ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

 3月7日(土)午後、(社団)全国保健センター連合会と ファイザー製薬の共催による「第9回 学校保健・保健活動セミナー」が行われました。

 新宿にあるファイザー製薬本社会議室での講義の模様が、全国63会場(ファイザー製薬の会議室等)にWeb配信される、という方法でのセミナーで、全国での参加者合計は1520人だったそうです。

  講義は「成長障害」に関するドクターのものと、私、中川のことばの発達に関するものとの二本立てでした。

 全国の「こどもの発達支援を考えるSTの会」のお仲間たちや、知り合いの保護者の方たちで、各会場に出向いてくださったかたも多く、終わってから感想などのメールをいただきました。

  研修のために東京や大阪までわざわざ出かけることが難しい非常勤専門職や、子育て真っ最中の親ごさんたちが、気軽な形で情報を手に入れる方法がもっと普及するといいな、と思いました。

  ちなみに、独立行政法人「特別支援教育総合研究所」のサイトに併設されている「発達障害教育情報センター」の中の「研修講義」の中には、発達障害にかかわる、コンパクトで分かりやすい講義が動画でおさめられています。
  参考になさってください。

  今日(3月8日 日曜日)は、「第6回 関東子ども精神保健学会」の、子ども虐待をめぐるシンポジウムに参加してきました。充実の内容でした。

  学会長でもある、淑徳大学の松田博雄先生がお書きになった「子ども虐待  多職種専門家チームによる取り組み」の本の紹介を「本の紹介」欄に載せておきました。

  杉山登志郎先生が「子ども虐待という第四の発達障害」(学研)で提起されたように、虐待環境が引き起こす行動特徴と、発達障害の行動特徴とは酷似しています。
  また、発達障害のある子ども、あるいは、その可能性のある子どもは、総じて養育者にとっての「育てにくさ」、先生にとっての「扱いにくさ」を持ち合わせており、親や先生からの不適切な扱いを引き出しやすいという事実もあります。
  発達障害にかかわる支援者、専門家と名乗る人たちはすべからく、虐待について知っておかなければならない、と、再確認すると同時に、子どもの健やかな育ちを守るために、周囲にいる大人たちがネットワークを組み、「みんなで親子を支える」ことの大切さも、あらためて感じました。

  おりしも、日本における虐待予防の活動に先駆的に取り組み、「社会福祉法人 子どもの虐待防止センター」の理事長であった坂井聖二先生が、3月2日に59歳の若さで亡くなりました。小児科医として、子どもの命と権利を守るために先頭に立って奮闘された坂井先生の「こころざし」を、幾分かでも、私たちは受け継いでいかなければならない、と思います。

  ちなみに、日本語の「虐待」は、もっぱら子どもに手を上げるという、身体的な虐待をイメージさせますが、英語のchild  abuse  あるいは、 mal   treatment  はもっと広いニュアンスを持っています。たとえばdrug  abuseは薬物依存、薬物濫用のことですし、mal  treatmentは、「mal=よくない  treatment=扱い」、すなわち、不適切な扱い、不適切な養育という意味合いです。
  子どもの意志に関係なくお受験に駆り立てたり、一週間びっちりおけいこごとでスケジュールを埋めたりするのも、立派な「mal  treatment」なのではないか、と、疲れ切った表情の子どもたちを見ていて、思います。

 今日(2月25日)の午後は、有楽町国際フォーラムで開かれた
「子どもの心を考える都民フォーラム」
   テーマ   現代の子どもが抱える心の問題
        〜〜〜発達障害を中心に〜〜

を聞きに行ってきました。 都心には極力行かない私ですが(人ごみが好きではないので)、豪華ゲスト揃い踏みにワクワクしながら参加しました。


講師・シンポジストは
      市川宏伸   先生(東京都立梅ヶ丘病院院長)
      内山登紀夫 先生(大妻女子大学教授  よこはま発達クリニック)
      田中康雄  先生(北海道大学大学院教授)
      辻井正次  先生(中京大学教授、アスペエルデの会)

講師があまりに豪華すぎて、お一人ずつの持ち時間が短いのが残念でしたが、先生方の最後のまとめのことばにあったように、「発達障害万歳!」「求めすぎない、ムリしない、ほどほどに育ち合う」「大人の責任」といったことを、今後、さらに、広く考え続けていけるといいな、と思いました。

「発達障害」概念は、ある意味、夢の国への魔法のキップ、でもあると私は思っています。 どんな「夢」への、いかなる「魔法」なのかは、またいずれゆっくり。

 自閉症スペクトラムのお子さん本人に、自分の特性・障害を伝える必要が出てくる時期があります。「告知」です。「告知」の際には、具体的にどんなことばで伝えるか、どのような配慮が必要なのか、支援者や保護者は悩むことが多いと思います。

 アスペ・エルデの会 http://www.as-japan.jp/  発行の「アスペ・ハート」に、よこはま発達クリニックの吉田友子先生が連載をしておられます。19号と20号(最新号)では、本人への告知が取り上げられています。
 しかも、吉田先生が主宰する「ペック研究所」http://www.i-pec.jp/ の中に、告知についての考え方と、実際に使うことのできる具体的な文例(ひな型)が公開されています。
 このひな型は「子どもを大切にする」ということの具体化したもののようで、また、こういう形で自分の“特徴”を知らせてもらえた子どもさんたちはしあわせだろうな・・・・と思います。

告知  http://www.i-pec.jp/jiheisp03.html 

告知文例ひな型 http://www.i-pec.jp/jiheisp04.html

アスペハート連載記事 http://www.i-pec.jp/jiheisp05.html

 この研究所の「ハート」が、ちょっと風変わりな子たちを持って、子育てに苦戦する親ごさんたちや支援者たちに届きますように。

  先日、一時停止違反でつかまえられました。おまわりさんに。

通いなれた保健センターへの曲がり角。
ちょうど曲がった先に駐車している車があったので、注意しつつカーブを曲がったところ、後ろから「△△△△、左によって停車してください」との声。
ええっ? それ、私の車のナンバーなんだけど。

駐車車両に気を取られて、ズルズルーと曲がったところ、そこに一時停止のマークがあったそうな。確かにあります。 で、いろいろ聞かれて「一時停止を怠ったのは確かです」と潔く事実を認めました。

 おまわりさんは二人組。一人は見るからに四角四面ふうの若い人。もうひとりは年配のにこにこおじさん。 四角四面さんが、調書を記入している間、にこにこおじさんが世間話をしかけてきます。

P「どんなお仕事なんですか?」   (P=おまわりさん)
私「言語聴覚士といって、ことばに障害のある人の指導をする仕事です。大人だと失語症とかが主ですが、私はもっぱら子どものことばのほうをやってます。発音がはっきりしない、とか、ことばが遅いとか、障害がある、とか、そういうお子さんとお会いしてます」

というと、にこにこおまわりさんは

P「あ、うちの、三人目の子は、発音がはっきりしないっていって、小学校の『ことばの教室』に通いましたよ。たしか、カ行の音がいえなかったんじゃないかな?  そういうのと同じお仕事ですか?」
私「ええ、そうです、奇遇ですね。で、お子さん、今はどうなんですか?」
P「高校生になりましたけど、今は全くフツウですよ。『ことばの教室』に通っていたときのことを、時々思い出しては、とても楽しかった、って言ってますよ。とてもやさしい、いい先生だったらしいです。」
私「お住まいの地域に『ことばの教室』があったのは、ラッキーでしたね。40年ほど前から、親ごさんたちが粘りづよく運動してできてきたものなんですが、なかなか増えないし、全国的には『ことばの教室』は、ないところのほうが多いんですよ。ほんとに必要なんですけどね・・・・」

 などと話しているうちに、7000円(-_-;)の罰金を払い込む用紙も書きあがり、互いに「お仕事がんばってください」と別れました。

その日は月末近く。後で保健センターの職員に聞いたところでは、センターのそばには、朝から、パトカーが陣取って違反車探しをしていたらしいです。警察にもノルマがある、って言いますし、一時停止しなかったのは事実だからしょうがないわけですが、不運なできごとでした。

とはいえ、「ことばの教室」を、よい印象とともに知っているおまわりさんと話ができたのは、ちょっぴりうれしかったです。

ある中学校の特別支援学級(固定学級)を見学に行きました。
今日見学した授業では、お子さんたちが落ち着いて授業に集中していました。
先生の声かけや、ふるまいが徹底してポジティブなので、在籍のお子さんたちが「ここは、安心できる居場所だ」と思えるのだろうな、と感じました。

たとえば・・・・
「○○県の漢字を書ける人?」って先生が言うと「ハイ ハイ ハイ ハイ」と盛んに手が挙がります。そのうちのAちゃん Bくん Cくん3人が黒板のところに出てその漢字を書きます。Bくん Cくん二人は、ちょっと不完全なところがあったけれど、一応書けました。
でももう一人のAちゃんは、勢いよく手を上げた割には、黒板に向かって苦戦しています。どうやら、はずみで手を上げただけだったみたい。
さあ、どう収束するか・・・・と人ごとながら心配になりました。

「分からなかったら席に戻っていいよ」
「分からないときには手は挙げないんだよ」
「他に分かる人いるかな?」
通常の教室だったら、そういう、ちょっと屈辱的な結末になるに違いありません。そのためにばつが悪くて、席にもどりざま、隣の子のアタマを小突いたりして、さらに注意される・・・といった図式になることがざらです。

でも、そのクラスの先生は違いました。

「じゃあ、(他のお友達が書いた)漢字にふりがなふってくれるかな?」
Aちゃんは、自信を持ってふりがなを書き、うれしそうに席に戻ったのです。

 そのようすを見て、「これこそ“「ひとりずつの子どもを大切にする”という理念の一つの表現だ」と思いました。

「障害児教育は教育の原点」
私の学んだ大学では、先生は、よく、そうおっしゃっていました。
教育においては「知識をふやす」とともに「心を育てる」ことが大切にされるべきだ、ということ。子どもの小さな気持ちの動きも見逃さずに発達、向上につなげてゆくこと。

「いいものを見せてもらいました」
「すべての学校のすべての授業がこういうスタンスで進められるといいのに」
「そしたら、子どもたちはどんなに安心して、熱心に授業に取り組めるだろう」
そう思いながら帰路につきました。

 ちなみに、ちょっとだけ間違えたBくんの漢字について、先生は「だいたいあってるよ。でも一本横棒が足りなかったね」と言って、さりげなく、一本横棒を書き足したのでした。

片倉信夫さんという人がいます。大学時代の知人です。 「僕が自閉語を話すわけ」(学苑社 現在品切れ)「僕と自閉症」(学苑社)など、何冊か本を書いてもいます。

片倉さんは、強度行動障害の子どもや成人を対象に、文字通りからだを張って取り組むことをやってきたのですが、そのための会社を作りました。
それが「かくたつグループ」です。
      今は体調不調のためリタイアしています。

ストレートな物言いから、批判も賞賛も多い片倉さんですが、彼の書いた原稿をアップしているHPがあります。

「辰源のひとりごと」
http://www2.bbweb-arena.com/kakutatu/

今日は、ちょっと、ある必要があって、このページをのぞきました。その中に、「アスペ・エルデの会」が出している「アスペハート」に連載した文章が収められています。

http://www2.bbweb-arena.com/kakutatu/myweb117052001.doc
中でも第四回、精神科医の臺弘(うてな・ひろし)先生の本「誰が風を見たか?」(星和書店)、をめぐる随想は、読み終えて「ふーーーっ!」と言いました。

    また、「講演集・対談集」の中の「対談編」に収められている「現代思想」97年11月号の対談「一緒に食べる、一緒に寝る、力を抜く、ためらう・・・」は、人と人との関係、コミュニケーションということについて、ほんとにスゴイところまで掘り進んだ人がいるものだ・・・・と舌なめずりするような気持ちにさせられました。
  http://www2.bbweb-arena.com/kakutatu/myweb117_049.htm

  ちょうど今、精神科医の中井久夫先生の「こんなとき私はどうして来たか?」(医学書院)を再読しているところです。
  自分をも、相手をも相対化するまなざしを獲得し、その中で「希望を処方する」ことが「センセイ」と呼ばれる職種ーーセラピストも含めてーーに共通して求められていると思います。 
 詩人、アラゴンは「教えるとは(共に)希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと言いました。支援だって、同じでしょう?


個別の障害名を題名につけた「接し方」「扱い方」の本の洪水です。
でも、表面的なスキルだのメソッドだのにとどまらない、人間の「関係性」について、思想・哲学の領域のことを、生きたことばで語れる現場の人が、今こそ必要になっている・・・・と思いました。
かなり読みでのあるHPなのですが、これからしばらく、「辰源」さんのHPの追っかけをしてみようと思っています。

 まほうを手に入れました。ナベの話。一般商品名は「保温調理鍋」です。

  数日前、ボタン型電池を買いに近所の量販店に行き、ついでに台所用品・鍋の売り場で以前から気になっていた「保温調理鍋」のふたを開けたり閉めたりして、「これはどのような品なのか?」と検分していました。

 そしたら、後ろから「それ、便利ですよー」との見知らぬ奥さんの声。何でもその方は、4年前に定年退職した時に、その鍋を買ったのだが、便利で便利で、ついに小ぶりのも追加で買ったほど。今日も、かぼちゃの煮物をしかけてきたので帰るとできているはず、すぐにご飯になるはず、楽しみだ・・・・とのこと。

   1万数千円もするので簡単には買えないゾ。
でも、忙しいとついつい炒めものが多くなり、健康にもよくなさそう。よっしゃ!決めた!買いましょう!とネットの「価格com」で最安価格を検索して、1万円ちょっとで購入しました。

届いたのが4日前ですが、先輩のご忠告どおり、すでに毎日活躍しております。10分火にかけて煮たあとは、その「保温用外鍋(魔法ビンのような仕組みの、熱を外に逃がさない構造)」にすぽっと入れておくだけで、数時間後に帰宅すると、ほくほくの肉じゃがや、とろとろシチューができているのです。

ありがたや、ありがたや。実際に体験した人の声は、頼りになるなー、ってあらためて痛感しました。あのとき、あの奥さんが声をかけてくれなければ、私はまだこの鍋を買わなかったはず。

    仕事についても同じようなこと、あります。
迷いに迷って就学先を決めた方に聞くと、先輩お母さんの話が一番の決め手になった、という話をよく聞きます。
  専門家はどうがんばっても、先輩にはなれないんだな・・・とちょっとひがんだりして。当たり前のことですが。

 「一手間余分にかかる、苦労多い子育て」を体験した先輩お母さんたちを組織化して、相談組織を立ち上げた母たちが調布にいます。
体験者の話こそ、一番の頼り。
全国各地にそういう気軽な相談のしくみができるといいですね。

  どこかで、こんなことばに会いました。

  「絆」という字は「糸」と「半(分)」と書く。
  片方が糸の半分を出し、片方が半分を出し、その糸が結び合うと「絆」になる、と。

 

  辞書的な意味での「きずな」の語源は「引き綱」とか「騎綱」というところから来ているらしいのですが、「半分ずつ差し出した糸が、結び合って きずなになる」っていう、主体的、意図的な行為である、という説明はとても納得!でした。

  おりしも、今年の1月19日は東大安田講堂「落城」から40年。
いろいろな番組でそのころの映像が流されています。
私は全共闘ではありませんでしたし、火炎瓶と投石とで革命が成就できるとは思っていませんでしたが、でも「世の中間違っている」「強いものの言いなりの世界はおかしい!」というメッセージを発し、また「何のために、誰のために学ぶのか?大学は誰のためにあるのか?」という問いを自分と社会とに向けた大学闘争(紛ではなく)は、今も自分の中にも宿題として残っていると思っています。

「落城」した、安田講堂の中に残されていたという落書き

   連帯を求めて孤立を恐れず
   力及ばずして倒れることを辞さないが
   力尽くさずして挫けることを拒否する

というフレーズは、いつ読んでもカッコいい、と思う。 トシを経た分、表現の仕方は若いころよりもたくみになったはずですが、障害のある人たちにかかわる仕事をする以上、こういう意識を忘れたくない、忘れるべきではない、と思います。

  つまり、たとえ一人ででも、しっかり立って、糸を差し出し続ける。そうすれば、必ず、糸を差し出してくれる相手が見つかるはず。そこに結び目、絆ができ、ネットワークができてゆく、ということ。

 今は、カッコいい「孤立」を感じることはほとんどなくなりました。 それはそれでうれしいことですが、「たとえ一人だけでも、我は行く!」みたいな、どこか、悲壮な感じも美しくて、捨てがたいような気もしたりして・・・・。

あちこちでセミナーや講演会が開かれます。 情報過多の気もしますが、目に留まったものや、私自身がかかわっているものについて情報提供をしていきますので、よろしくお願いします。

 争いのない、平和な年になりますようにとか願ったばかりというのに・・・・。

 今日、用事があって
狛江駅まで出かけました。駅前のバス停のすぐ前にでっかいワンボックスカーが停まっていて、バスが発車できません。あと2メートルくらい前に寄ってくれれば、発車できる程度のスペースができます。  バスの運転手さんは最初は控えめに「プッ、プッ」と警笛を鳴らしました。が、クルマがぜんぜん移動してくれないので、「プップップッ!」「プッ!プッ!プッ!プ!!」とだんだん大きな音で鳴らします。ぜんぜん反応がないので、ついに「プ-ーーーーーーッ!!!!!」と連続音で鳴らしました。が、前のクルマの50歳くらいの運転者(男性)はまったく平然としています。

 あまりにひどいので、50歳くらいの人なら分別もあるだろう、隣にきれいな若いネエチャンも乗っていることだし、まあ、刺されることもあるまい、と思い、そのクルマのそばに行き「あのー、バスが出られないので、もう少し前に出ていただけると・・・」と言いかけたそのとき、運転男は「うるさい!!  ここに停まってて何が悪い!!オレは悪いことはしてない! 関係ない!」と怒鳴るのでした。そのころには、周りに人が集まって来ます。「もう少しだけ(前に)出てやりゃあいいのに・・・」と言ってる人の声も聞こえます。
  私が「でも、バスが出られないでいるので、もうちょっと、2メートルくらいでいいんですから」と言うと、運転男は私をにらみつけて、がーーーッとクルマを発進させて2メートルほど前に寄せました。あやうく轢かれそうな勢い。くわばらくわばら。
一瞬「お巡りさんに来てもらうわよ」と言いそうになった自分もおかしかったけど。ロータリーの向かいには交番があります。

 そして 男は、ウィンドウを全開にして「野次馬がうるさいんだよ! 田舎ものが!!」と私めがけて怒鳴りました!!  
 さっすがに、ここまで言われると、もう、アタマに血がのぼった!!!
「田舎だけど、大好きな町なのよ!!」と大きな声で怒鳴り返してやりました。
私も、いざとなったら怒鳴り返すことができるんです。トシを取ると、できるようになることがふえます。でも、あーー、血圧上がった!!  あぶないあぶない。

 そばにいた人がクルマに向かって「そういうあんたの方が田舎者だよ! 人の迷惑も考えられないで!!」っていっていました。
 でもそのときは、その運転者は、ウィンドウを閉めてしまったので、聞こえなかったかもしれない。残念・・・・。

急いでいたので、そのまま電車のホームに入ったのですが、そのあとどうなったのか?
  「関係ない!!」って、運転男は怒鳴ったけれど、私は「関係あるわよ!!」って思いました。だってここは「私の町なんだから!!」って。 
  「悪いことはしてない!!」って怒鳴ってたけど、「悪いことはしてなくても、人に迷惑をかけてるわよ!!」って言ってやればよかった、と、後になってから、思いつきました。

  新年早々、勇気ある行動(?)をして、ちょっと気分よかったです。
そして、轢かれないでヨカッタ。


   

あけまして
     おめでとうございます
平成21年1
 
定年のはずの年齢になりましが、非常勤なのを幸い、
 今しばらくは忙しく働くことになりそうです。
 
◆ 昨年も各地のスゴイ方たちと多くめぐり合い、“
  地域の底力を感じました。
  今年は“”狛江の底力”たちが結集してユニークな
  支援・互助ネットワークを発足させます。
 
 成人期アトピーで長く自宅療養を強いられていた長男が
  徐々に活動再開。私の個人HPを作成してくれました。 
  発信の場を得たことと、息子と協働できたことが
  喜ばしい年でした。

◆ みなさま、お元気でお過ごしくださいますように。
 

                       中川信子         

 

疲れたとき、心弱ったとき、考えあぐねることがあるとき、ふと星野富弘さんの詩画に会いたくなります。その時々で、立ち止まる詩がちがいます。星野さんの詩は、自分の心の鏡なのでしょうか。

毎年、星野富弘さんのカレンダーをかけています。2009年用もすでにスタンバイ中。
かさばるので持ち運ぶのはなかなか大変ですが、一般書店でも手に入るようで、こちらのページに一覧が載っています。http://www.tomihiro.net/

2008年用の中から、私の大好きなものをひとつ。 何回読んでも、何十回読んでも、「ほんとだなーーー」という思いでいっぱいになります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「悲しみの意味」(サフラン) 

冬があり夏があり  
昼と夜があり
晴れた日と  雨の日があって
ひとつの花が 咲くように
悲しみも  苦しみもあって
私が私になってゆく 

         星野富弘 花の
詩画集「花よりも小さく」  偕成社

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今年も、たくさんの親ごさんたちにお会いしました。

長いおつき合いの方も、一度、二度お会いしただけで次の場をご紹介した方も。
いずれの方たちにも、その方だけの昼と夜、晴れと雨、悲しみと苦しみがあるにちがいありません。
そして「支援者」と呼ばれる側にいる私(たち)にも、それぞれの無力感や悔しさ、もちろん、喜びや感動もありました。
そういう双方の思いが交錯し、「私」らしく成長しあえたかな?
そんなことを思う、年の瀬です。

年賀状作りの続きをする気になれず、ついつい、こちらの更新をしてしまいました。

 

 

派遣切り、非正規労働者の解雇。この寒空に、職ばかりではなく寝る場所も突然奪われる人たちの姿が連日テレビに映しだされています。抗議行動や、支援の輪が広がってゆく さまも一方に報道されます。
心の中で「がんばれ!」というだけで、自分はあったかい場所でパソコンに向かっていることを後ろめたく思い、せめて寄付でもできないものかと「もやい」のページを探したところ寄付の口座が載っていました。
 早速実行しようっと。

     「ご協力ください」
        ↓
http://www.moyai.net/modules/m1/index.php?id=11&tmid=22

 「もやい」が向かおうとしている方向は、どうやら、障害のある人たちを応援しようと思っている人たちが向かっている方向と共通しているようです。

moyaiさんのブログから抜粋します。

   ◇「(ボランティアとは)隣近所同士で交代にて家の前を掃く掃除当番に近い感覚なのだ。」
◇「辛い時はお互い様、今は助ける側だけど、自分がピンチになった時は助けてくれよ」と、堂々とお願いしたらいい。」
◇世の中に「ボランティア」という言葉が無くなるその時、行政の手も借りず民間の手で携えてゆける念願の日になるというのが僕の持論です。
◇新年の祈願:「人らしく生きる行為が、当たり前の世の中になりますように」

    全文はこちら
       ↓
 http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=443

 また、こんな文章にも出会いました。

 

「生きている それだけではいけないの?」
http://www.moyai.net/modules/news/article.php?storyid=158

ちなみに「もやい」が発行している通信の題は「おもやい」

私は小さいころからおもちゃや服などを姉や友だちと「おもやい!」にしていました。
「ひとつのものを、分け合って使う」ってこと。
「おもやいね」「おもやいにしよう」って言っても、東京の人には通じなかったのでショックでした。どうやら九州のことばだったらしいです。
ちなみに「おもやい」には「お互いさま」って意味もあるとか。

 

 12月19日、調布警察署からの帰り、野川沿いの遊歩道を自転車で走っていたら白い首の長い鳥がいました。暖かい日だったので、立ち止まって眺めていましたが、ツルとは、ちょっと違うみたい。
散歩中らしい高齢の男性がとおりかかったので、「ツル・・・じゃないですよね」と声をかけてみました。男性は「オオサギだよ、オオサギ。この時期いるんだよ、よくこの辺に」って教えてくれました。

 そのちょっと先には、カモが数羽泳いでおりました。


暖かな冬のお昼どきの風景でした。時間に余裕があると普段見逃してしまうものに目がゆくものですね。

  「ハンドルキーパー運動」ってものを、今日初めて知りました(@_@)    平成18年の秋から行われている運動だそうです。


 どんな運動か?というと、「自動車で仲間と飲食店などに行く場合に、お酒を飲まない人(ハンドルキーパー)を決め、その人が仲間を自宅まで送り届ける運動」です。
この運動は、オランダの『ボブ運動』を参考にしたそうです。
『ボブ運動』とは、仲間同士が飲食店が「今日のボブは誰?」と呼びかけ、グループ内で飲酒をしない人を決めておき、飲食店もこれに協力する取り組みで、オランダでは8割の国民が意味を理解しているそうです。

 さて、「ハンドルキーパー運動」をどこで教えてもらったかというと、調布警察署で、です。
私は警察署協議会という会議の委員になっていて、年に何回か警察署主催の会議に出席して、市民としての意見を述べるのですが、今日、その協議会の席上で教えてもらいました。

  「ハンドルキーパー運動」  みなさん、ご存知でしたか?   「みんなの常識、ナカガワの非常識」も多いのですけど、知らなかったことを知ると、とてもうれしくて「ねえ、ねえ、知ってた?」って言いたくてたまらないので、思わず書き込んでしまいました。 小さい子どもちや、障害のある人たち、高齢者が、飲酒運転ドライバーのために事故に巻き込まれることは絶対避けたいですからね・・・・。

  「ハンドルキーパー運動」のチラシやワッペンは、各地の警察署でもらえるそうです。
        ↓
   http://www.jtsa.or.jp/topics/T-71.html

  私が警察署に出入りするようになったきっかけは、「K−Pro 多摩地区キックオフ大会」が狛江で開かれたことです。
その会に参加して、障害のある人たちの安全な生活を保障するためには、警察との連携が不可欠だと知りました。ちょうどその直後に、委員へのお声がかかったので、喜んでお引き受けしました。

 「K−Pro」とは何か? → http://www.autism.jp/etc_kpro.html
これは「警察プロジェクト」の略で、「全国の警察とお巡りさんを味方にしよう!」をスローガンに、障害のある人たちを被害者にも加害者にもしないために、まずは地域の警察官に、知的障害のある人たちのよき理解者になってもらおうと始められた運動です。
各地の親の会の方たちが、交番や警察を訪れて、パンフレットを渡すなどして、「顔の見える関係」になるような努力をしています。実際、ある地域ではお子さんが行方不明になったとき、警察と親の会が連携して、すばやく情報を配信するなどの成果をあげたと聞きました。

 子育て支援も、障害のある子の健やかな育ちを守るためにも、安全安心の町づくりも、最終的には「地域の人たちが知り合い、声をかけ合い、助け合う」ことが一番の処方箋になるはず。
警察も「地域」を支える役割をしているとは、私は、委員になるまであまり考えたことがありませんでした。

みなさんも、今度、交番などでお巡りさんを見かけたら「この子たちをよろしく」という思いを込めて挨拶してはいかがでしょう?  K−Proのグッズをもって話しに行くのも、いいかも。

 我が家の近くの道沿いの木が、今、激しく落葉しています。縁石に沿って山ほどたまった落ち葉が、でも、いつのまにかきれいになっています。風で吹き飛ぶのではあるまいし、誰がいつ、どうやって掃除してくれているのかな?と不思議に思っておりました。

 そして、今日、初めて発見! 会議の後、お仲間の一人とご飯を食べながらしゃべっての帰り、夜の11時ころに自転車で走っていると、いました!いました! はたらくじどうしゃが!  大きな回転ブラシのついたクルマがとおりすぎた後には、落ち葉がほとんどなくなっています。

 なんていうんだっけなぁ?このクルマ? 息子が小さい時分にさんざん読んだ絵本「はたらくじどうしゃ」にのってた気が・・・・   あっ! そうだ! ロードスイーパー!!!

 どんな風に作業するのか、ブラシはどんな風に回転するのか、葉っぱはどうやってどこに吸い込むのか、一部始終観察してみたくてたまりませんでしたが、いい年をした大人が立ち止まってじろじろ見るのも変なのであきらめて帰りました。

  息子が小さいころ、ガソリンスタンドの洗車マシーンや、道路工事のパワーショベルが作動していると、いつまでも張り付いて見ていたいと言ったものです。急いで保育園につれて行きたい私としては、とても困りましたが、でも、小さい子と一緒だと、はたらく自動車に見とれていても、ぜんぜん怪しまれずにすむ、というメリットもありましたっけ。

 今、子育てさいちゅうの親ごさんたちには、「今が一番いい時ですね」と声をかけてあげたくなります。
  自分が子育て真っ最中のころ、中年、熟年の女性から何回そう言われたでしょう?
  大変だったそのころは、「ありがとうございます」という余裕はありませんでしたが、今になると、あの方たちが見知らない若いお母さんに向かって「今が一番いい時ですね」って、言わずにいられなかった気持ちが分かるような気がします。 

狛江市(こまえし)の健康支援課の主催の講演会に参加してきました。 テーマは「健康ってなあに?〜〜〜 見つめてみよう! 心とカラダのつながり  広げよう! 人とのつながり」でした。

講師は岩室紳也先生。
岩室先生は、ご専門は泌尿器科。エイズや若者の性の問題がお得意ですが、そこから派生したヘルスプロモーション分野では、「超」がつくほど有名な先生です。
元気の出るお話、今日からがんばろう!と思えるお話をしてくださるのでご多忙です。

笑いあふれる中に、「健康」を狭い医療モデルで考えるのではなく、生活モデルで、「一緒に元気になりましょう」と励ましあえる仲間がいることの大切さを教えてくださいました。

「失語症友の会」の活動や、ペアレントメンター養成の動き、当事者同士のピアカウンセリングの動きなど、いろいろなことと考えあわせてお聞きしました。

印象的なことばがいくつもありましたが、たとえば
◎「これまでのあなたは、それでいいんだよ。これからどうしていくか(一緒に)考えよう」という態度が支援者には大事。
◎今のところに足りないものを見つけ出し、それを改善するために周りの人を巻き込むことが大事
◎「健康」は関係性の中で保たれるもの。関係性の構築のためには、コミュニケーション能力の開発が必要となる

などは、思わずメモしました。

岩室先生のHPは  
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/

2008-11-29

 沖縄に来ています。
 「沖縄ではコートは邪魔なのよねー」と思いつつも、中綿入りコートを着てきました。出てきた日、東京は冷たい雨が降っていたので。「(東京が)こんなに寒いのだから、もしかしたら沖縄も寒いのかも・・・・」とも思ったのですが、やっぱり沖縄はあたたかかった!! 人々が、ワイシャツ一枚とかで歩いています。
 ST(言語聴覚士)養成校での講義のために来たのですが、学生さんも、教員の方たちも、タクシーの運転手さんも、「寒い、寒い 今日は、今年一番の寒さ」とか「寒くてふとんを出るのがいやだった」と言ってましたが、それでも、10度以上はある気温。年間通して、10度を下回ることはほとんどないそうです。暖かいところでは、“身体がゆるむ”感じが確かにあります。
沖縄には紅葉がないそうです。
そう言えばいたるところ緑が茂り、赤や黄色や紫の花が文字どおり「咲き乱れて」います。

 養成校のそばにある警察では、この時期、「ハブが出たから捕まえて」という出動要請が多いのだそう。養成校の掲示板にも「ハブに注意!」との掲示が出ていました。

 私は「目に入るものは何でもかんでも読まずにいられない、しかも、アタマの中で音に変換して」という特性というか、クセというか、ビョーキを持っているのですが、沖縄では音に変換して読めない看板や道路表示があるので、かなりストレスです。「与那原」って書いて「よなばる」と読むのだから、「西原」って書いて「さいばる」って読むのかと思いきや「にしはら」だったり。
       (※上記を書きながら、「特性=ト“クセ”イ⇒クセなんだ!」と、
         音と意味の共通性に瞬時に反応しました! 
        ことば遊びにハマらずにいられないのも私の特性=クセ
        の一種です)

 心は「あれ、何て読むの?」と聞いているのですが、前方に注意しながらクルマを運転してくれている人に「あれ、何て読むの?」って聞くわけには行かないので困ります。  「今帰仁」を「なきじん」と読むのは以前に学習しましたが、ほかにも読めない名前がたくさん、たくさん。

  授業でそんな話をしたあとの休み時間に、学生さんの下駄箱の前で(名前が貼ってあるので)一人ずつ読んでいたら、一人の学生が「名前を読んでるんですか?」と話しかけてきてくれて、いくつかの読めない名前を教えてくれました。そして、さらに、ゼッタイに読めないだろう地名があることや、その地名の由来、音便で音が変化していったようすを音声学的に見るとこうなるらしい、と教えてくれました。

 夜に、食事をしたお店の名前は「ぱいかじ」。
 店を予約してくれた先生にさっそく「どういう意味?」って聞きました(^_-)-☆   「南」の「風」という意味だそう。
そういえば本土でも、南風のことを「はえ」、東風のことを「こち」と言います。
古語由来らしいですが、ことば、って面白いですね!!!!

弘前から帰ってきました。主催は、中南地区特別支援連携協議会で、事務局は弘前第二養護学校でした。講演会は、300人ほどの方が来てくださいました。 顔ぶれは、保健師、保育士、保護者、養護学校の先生方、ことばの教室の先生たち、療育関係者、ST養成校の学生さんたち、などだったそうです。

私は、保健師さん主催の講演会に招かれるチャンスは多く、上記のような多様な顔ぶれがそろうのはそんなに珍しいことではありません。 でも、学校が中心になった企画で、これだけいろいろな場の人が参加することはめったにないことかもしれません。企画してくださった方たちの努力が実ってよかったです。

午前中、時間の余裕があったため、弘前「津軽藩ねぷた村」に連れて行っていただきました。間近で見るねぷたは迫力・説得力がすごい! 
そして、ちょうど、津軽三味線の解説つき生演奏もありました。
単旋律が多いといわれる日本の音楽ですが、複雑に音が重なり合い、躍動感のある津軽三味線の魅力の秘密が少しわかったような気がしました。
聞いていると胸がわくわくして、ずっと聞いていたいようでした。津軽三味線は、弦楽器なのだけれど、打楽器の特徴もあるのかな。

 打楽器といえば、ねぷたが練り歩くときの「お囃子」も聞かせてもらい、太鼓をちょっぴりたたかせてもらいました!!!  

 「弘前城の桜はすばらしいんですよー、ぜったい一度ご覧になってください!」って、たくさんの人に言われました。4月末が桜、8月の1−7日がねぷた、桜の紅葉もステキとのこと・・・・・。うーーん、悩むところです。

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