ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。
「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。
上野一彦先生(元日本LD学会理事長)のエッセイ。
ご自身の「カズ先生のホームページ」に載せておられたので、紹介します。
インクルーシブとか、ダイバーシティとか、ことばばかりが踊りますが
「本当は?」を考えるために。
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そだちの科学第37号2021年10月号
特集・学習の遅れを支えるー限局性学習症のいまエッセイ:学習の遅れ;LD)をめぐって
新しい学習障害(LD)の像を求めて 上野一彦
はじめに
学習障害と呼ぶか,学習症と呼ぶか,あるいはLDと呼ぶか,その用語をより正確に特定するために特異性もしくは限局性とかを冠につけるかは,それぞれの専門領域での習慣や好みの問題であるが,その本質に大きな変化はないのではないだろうか。
少なくともこの言葉の生い立ちを知る者にとっては言葉の歴史とこれから展開していく言葉の意味する姿に限りなく興味を覚える。
まさに半世紀前に,学習障害(learning disabilities:LDとここでは略す)という術語をわが国に紹介し,日本LD学会を立ち上げ,学術団体としての登録もした。
それゆえに,この言葉の理解と発展に象徴される,今世紀初頭の特殊教育から現在の特別支援教育への転換を,大きな河の流れとして見守ってきたものとして,私の知っているLDの話を今しておこう。
なぜLDは教育用語といわれるのか
わが国において特殊教育から特別支援教育への転換,そして現在の発達障害のある児童生徒への特別支援教育の発火点ともなったLDの支援教育についての公的な議論が始まったのは1990年6月に文部省(現,文部科学省)に置かれた「通級に関する調査研究協力者会議」の席上であった。
全国LD親の会(設立1990年2月)設立などと連動する保護者や研究者たちのロビー活動の成果でもあったと思う。
2年後にその審議のまとめ「通級による指導の充実方策について」が出され,翌1993年4月より「通級による指導」が制度化され施行されたが,LDのある子どもは支援対象として積み残された。
LDの支援教育についての専門的議論はその後,新たに設置された「学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導法に関する調査研究協力者会議」に引き継がれた。
当時,数少ないLD研究者のひとりということで通級に関する協力者会議において初めて意見の聴取があったのだが,1992年からのLDに関する協力者会議にも正式な委員として初めて加わることとなった。
この続く会議が開始された当初,私はたまたま文部省の在外研究員として米国に滞在しており,半年を過ぎた1993年1月に帰国,初めて会議に出席した。
どのように検討が進んでいるのか大いなる期待をもって出席したが,LDの定義についても混乱した議論をただ繰り返していることに正直驚いた。
インターネットなど普及し始めたばかりであり,海外の情報は今日のようにリアルタイムではなかなか伝わってこなかった。
会議の席上,「LD概念発祥地,米国ではこうした議論はほぼ収束しており,LDに関心を持つ8つの主要な研究団体の代表で構成されたNJCLD(National Joint Committee for Learning Disabilities:全米LD合同委員会)の統一定義(1988)を下敷きにしてまとめるべきではないか」という意見を生意気にも強く主張したことを思い出す。
本邦におけるほぼ半世紀にも及ぶLDの歴史を振り返るとき,「公式以前の定義」についても,操作的かつ排除定義という特徴をもつこのNJCLDの統一見解から再度見直しつつスタートさせるべきだと,今日,その歴史の証人の一人として思うものである。
同時に米国におけるLD は,教育という観点から取り残されている子どもたちに支援の光をあて,救いだすという「セーフティネット」としての役割が強調された。
この辺りの事情は1990年以降のわが国の教育事情とも酷似している。
これが発達障害の典型症例であるASDやADHDが医学用語と呼ばれるのに対しLDが教育用語と強く主張される所以なのであろう。
DSMとの関わりー教育が医学から学ぶものー
医学と教育はよい連携を保つべきだとよく言われる。もちろん私もそう思う一人である。
そのためには,それぞれの領域の歴史と役割について一定のリスペクトと同時に共通点と相違点についても知らなくてはならない。
そう考える私にとって,たまたま専門書店で手に取った「DSM-Ⅲ-R精神障害の診断・統計マニュアル」(1988:高橋三郎訳,医学書院)に,医学領域の新しい診断体系の息吹は門外漢の私にも多大な刺激を与えてくれた。
当時教育界では,重度の知的能力障害(当時は精神遅滞)に対する特別支援学校(当時は養護学校)を全国に作っていく機運が一段落したところでもあった。
障害と健常という二分構造の中で,両者の溝を埋め,連続的な支援教育の必要性に気付き始めたのが,LDへの関心の高まった1990年代といえる。それは「重度から軽度へ」という言葉にも象徴される。
LDとは何かという素朴な問いは,先進する医学ではどう捉えているのかという疑問にも通じた。
そうした中での手掛かりの一つがこの診断・統計マニュアルだったと思う。
そこには,幼児期,小児期または青年期に発症する障害のなかに,発達障害が,そしてさらに精神遅滞(現在は知的能力障害),広範性発達障害,特異的発達障害の3カテゴリーが,そして特異的発達障害の下位分類として学習能力障害,言語と会話の障害,運動能力障害などとなっており,それらにはコード番号が付けられており,実に整然としたカテゴリー分類であった。
その後,DSM-Ⅳ,そして現在のDSM-5とさらに検討は進化していったわけだが,その道程は医学の近接領域にいる我々にとっても強い影響を与えるものであった。
同時に,精神医学上の診断カテゴリーと基準の標準化に貢献したことで知られるこの本に,興味を覚えたのは教育や心理学に携わるものにとっては当然だったかもしれない。
代表訳者であった滋賀医科大学の高橋三郎先生に,医学で訳される学習能力障害について,私の立場からその述語の定義や訳についての違いを,出版社を通して厚かましくも私見を申し上げたところ,「今後検討させていただく」旨の丁寧なご返事をいただいたことに驚きを禁じ得なかった。
このことは結果的にはDSM-5によって見事に整理されてきており,旧態然とした用語のままにある私共,教育や心理学関係者,さらには法律関係者にとってもこれらの医学の分類検討にこころから敬意を表するものである。
新しいLD概念を求めて 今一度,多様性の中にLD像の再構築を
LDという用語は,一般的な勉強のできなさ,学習の困難(learning difficulties)とよく混同される。
あくまでもその子どもの認知発達の特性を背景とした困難さであるので,「特異的(もしくは限局性)」という冠をつけることは,混乱を避けるための優れた知恵と言える。
今日,障害の種類や程度だけでなく,支援にあたってはその個別的なニーズをしっかりとらえることが重視される。
それは「障害の種別と程度によって特別な場を設けて行う特殊教育から,新たに発達障害をも対象とし,一人ひとりのニーズに応えるインクルーシブ教育を目指す特別支援教育への転換」という,わが国の教育界での大きな変化を再度確認しておきたい。同時に,障害の軽重は,環境の整備によっても変化するという立場に立つ。
教育行政上の発達障害,その典型例であるLDなどの障害状態は,障害のあるものとそうでないものとの中間的に位置する,いわば「中間的」かつ「架橋的」存在であるという認識も大切だと思う。
障害を単に健常との対比で二分したり,障害種別という観点からのみ理解したりするのではなく,その個人に対する支援ニーズについて質と量から,一種の連続体として捉える観点が必要であり,言い換えると子どもの利益を最優先に考えるという立場にも通じる。
具体的かつ効果的な支援を考えるとき,何よりも必要なのは,その個のニーズであり,子ども自身が求める特異的なニーズではないだろうか。
これからの概念定義,そしてその理解の背景に「learning differences(学びの相異)」,あるいは「learning diversity(学習の多様性)」という新しいLD視点の必要性について指摘しておきたいと思う。
LD概念とこの概念の展開には2005年の発達障害者支援法(2016年改正)や2016年の障害者差別解消法などの施行が大きなバックアップとなってきた。
まさに「理解と啓発の時代から,効果的な支援と対応の時代へ」の移行を迎えているといっても過言ではない。
LDという言葉が,1970年代の米国の教育界で,約30年遅れでわが国の教育界でも大きな広がりを見せたわけだが,どちらの国においても,当初「セーフティネット」としての支援教育を渇望するニーズがその社会的背景にあったことは先に述べた通りである。
そして今日,21世紀の教育を考えるとき,各界を横断するより厳密な定義を進めるとともに,その背景にある社会的ニーズについてもまた改めて認識すべきだと思う。
そうした当事者のニーズを中心に,各界からのその概念のあるべき姿を求めることこそが,そうした言葉によって初めて理解される人々の将来像を明るいものとしていくと信ずるものである。
【文献】
Flanagan,D.P & Alfonso,V.C.(2011). Essentials of specific learning disability identification. NJ:Wiley.(上野一彦・名越斉子(訳).(2013).エッセンシャルズ 新しいLDの判断.東京:日本文化科学社.
学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議.(1999).学習障害児に対する指導について(報告).文部省.
National Joint Committee on Learning Disabilities.(1988). Definition of Learning Disabilities. http://www.ldonline.org/about/partners/njcld/archives.
上野一彦.(1991).学習障害の概念・定義に関する考察.東京学芸大学紀要(第一部門教育科学),42,111−117.
上野一彦.(2016).学習障害とは:学習障害の歴史.こころの科学,187,10-14.日本評論社.
「子どもと身体を使って遊んで下さい」とお話ししても、どんなふうに遊べばいいのかわかりません、っておっしゃる親ごさんがとっても多いです。
「なーんだ、こんなことでいいの?」っていうような、道具のいらない親子遊びの例を載せますね。
出典は「健診とことばの相談」(中川信子 ぶどう社)です。
1歳6か月以降3歳にかけて、子どもの発達が「ちょっと気になる」ということは多いものです。
子どもは一人ずつ、実に個性的ですからね!
でも、どこがどう「気になる」のかを、自分でも把握できるといいのかなと思います。
1998年に出した「健診とことばの相談」(ぶどう社)に、私なりの視点を洗い出したものを「ことばと発達の行動観察記録表(試案)」にまとめました。
子どもと遊んだり生活したりする中で、観察して記録する簡便なものです。
特徴は、
◆子どもの行動の【心配な面】だけでなく、【できている面】もとらえるようにしたこと、
◆ことばの発達が関係する全体発達・周りの人とのかかわり方も含めてとらえようとしたこと
◆チェック項目ごとに、見方の解説がつけてある。
などです。
内容的には11の大まかな「分野」に分けてあります。
① 行動的特徴
② 外界への興味や関心
③ 感情・要求の表現、コミュニケーション行動
④ 遊び方
⑤ 指さし
⑥ 音や話しかけへの反応
⑦ ことばの理解
⑧ ことばや動作の表現
⑨ 発声
⑩ 発声発語器官と発音
⑪ お母さんのようす、子どもとのかかわ
子どもの問題点やできないことを見つけるためのものではありません。
子どもの現在の姿をとらえ、今後の対応の工夫につなげて下さい。
ずいぶん前に作ったものなので、修正の余地が多々ありますが、参考にしていただければ幸いです。
なお、偶数ページ奇数ページは見開きで対応しています。
プリントアウトしてから左右を突き合わせてご覧になって下さい。
■00◆健診とことばの相談「ことばと発達の行動観察記録表(試案)」 P45-P72+a-圧縮済み.pdf
転載を快く了承して下さった「ぶどう社」に感謝します。
2019年7月14日・15日の二日間にわたって、公益社団法人日本小児科医会 第21回「子どもの心」研修会(後期) が大阪で開催されました。
第21回 子どもの心研修会(後期)プログラム掲載のチラシ
これは、日本小児科医会「子どもの心相談医」制度の 認定資格取得要件となる研修会です。
吃音がメディアに取り上げられることがふえて来ました。本も次々出版されます。これまで一人で苦しんで来た吃音の人たちやその家族が、適切な情報を得て、自分なりの人生を歩んでくれるようになるといいな、と願っています。
さて、「日本臨床吃音研究会」 代表の伊藤伸二先生の文章を二つほど紹介させていただきます。
吃音に関しては、いろいろな団体が新しく立ち上げられたリもしています。
吃音研究は、ずいぶん進んで来ましたし、適切な向き合い方についての大枠は定まって来たように見えますが、まだいろいろな考え方が併存しています。
上記「吃音臨床研究会」は、中でも、吃音との向き合い方を深く追求し続けている団体です。
代表の伊藤伸二先生は、おりおりに、示唆に富む発信をして下さっています。
そのうちの二つをご紹介します。
日本吃音臨床研究会編集「スタタリングナウ」より
1 健康生成論と当事者研究
2019年4月20日号(No296)
2 野垂れ死にの思想
2018年3月20日号(No 283)
↓
「絵でわかる言語障害 言葉のメカニズムから対応まで」 毛束真知子 学研
言語の仕組みとその障害について、コンパクトな知識が得られます。
「子どものこころとことばの育ち」 中川信子 大月書店
「はじめて出会う 育児の百科」 汐見稔幸・榊原洋一・中川信子 小学館
「1,2,3歳 ことばの遅い子」 中川信子 ぶどう社
「子どもがどもっていると感じたら 吃音の正しい理解と家族援助のために」
廣島忍 大月書店
「場面別に楽しむ『語りかけ』」 中川信子監修 小学館
「語りかけ育児」 サリー・ウォード 小学館
1日30分間、静かな環境で赤ちゃんの興味にあわせて遊んだり、語りかけましょうと提案。
◎「ことばが伸びるじょうずな子育て」 中川信子監修
家族計画協会 販売:エスコアール(※)
「発音がはっきりしないとき」 中川信子監修
家族計画協会 販売:エスコアール(※)
◆「ココロとカラダほぐしあそび 発達の気になる子といっしょに」
二宮信一ほか 学研
ラポムブックス「きほんの遊び 142」 中川信子監修 小学館
「脳を育てるじゃれつき遊び」 正木健雄監修 小学館
感覚統合の考え方について◆
「“育てにくい子”にはわけがあるーー感覚統合が教えてくれたこと」
木村順 大月書店
○「感覚統合Q&A」 佐藤剛 ほか 協同医書
ことばの発達はまず、“からだ”から。そのことを、わかりやすく教えてくれる本です。
「五感力を育てる」 斎藤孝+山下柚実 中公新書ラクレ
「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。
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