2011年04月20日

こんなにすごいわらべ歌の効用

赤ちゃんに、どういうことばかけをしたら、ことばが伸びますか?
年じゅう、若いお母さんたちにそう質問されます。
「楽しく遊べばいいんですよ」と言っても、遊び方を知らない方が多くて。

で、、「一緒にやってみようと、わらべ歌や手遊び歌で遊んだりしています。
理屈っぽいSTらしさを出すために、解説つきで。

その内容は、「月刊  地域保健」連載 バックナンバー 2007年8月号「ことばを育てる遊び方教室」(2)で紹介しています。

各地で、保育士さんや保健師さん対象の講演会で、この「わらべ歌の効用」のお話をすると、ぜひ見たいと言われることが多いので、今回アップしました。

わらべ歌 27.JPG   
pdfファイルはこちら ⇒ 000わらべうたの効用  1ページにまとめ.pdf

なお、「どんぶらこ」のメロディはご存じない方があるかもしれません。湯浅とんぼさんの曲です。
楽譜は「0・1歳児のふれあい歌あそび(手あそびあやし歌で楽しくスキンシップ!)」(塩野マリ編著 ひかりのくに)にも掲載されています。
歌そのものは、「育児ラジオ へそのお.com」第75回で湯浅さん自身の歌が聞けます。
17分42秒あたりから2分間ほどです。

私たちは、これより、もっともっと遅いテンポで歌っていますが。

 

2008年10月12日

NPO法人福祉ネット「ナナの家」会報 19年3月号 中川信子 i縁n 狛江

福祉ネット「ナナの家」 19年3月号会報に掲載された、中川信子へのインタビューです。

福祉ネット「ナナの家」のホームページはこちら

会報19年3月号インタビュー

 

<人が幸せになるために>

皆河:今日のお客様は、狛江が大好きとおっしゃる言語聴覚士(ST)の中川信子先生です。どうぞよろしくお願いします。ところで初めに自己紹介をお願いできますか?

中川:はい。生まれた所は狛江でなく世田谷です。その後九州の大牟田市で9歳まで過ごしました。そして広島県(大竹市)、世田谷を経て狛江に来たのは昭和57年です。

皆河:昭和57年からというと、1/4世紀ほど狛江在住なのですね?お子さんはいらしゃいますか?

中川:2人です。31歳と27歳の男の子。二人とも幼稚園や保育園のお世話になり、その後旧八小に通いました。私は子どもが3歳までは手元で育てたいと完全退職したのですが、子育てだけの毎日にはもううんざりして、非常勤の仕事を始めました。それでも子どもにはしっかりと目を向けたいと思っていましたので、PTAなどやりました。お母さんの立場でいろいろなことが見え、その頃知り合った方たちにいろんな意味で支えられました。バリバリ仕事だけしていたら、全然地域が見えなかっただろうなーと。

皆河:先生は大学生になる頃からSTを目指していらした?

中川:全然!私は元々悩み多き少女だったので、「人は何のために生きるのか?」みたいな問いの答えが見つからない以上生きていけない・・・なんてすごく思っていました。たまたま高校時代の歴史の先生がカウンセリングを勉強していて、授業の中で話されるカウンセリングの内容に、そういうことをやれるなら私もちょっと楽しくなるかも知れないと思い、大学で心理を学ぶことにしました。その当時佐治守男さんという方がロジャースの“受容的な面接療法”を日本に紹介されていて、とても関心を持ちました。その大学は文学部にも教育学部にも心理学部がありましたが、三木安正という先生が「教育学部の心理は人の幸せのためにある」と説明されたので、迷わず教育学部に決めました。三木先生は旭出学園養護学校で障がい児教育を行っていらした方です。

皆河:その学校はどこにありますか?

中川:練馬区です。

皆河:そうですよね?!マカトン(イギリスで始まった知的障害児のための手話)の講習を行っている学校ですね。「ナナの家」からもスタッフと数回通いました。

中川:もともと徳川家のお屋敷の中に寺子屋のようなものを建てられ、そこに小学部、中学部、高等学部・・・と。

皆河:やっぱり必然的に広がっていったんですね。

中川:必要に応じて創られていった学校です。私の最初の職場体験は旭出養護学校だったんですよ。

皆河:そうですか。

中川:小学部の自閉症の子についていたこともあります。本をパラパラパラって。何でそういうことをするのかなって、訳わからずに付き合って。三木先生が授業の度に「旭出の子はこんなに面白いんだよ、楽しいんだよ。」と話されるので、「じゃ、やっぱりそこしかないか。」って就職しました。

皆河:哲学的少女にしては、とっても素直ですね。

 

<ジャンヌ・ダルクに憧れて>

中川:大学ではちょうど大学闘争のさ中で、卒業も6月。心理の勉強も余りしていませんでしたから。

皆河:ちょうど‘70年安保の頃ですね。

中川:「正義と平等を貫ける社会にしなくては・・・。」と考えていましたから。あの時代はノンポリでない限りいやおうなしに大学闘争に巻き込まれて燃えていったと思いますね。

皆河:私にとって、先生はどちらかというと“楊貴妃”のイメージだったんですよ。あの玄宗皇帝が国が傾く程愛した女性。でも今のお話だと“ジャンヌ・ダルク”ですね!

中川:そう!ジャンヌ・ダルクになりたいと思っていました!大学闘争の中でいろいろ考えましたね。闘って叩きつぶして勝ち取るのが正しいんだろうか・・・って。世の中には不正と不平等がいっぱいあって、特に障がいをめぐっては本当におかしいんじゃない!ってことがいっぱい。それで自然に障がいのあるのある子どもの教育に向かった感じです。

皆河:そうですね。最も不平等の波をかぶっていますからね。

中川:それでも私が旭出学園に入った30年前は今みたいじゃなくて、例えば入ってくる先生も、養護学校に勤めるとバカが感染すると言われたり、妹の縁談に差し障るといって勘当されたり、親戚の手前顔向け出来ないといった発想が横行していた時代でしたから、それを考えれば30年でずいぶん変わりましたね。

皆河:そういえばそうでしたね・・・。

中川:ま、根本的にはまだまだいろいろありますがね。

 

<教育委員になって>

皆河:で、2年前になりますか?狛江の教育委員になられたのは?
中川:はい。16年の11月からです。早期療育の“ぱる”に関わっていたこともあってか、私の名前を覚えていていただけたのではないでしょうか?教育委員になると、月一回必ず部長さんや課長さん、指導室の方々と顔を合わせていろいろ話し合えるし質問できるので、これはラッキーという気持ちでお引き受けしました。

皆河:私は先生の就任を市報か何かで知って、教育委員会を身近に感じてうれしかった。何かが変わるなーって。だって息子の小学校の頃の教育委員会はひどかったんですよ。何度か傍聴しましたが。

中川:そうですか。皆河さんと初めに御会いしたのは保健相談所の“麻の会”の集まりでしたね。こういう人がいるんだ・・・と思いました。ちょうどその頃息子さんが小学校を移る話を耳にしました。

皆河:どんな印象だったんでしょうね?もう16年程前ですね?私は先生の「ことばをはぐくむ」のご本が印象に残っていた頃です。あれはいつ頃書かれました?

中川:‘86年。

皆河:あの後も沢山ご本を出されたと思いますが・・・

中川:あの本以来、枝葉は変わっても根幹の思想的なことは全く変わっていないです。伸びるのは子どもさんだから、回りの人が上手にそれを伸ばしてあげようというスタンスです。親ごさんが頑張れるためには、回りの人は支えてあげればいい、と。

皆河:そこには地域の発想が既にありますね?そういえば教育委員会の目標の中に地域参加というのが唱われていますね。この頃回覧板に地域の学校のお便りが入っていて驚きましたね。

中川:初めは厚い壁があると覚悟して入った教育委員会ですが、入ってみたら、全体が前向きに動いていることがわかって来ましたし、必ず障がいのある子のことが視野に入っているのを感じますね。

皆河:それは息子の時代を思うと、画期的ですね。これは20年位前の話ですが、狛江には教育長がずっと不在だったんですよー!ようやく谷田部教育長、木村教育長が就かれて。あと、教育委員会のお便りが変わりましたね?わかりやすいし、調査もしっかりしているし、身近になりましたね。普通の人がようやく読めるようになった気がします。特別支援教育についても少しずつ載ってますね。今後は副籍についても調査や進行状況の掲載を期待していますが・・・。

 

<一緒に創る姿勢>

中川:これからは学校とか行政とか、それだけではいろんなことが立ち行かなくなっているので、やっぱり学校ボランティア、学校安全ボランティアとか市民の協力を得ながら一緒に学校を創っていこうという流れじゃないといけないと思いますね。

皆河:カウンセラーもいるんですよね?狛江の学校には。

中川:はい。教育相談室の教育相談員があたっています。今5人いて、必ずどこかの小学校に週一回はりつきで相談活動を行っています。中学校には東京都の予算でスクールカウンセラーが週一回入っていて校内の様々な問題や気になる子や先生方の相談に乗っています。

皆河:それは必要なことですね。

中川:普通どっかから来た人がボコっと入って個別に対応しておしまいですが、狛江の場合、小学校の担当の相談員は必ず教育相談室に集まり、情報集約して相談したり方針を立てたりします。相談員もそこでみんなに支えられ、また学校に行った時に頑張れるんです。

皆河:それはいいシステムですね!学校の先生にも、私たちのヘルパーステーションにも、訪問看護ステーションにも必要です。それにしても、先日「ナナの家」にいらした教育相談員の方々はとても素敵でしたね。昔は天下りみたいな、感じのよくない方たちでしたが。

中川:そうでしたね。今は臨床心理士や言語聴覚士。言語の窓口は、ことばが遅いとか発音がうまくいかないということから相談していただくのに、いい入り口だと考えています。学校に入ってみると様々な問題があり、それらをみな先生たちにやれっていうのは過酷すぎると思いました。先生を支えるしくみを作らないとならないと思います。

 

<あったかい教育>

皆河:うちの娘も今公立の小学校の教師ですが、大変そうですね。でも狛江はそれでも恵まれていると感じました。

中川:仲間うちだからというんじゃありませんが、恵まれています。教育委員会が学校の独自性を大切にしながら、指導・命令とか問題を起こした人を責めるという姿勢でなく、学校の先生たちが一番力を出せるためにどういう手助けが出来るだろうか・・・という発想でいろんなことを考えているのが見ていてわかります。あったかいんです。

皆河:(小学校)給食も自校方式だからあったかいし、自然も豊かだし。

中川:ま、小さいですからね。市内中の校長先生と副校長先生が集まっても全部で20人ですから。

皆河:そういえばある小学校の校長先生は生徒の名前を全員覚えていましたよ。

中川:そういう校長先生はほかにもいらっしゃると思いますよ。校長室に全クラスの子の写真が貼ってあったりして。巡回に行くとそれがわかります。顔が見える関係は大切ですね。

皆河:本当ですね。ところで今後の教育的課題はどんなことでしょう?

中川:就学前から就学に橋渡しする“就学支援シート”というのが2年前から始まったんですけど。

皆河:それ、私見せていただきましたよ。「ナナの家」に通うお子さんのお母さんから。とても詳しい内容でした。

中川:はい。これは保護者が中心になって各機関をつなぐ画期的な試みで、都のモデル事業として出来たんです。全校に校内委員会が出来たり養護学校(現・特別支援学校)にいる子が地域で交流できるようになったりとか、いろいろなことがしっかり進んできてはいますけど、まだ問題はいっぱい。幼児期の幼稚園とか保育園の巡回相談システムが狛江にはまだない。(※1)それがあればどんなに先生方が頑張れるかと思うし、療育相談、教育相談、子ども支援センター、児童館、公民館・・・と、相談窓口が沢山できたのですが、それらが互いにつながっていないので、相談窓口の一本化が大きな課題になっています。情報を集約できるシステムを作れるといいと思います。個々の支援ではプツンプツンって切れてしまうので。

皆河:それは地域社会の資源になっていくでしょうね。集積されればいろんな人に他のケースが役立てられて。

中川:また、学校にも頑張って欲しいのですが、限られた先生と限られた人手の中で、これ以上頑張ってと言うには限界があります。これからは市民の側がどう学校を応援していくかということもしっかりと考えていかないといけないと思うんです。市民からの働きかけという意味では、ある市役所の方が言って下さったのは、「市民がもっと上手に市役所を活用して利用してくれるようになるといい」って。「僕らの力には限りがあるんで、あれしてこれしてと言われてもなかなか応じきれない。一緒にやろうというスタンスが出来たらいいのになー」って。学校だけじゃなく、市も一緒になって育てていかないとならないと思います。

皆河:これからは、そういう方向に向かっていくんでしょうね。

中川:それには役所がもう少し敷き居の低い所になるといいですね。カウンターの内と外という感じじゃなくって。

皆河:私はまだ見ていないのですが、統合後の緑野小がカウンターというか、敷居の無い学校になっているんですよね?

中川:はい。職員室も全部ガラス張りで。

皆河:青写真を見たら、子どもたちの教室もフリースペースが多く、敷居がありませんね。これは息子が小学生の頃、既に大阪にはあったんですよ。狛江にもそんな学校が出来てびっくりしたんですが、自由な分却って落ち着かないんじゃないでしょうか?

中川:私もとっても心配しましたが、ちゃんとクラスごとのしきりは縦にあって、廊下は素通しなんですが、意外に隣の教室の声は聞こえないんです。障がいのある子にはどうかなーと思ったんですが、意外と良かったんです。ま、その時の授業にもよるかもしれませんが。ぜひ一度見て来て下さい。

皆河:はい。

中川:せっかく統合したのに、四小も七小も跡地利用がはかばかしくなくて・・・。

皆河:そうですね。中学校の方も統合見送りが教育委員会のお便りに載っていましたね。ところで今日のインタビューの中で、先生は私の中で“楊貴妃”から“ジャンヌ・ダルク”と変化して・・・、この次先生は何になりたいんでしょうか?あるいは今後の抱負とかありますか?

 

<私は糊になりたい>

中川:なりたいのはノリですね!

皆河:えっ、ノリ?糊?

中川:はい。私は福祉の側では“ぱる”にもいるし、健康課(現・健康支援課)にも関わりがあります。教育委員会にもいるし、学校にもいろいろ出入りしていたり、いろんな所に行ってます。ある立場のことを他の立場の人へスポークスマンみたいな感じでプラス情報でつなげ、互いの警戒が溶けて仲良くしていくための“糊”になれたらすごくうれしい。

皆河:それはとってもむずかしいけど、うまくいくと良いですね。狛江では何人も障がい者団体をまとめようと努力された方がいらっしゃいました。保健所の所長さんとか。せっかく自立支援法で三障害の垣根が取り払われたのですから、みんなで一つの連絡組織でも作れれば、もっと外に向けて協力も呼び掛けやすくなります。先生の将来への抱負は山ほどあるようですが、まずその一つは、市内の団体が互いにつながりを持ち情報交換できるシステムを作り、その一つ一つを糊となってくっつけていくということですね。ぜひ素敵な糊になって下さいね!今日はお忙しい中ありがとうございました。    
※1  保育園・幼稚園への臨床心理士の派遣は20年度から開始されました。 

※※※ HPへの掲載にあたって、一部表現を変更した箇所があります。