとかアルト、男声の場合だとバリトンとかバスとかは、下支え扱いで「ドドソソドソソ  ドドソソトソド」とかいう面白みの片鱗もないような単調なメロディになってしまうことが多いのに、ということ。

「どの一人も、全員が主人公。」
「自分を主張する一方にならず、相手のパートを聞こうとすれば、おのずと響く。」
「互いが生かし合って、ハーモニーをつくる」
それがコーラスの醍醐味。

そんなことを学びました。
歌っていた昔を思い出しながら、月曜夜9時を楽しみにしています。

最近、やっと、録画タイマーをかけられるようになったので、収録しておいて見直すことができて便利です。(当たり前ですよね。録画ってそのためにあるんでした)

連休前から、ものを捨てています。えい!えい!
母の住む実家と、急遽引っ越した息子のアパートのものを、えい!えい!

捨てて、減らして、すっきりするのは気分がいい反面、何で、こんなにたくさん物があるんだろう、とウンザリします。

他人の家のものは、いらないものばかり! みたいに見えるのに、その足でわが家に帰って見回すと、やっぱり同じくらいいっぱい物があり、しかも、「使うかも」とか「もらった物だから」とか「旅行先で買ったんだ」とか、「賞味期限、切れたばっかりだからまだ食べられる、明日食べる」とか何とか言って、捨てられない物が多いです。

「片付けられない女たち」という名著?がありますが、ほんと、思い当たることばかり。でも、この機運を逃すと、次はいつのことになるかわからないので、自分の家でも、捨てたり、整理したりに取り組みつつあります。

片付いた部屋、物を探し回らないでいい整頓状態、清潔で落ち着く部屋、というポジティブイメージを描いてがんばります (=_=)

実は、ここだけの話、GW中に来客がある、という切羽詰った事情もありまして。

外圧がないとなかなか動けないのが人間ですね・・・・。

狛江は小さな町です。
「何て読むの?」「何県?」て聞かれることもたびたび。
そんな狛江を大好きな人たちがたくさんいるのが、誇りです。
私も、です。

狛江に根ざした活動を、と、行ってきた「サポート狛江」の活動も、2年前に一般社団法人になったのを契機に、いろいろな方面に広がりつつあります。
主力メンバーはあまり変わらないので、結果的にハードワークになっています。

でも、やってて楽しいし、結果が出るのが面白い。

そんなノリで、続いてきた「むいからで遊ぼう」も6回目を数えます。
「むいから」とは「麦から」のこと。
狛江の取り壊された旧家を保存・移築した古民家園を
「むいから民家園」と呼んでいます。
鑑賞するだけの民家園ではなく、実際に上がりこんで遊んだり、昼寝したり、いろりで火をたいたり、かまどで料理したり、いろいろな使い方をされて、親しまれています。

その古民家園を会場に、乳幼児さんから小学校低学年くらいのお子さんまでを対象に遊ぼう、ついでに、心配ごとがあったら相談に乗りますという「敷居の低い」「出前相談」を合わせて行ってきたのが「むいからで遊ぼう」です。

市と、むいから民家園との共催事業として、また、市内の各所の方たちが協力してくださり、毎回1000人近い親子連れで賑わいます。
「狛江のどこに、こんなに、赤ちゃんや子どもがいるんだ!!」と、やってる自分たちで目を白黒させています。

今年は5月18日に開催です。
チラシは「サポート狛江」のHPに載せました。 ←クリックして下さい

今回の追加の目玉は、「ふくしえほん あいとぴあ」という狛江のユニークな取り組みが今年で20年を迎えたのを記念して行うことになった展示です。

「サポート狛江」のHPにも書きました。

      ↓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ふくしえほん あいとぴあ」は、「であい ふれあい ささえあい」を合言葉に、狛江の福祉を進めようという一連の取り組みの中で企画されました。
市内幼稚園・保育園の年長さん(5歳児さん)全員に、福祉をテーマにしたシートを一ヶ月に一枚配布し、12ヶ月分をファイルすると一冊のえほんになるというユニークな企画です。

最初にこのえほんを受け取った人は、今年25歳になっている計算です。

赤ちゃんを連れて「むいからで遊ぼう」にきてくれる親ごさんの中に、一期生がいるかもしれない、というのが楽しみです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 この「えほん」の取り組みについては、最初から関わっておられる阪野貢先生による文章がネット上にあります。
就学前の子どもたちに贈る狛江の福祉教育―ふくしえほん「あいとぴあ」20年のあゆみ

そんなわけで、古民家に興味ある方、ミニSLに乗りたい方、ふくしえほんを見たい方、どうぞ、狛江の「むいから民家園」に来て下さい。

気に入ったら、狛江に移住してきてくださいな(笑

いろんなことが次々起きて、アタフタしているうちに4月も半ばになりました。
ようやく、少し周りを見回す余裕ができたので、久しぶりに、釧路の日置真世さんのブログ「新サロン日記」をのぞいてみました。

そしたら、あるわ、あるわ、宝のことばが。親の会の運営について、なのですが、人生にも、組織の運営にも通じることばかり。日置さんに聞けば「どうぞ」って言ってくれるにちがいないので、了解を得る前ですが、一部引用を。

〜〜〜〜〜〜〜〜4月14日分  ここから〜〜〜〜〜〜〜〜〜

長く続いていたことを変えるというのはそれ相当にエネルギーがかかるし、軋轢も生むだろうし、やってみないとわからないこともあり、勇気もいるとは思いますが、それらを覚悟のうえ、変えていかなければ組織としての先はありません。

先延ばしにしても、課題が勝手に解決されることもありませんし、かえってできることもできなくなったり、課題が大きくなることの方が多いように思います。

そんなときにおそらく、重要になってくるのは初心に帰ることだろうし、根本に戻ることだろうと思います。

 親の会ができた時の趣旨があり、何のために自分たちはどんな役割を果たすために親の会の活動をするのか?

そこに改めて戻る必要があるのです。

会の活動をうまくやるために、それを目的として動くわけではなく、子どもたちの幸せのために自分たちにできることをやろういうスタートがあったわけで、その活動がいつしか苦しいことや無理をすることが多くなり、会の存続が目的になってしまったのなら、結果として子どもたちの幸せに実はつながっていなかった…なんてことにもなりかねません。

だから、課題を感じたときに「そもそも」に戻って、自分たちの立ち位置や身の丈や覚悟や社会との位置関係を今一度見直していくことが実は常に重要だったりするよなぁと痛感します。

まだ本番も終わっていなくて、これから佳境が待っているのに、私たちはすでに終わった後のお疲れ様を考えているのでした。

でも、実はそれもとっても大事で無理なく周囲にも賛同される秘訣は「楽しくやる」こと。楽しいと自然に人が集まってくるし、何より自分たちも楽になります。

ましてや、仕事じゃなく本当に手弁当のボランティア活動の親の会ですから、まずまず楽しくないとダメなのは当然だと私は思います。

  〜〜〜〜〜〜〜〜引用 ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

会議って、たいていは、何かを決めるためにやるのだし、効率よくすすめることが必要ですけど、でも、少なくとも、福祉や教育や地域に関わる会合では「あの会議に行くと、あの人に会える」とか「いい話を聞けるだろう」とか、楽しみがあることが参加の励みになりますよね。

手前味噌ですが、狛江で開かれている「地域での一貫した療育システム構築に向けての検討プロジェクトチーム」は、そういう会になっているなァ、って思います。

座長の市川宏伸先生の存在もあって、当事者(保護者)を含めて、楽しく進んでいます。真っ向から否定したり反対したりする人はいないので、自分の意見を出しやすく、毎回「へぇ〜 知らなかった」という発見があり、委員のみんなで少しでも「これから」を良いものにしたいという思いが感じられます。

今後、徐々にまとめの方向に向かうので、事務局である福祉サービス支援室スタッフの力量が頼りですが、やっと、長年、みんなで願い続けたことが実現に向かうのかな〜〜と楽しみです。

なお、4月13日分ブログ記事も読みでがありました〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜4月13日記事 ここから〜〜〜〜〜〜

人と人との会話は目的と求めるものによっていくつかの種類があるのではないかという説です。

私たちが整理したのは以下の5種類。

①雑談 (他愛のない話題を取りとめもなく話す。相手に求めるものは相槌、適度な同意)

②相談 (どうしたらよいかわからないときに相手に判断や評価を仰ぐ、できれば頼りたい。相手に求めるものはアドバイスや方向性、指示、教示など解答)

③情談 (自分の感情を伝えたい、ぶつけたい、吐き出したい。相手に求めるものは受け入れてもらうこと、同調してもらうこと。感情の交流、共有化)

④フィバ談 (自分の考えていることや感じていることの意味や価値を確認したい、振り返りたい。相手に求めるものは感想、違った視点からの意見、客観的視点や意味づけ 自分を資源化するため材料)

⑤ほうれん談 (報告、連絡などの事務的なインフォメーション。相手に求めるものは把握と了解のみ)

私たちの会話はこの5つの違った意味合いのものを無意識的に使い分けていて、同じ言葉で発信をしていても、実は目的や相手に求めることが違うこともあるんじゃないか?ということになりました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なーるほど・・・・。

北海道の田中康雄先生の本を読み直しています。

『支援から共生への道  発達障害の臨床から日常の連携へ』

      田中康雄 慶応義塾大学出版会   2009年

最初に読んだ時に貼った付箋がぎっしりです。
どんな本なのか・・・・・
児童精神科医の村田豊久先生が書いておられる「序」を、一部引用します。


・・・・治療者、臨床家としての田中先生の基本的態度は、苦しんでいる人、困っている人を理解しようと、その人々が心のうちを語ってくれるのを待ち、その人が投げかけてくることを徹底して聴き続けるというものである。

田中先生は、それを「聴き続けることから生まれる希望」と述べる。
希望が生まれるのは、子どもやクライエントのみではなく、治療者自身でもある。
治療によって希望が生まれる変化が双方に起こる。希望が双方に起こるような聴き方でなくては、治療ではないということと理解した。(中略) 
その域に至るには、治療者が一方的に治療する、与える、教えるというものであってはならない。
治療者もこの社会で、不安を持ち、苦しみながら生活している者であるからには、同等の立場で相互の理解がなくてはならない、という。
このことともも関連するのだが、治療は一人の治療者だけで行えるものではなく、プロフェッショナルやスペシャリストとの深い相互理解に根ざされた連携が絶対必要だと説く。
連携は相互の支えあい、尊重があって初めて可能になる。
この社会に住む人はみな孤独感と対峙しながら生活しているし、不安を抱えて生きていることを思うと、連携こそがすべての治療や教育の基本であろう。
(後略) 

そして、今朝(2013年4月13日)の朝日新聞朝刊Be の 映画監督の小栗康平さんに関する記事の中の「哀切と痛切」ということばが目に留まりました。

小栗さんが デビュー作「泥の河」を撮るに際し、先輩監督の浦山桐郎監督に贈られたことばは≪哀切であることは誰でも撮れる。それが痛切であるかどうかだよ≫だったと。

小栗さんはあるポジションが自分にあって、そこから見て可哀想だというのが哀切だが、痛切は、自分が開いてに置き換えられ、そっちでもあり得た、と思う場所から生まれてくる感情と考えているそうです。

≪向こうにもなり得たけれど、現実にはこっちだった≫ 
自分の責任ではなく、 たまたま「こっち」だったり、たまたま「向こう」だったり。

私も、障害のあるお子さんやその親ごさんとのお付き合いの中で、いつも、こういう感覚を持ちます。
私がそちら側にいることもあり得たのに、たまたまこっち側にいる・・・と。

その連続線上なのか、相手のことを「当事者」、自分たちのことを「支援者」と名づけ、疑わないような風潮には、なんともいえない違和感を感じてしまいます。


一方的な「支援」ではなく「同時代を共に生きる」「対等な仲間」としてとらえるような視点を持っていたいものです。
田中先生の本は、そんな私にとって「ガッテン!! ガッテン!」の本です。

田中先生は、北海道大学を辞して、今は札幌で「こころとそだちのクリニック むすびめ」を開いておられます。

NHK教育テレビの夜8時からの「ハートネットTV」
4月の特集は「発達障害の子どもとともに」です。

ごらんになって下さい。

4月1日(月) 親を支える
4月2日(火) 育ちを支える
4月3日(水) おとなになった私たち
4月8日(月) Q&A
4月15日(月) 君が教えてくれた大切なことー歌手・うすいまさと
4月25日(木) みなさんの声にこたえて

再放送は翌週同じ曜日の午後1時5分から

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-04/01.html

私の新しい本が3月25日に出ました。

ことばを育てる 35%.JPG

子育て中の若いお母さん、お父さんに向けて・・・というつもりの気軽な本です。

さし絵が素晴らしいです (^_-)-☆
さし絵は、ぶどう社の「1,2,3歳 ことばの遅い子」以来ずっと二人三脚で来ている伊丹の林やよいさんにお願いしました。

ものすご〜〜くタイトな日程でした。
でも、保健同人社の担当のMさんの熱意が乗り移った、とでもいいましょうか、「できない」とか「やりたくない」とか「ムリ」とか、言えない雰囲気だったんですよね。
出来上がってから林さんとふたりで「なぜ できたか分からない!!」と呆然としたほどの、人生始まって以来の日程、いやはや・・・・。
林さんとふたりで励ましあえたからできました。

表紙を見ているだけで、「子どもっていいなぁ〜」ってほんわかします。

どうぞ、この子たち、可愛がってやって下さいませ。

2013-03-19

下痢・脱水で入院していた母が無事、退院することになりました。2週間も寝ていると歩けなくなるんじゃないか、アタマの老化も進むんじゃないかとの予想に反し、ピンピンして、とはまだいえませんが、ほぼ入院前の状態で無事、退院です。

私も次男も、ヘンに医療職なため、シビアな予測を立てがちですが、現実には楽観的な結末もあるものですね。

201303191309.jpg

とは言え、「転ばぬ先の杖」(サポート用の介護用品の実物)を探すついでに、立ち寄った梅が丘・「世田谷区総合福祉センター」のカフェでお昼ご飯を食べました。姉とふたりで。
敷地内の桜がもう咲きはじめていました。

そういえば、世田谷線の線路沿いには水仙が咲き、辛夷が咲いていました。春ですね。

ことばを育てる 35%.JPG

私の新しい本が出ます。3月25日発売予定です。子育て中の若いお母さん、お父さんに向けて・・・というつもりの気軽な本です。

さし絵が素晴らしいです (^_-)-☆
さし絵は、ぶどう社の「1,2,3歳 ことばの遅い子」以来ずっと二人三脚で来ている伊丹の林やよいさんにお願いしました。

ものすご〜〜くタイトな日程でした。
でも、保健同人社の担当のMさんの熱意が乗り移った、とでもいいましょうか、「できない」とか「やりたくない」とか「ムリ」とか、言えない雰囲気だったんですよね。
出来上がってから林さんとふたりで「なぜ できたか分からない!!」と呆然としたほどの、人生始まって以来の日程、いやはや・・・・。
林さんとふたりで励ましあえたからできました。

表紙を見ているだけで、「子どもっていいなぁ〜」ってほんわかします。

書店でも、インターネットでも3月25日までは予約のみですが、どうぞ、この子たち、可愛がってやって下さいませ。

 高齢の母が、風邪由来の下痢で体調を崩しました。脱水症状も出たので、バタバタと、入院することになりました。幸い、東京都内には、医療機関が沢山あるので、姉とふたりで手分けしていろいろ調べ、空きベッドのある病院に無事に入ることができました。点滴で、少し元気になって来て、安心しました。

病院側から見れば、母も、「ざらにある、脱水になった高齢者の一人」に過ぎないのでしょうが、でも、お医者さんも、看護師さんも、みんな親切に接してくださり、弱い立場の患者家族として、本当にありがたいです。

この「Y内科小児科病院」は、私にとって、とてもなつかしい病院です。
最初の著書になった「ことばをはぐくむ」(ぶどう社)のあとがきに書きました。

〜〜〜〜〜〜あとがき  引用  ここから〜〜〜〜〜〜〜〜〜

長男はアレルギー体質です。赤ちゃんのころから、ひどい喘息と湿疹に悩まされてきました。アレルギーについては一流といわれる病院にずっと通っていました。
アレルギーの値をはかるという血液検査で「こんなにすごい値の出る子ははじめてだ」と言われました。「お母さんがそんなふうだから、なかなかよくならないんですよ」とも叱られました。

5歳過ぎ、たまたまかかった別の個人病院で「これだけアレルギーの値が高いのに、喘息の症状は軽いほうですね」といわれました。「精神的には強い子だと思うのですが、そのおかげでしょうか」とたずねると、先生は、ニコッと笑って「お母さんの育て方が間違ってないからでしょう。」とおっしゃいました。

私の育て方で間違っていない・・・・・!!

その後、いろいろな局面で子どもを育てあぐねる時、そのことばがどんなに私の支えになってくれたことでしょう。

世の中にたった一人でも、自分のやり方を認めてくれる人がいれば、どんな困難にも耐えられる、と思いました。

「それではダメだ」「もっとがんばれ」「お母さんがしっかりしなくては」と叱咤激励されることばかりが多い、障害児のお母さんたちです。

私はそのお母さんたちに「そのままのあなたでいいんですよ。りっぱですよ」と言い続けてきました。私には、ほんとうに、そう見えるからです。     (後略)

〜〜〜〜〜〜〜引用  ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今回、そのY病院に母のお見舞いに行くようになって、何回か、その時長男を診てくださった先生をお見かけしました。

面と向かってお礼を言うのも照れくさく、その背中に向かって、ただ「ありがとうございます」と、心の中でつぶやいています。

そして、「私も、お会いする親子さんたちにとって、このY先生のような存在になれたらいいな〜」と思います。
子どもの成長にとって大事なことは、「ああいう人になりたい!と思えるような『よい大人モデル』を持つことだ、と言います。
私は、故・三木安正先生や、このY先生をはじめ、何人もの『よい大人モデル』にお会いできました。
ほんとに幸運だったと思います。

小児科のお医者さんたちに、子どものことばの発達について、知っていただくのはとっても大事なことだと思います。
大事なことだとは思うし、だいぶ、場数を踏んだとはいえ、医学雑誌に書いたり、お医者さんが聴衆である会で講演したりするのは、だいぶ、緊張します。

私は、経験上では、「これはこうです!」と断定できるいろいろ積み上げてきました。たとえば、「無理やり教えても、子どもの身につかない」「楽しさの中で、自然に身につけるのがもっとも効果的」「楽しさの中で自然に、と見えるように細工するのが、大人の役割」というようなこと・・・。

でも、「そのことのエビデンスは?」とか「データはあるんですか?」と聞かれたらむむむむむ と黙るしかないからです。
ま、いままでの所、そんなふうに問い詰められて立ち往生したことは、ありませんけど、さいわい。

でも、ある小児科の重要ポストに坐っているドクターが、何かの企画があるたびに中川を推薦してくださるらしくて(トホホホホ)23年、24年と、えらく沢山の医学雑誌に「ことばの発達」にまつわる記事(論文、ていうのか? でも、査読がないから、論文じゃないはず)を書きました。

書いたものの一例は

○小児科臨床「言語聴覚士との連携」
○小児内科 『発語が遅い」
○外来小児科 「子どものきこえとことばの遅れ」(外来小児科学会)
○「開業医の外来小児科学 発達の評価 ことばの遅れ」 
○小児内科増刊号「疑問解決 小児の診かた  (発語が遅い場合どのような時に専門機関に紹介すべきですか?)」(東京医学社)
○朝日メディカル「子どものみかた ことばの遅れ」(朝日新聞社)
○小児科学レクチャー「ことばの発達の診かたとフォローアップ」(総合医学社)

講演は
21年  小児保健協会
23年  滋賀県小児保健協会
24年「子どもの心の診療医 研修会」(厚生労働省・日本小児科医会・恩賜財団母子愛育会総合母子保健研究センター 共催)
 その他にもいくつか。

そのうえ、今年は小児耳鼻咽喉科学会で特別講演を依頼されていて・・・・

まあ、ここまでくれば、開き直ってお引き受けするしかないと覚悟していますが、なんだかお医者さんの求めることとは、少し異質な話になるわよ・・と思っております。

でも、これらすべて、「ことばのクンレン」ではなく「ことばを育てる」「子どもを育てる」という視点を、大人の人たちに持ってもらいたいなぁ、という私の思いを実現するためなので、少しムリしてでも、やり遂げなくては、とも思います。ふぅ。

医学雑誌の記事は、それぞれにテーマが違い、それなりに全力投球で〔締め切りギリギリセーフで)書いているので、集めて全部まとめてみると、かなり興味深いかも、とは思いつつ、それぞれの掲載誌がいったいどこにあるのか本や雑誌の山の中から探し出せる自信がなく、探し出す時間もなく、書き散らしたままになっています。

誰か 何とかしてくれないかなぁ。

今年は、久しぶりに〔?〕冬らしい冬が続きます。春が待ち遠しい。花粉症は困りますけど。

東北地方、北海道の西側は、記録的大雪と、連日ニュースで言っています。

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今日(2月25日)札幌に住む知人が、メールに写真を添付してくれました。
何の写真かというと、台所の窓の写真、いや、雪の写真??  
台所の窓の外が雪 !!! の写真。

ここは一階ですが、二階の窓も半分まで雪で埋まって「カーテンが要らない状態」なのだそうですって。いやはや。降るにもほどがある。

 今日(2月21日)のNHK総合テレビ夜7時30分からの「クローズアップ現代」で、給食のアレルギー事故についての放送がありました。

私も、家族に、アレルギーの者がいるので、調布での事故はひとごとではありませんでした。
また、「ことばの相談」でお会いする小さいお子さんで、厳密な除去をしている方も多く、お母さんの労力と緊張は大変だな、といつも思っていました。
とくに、食べ物はいったん口に入ってしまうと、吸収が止められないという怖さがありますし。

今日の放送でも触れていましたが、亡くなったお嬢さんは、科学者になってアレルギーの子どもを助ける研究をするのが夢だったとか。

夢はかなわなくなってしまいましたが、調布の事故を受けて、各地で、危機感を持って取り組み始めたところもあるようです。まだまだ、ですが。

私自身、今回のことが起きるまで、どこかひとごとのような感じがなくもありませんでした。
周辺にいる私たちが、関心を持ち、知識を持つことが、取り組みの進展をすすめることになるのかな、と番組を見て思いました。

ちなみに、ある保護者の方が教えてくださったのですが、数あるアレルギーのガイドラインの中で、横浜市教育委員会が作っているガイドラインが、とても素晴らしい、とのことでした。

時々お声がかかる NHK教育テレビ『すくすく子育て』
     (毎週   土曜日 午後9時〜9時29分)
     (再放送 金曜日 午前10時〜10時29分)

今年も2月23日に「ことばの発達」がテーマの放送があります。
収録は昨年12月でしたが、照英さんとくわばたりえさんとの絶妙の司会で、スタジオ内はとてもリラックスした雰囲気でした。

「ことばが遅くて心配」とか「何をことばかけすればいいの?」などの、私がいつも受けている小さな悩み事相談が、スタジオの中で再現された感がありました。

心配ごとのある方も、ない方も、どうぞごらんになってください。


今回の放送のための撮影では、いろんな面白いことがありました。
ディレクターのSさんの紹介で、明星大学の星山麻木さんと、お会いできたのもその一つ。「友だちの友だちは友だちだ」てわけです。

星山スタジオ
おもちゃの会社ボーネルンドの協力を受けた屋内遊び場「あそびのせかい」(八王子)を作ったり、あれも、これも、みんな、実現しちゃう星山先生のエネルギーのすごいことといったら!

私も触発されて(人に影響されやすい性格。もう、このトシになると直らないだろうとあきらめて)何かやってしまいそうです・・・・・。

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「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

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