ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

このところ、時々紹介している日置真世(ひおき・まさよ)さんのブログ「新・サロン日記」には学ぶことがたくさんあります。

昨日も、自分自身のモノゴトに向かう姿勢を深く反省させられるようなできごとがあり、あれこれ考えていた時、またまた、日置さんのブログのことばに行き当たりました。

私よりずっと若いのに、この方の「コトバ」と、その背景にある力には、本当に感心させられます。そうだ、私も、立ち止まらずにススメ! と気を取り直しました。

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新サロン日記 9月23日 「無知の知」
       http://ameblo.jp/n-salon

この間、いろいろな分野で様々な困難の状況にある人たちを支えている方たちに会っていますが、それまではよく知らなかったことがたくさんわかってきます。

けっこう、いろいろなことを見聞きしたり、知る機会、学ぶ機会があって、それなりにいろんな現実を知っていると思っていましたが、所詮、自分が知っていることなんてほんのちっぽけなことなのです。

何でも知っている、これだけ知っているなんて思ってしまったら、人を応援する仕事なんかできないのではないかと私は思うのです。

 

 

ソクラテスの「無知の知」とは実にすごい言葉です。人間は何もかもすべてを知ることなんかできないのです。

それをあたかも知っているかのように思ってしまえば視野が狭くなったり、思いこんでしまったり、対等な人間関係を結べなくなったりします。   

                
以下略

 

 

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あれがない、これがない、誰の責任だ? 行政が悪い、 と言っていないで、ないものは自分たちで作りだす!!     日置さんと彼女の仲間たちは今までずっとそうしてきましたが、今後の活動が、さらに楽しみです。

日置さんたちとのコラボの「まじくるフェスタ」を東京・多摩地方で来年2月に開こうという話があるのでなおのこと、です。     
NPO法人 地域生活支援センターネットワークサロン
地域起業創造センター まじくる
地域パーソナルサポートセンター えにぃ

「えにぃ」は、内閣府モデル事業を受けて運営されていますが、全国に(福祉分野で)この「パーソナルサポートシステム」の取り組みが広がることを、私は待望しております。

高齢者分野では「あっ!」という間に、ケアマネジャーという、一人の人をマネージする制度ができたのに、障害分野では、遅々たる歩み。保護者の負担はちっとも軽くなっていない現実。

 

必要だから作っちゃえ!  には、えらく大きなエネルギーが必要だと思います・・・・・。誰にでもマネできることじゃなく。

 

北海道・釧路の “あの”「マザーグースの会」の創立者であり、現・代表でもある堀口貞子さんがLD学会そのほかの用事で上京。

会場近くの茗荷谷のイタリア料理屋さんで、ランチのデート。釧路勢3名、狛江勢3名。

堀口さんの弾丸トークは 猛暑の東京でも健在でした!!

トークの内容は、「ごく、当たり前のことが通るこの国にしたいね!」という、きわめて真っ当なこと。

まさに「ガッテン!! ガッテン!! ガッテン!!」の連続。

ガッテン!内容については「コロボックル通信」をどうぞご覧下さい。

あ、そうそう、「マザーグース便り」88号にも書いてありました。

釧路は、スゴイ!!
 ↑↑


クリックすると拡大します

「マザーグースの会」の設立趣意書にはこう書いてあります。(1993年)
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「子どもの健全な育成と幸福を願う気持ちはおそらく総ての親に共通なものではないかと思います。もし、その子どもに何らかの障害があったとしたら、その思いはことさらに強いものであるかもしれません。

 我が子の成長に、何か他の子との違いを感じた時、親の抱く不安は測り知れな いものがあります。そんな時、母親が(あるいは両親が)自分だけで不安に打ちひしがれることなく、誰かに相談できたり適切なアドバイスが受けられたら、その心の負担はいくらかでも軽くなるのではないかと私達は考えています。

 子どもにどんな障害があろうとも、いえ障害があろうとなかろうと、親が明るく前向きに暮らしていけたら、そして子育てを楽しむことができたなら、それがきっと子どもにとって一番良い環境となるのではないでしょうか?

 この『マザーグースの会』は、すこやかな子どもの成長を願う親達と、それを 応援する人達で作るサークルです」。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜20年の時を越え、この会は 広がりこそすれ、全くブレることなく持続してきました。

すごいことです。

堀口さん&釧路の仲間のパワーに敬意を表し、元気をもらい、帰宅しました。

堀口&釧路の仲間の一員でもある、北海道教育大釧路校の二宮信一さんグループも偶然同じお店でランチ中。二宮さんともほぼ一年ぶりにお会いしました。

二宮さんといえば、新しい本が出ています。「児童理解からはじめる学習指導」(明治図書)

まだ手元に届いていないので、紹介できていませんが、二宮さんの本なら「マチガイナイ!」と思います。

 忙しい、忙しい、と言いつつ、川崎で上映中の映画『人生 ここにあり!』を見てきました。
7月から公開されているので、ロードショーはそろそろおわりです。
映画公式サイト   http://jinsei-koko.com/


精神障害の人たちが作る「協同組合」が、家の床貼りを仕事として、大小の失敗を重ねながら「地域で」「自分たちの力で」生きることを選び取ってゆく話です。

 何も知らずに、その「協同組合」にかかわることになった、組合運動の闘士ネッロが、「当たり前の感覚」で組合員たちとかかわってゆく姿が描かれます。

 実話をもとにしているということで、臨場感もたっぷり。 協同組合には「社会連帯協同組合」という名前がつけられたそうです。字幕がでていました。

世の中は連携、連携、の大合唱ですが、「連帯」といってみたらどうかしら? などと思ったことでした。

  9月11日(日)、十勝の仲間にお招きをうけて、久しぶりに北海道・帯広に行くことになっています。いただいたお題は
『この子たちをよろしく 〜〜 支援ネットワーク はじめのいっぽ』
  
主催は、十勝ADHD&LD懇話会

「この子たちをよろしく」は、東京都自閉症協会機関誌の特集の題、
「はじめのいっぽ」は 全国難聴言語障害教育研究協議会の毎夏のセミナーの愛称。
パクってすみません。でも、私が考えることと、ぴったりのことばなので。

さて、帯広では、私が狛江で、どんなふうに、ネットワーク作りにかかわってきたのか話すことになっていて、これまでの10年ちょっとを振り返っています。

願い続ければきっとかなう
続ければ必ず仲間が現れる
ものごとは、時と人を得ると思いがけない展開をする
         そんなことを、思いました。

私たちSTは、一対一での対応で、お子さんたちを応援しようとする職種です。ですから、自分たちで見届けられない時には、外に引き受けてくれる人や場を見つけなければなりません。

そのために、確かに、私は(初めての人に会うこと、初めての場所に行くことが、こんなにキライなのに)いろいろな機関に
突撃訪問して、「こういう子、受け入れてもらえますか?」「あなたの所はどんな子を引き受けてくれるんですか?」と聞いたなぁ・・・・・・・・

それがきっかけで、今も、親しい交わりが続いている人たちや機関もいろいろありますし、結果的に、顔の見える連携、ネットワークは進んできた、と思います。

別に私が特別だったわけではなく、自分の後ろにいる「困っている子」「困っている親」を何とか支えてあげたい、と思う人なら、誰でもやることなのだろうと思います。
狛江という町の規模と、人の気風とが、それを可能にしてくれたことも大きいですが。


ナントカ連絡会議、とか、ナントカ連携会議、とか、いくら立ち上げても、形ばかりの「連携」になってしまうことが少なくないと聞きます。
「形」からじゃなく「思い」をつなぎ、育てて行きたいものです。

サンテクジュペリの「星の王子さま」の中で、キツネが王子さまに言うことばがあります。
「心で見なくちゃ ものごとは見えないってことさ。かんじんなことは、目にみえないんだよ」 と 「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ」

めんどうみた(=1回でも面談した)相手のすべてを覚えていることはできませんが、でも、問題の大きかった人、気がかりの大きかった人については、いつまでも、「気にかかっている」のは事実。「気にかけ」つつ、自分以外のところに「めんどう見て」くれる人(や機関)を探すのも、大切な支援のあり方の一つだよね・・・・と、思います。

 大きな被害を残して台風が去ってゆきました。
講演にお招きいただいたり、連絡を取ったことのある近畿、中国地方のいろいろな地名がメディアで報道されます。和歌山県の田辺市、那智勝浦町、みなべ町、奈良県の五條市、岡山県真庭町などなど・・・・

どの町にも熱心な保健師さん、「ことばの教室」の先生方、特別支援教育の関係者、子育て支援に取り組む地域の人々・・・がおられ、知り合いになりました。

全国各地にお招きいただけばいただくほど、知り合いがふえ、その分、このような災害のときに「大丈夫だったかな?」と心配になる人がふえます。台風にかぎらず、震災、原発事故なども。
お一人ずつに連絡を取ることはできませんが、みなさんのご無事と、早い復旧、復興を祈ります。



今日は、用事があって、錦糸町に行きました。
入った建物の窓から「あの」スカイツリーが見えました。
思わず、一緒にいた人に「あ! スカイツリーだ! 私、生まれて初めて見た!」と大興奮して言いました。

一緒にいたのは、STになるための養成校の時の同級生。もう40年来の付き合いの友人なので、私のこの大げさな物言いにも、引いたり、動じたりすることなく、「ああ、ほんとだ」と合わせてくれました。感謝、感謝。

私は生まれてから60年以上たっている。対してスカイツリーは生まれてから1年足らず。なので、「生まれて初めて」は、「スカイツリーが生まれてから、初めて」っていう意味の方が、妥当だったな、と反省。

錦糸町にいらっしゃることがあったら、駅のまん前、丸井の8階、「すみだ産業会館」に登ると、スカイツリーがよく見えますよ。

調布に仕事に行くバス通りの街路樹は今、ピンク、白、そして紅の花が満開です。花を表現するのに「枝もたわわに」ってはあまり言わないと思いますが、花の重みで、枝がしなうほど満開です。

植えられているのは調布市の市の花に指定されている「百日紅」。  
百日紅。ヒャクニチコウ。
とっても美しい漢字の名前ですが、一般的な名前は「サルスベリ」。幹がつるつるで「サルもスベル」に由来するとか。

私が小学生時代をすごした広島の家の庭にもサルスベリの木がありました。花が咲いてた記憶はないのですが。夏休みに、姉と私で「ほんとにサルもスベルのか?」と、登る練習をしたことがあります。
3歳ちがいの姉は、幹の途中まで登れるようになりました。私は登れるようになりませんでした。
確かに、幹は、見た目以上につるつるで、手がかりというか、足がかりがありませんでした。

バス通り沿いのサルスベリの花を見ながら、「幹はつるつるしてるのよねぇ」と思えるのは、そんな実体験に裏づけられているからだなーと思います。
このトシになると「登る練習してみよう!」とは到底思えないので、やっぱり、発達途上の“その時期にしかできないこと”を、せいいっぱい、やってみるのがいいな、と思います。

「とうめい」(透明)、「すきとおった」って、語感が好きです。

今、東京・原宿で 透明な展示会が開かれていると教えてもらいました。
新世界『透明標本』展    31日まで 東京・原宿ですって。

暑いし、忙しいし、やむをえない仕事以外は、どこにも出かけたくないけど、キレイなものを見にだったら、行こうかな、と考え中です。

 今年の2月に日置真世さんのブログ「新サロン日記」のことを書きました。
その後、自分のことに忙しく、ヒトサマのブログを読むヒマもろくろくなかったのですが、ここに来てまた、ちょっと読んでみたりしてみました。
北海道大学の助手はお約束期間が終ったとのことですが、少しはヒマになるかと思いきや、相変わらず、過激に元気そうな活動ぶり。

一方、狛江でも、遅ればせながら自立支援協議会が立ち上がり、赤塚光子先生というすばらしい方を会長に得ていろんなことが回り始めています。

また、活動が低調だった市民福祉推進委員会も、狛江市障害福祉計画の策定のために「障害作業委員会」を設定して、土日を使って4時間の会議やヒアリングを連続して行うなど、活発に動き始めています。両方の会議に関わる身としては、ちょっと忙しいですが、でも、市内のいろいろな人たちの顔の見え方が今までと違ってきた実感があり、「今度こそ、何かが動くかも、動かせるかも!」という期待が自分の中でも高まりつつあります。

なでしこジャパンも言っていた「夢は見るものではない、かなえるもの」ということば、私も大好きですが日置さんのブログを読んで、再度「夢はかなえるもの」「強く願えば必ずかなう」「みんなで願えば なお    かなう」と思いました。

もっとも、ちょっぴり涼しい日が続いたので、こんなこと、思えるのかもしれません。
33度を越えると、ハァハァあえぐだけで、何もしたくなくなります・・・・。 
真夏でも最高気温が15度だの20度だのという釧路の天候は信じがたいです。

今日はとてもうれしいことがありました (^_^)v

いえ、そんな、大したことじゃないんですが・・・・・・

コンビニで、おせんべいやソイラテなどを買い、レジで小銭を用意して待ったところ、「ちょうど1000円です」とのこと。

数字の大好きなナカガワとて、思わずレジのお兄さんに、「あら、うれしい。1000円ちょうどなんですね」と話しかけました。お兄さんは、商品を袋に詰めながら「ちょっと、うれしいですよね」と言ってくれました、
きっと、同好の志。
「めったにないですよね、こういう、ちょうどの数字って!」と言いつつ、とてもうれしい気持ちで家に帰りました。

ちょうど、その直前、別のお店での会計が金額1985円でした。
1000円札を2枚出せば15円のおつりですむものを、ついついクセで2085円出して100円のお釣りをもらったのでした。
「ちょっとこだわりすぎたかな・・・」と反省したところだったので、ポッキリの数字が出たことが、常よりもうれしかったのでした。

 

 教育委員の楽しみの一つは、毎月の「学校だより」の全10校分(小学校6校、中学校4校)を届けてもらえることです。学校のカラーや校長先生、副校長先生の気持ちがよくあらわれていて、読むのが楽しみです。

7月号の記事をそーっと転載します。

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子供たちの気持ちを大切に
         ○小  副校長  鬼村 哲志


 昨年、校内を巡回していると、4階のトイレに大きなカエルがいました。
予想外の場所でカエルに遭遇したので大変驚きました。
調べてみると、6年生の教室から逃げ出したカエルであることが分かりました。

子供たちは時に、大人が想像しないような行動をとることがあります。
しかレ、ただだ怒るのではなく、子供たちの話をよく聞き、なぜそのような行働をしたのか聞いてあげることが必要です。

私か教師になったばかりの頃、3人の男子が水槽にヘビを入れて学校に持ってきました。 家で飼えないので、学校で飼いたいとのことです。しかしヘビはヘビですから、学校でも飼えないと断ると、わずかな期間でもいいから学校において欲しいと頼まれました。
仕方なく、その週だけ男子更衣室に置くことを認めました。


それから2〜3週間後、ヘビのことなど全く忘れて職員室て採点をしていると、用務主事さんが職員室に飛び込んできました。
「教頭先生、大変だ!ブールの更衣室にヘビがたくさんいます!」

急いで更衣室に行くと、10匹以上のヘビが更衣室を這い回っていました。事の成り行きを理解した私は、このヘビは私のクラスの子が持ってきたものであることと、すぐに処分することを説明しました。
そして、子供たちを読んで話を聞くと、私が更衣室て飼うことを認めてくれたので、毎日放課後河原にヘビを捕まえに行き、捕まえたヘビをせっせと更衣室の中に放していたそうです。
子どもたちにはこれ以上更衣室でヘビを飼うことはできないこと、ヘビにとって更衣室より自然の中の方が幸せであることを話しました。
子供たちは、捕まえた場所にヘビを放すことを納得してくれました。
その日の放課後、子供たちとヘビを持って河原に行きました。
水槽の蓋を開き、逃げて行くヘビを3人はずっと見ていました。
おそらく3人は、目を輝かせてヘビを捕まえていたことと思います。
そんな子供たちの気持ちを大切にしてあげたいと思ったことを今でもよく覚えています。

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自分をかけがえのない存在、価値ある存在として肯定的にとらえる気持ち
              ○○小   校長 尾川 光男 

「情けは人のためならず」とは、他人にかけた情けはいずれ回り回って自分に戻ってくる、と言う意味です。 さて、電車・バスで座っていたとき、杖をついたご年配の方が目の前に、いえ、数メートルでも近づいてきたら、私は、即、席を譲ります。何が何でも譲ります。
これは「とても、良いことをした。」と私がとても気持ちよくなるからです。
「やったね!少しはオレ、かっこいいじゃん、やるじゃん。」(心の中の言葉ですので実際には表現しませんよ、念のため。)となり、心が軽くなり多少の精神的な疲れはこれで吹っ飛ぶのです。

まあ、あっさり言えば、自分自身に自惚れて爽快感を味わっているのです。

学校でも、指を押さえている子どもには「怪我をしたのかな?」草をもっている子どもには「どこでとったの?」悲しそうな子どもには「何か心配事でも?」・・・・・ これを続けたところ、子どもたちにこう言われるようになりました。「校長先生って、やさしい!」 

こうなると止まりません。子どもを誉めまくっています。結果的に「自己肯定感(自分の存在が世の中のためになっている感覚)」全開になります。 

 

もっとも、これは、教師であれば担当している子どもには一日一回は行っていることです。カウンセラー、教師、コーチ等、他人に何らかの援助や賞賛の言葉がけをしている人たちは「自己肯定感」が高まり、自分のことを愛せる人間になっている確率が高いようです。

反対に、ひとり閉じこもって生きている人(不登校の子どもたちをさしているのではなく、どのような方法で社会と繋がっていいか分からない大人の人たちのことです。)は「自分は幸せだなあ、いいことしよう。」と思えないわけです。

また、他人をいじめる人は、いじめて快感に浸るより、心にチクリチクリとした罪悪感を伴っているでしょう。すると、だんだん自分以外の関係のない人間を敵視することになり、巡りめぐって「自分白身を敵視すること」にもなります。

他人をいじめ、他人を敵視する人は、回り回って、いつの間にか「自分自身を傷つけている]ことになるのです。

自己肯定感を育てる場面は学校よりも家庭・地域で多くあります。

また、保護者の何気ない一言で一喜一憂している子どもたちの繊細な心をじっと理解する夏休みにしてください。

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子どもたちの「気持ち」や「育ち」を、こんなふうに大切に思う方たちが管理職でいてくださること、狛江の子たちはラッキーだな、て思います。  

 

  大震災、政治の迷走など不安定な中、障がい者制度改革は、粛々と進められようとしているようです。
今年2月に続き、6月30日に開かれた「障害保健福祉関係主管課長会議」の資料がWAM-NETに掲載されています。

  障害福祉課・地域移行/障害児支援室の資料は全部で124ページありますがそのうち26ページから92ページまでが障害者自立支援法、児童福祉法等の改正に関するもの。

主な内容は、「相談支援体制の充実」「障害児支援の充実」「同行援護の実施について」です。 

それぞれの自治体で、どのようにこれを具体化できるのか、準備を始めなくては!

上記資料をもとに、厚生労働省が意見募集をしています。
期間は23年6月30日ー7月29日までです。
  

  市内の小中学校の特別支援教育の巡回訪問が続いています。

支援システムが整備されてきて、先生方の子ども理解は大いに進んできています。 最初のころは、校内委員会での協議が終ってから帰る道すがら、専門家チームの面々みんなで「はぁ〜〜」とため息をついて解散していたっけ、となつかしく思い出します。

 最近は、どの学校で、どの学級でも、工夫された板書、配慮された発問、子どもの気持ちを支える声かけ、など、先生方の「よい所」がたくさん見つかります。

 でも、いくら少人数クラスとか、習熟度別に分けても、勉強で苦戦する子どもたちはいます。
子どもによって理解度が違うのだから、その子にあわせた進度で進んでいいのであれば何の問題もないのに、一斉に進まなくてはならないから苦しくなっちゃうんです。
分からないというイライラが募るから、トラブルを起こす結果になってしまう。
本来は、いい子たちなのに・・・・

 先日など、校長室での協議が終ったあと、思わず「勉強に向いてないんなら、勉強しなくてもいい、って言ってあげたいですよね〜。農作業とか、動物の世話が好きだっていうんだから、そういう方面に早く進ませてあげたいですよね。力を発揮するでしょうに」と言いましたら、居合わせた先生方と、専門家チームの全員が「ほんとに!!!」と、ものすごく強く同意して下さいました。

6月13日、「すくすく子育て」の収録が無事終りました。一年ぶりにお会いする担当の面々もお元気で、うれしかったです。

テーマは「ことばの発達」

大きくてあったかい照英さんと、やさしいつのだりょうこさん とのペアによる司会はもうずいぶん長く続いている気がします。

放送は  7月2日(土)  午後9時ー9時29分
再放送  7月8日(金)  午前10時30分ー10時59分

  
    

  6月13日にNHK教育テレビ「すくすく子育て」の収録があります。
これで何回目かしら?7回目?初めて出演したのは、2002年、平成14年5月だったと思います。本当に緊張しました。その時のビデオは、ゼッタイ見たくないです!!
でも、人間、成長するもので、今回は、「あ、はい、分かりました」といとも簡単に出演をお引き受けしました。私自身のふるまいのできばえはともかく、スタジオの進行にまかせておけば、番組ができるってわかっているからです。

9年前のそのころ、私は子どもの発達に付き合っているST(言語聴覚士)60名ほどによびかけて「子どもの発達支援を考えるSTの会」(略称 子どもSTの会)を立ち上げたばかりでした。
NHKに出演することを子どもSTの会メーリングリストに流したところ、お仲間の方たちがとても喜んでくれたものでした。STなんていうマイナーな職種が、公共の電波に乗るのがうれしい、ナカガワがんばれ!と。
私自身はその後、「はじめて出会う育児の百科」(小学館)に参加させてもらったり、育児雑誌の取材が多くなったり、小児科のジャーナルのいくつかから原稿を依頼されたり、活動範囲も大きく広がりました。

子どもSTの会は着実にお仲間が増え、現在は全国に750名以上を数えるようになりました。
今なお、ST(言語聴覚士)の世界では、圧倒的多数が成人対象に医療の分野で働いていて、子どもをみるSTは肩身の狭い少数派ですが、この「子どもSTの会」があるのが支えだと会員のみなさんが言ってくださいます。

この「子どもSTの会」のメンバーの一人で気仙沼在住の方を核に、東北大震災で被災してST指導が途切れてしまっているお子さんへの支援、具体的にはST派遣ができないだろうか、ということを、今、模索しています。「仲間で」「支えあう」ことができたらいいな、と思っています。

自慢になりますが、この「子どもSTの会」のメーリングリストは、開いてみるといつもあったかい気持ちになるような情報や意見で満たされています。
もともとリハビリテーションを志すような人たちには、ある一定の傾向があるからかもしれません。

人は、自分のために行動するときよりも、人のために行動するときや、人に期待されて行動するときのほうが力が出たり、親切になれたり、元気になれたりするのではないか、人って元来、そいういう「類的存在」(浜田寿美男先生のことばですが)なのではないか、と、この「子どもSTの会」を見ていて思います。

「子どもSTの会」は、私のよりどころ、です。

台風襲来が予想されていた先週末、約束ずみのかけもち講演で、博多から名古屋に移動する必要があり、京都に泊まることにしました。

新幹線で京都駅についたとたんに観察したのは、人が歩く速さです。
よかった。やっぱり、ゆっくり歩調だったわ。
京都駅を歩いているのは、何も、京都の人ばかりではないでしょうに、東京の人みたいにせかせか歩いている人が少ないんです。

OT(作業療法士)実習で、2ヶ月ほど京都にいたことのある次男も、「四条烏丸あたりの金融・ビジネス街近くでも、急ぎ足の人をほぼ見かけなかったなぁ」と以前、面白がっていました。

昨日は、別の用事で渋谷・恵比寿を通ったのですが、こちらの方たちは決まってみんな、せかせか歩いていて、のろのろペースの私はとても疲れました。

私が頼りない代表をつとめる「サポート狛江」が主催した「むいからで遊ぼう!」(5月21日 土曜日決行)は、晴天に恵まれ、862名の親子での来場者がありました。
ミニSLも大人気で560名以上の親子さんが乗りました。

古民家園というしつらえは、なんともいえないまったりした居心地のよさを演出してくれて、親子連れがのんびりとすごしている姿に、ほのぼのしました。

事前準備、当日の打ち合わせ、当日の会場整理等々、抜かりなくやってくださるメンバーあってのことで、私は、何だか、ただただ感心していました。

ミニSLは、個人でミニSLを作って物置に保管していて、依頼があると出向いていって走らせる・・・・・という方が市内におられ、その方が、たまたま、お子さんを通じて「サポート狛江」メンバーと知り合いで・・・・・という関係で実現した話でした。

おまけにサポート狛江メンバーのママ友で、「SL 命!」の方がそれを聞きつけ、その方のダンナさんは私鉄の運転手さんで、その運転手さんつながりで地下鉄の職員の方が家族で助っ人に入ってくれて・・・・てな具合に、どんどんセンモンカの輪が広がって、大盛り上がりでした。

さすが本職の方の会場整理のワザは大したものでしたし、ご自分で用意された切符に一枚ずつ「チョキン」とはさみを入れて、「出発進行!」などなど、ほんとに楽しい企画でした。

5月21日はカンカン照りで、まるで夏のような暑さでした。

私は場面緘黙のお子さんについての相談を受けた以外は、その辺をぶらぶらしていて、砂ぼこりを押さえるために、ジョウロで水を撒いていました。

障がいのある子と障がいのない子を分けないで、ともに「子育て支援」の枠組みの中で、必要な支援の濃さ・薄さで考えて行きたいというのがサポート狛江の理念ですし、方向性としては全く正しいと思いますが、それを実行するには、労力がたくさん必要だということを痛感しました。

新知見の一つは、(又聞きですが)地下鉄の職員の方が「いつも地下で暮らしているから、こんなに日に当たると大変だぁ」とおっしゃっていた、という話でした。

ほんとに、世の中には、自分の知らない世界がたくさんありますね〜。

吉田拓郎 と言っても知らない人がふえたのでしょうか。

私は吉田拓郎の「声」の説得力がとても好きで、アルバムから選んだ曲をi-podに入れて持ち歩いています。特に好きな曲が何曲かあるのですが、そのうちの一つが「流星」です。
   「たとえば 僕が 間違っていても  正直だった悲しさがあるから 流れてゆく」
   「確かなことなど 何もなく、ただひたすらに 君が好き」
   「流れる星は 今がきれいで ただそれだけに悲しくて・・・」 
などのフレーズ、いつ聞いても、身に、心にしみます。 
YouTube  吉田拓郎 「流星」

「流星」のカバー曲が最近CMで流れていますね、リコーのCM。
手嶌葵のカバーです。  ⇒YouTube「流星」 手嶌葵カバー

拓郎の歌を女声で聞くことがあるとは思いませんでした。好みはいろいろありましょうが私は好きです。若いのによくぞここまで歌えたな、と、感心しました。

若葉の美しいこの時期、例年、いろいろ考え込むことも多く、今年も同様。 「たとえば 僕が間違っていても・・・」ていうか、よかれと思っても、間違ってしまうことの多い人生。

「正直」であろうとしても、「正直だからいいだろ?」とばかりも言えなくて・・・。
人が作っている世の中は、難しいですね。
単純な二分法で考えていた若い頃がすこし懐かしかったり、苦かったり。


ちょっとおかしかったのは、Wikipediaの吉田拓郎の項目がダダ長くて、管理者からのコメントがつけられていたこと。
この項目は過剰な加筆が行われ、読みにくくなっています。あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。これ以上の内容の増大は歓迎されません」ですって。
管理者にとっては「重要ではない事項」かもしれませんが、そのアーティストを好きな人にとっては「最重要事項」なんですよね、きっと。

  調布の飯田先生は、「自閉症は漢方でよくなる!」の本の出版以来、一躍、超・多忙になってしまわれました。毎日のように、全国各地から電話がかかってきます。
  新患は、月・水・木の午後の診療時間(2時ー4時)に毎日2人ずつの予約制になっています。2ヶ月近く先までいっぱいです。それを知らない近所の患者さんも午後の時間にはいらっしゃるので、混むときはえらい混み方です。

  先生に「夜なら(6時ー8時)空いてますよ」と言われたので、私はもっぱら夜にお薬(花粉症の)をいただきにいっています。何しろ、近いですからね。自転車でいけます。

  先日は、GWの谷間だったこともあるのか、昼間の混み方がウソのように夜はガラガラでした。というより私一人しかいませんでした。
飯田医院に着いたのは7時10分でしたが、飯田医院を出たのは9時50分!!
いつも、1時間はらくらくおしゃべりするとは言え、2時間40分のおしゃべりは、新記録!!

飯田先生は、話題の幅が広く、発想が自由で、お話を聞いているとほんとに楽しくなります。
先日は、「エネルギーにあふれる若者と、生命力が極度に衰えた高齢者とを、電線で結んでエネルギーの注入・交換ができないかと考えて、実際に実験してみた」というお話でした。ほんとに、そういうこと、あるらしいです。いやはや。

お話の中にアスペルガー教授が日本に来たときの話とか、自律訓練法の日本への導入の際の話とか、まさに“歴史の生き証人”の証言、て感じのお話も多く、私が一人で聞いているのがもったいないみたいな気持ちがします。

飯田先生は、「快活」ということばがよく似合うお医者さんです。
「困ったもんです」とか言いながら笑っておられます。(あ、もちろん、診療中はとても真剣ですけど。)

こういうシチュエーション、前にも経験したことがあるな〜と思っていたのですが、思い出しました!!
私が師と仰ぐ故・三木安正先生(旭出学園の創設者)が、こんなふうでした。
「いやー、困ったよ、お金がないんだ(施設を広げるための)」とか、「原稿書かなくちゃならないんだけどね〜」と、ちっとも困ったふうではなく、顔はいつも、笑っていました。

三木先生が亡くなられたのは1984年。もう30年近くなるので、三木先生のことをご存じない方もふえましたが、飯田先生は三木先生とどうやら、意気投合する仲だったらしいです。やっぱりね・・・・・。
そうそう、三木先生の命日は、私の父と同じ5月31日。
私にとって、輝く若葉が風にゆれ、つつじやハナミズキの咲くこの美しい季節は、悲しい記憶と重なりあっています。

飯田先生のところに行った帰り道は、何だか「陽気」をもらったような気分になるのが不思議です。「電線でつないでエネルギーの交換」をしたわけではないのにね。
花粉症の時期が終わるのが残念です。
花粉症以外の病気を見つけて、漢方薬をいただきに行く口実ができるといいのですが。

  今日は小学校の入学式でした。お祝いのことば(告辞)を述べに行くのが教育委員の仕事です、例年どおり。

  一年生が緊張の面持ちで入場してきます。着席すると足が床につかないのでぶらぶらしちゃうのも、例年どおり。

 教育委員会が用意してくださる告辞が少々長めだったので、読み始める前に」ちょっと長いけど、最後まで聞いてくださいね」とことばを付け加えました。

  「ご入学おめでとうございます」という部分を読むと、「ありがとうございます」とかわいらしい声でお返事があります。  「いいご挨拶ができますね!」と思わずアドリブ。これも例年どおり。

 先輩である2年生が、縄跳びや、楽器演奏や、本を読むのお手本を見せてくれたり、「給食はおいしいよ〜」「体育も楽しいです」などと、元気な声で話しかけてくれました。たった1年で、こんなに成長するんだな〜と感心しました。例年どおり。 参列した保護者の間から、惜しみない拍手が送られました。

  そして、式が終わって一年生がほっとしたようすで退場。みんなで拍手。 それに続いて私たち来賓も退場です。それに対しても、保護者席から拍手。

教育委員になってから入学式は7回目。 でも、拍手に送られて退場する入学式は初めてでした (#^.^#)

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