ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

  冬季オリンピックたけなわです。

 東北地方に住む私の知人が(お母さんですが)「近くで行われるカーリングの講習会に応募したら当たったので練習することにした」とおっしゃいます。私はてっきりスケート靴を履いてやるのかとびっくりしたら、靴は普通の靴なんですね。ほっ。

  カーリングのイメージ、私も大好きです。
ストーンそーっと押し出したり、氷の上をゴシゴシこする動作って「支援者」と呼ばれる私たちの姿そのもののような気がするからです。

  障害名をバン!と告げたり、正しい療育の方法をレクチャーしたり、無理やり教えたりすることを通して、子どもたちや親ごさんたちの鼻づらを引っ張って「ほらほらこっちに来いよ!」ってつれて行こうとしても、なかなか思い通りには行きません。

  「あっちに行くといいんだけどなー」と思いながらストーンをそーっと押し出し、「こっちに行くとラクなんだけどなー」って祈る思いで氷面をゴシゴシするしかできない。
それが私たちの仕事なんだな、って思うことがよくあるのです。

  本当の目的地を見出すのは、本人の力と決断。
支援者がやっていることは、実は、余計なお世話に類することであることも多いのかな・・・と思いながらも、ついつい、「こっちのほうがいいと思うよー」と氷上をゴシゴシするナカガワなのでした。

  大きな本屋さんに行くついでがあって、「そうそう、本を探してみましょう」と思いつきました。 

  しばらく前にテレビで作者との対談を放送していて、中味がおもしろそうだった本です。
  何でも音楽を志す自意識過剰な高校生が、いろいろな挫折や体験を経て、成長していく・・・・とかいった内容のようでした。  
  でも肝心の題は何だったっけ? えーと? 「何とかに何とかしろ!」ってな題だったっけ・・・・。と考えて、あ、そうだ「橋を渡れ!」だったかな、と思いつき、お店の人に調べてもらうと「ホラーですけどいいんですか?」と言われました。

 いや、ホラーじゃなくて、ジャンル的には青春小説、って感じ。それと、三冊連続して出てるはず。
おかしいなぁ・・・・と数日間、割り切れない思いでいたある日「そうだっ!」とひらめきました。
 「船に乗れ!」でした。
  早速ネットで(私は極力アマゾンではなく、近隣の書店を経由するe-hon(いい本)で買っています)注文して読み終えました。

   「船に乗れ! Ⅰ 合奏と協奏」 
         藤谷治 著 
         JIVE  発行

     おもしろかったです。合奏と協奏のちがいについての主人公の捉えかたも、興味深かったです。
  早速2冊目、3冊目を注文したいところなんですが、1600円×2冊をすぐに読み終えてしまうともったいないなぁ、図書館でリクエストして読むことにしようかなぁとまだ決められずにいます。
   そうこうしているうちに一冊目のストーリーを忘れてしまうかもしれません・・・。

  複数の人たちで音楽を作り出すことって、地域でいろんな考えの人たちと目的に向かって進むことと似ている気がします。一人ずつの主張をきちんと出しながら、全体の目的にむかって出っ張ったり引っ込めたり。

  以前参加していた合唱団の指揮者はいつもこうおっしゃいました。 「(他のパートの声を)聴こうとすれば響くんだよ。響かせようと思わなくても、聴けばいいんだ」って。

  今日は、調布市健康推進課「こどもの相談室」(健診後フォロー)事業の一つ「ことばを育てる遊び方教室」の日でした。

  これは、「ことば」の個別相談(月に半日×6回。1回ごとに3枠(3人) 30分きざみの予約制)にお誘いしても、なかなかいらしていただけない方たちに、毎日の暮らしの中で、ことばやコミュニケーションを促す接し方を知っていただき、ついでに「ことば」の個別相談のこともお知らせできるような気軽な会をやりたいね、と始めたものです。今は年に3回実施で定着してきました。

 わらべ歌や手遊び歌がことばの育ちにも大きな意味を持つこと、体を使った遊びが「ことば」の基礎になる、ということなどを解説しつつ一緒に楽しく遊ぶ1時間のプログラムです。

  「ことばが遅めかな?」のお子さんたちにそのつど保健師さんたちが声かけしてくださるのですが毎回反応は上々で、今日は、な、な、なんと18人の参加でした。今までの最高記録かも。 毎回大泣きする子、脱走したくなる子、おもちゃを離したくない子、いろんな子がいてほんとにかわいいです。

  リーダーを務めるナカガワは、個々のお子さんのことなどほとんど目に入らす、進行させることで精一杯になってしまいますが、でも、毎回、とっても楽しいです。わらべ歌って、なんてスゴイ教育的音楽なんだろう、と説明しながら自分が感動します。

  事業って、ともすれば「こなせばいいや」みたいになりがちな中、担当の保健師さん、助っ人に来てくださる児童館職員の方たち、きょうだい児の保育を担当してくださるシルバーさんたち、みんなで一生懸命作り上げる感じがまた何とも言えず、充実感があります。  終わってから、「事故がなくてよかった!」って思います。これについては、結構、緊張します。  

詳細は「地域保健連載バックナンバー」 をご参照ください。
2007年7月号〜10月号「ことばを育てる遊び方教室」です。

  福井県鯖江市の保健師さんたちのお招きを受けて行ってきました。   京都で打ち合わせを済ませてから、福井方面に向かったのですが、それこそ「トンネルを抜けると、突然雪国に!」という不思議さでした。

  5日の夜は保育園や幼稚園の先生たち、保健師さん、療育の関係者の方たち、6日は地域で子育て支援にかかわる方たちの集まりでした。時々強く吹雪く天候の中、沢山の方たちに話を聞いていただき、またまた元気になって帰ってきました。

  保健師さんという人たちは、対象者に寄り添いながら、でも、どこかでは“引導を渡す”時期を測りつつ、いつもゆれながら悩みながら仕事をしている人たち。今回も、2講演を終えた後、おいしいお料理をいただきながら、しゃべりにしゃべって、あらためて、保健師の底力を感じました。   保健師の仕事は、なかなか説明するのが難しいですが(STの仕事も同じですが)ともにがんばろう!と思います。

  帰りは、雪がひどく、もしかすると電車が止まってしまうかもしれない、という状況でした。新潟県内ではほんとに運転中止になってました。こういうスリリングなシチュエーション、私は大好きです。
 鯖江から東京へは、通常は米原経由(琵琶湖の東側を通る)名古屋に出るのが一般的ですが、米原方面行きの電車は30-40分遅れとのこと。いつになるか分からないので、遠回り覚悟で、ちょうどホームに入ってきた京都方面行き(琵琶湖の西側を通る)の「サンダーバード」に飛び乗りました。そしたら、なんと!!  湖西線内が強風で通行できないので、代わりに米原経由京都行きという経路をとる、との車内アナウンス。ラッキー!!でした。  
  猛烈な吹雪を通って走り、米原を過ぎてしばらくすると、ウソのような晴天。キツネにつままれたような・・・とはこのことです。

     鯖江では、雪がクルマのガラスに当たってカラカラ音がしました。長く生きてきたけど、こんな雪は初めて。何でも、雪にあられが混じっているからだそうで、「ええーー、いつも、雪が降るとこんなですよぉ」って、おっしゃってました。
  家に帰ってから、ウィキペディアで調べたら、あられには雪あられと氷あられがあるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B0
 

  特別支援教育巡回相談のチームとして、狛江市内の小・中学校を回っています。   最近お尋ねした小学校は、ちょうど息子二人が卒業した学校で、しかも、クラスまで同じでした。チョロチョロしたり、先生の質問にだしぬけに答えてしまったり、イスをガッタンガッタン揺らしたり、ハイハイ!と手を挙げるのに当てられるとモゾモゾして答えられなかったり・・・。

  「そういうこと、あったよなぁ」「そういう子、いたよなぁ」「うちの子も、ちょうどあんな具合だったなぁ」と、25年も前のことを思い出しながら、なんだか、タイムスリップしたような気分でした。

  泣き虫だったり、おこりんぼだったり、勉強が苦手だったり、かけっこが速かったり、いろんな子がいました。いろんな先生の影響を受けながら、6年間一緒に過ごし、さらに中学校でも一緒に育ち、それぞれにりっぱな大人になって行きました。わが息子たちもいろんなエピソードをたくさん残してくれました。

 そういえば、息子が1年生の体育の授業参観のとき、マット運動だったか(?)に全然参加せず、体育倉庫に隠れて出てこなかったことがありました。
 先生に「いつもあんなでしょうか?」と聞くと、「だいたい、あんな具合ですよ、でも心配いりません、そのうち出てきますからね」とのこと。
  「ええーーっ? 大丈夫なの?」と心配でしたが、先生のおっしゃるとおり、「そのうち」出てきて、時間の後半には、何食わぬ顔で参加していました。 

 そんなことがあれこれ思い起こされて、ついつい、ニヤニヤしながら、クラスと授業の観察をしていました。子どもたちは、本当にかわいいです。

  先生たちは、昔も今も変わらず、勉強を教えるのが好きで、育ちゆく子どもたちを愛しています。この国の未来は、この教室の中で作りだされているんだと実感します。  教育予算を増やし、もっともっと子どもたちと直接かかわれるよう、先生方の負担を減らしてあげたいものだ、とつくづく思います。

  地方での講演が続くと「大変ですねぇ」とよく言われます。確かに体は疲れますが、でも、講演に行けば行くほど元気になって帰って来る日々です。  かえって、家にいるより、講演先でのほうが体にいいかもしれません。

  「保健師さんからの依頼は基本的に、お断りしないようにしてます!」というのが、私の自己宣伝だったのですが、最近はちょっと様変わり。
  地域での発達障害理解を進めるため、あるいは、ネットワーク作りのために多職種・地域の方たち、時に保護者も交えて、一緒に同じ話を聞いてもらうという企画が多くなっています。必ずしも保健師主催とは限りませんが、お引き受けすることがふえています。
 発達障害概念は、すべての人たちが理解し合い、つながるためのまたとない入り口だと思っているナカガワにとっては、これは、またとないチャンスなので、いそいそ出かけるのです。

  1月30日、31日は、熊本市発達支援センター主催のそういった講演会でした。話を聞きに来てくださった支援者の方たち、一般の市民の方たち、保護者の方たちに理解が広がっていくことを願っています。所長はじめ、センターのスタッフの方たちの熱い思いに触れ、私もがんばろうと思いました。

 それと、最近感じることは、私ってなんと幸運なんだろう、ということです。 トシは経てきたものの、狭い範囲で、自分の感覚と三木先生の教え+旭出学園での経験のみを頼りに、ただただ現場ではたらいて来た私ですが、そんな、自分のささやかな経験や考えをお話しするだけで「なーるほど」「元気になった」「自分のやっていることがこれでいいんだと思えた」「明日からまたがんばろうと思えた」などという感想をいただくことができまるからです。

  そういう感想をいただくことで私は「私の考えてきたこと、やってきたことは間違ってなかったのかもしれない」と思え、それこそ「元気になる」ことができます。エンパワーの循環ですね。

  東京都多摩地区の社会教育委員の方たちの集まりで、今、「学び返し」ということばが使われるようになっていると言います。社会教育、公民館活動などの中で、市民として学んだことを、今度は地域に具体的に返して行こうという動きのことだそうです。

 私もお会いしたお子さん、ご家族、いろいろな人たちに学ばせてもらったことを、今度は、新たにお会いする方たちにお返しできているのかな。  仕事で「学び返し」ができるって、本当に幸運なことだ、と思います。

 

  1月23日、新潟県三条市にお招きを受けて行ってきました。そもそも、講演会の主催が「教育委員会・子育て支援課」であることにも、興味しんしんでした。幼児期と学校教育が一線上に連続しやすい仕組みですが、まだまだ、全国的には珍しいと思います。
 案にたがわず、学ぶことがたくさんたくさんありました。
 担当者の方たちの熱意で雪も溶けそうでした。

  成果物の一つが「三条市子育てサポートファイル  【すまいるファイル】」です。   保護者が所持し、支援をつなげていくために役立てる目的の「サポートファイル」作りは各地で創意工夫にとんだものが次々作られていると聞きます。

 私は特別支援教育は、「特別ではない(すべての子どものための)支援教育」「当然支援教育」であるべきだという立場から、サポートファイルが「支援の必要な子」だけに配布されるのではなく、全児童に配ってほしいと常々思っていました。

 三条市は市全体として「三条市 子ども・若者総合サポートシステム」を構築し、その一環としての「すまいるファイル」なのだそうで、「もちろん、全員配布です。それでなければ意味がありません!!」との力強い担当者のおことばでした。

  
三条市子ども・若者総合サポートシステム
http://www.city.sanjo.niigata.jp/kosodate/page00234.html

三条市子育て支援ファイル「すまいるファイル」
http://www.city.sanjo.niigata.jp/kosodate/page00223.html

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

実際に作成し、活用が始まっている自治体はきっと多くあると思いますが、「サポートファイル」について、知人からいただいた情報を次に載せておきます。

◇北海道・旭川    (全数配布する方向で取り組み中)http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/B9459AE2-D1BA-40B0-B111-13D0BB9C33CE/0/PANFU.pdf

◇福島、仙台、大分、兵庫  (県・市と発達障害者支援センターが中心)

http://www.pref.fukushima.jp/shinshin/hattatsu/hattatu7.html
http://www.city.sendai.jp/kenkou/hattatsu/gaiyou/seminar/pdf/kisokouza.pdf
http://122.249.210.94/ecoal/book/index.html
http://homepage3.nifty.com/auc-clover/html/06.html

◇神戸、島根   (大学の研究者が関与)

http://www.edu.kobe-u.ac.jp/fhs-renkei/info-H20.5.16.html
http://www.u-shimane.ac.jp/23to_region/01topics/2009-0518-1020-22.html

◇京都府・舞鶴
http://www.city.maizuru.kyoto.jp/contents/7d7b0d0f1f3b216/other/7d7b0d0f1f3b2166.pdf

・長野県・松本市  (こども病院のリハビリスタッフなどが中心)http://www.pref.nagano.jp/xeisei/kodomo/pdf1/kobetusien.pdf

◇島根県・松江  (以前から有名な「だんだんファイル」)http://www.city.matsue.shimane.jp/jumin/fukushi/guidebook/shiryou/support_files.html

◇滋賀県・甲賀  (紛失対策としてインターネット管理)
http://www.we-collaboration.com/mt/2009/05/24/SHIGAteam_soudansien_siryou.pdf

◇九州・芦屋町  (全数配布)http://kosodate.nishinippon.co.jp/news/support/201001/13_009976.shtml

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

サポートファイルの取り組みで大切なことは次のような点だと思います。(情報通の知人からの受け売りも含まれていますが・・・)

◇「作ること」や「持つこと」自体にも意味がある。
  (家族が何を記録しておいたらよいかわかる。相談の場で、専門家に何を話せばよいかわかる)
◇連続した支援を受けやすくなったり、ファイルを通して、連携が深まってゆく、という「実際に人の役に立つ、生きたサポートのツール」になることが一番大事

検討すべき点は
◇いつ、誰に渡すのか 
  (出生前後の全数配布? 相談や支援が始まった人に配布? 要望した人に配布?  
  それぞれの長所・短所をどう組み合わせるか)
◇みんなが継続的に使えるか 
  (誰かが一方的に強制すrのではなく、お互いが必要なツールにしていく工夫)
◇情報管理(個人情報管理)のルールはどうするか
   (家族や本人の許可の必要な部分とそうでない部分は何か)
◇どんなサイズのものにするのか?

◇記入する項目の精選
  (情報量を多くすると、読む側=連携先、提出先 の負担が大きくなる。
  簡潔な記述にすると、育ちの過程がぴんと来ない)

「サポートファイルサミットをやりたい!」という声もあがっているとのことで、これからの広がりと深まりが楽しみです。

 

  1月21日、沖縄・宜野湾市で「沖縄県母子健康大会及び母子保健推進員研修会」が開かれ、私は講師として参加しました。  出発した日は東京もとても暖かでしたが、沖縄は、それに輪をかけて暖かかったです。以前、2月に冬用のコートを着て沖縄に行ったばっかりに、ヒドイ目にあった覚えがあったので、薄着を心がけましたが、それでも、昼間に道を歩くと汗ばむほどでした。

 母子保健推進員さんの活動は地域によって、盛んなところと、あまり活発じゃないところがあります。関心のある方は、ネットで調べるといろいろヒットします。
  略称は「ボスイさん」です。このほかに「愛育班」という活動もあります。おなじような活動内容ですが、成り立ちが少し違うのだそうです。

  前記の大会には、知事あいさつや、宜野湾市長あいさつが予定されていましたが、お2人とも基地問題で東京に行っておられて、代理の方の参加でしたが、これがとてもうれしい話の始まりでした。

  控え室で、型どおりの名刺交換をしたのですが、県議会副議長さんが私の名刺を見てすぐに「ああ、コマエにお住まいなんですね、よく知ってますよ」とおっしゃるのです。

  全国的には、「狛江」と言う字を見てすぐに読める方は少なく、「あのー、何て読むんですか?」とか「あのー、何県ですか?」と聞かれるのが常です。まれに「コマエですね」と読んでもらえたり、「小田急線ですよね」と言ってもらえるともう、舞い上がってしまいます。

 そこへ遅れて入ってこられた副知事さんも、「コマエなんですね、ぼくもよく知ってますよ、住んでいたんですから」とのこと。「ええーー !」と感激して、思わず声が上ずってしまいました。

  よくお聞きすると、副知事さんも、県議会の副議長さんも、沖縄の学生寮にいたことがあるとのこと。確かに、狛江には、沖縄県の学生寮があります。狛江市内でも世田谷区に近いところで、住所は岩戸北、です。

 実は、その寮の真向かいに、おいしい自然酵母のパン屋さんがあります。
狛江市子ども家庭支援センターの帰りに、たまたま通りかかって買ったパンがおいしかったので、時々寄ってパンを買っています。
そのときに、「あれ、沖縄の学生寮がこんなところにあるんだ!」と思ってみたことがありました。 。「南灯寮」という名前の寮です。
  沖縄県の資料によれば、関東地方にある沖縄県の男子学生寮は狛江と千葉県習志野市とにしかないみたいです。光栄なことです。
ちなみに女子学生寮は世田谷区にあるそうです。

  副知事さんと、副議長さんと私の三人で、しばし、狛江のことや、学生寮にいたころの思い出話で盛り上がりました。   この日は、ホテルから会場までの道のりに付き合ってくださった健康増進課の担当者も、ご友人がSTだそうで、マイナーなSTの仕事の内容を説明せずに済んでとても幸せな気持ちになりました。

  そしたら、今度は、北海道から狛江出身のC先生の話題が飛び込んできました。釧路に住む友人の小児科医・堀口貞子さんのホームページ「コロボックル通信」に、そのことが載っています。
 早速感激メールを堀口さんに出したところ、何度かのやりとりがあって、この話題の中心のCさんのご両親は、私の狛江の知人や友人たちと、浅からぬ仲だということが判明しました。いやーー、小さな狛江ならではの人の縁。
  Cさんも、狛江のことを大好きで、狛江のことを知っている人と会うととてもうれしい、とおっしゃっていました。
「地域」で、人との縁の中で、人は生き、生活し、育てられるんだなーとつくづく思います。

  沖縄から帰ってすぐ、今度は雪の新潟(三条市)に来ました。 三条市でもいっぱいすごい人たちと出会いましたが、それはまたの機会に。

 1月17日、三原市のNPO法人「ふぁいと」のお招きで、講演に行きました。泊めていただいた広島エアポートホテルの窓からは、真っ赤なまん丸な夕日がしずしずと沈む様が見えて、あまりの美しさに見とれてしまいました。

 講演会が終わってから、お土産に、といただいたのが「たこバウム」(蛸波夢)というバウムクーヘン。包み紙には「竹塩のまろやかな味わいと、タコの風味がとてもクセになるおいしさ」って書いてあります (@_@)   想像できないですよね、タコの入ったバウムクーヘンって?

  ところが、ところが・・・・・・
こらが、すばらしくおいしかったのです。かすかな塩味と、ゴマ粒程度に細かくなったタコのプツプツした風味と、なにより、しっとりした生地。
 私は、もともとタルト系やパイ系よりもカステラ系のお菓子がすきなので、バウムクーヘンは大好きなのですが、これはまた、ダイエットの大敵出現。

  広島県三原市にある洋菓子店「ペガサス」の製品です。
(宣伝するつもりはありませんが、見てみたい人のために、URLをリンクさせました。)

  ペガサスのご主人の、「たこバウム」に寄せる思いが栞になってお菓子と同封されているのですが、それがまた、おもしろい。

  「(タコの)えさを力いっぱい捕まえてサザエやアワビなどの殻も噛み砕いて中身だけを取り出して食べ、危険を感じるとシューと墨を出し周りを見えなくして逃げて、自分の体よりはるかに小さな穴の中でじっと耐えて辛抱強く待ち、周りのようすを見てまた活動するという芯の辛抱のできる生き方に教えられました。人の道も同じだと思います。仕事は元気良くはたらき、また辛抱の時がきたら芯の辛抱ができてこそ、すばらしい人生が送れるのではないでしょうか」   芯=バウムクーヘンの芯  に重ねられてるんですよね。

  「ふぁいと」の平本さんご夫妻、ありがとうございました (^_^)/~

私の本のさし絵をいつも描いて下さっている林やよいさんの文、ご本人の了解を得て転載します。

 「わ・はは」という、重度の障害のあるお子さんを持つお母さんたちのサークルの冊子に掲載されたものです。

 ******************************

   ありがとう        林やよい 

******************************

脳性まひで、知的にも身体的にも重度のしょうがいのある娘と暮らしてきて十七年経った。人には「お母さん、よくがんばって育てて来られたわね」と言われるが、どう考えても「しょうがいじの母向き」でない私を、引っ張ってきてくれたのは、娘のほうである。  

 

 たとえば私は、たいへんひがみっぽい。

子どものころから、何か物事につまづくたびに「どうせ、私なんか」とすねていた。

体育でも、勉強でも、友だち付き合いにおいても、「できる人」と自分を比べては、いちいち落ち込んだ。だから、「標準」とかけ離れている娘を授かったときは、きっともう立ち直れないと思った。

ところが・・・・・。

予想をはるかに超えて発達がゆっくりな娘と暮らし、ほとほと疲れ果て、比べるのをやめた途端に、ストン、と楽になった。実は「こうでなくっちゃだめ」という物差しを作っていたのは自分で、比べることで私を苦しくしていたのは私自身だったということに、気付いたのだ。

 

  また私は人に気持ちを伝える事が、ひどく苦手だった。

「誤解されるぐらいなら黙っていたほうがいい」と思っていた。

でも、娘と暮らしていると、全然知らない人に車いすの介助を頼んだり、スロープや身障者用のトイレがどこにあるか尋ねたりしなければならない。

さらに進路選択の節目節目には、しょうがい児というものについて全くわからない人たちを相手に、あの手この手で気持ちを伝えなければ門戸が開かない。はじめは仕方なく、だった。

でも、話しかけてみると、世間の人たちは案外温かく、聞く耳を持ってくれていることがわかった。

だんだん、行動を起こすのが苦にならなくなり、このごろは、人に働きかけて、どんな反応が返ってくるかを待つことが、楽しみにさえなってきた。

 

 それから、私は、物の見方がひどく悲観的であった。

何かうまくできたことがあっても「所詮、これだけしかできない」とへこむ。ところが、できないことだらけの娘と付き合っているうちに、ほんの少しの「いいこと」も、目ざとく見つけて喜べるようになった。

 いつもは表情の乏しい娘が、ちょっと笑った、とか、支え無しで座っていられたとか、ささいな「いいこと」をとても愛おしく思えるようになった。すると、毎日の暮らしが「いいこと」だらけに変身した。

「いいこと」は、娘の成長だけにとどまらない。

きょうも空が青い、とか、とりあえず元気で起きて動ける、とか、爆弾が飛んでこないところに住んでいられる、とか。

暮らしている周りのことが、いちいち大切に思える。

「当たり前」のことが実はちっとも当たり前ではなく、「在り難い」ことだったことに気付いた。

特別な変化があったわけではない。

娘は十七歳の今も発達診断では生後八か月程度の発達レベルだと言われている。オムツも取れないし、食事も全介助が必要だし、車いすがないと移動はできない。言葉も出てくる気配がない。

 だけど、朝、まだすやすや眠っている娘の気持ちよさそうな顔を見ているだけで、心の底から幸せがふつふつと湧き上がってくる。

娘との暮らしは、なんと言ったらいいか、とても、哲学的である。

ほとんど黙っていて、でも、ひたむきに生きている確実な存在であるからこそ、娘は命の重さを、ダイレクトに伝えてくれるのかな。

そして私にいろいろなことを考えさせてくれるのかな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

林さんのことは、以前にも紹介したことがあります。

ほんとに不思議なご縁の方なのです・・・・・・・。
http://www.soratomo.jp/article/13483818.html
 

  STの養成校時代の友人に お寺の住職をしている人がいます。 毎年いただく賀状には、いつも味わい深いことばが書かれてあります。

 今年いただいた賀状のことばです。

【雨の日には雨の日の  老いの日には老いの日の  かけがえのない 大切な人生がある】

【強い人になるには たくさんの挫折が必要です。優しい人になるには 何度もの哀しさが必要です】

【優越感の正体は 劣等感である】

曽我量深師のことば、とのことです。

 今日(1月11日)は、狛江市の成人式がありました。教育委員を拝命して以来、ご招待をいただくので、欠かさず出席しています。   例年は会場の中での一般参加だったのですが、今年は「教育委員長職務代理者」として、市長、副市長、教育長と並んでの壇上に並ぶ来賓でしたので、緊張しました。一緒に壇上に並んだ振袖や紋付羽織はかま、フォーマル姿の成人式実行委員会の新成人の面々も、「キンチョウするーー」って言っていました。

 狛江は、例年、新成人代表の若者たちが、何回も実行委員会を開き、自分たちらしい式にしようと奮闘してくれています。 

 会場の新成人たちは、市長さんや市議会議長さんの挨拶の間も、旧交をあたためるおしゃべりに忙しいようすで、会場はお世辞にも静かとは言えませんでしたが、前のほうに陣取った元気いっぱいの子たちも含めて、ちゃんと拍手もして、礼儀は守ってくれておりました (*^_^*)

  実行委員たちが手分けして取材し、編集したビデオレターに、中学時代の先生たちが登場すると「わぉー」とどよめきが起きました。昔も今も、中学生はいろんなことをやらかしてくれますが、正面からぶつかってくれる大人の存在は、一生心に残るんですね。

  主催するのは、児童青少年課です。 前年、前々年の実行委員(その年の新成人)たちも、バックアップに回ってくれるようになりつつあるそうです。また、例年、青少年委員の方たちが、受付などを全面的に協力してくれているそうでした。

  成人されたみなさん、おめでとう!  今は、ぴんと来ないでしょうが、一緒に「わが町」を作って行きましょうね、

22年01月01日 日の出.jpg

初日の出を見に、多摩河原に着いたのは6時35分ころでした。(東京の日の出は6時51分)

その時間には、まだ満月が出ていました。多摩川にかかる小田急線の鉄橋の真上に。

 河原に下りてしばらく待つと、川のはるか先の方が徐々に明るくなり、雲がピンクに染まり、徐々にその色が濃くなって茜色へと変化し、そして、ついに、まばゆい光が顔を出しました。

そして、振り返ると、お月さまはもう、顔を隠していました。

太私は日の出を見たのは生まれて何回かしかありませんが(-_-;) 太陽系誕生以来、お日さまは毎日毎日こうやって地平線から、水平線から、雲のかなたから昇りそして沈み、を寸分の間違いもなく繰り返してきたのかと思うと、なんともいえない畏敬の念、というか、不思議な気持ちになりました。 自然の営みはすごいです・・・・。

陽の出る前と後では、多摩川の河原のあたりの風景も一変しました。

光は、私たちにとって、とても大切な存在なのですね・・・・。

今年も、困難な状況の中でも、光を探して、光を集めて、努力しようと思いました。

年明けには、狛江市で市との協働事業で作成作業をしてきた「支援ネットワークマップ(狛江市 育ちの森マップ)が完成します。支援機関の情報を必要とする人たちのところに、必要な情報が届くようになれば、と願っています。

今年も、どうぞ、よろしくお願いします。

22年01月01日 日の出.jpg

あけましておめでとうございます。

よい年でありますように。

東京はとてもよいお天気です。

多摩川まで初日の出を見に行きました。

この写真は、太陽が出始めるしばらく前のものです。

お日さまが昇り始めると、写真を撮るのも忘れて見入ってしまったので・・・・・。

  一年間、お世話になりました。

  年の後半、秋以降は、異常な忙しさに巻き込まれ、更新もままなりませんでした。
ご紹介したい本も机の横に山積み・・・・という状態です。

その上、年末に、メインのパソコンが使えなくなってしまい、まだ生き返りません。そろそろ買い替えの時期なのかもしれません。

  12月25日過ぎに「まだ年賀状を買ってないの」って言うと、周りの人たちに「え? 書いてないじゃなくて、買ってないの?」って驚かれましたが、結局、今年は年賀状を出すこと自体をあきらめることにしました。年賀状関係のソフトや住所録が全部ストライキ中のパソコンに入っているからです。別のパソコンにさささっと入れ替えればいいのでしょうが、そういうスキルは持ち合わせておりませんし・・・・。 10日ほど前から、親指の付け根が痛くなり、宛名の手書きも困難なことも理由の一つです。

  というわけで、今年、年賀状をすでに投函してくださった方、年が明けたら出そうと思っていた方、どうも、すみません。今年はパスします。

  なんだか言い訳ばかりを並べましたが、来年は、行くべき方向を見定めて、残された時間と体力とを考えながらできることに取り組む所存です。

 みなさま、いい年をお迎えください。

  先週、たまたまつけたテレビで映画の公開にあわせて、「のだめカンタービレ」をやっていました。翌日の後編も一生懸命見ました。本業の仕事の忙しさにかまけて、音楽や歌の楽しさと力をすっかり忘れていたなぁ、とつくづく思いました。

  それに触発されて、敬遠していたi-podを買い込み(敬遠していたのは、猫も杓子も持ってるから・・・・です)新たに曲を入れようと奮闘中です。
 別の形式のMP3プレイヤーは持っていたのですが、使い勝手がイマイチ、というか表示の字が小さくて老眼の身にはつらくなってきていました・・・・ 
 でも、新しいものは難しい。 i-tune? 同期? プレイリスト? ジャンル? レート?

 

    音楽はいいですね・・・・・・・・。
 20年前かもっと前、耐えがたく辛いことが続いたころ、一日中ウォークマンで中島みゆきの曲を聞き続け、外界を遮断していたことを思い出しました。私は若いころに戻りたいとは全く思いません。苦しいことが多すぎました。私は、今が一番好きです。

 春に話題になったスーザン・ボイルさんのCDも出ましたね。
クリスマスに合わせてこれも購入。物入りなことです。
スーザン・ボイルさんの歌声はYou Tube で1億2000万回再生されたとのこと。
私も何回聞いたかわかりませんが、聞いているだけで、なぜか涙が出てきます。

 ことばは人間にとって、とても大切な「心の乗り物」であることは疑いようのない事実です。
でも、ことばを越えたところで、「何か」が伝わる、しかも、深く伝わるっていう経験を、もっともっとしたいものです。

  来春、新しい家ができたら、ここ数年、弾く暇も気持ちの余裕もなくて、ずっと預けっぱなしになっていたピアノが再度戻ってくることになっています。音楽のある暮らし。ちょっとワクワクします。

  そして今日会った古くからの友人と「ねぇねぇ、狛江でコーラスやりたいねぇ、障害のある人も、保護者も支援者も一緒に歌えるような・・・」「誰か、教えてくれる人の心あたり、ない? もちろんボランティアかそれに近い謝礼で?」などと盛り上がりました。
  「強く願えば、きっとかなう。」
 今回も、誰かが、どこかで助けてくれて、来年は、「ともに うたう」というこの夢、実現するような気がします。  

  我が家から自転車で5−6分のところにあるそば屋さんは、そばやうどんや丼物のおいしいお店です。日本そばやうどんのほかに、中華そばもやっています。   私たち家族がそろって大好きなのはここのタンメンです。近所の知り合いのお母さんたちは「かくじつ家のタンメン」って言うと「おいしいのよねーー」と声をそろえて言います。あ、このそば屋さんの名前は「かくじつ家」って言うのです。どういう意味だろ?

 先日久しぶりにお店にタンメンを食べに行きました。いつもと変わらず、とてもおいしかったです。
一日分の野菜の必要量がらくらく取れそうなほど、野菜満載で、しかもさっぱりしているのです。
 で、今回初めて気が付いたのですが、モヤシのひげ根が全部取ってあるのです!! 
感動したので、思わず、奥さんに「もやしの根っこが取ってあるんですね!!」って言ってしまいました。

 「おいしさ」とか「よさ」とか「本物」とかいうものは、いろいろな側面から成り立っているのでしょうが、たかがもやし一つについても、その下処理をきちんとていねいにやる・・・ということが、できあがりの姿や味を作りだしているのですね・・・・。

 毎時間が真剣勝負! と自分に言い聞かせても、この仕事、長くやっていると「いつものアレ」でやり過ごせることが増えてきます。細部にいたるまで緊張感を持って、最善の臨床を提供しようとしているか? と もやしを食べながら、自問自答しました。 

  夕方、狛江の町を自転車で走っていたら、後ろからこんな会話が聞こえました。
   母「どうしたの? おひざが寒いの?」
   子「うん」
   母「ひざ掛け、もってくればよかったね」
   子「・・・・・・」
  どんな親子かしら?と、思わず自転車のスピードをゆるめて追い越してもらいました。幼稚園の年少さんか年中さんくらいの男の子が、自転車の後ろの席に乗っていて、確かに半ズボンの素足。今日は日中がとてもあたたかだったので、寒さ対策をせずに出かけて来てしまったのでしょう。

 それにしても・・・・・

子どもが「おひざが冷たい」と訴えたりすると、母たるもの、「もうすぐだからガマンしなさい!」ってついつい反応しがちだと思うのに、「ひさ掛けもってくればよかったね」って、すぐに言ってあげられるお母さんってステキ。

  なんだかほのぼの気分で家に帰って、夕食にしました。今日のメニューは豚汁と、焼きサバとお漬物。塩分、多かったかな?
  

  12月6日、大阪で開かれた「日本コミュニケーション障害学会 第29回講習会 『リハビリテーションに役に立つ脳と心の視点〜高次脳機能障害の理解のために』」に参加してきました。

  失語症を扱うSTは、失行・失認を含めて、高次脳機能障害にかけては誰にも負けない! と言い切れるだけの力量を持っているといいのですが、残念ながら、目前の患者さんたちの「訓練」に追われて、なかなか広い視野を持つことができないでいるのだなぁ、という感想を持ちました。  

 講師の宮森孝史先生は臨床心理をバックグラウンドとする先生でした。本当に充実の講習会で、10時から16時半までが短く感じられるほどでした。知的興奮って久しぶりの体験でした。  

  宮森先生は、右半球損傷の方たちの構成失行、観念運動失行、着衣失行や、半側空間無視などの例を豊富に挙げて話してくださいました。私も、昔、病院のリハビリテーション室に属していたころ、脳血管障害や交通事故後の脳の損傷のためにおきる様々な症状の患者さんたちにお会いしていたころのことを思い出しました。
  半側空間無視なんて、教科書では習いましたが、目の前の患者さんが実際にそのような状態でおられるのを見ると、不謹慎な言い方ではありますが、「脳ってスゴイなぁ・・・」と感動したものでした。同時に、STとして、どう工夫をしてもそういう状態を治してあげられないという無力感にもさいなまれましたっけ。

  今は、私は、いわゆる発達障害のお子さんたちと多く接するようになりましたが、子どもの行動を理解し、望ましい対応策を繰り出すためには、高次脳機能障害の知識が不可欠だといつも感じています。特にLDの場合には。 でも、今日の宮森先生のお話で、「右半球損傷による症状」という視点を導入すると、ADHDやPDD(広汎性発達障害)のお子さんたちの行動も、より理解しやすくなるように思いました。

 脳科学、脳画像診断が進み、病巣部位、障害部位を特定することによって症状をキレイに説明しようという方向でものごとが動いているような昨今ですが、それには獏とした違和感を感じていました。その“感覚” があながち間違っていなかったらしいと確信できて、ちょっと興奮気味です。世の中には、広い視野での研究をしている研究者がおられるんですねーーー。

宮森先生が監訳された本が紹介されました。早速買って読んでみようと思っています。 

『右半球損傷  認知とコミュニケーションの障害』 P.S.マイヤーズ 協同医書出版
   

  アマゾンでは次のように紹介されていました。面白そうでしょう??
患者のQOLに重大な影響を及ぼす右半球損傷による障害、特に認知とコミュニケーションの障害について広く研究を概観し、その診断と治療、リハビリテーションに関して十分な情報を提供する、臨床的視点を重視した待望の書です。
病識が浅い、楽観的、集中力に乏しい、意欲が空回りする、指示に従わないといった右半球損傷者の特性が、なぜ生じるのか、そして、どのように対処したらよいのかについて、それぞれ認知機能障害とコミュニケーションの視点から丁寧に解説されています。
密接に関連し合っていることの多い右半球損傷の徴候や症状に関しても、臨床経験や実験、そして様々な研究を交えながらその関連性について詳説されており、臨床家にとっては治療へのさらなる応用のヒントが、研究者にとっては患者の行動に影響を与えている一連の症状をより深く知るための手がかりが豊富に示されています。

 日本感覚統合学会の第27回大会が岡山で開かれます。

 大会テーマは「あそぶ わらう それも療育 つなげよう 子どもリンク」です。  
  
http://www.geocities.jp/si2009okayama/


とても魅力的なテーマが並んでいたので、早くお知らせしなくっちゃと思っていたのですが、超!のつく多忙のため書き込む時間がありませんでした。
  やっと一息ついたら、すでに事前申し込みは定員に達し、当日申し込みは受付ないそうです。残念。

でも、この機会に、ぜひ、感覚統合学会のホームぺージのぞいてみてください。
http://www.si-japan.net/
発達障害などの子どもの理解のために、ステキな入り口になると思います。
また、「実際にしてあげられることがある」というのも、とてもうれしいことですし。
来年の大会は北海道だと小耳にはさみました・・・・。

お問合せ・ご相談はこちら

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

お気軽にお問合せください