ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

  11月19日に、大学の時の教育心理学科の同期生が集まって懇親会をやりました。卒業以来、38年ぶりに会う人もいました。  
  今年の9月ころに、「東京大学教育学部創立60周年記念祝賀会を行います」との案内が送られてきました。出席する気もないので、その辺にほってあったのですが、10月に入ってから、九州に住む同期生のUさんから「その日に集まれる人だけでも集まりませんか?」というメールが来ました。
 「集まれる人だけ、たとえ3人でも集まろう」と始まったこの話、とてもマメなUさんが、一人ずつ、一人ずつつてをたどって、同期生の連絡先を掘り起こし、最終的には15人(男10人 女5人)いた同期生のうちの14人の住所と連絡先が判明。11月19日の懇親会当日は、15人のうち9人(男6人 女3人。学科の男女比とちょうど同じ!)が参加しました。中には関西での仕事を切り上げて駆けつけた人もいました。

  会ったとたんにニックネームが飛び出し、40年前にタイムスリップしたようでした。 私たちは、ちょうど、東大闘争さなかに駒場(教養学部)にいた学年です。長期ストライキのおかげで卒業が6月30日でした。「(卒業式を行うはずの安田講堂が壊れていたため)学部の教室で卒業証書をもらったよなぁ」とか、「(就職活動のときに)履歴書に6月卒業と書いたらとてもけげんな顔をされた」とか、「当時出始めたばかりの脳波の実験台にされたが、針を刺されるのがチクリと痛かった」とか、思い出話に花が咲きました。

 大学の先生をやってる人、特別支援教育にかかわっている人、天下りで話題沸騰の役所に長年勤めた人、マスコミ世界に身をおいた人、幼児教育にかかわっている人など、各自の近況報告を聞きながら、みんなそれぞれに、誠実な人生を歩んできたのだなぁ、という感慨を覚えて、胸が熱くなりました。
   東京大学に教育学部があり、付属学校(中高一貫校)がある、ってことは、あまり知られていないことだと思います。(東大付属は、双生児研究では有名ですが、決して有名な受験校ではありませんし。)教育学部創設の「こころざし」と「思い」については、同期生懇親会に先立つ創立記念式典でも話されました。
  私は日ごろ、東京大学の卒業生であることには、それほどの感慨はありませんが、東大教育学部の卒業生であることには大きな誇りを持っています。「一人一人を大切にする教育とは何か?」ということをストレートに追い求める教育と研究があの学部にはあったし、今もあるから、と思っています。小さな学部の中の一学年15人の小さな学科で、私たちは大切に育ててもらった、そして、育ち合った・・・とあらてめて思いました。

  「5年後にまた集まろうな!」「5年後にね!」と約束して、4時間あまり長居した居酒屋をあとにしました。一人だけ消息の分からない旧姓Oさんも5年後には集まれるといいな、と思います。

    国土交通省(総合政策局 安心生活政策課)が作成したハンドブックを、先月の、特別支援教育巡回専門相談の時に、特別支援学校(旧・養護学校)の先生に一部いただきました。
  鉄道の駅員さんやバスの運転手さんなどに広く知ってもらおうと作られたそうで、国土交通省のHPからダウンロードできます。さし絵にも運転手さんや駅員さんたちが出てきます。
「知的障害、発達障害、精神障害のある方との コミュニケーションハンドブック」

 ハンドブックの表紙にはこう書いてあります。

      「ハンドブックの使い方」
―――本ハンドブックは、公共交通機関、公共施設、商業施設などの建築物、公園や駐車場などで利用者に接する方々が、知的障害、発達障害、精神障害のある利用者の困難さを理解し、状況に応じて、適切な対応をするためのポイントを記載した参考書です。ーーーー

  このハンドブックのこと、先日の「子どもの発達支援を考えるSTの会」第8回研修会の折に、厚生労働省の日詰さんからも紹介されました。

社会の理解は、こうやって一歩ずつ進んで行くんだな、とうれしくなります (*^。^*)

   「グリーフケア」、聞いたこと、おありでしょうか? チラシをいただきましたので、掲載します。
 

<第3回東アジアグリーフケアセミナー>−アジアにおける家族のグリーフケア−
  〜私たちには大切なものがあります。家族であったり、思想であったり、夢であったり・・・。
それは人を根底から支える、いのちに等しいものです。
ご家族をなくす経験をされた方は、癒しがたいいのちの喪失を経験されます。
喪失に伴う悲しみはグリーフと称されます。
このセミナーは、東アジアという視野で大切ないのちを喪失した方のグリーフとそのケアについて、皆様と共に学び、感じ、歩むことを目指しています。〜


○日時:2009.12.12(土)〜13(日)
○会場:北九州市立男女共同参画センター「ムーブ」 ℡093-583-3939

○講師・シンポジストは: 仁志田博司(東京女子医大名誉教授・新生児科)、朴華文(韓国)、竹内正人(産科医)  中込さと子〔看護)、柳田邦男(ノンフィクション作家) など

詳細なプログラムは「星の会  子どもを亡くした親と家族を支える会」HPに掲載されています。

http://www7b.biglobe.ne.jp/hoshinotsudoi/8_eagcs.html

  全国的に新型インフルエンザの流行が続いているようですね。 狛江市内もごたぶんにもれず、一時治まりかけたかに見えて、まだまだ続いています。

  先日、道で、ばったりお母さんにお会いしました。   特別支援学級(固定制の)に通っているお子さんのお母さんです。

  「インフルエンザは大丈夫ですか?」と言ったら、「うちの学級(特別支援学級)は、誰もかからないんですよ。」とのこと。
  「日ごろ、体を鍛えてるせいですかね。よかったですね」と私が言うと、お母さんいわく「いやあ、そうとばかりも言えなくて・・・・。(固定級が設置されている)学校自体では、学年閉鎖とか学級閉鎖とか続いてるのに、うちの子のクラス(固定級)だけ休みの子がひとりもいないってのも、母としてはビミョーな感じなんですよね・・・。」と。
  私は思わず、「ああ、そうかー。そういうことも、ありますよね」と言いました。

 「みんな」の中では、はやっているのに、うちの子のクラスでは、はやらないということ。ある意味、望ましいはずの事態が、かえって疎外感というか、違和感になることもあるんだな、と。

 また一つ、お母さんの気持ちを教えてもらいました。

  今年度も、「発達障害者施策検討会」が厚生労働省で開催されています。
  私も構成員の一員として各都府県が展開しているモデル事業についての意見を述べたり、発達障害情報センターの情報発信について意見を述べたり、という機会を与えられています。
  先日、11月2日にも、中間報告会が開かれました。それに向けての資料の取りまとめ、印刷、委員や関係先への発送、など、なかなか目に見えないところでの、事務を担当する方たちのご尽力には頭が下がります。

  上記発達障害者施策検討会は、20年8月29日付けで「発達障害者支援の推進について」という報告書を出し、大まかな方向を打ち出しています。
       (「発達障害者施策検討会」で検索すると資料が出てきます。)

  各都府県の代表者がわざわざ東京まで出てきて、検討会に進捗状況を報告し、検討会構成員の意見を受けて事業の手直しをするなど、精力的な取り組みがなされています。

 法律ができるだけはできたけど、実効が伴わない、といわれ続けて来た(それはほんとのことですが)「発達障害」のある人たちへの支援が、一歩ずつ、一歩ずつ前進していることを実感します。

  みなさん、さらに、がんばりましょう。

  それと共に、昨今の流れとして、「ハッタツショーガイ」への取り組みばかりが強調されて、知的障害やその他の障害の人たちをないがしろにするような風潮も感じないではありません。(もちろん、今まで日が当たっていなかった分を、一挙に取り戻そうとしているので、相対的にマスコミ等に取り上げられることが多い、ということはあるのかもしれませんが・・・・)

  「早期療育」「健診後の相談」という現場にいれば、さまざまな障害のお子さんが従来と変わらず通ってくるので、全方位へのセンスを失うことはありえませんが、会議や、本の中ばかりで考えると、視点がすっかり偏ってしまう危険もないではないような気がします。   三木先生に「一番障害の重い人と付き合うことで、一番大事なことを学ぶことができる」とおっしゃっていたことを思い出します。

   ハッタツショーガイを押し立てて進む、ことを当面大事にする必要はあるでしょうが、究極的には「すべての子どもに光の当たるような社会と施策」が目指されなければならないと思っています。

  今日の夜、市役所の会議(次世代育成支援後期行動計画策定委員会)が終わったあと、メンバーのお一人として参加している緑野小学校のS校長先生に呼び止められました。
  「朝日新聞の10月17日 土曜日の夕刊、ごらんになりましたか?」
  私はちょうど、旅先だったので、読んでいませんでした。
  そうお答えすると、S校長は早速かばんの中から折りたたんだ夕刊を出して見せてくださいました。
 「ほら、うちの村井教諭が出たんですよ」と、まるでわがことのように、うれしそうです。
 部下の晴れ姿を喜ぶ校長先生の姿を見て、私もとてもうれしくなりました。
 狛江の校長先生たちって、どうして、こうも、「子どもたち」のことを、そして、教員たちのことを、一生懸命考えてあげられるんだろう・・・・と思います。

   ちなみに、狛江市の緑野小学校は、通級の学級と、固定制の学級の二種類の特別支援学級の設置校です。なので、校長先生は、固定級の設置校長会、通級の設置校長会、通級の校外学習、固定級の校外学習(遠足や宿泊など)に、いちいち同行するので、とっても忙しいのだそうです。

  そんなこと、教育委員になって、校長先生や先生たちとたびたびお話しするようになるまで、考えたこともありませんでした。何でも、そっち側の立場も知ってみる必要がありますね。

 朝日新聞の記事はこちらです。「花まる先生 公開授業」
            ↓
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY200910180167.html

 私も、狛江のことで、何かいいニュースが出ていると、とてもうれしいのでご紹介しました。 

  10月17日、佐渡市立金井小学校に設置されている「ことば・こころの教室」の開設40周年記念式典が行われました。私は同時に企画された記念講演の講師としてお招きを受けました。
  創立40年ということは、昭和45年の開設であり、まさに、日本の「ことばの教室」の先頭を走った教室の一つ、といえます。
 式典と祝賀会には、歴代の「ことばの教室」担当者の先生方も、多く参加されていました。

 式典で述べられることばを聞いているうちに、自然と頭の中に浮かんだのは「ベクトル」ということばでした。線は点のつながりです。最初の一点が、どちらの方向に向いているかで、直線の方向はある程度決まってしまう・・・というか。 

 金井小学校の「ことば・こころの教室」の場合は、創設の時の「点=こころざし」の方向が今なお、脈々と受け継がれ、立派な歴史を作り上げてきたと感じました。
  創設時の担当の先生とお話ししたところ、予想通り、千葉市院内小学校の大熊喜代松先生や、当時御茶ノ水大学におられた田口恒夫先生のもとで研修をつんで、教室開設にあたった、とのことでした。田口先生とは懐かしいお名前を聞くものです!!

  親たちの強い要請にこたえて作られていった全国の教室たちでしたが、平成5年に「通級による指導」が公式に認められるまでの期間は、日陰の存在に甘んじざるを得ませんでした。校長さんに「君たちのやっていることは、法律違反だ」と言われても抗弁できない時代もあったと言います。

 「ことばの教室」の大きな特徴は、ほとんどの場合、「親の会」が組織されていて、何かの行事の際や、勉強会などは、必ず先生達と協力・共催するスタイルをとっていることです。「子どもを真ん中に、保護者と教員が、何でも、隠し事なく話しあえる仲」があるのです。新しい教育の形かもしれません。  

  講演依頼をお受けしたのは1年以上前でしたが、それ以来、毎月送ってくださる「教室だより」は、先生と保護者が一緒になって子どもたちを健やかに育ててゆこうとしている雰囲気がとてもよく現れているものだったのですが、その理由は、実際に、来て、見て、分かった、という感じでした。開設のときに考えられた方向が、間違ってなかった、ということでしょう。

  人生初めての体験「ジェットフォイル」にも乗れたし、「佐渡金山」も見学できたし、それより何より、息の長い教育の営みにあっては、教員と保護者とのフランクな協力関係がなによりも大切だ、ということをあらためて感じ、また、ものごとは、初めの一歩、最初の一点に込められる「こころざし」の力によってその後の発展の方向が決まると痛感しました。

 教室の存在意義を、教育委員会や事務局が深く理解し、しっかり支えてきたことも感動の一つでした。
  「人は一人では生きられない」 副市長は祝辞の中でこう言われました。
 認め合い、支え合うことの、実体化・・・・・・。温かさの感じられる旅でした。

  おりしも昨日(10月20日)は、調布市で新設された「調布市子ども発達センター」を見学させてもらいました。本来の見学日ではないにもかかわらず、丁寧に案内していただきました。
  従来あった通園の「あゆみ学園」と、「総合福祉センター」との機能を統合・充実させて、大きな建物になったのですが、官僚的な冷たい雰囲気にならず、従来のあゆみ学園の雰囲気が感じられたので、安心しました。
  調布市あゆみ学園は、昭和40年代半ば、障害のある子のための療育の場を作ろうという保護者の運動で、調布の駅前のアパートの一室で始まった「あゆみ教室」にその源流を持っています。その後、市が運営する「あゆみ学園」となり、大きく発展してきましたが、今回、発達センターとなるにあたっても、職員、保護者、関係者が入る委員会が何回も話し合って概要を決めたそうです。

 行政が勝手に入れ物だけ作ってしまって、使い勝手が悪い・・・・という話をよく聞くだけに、細部に工夫された建物を見せてもらって、何だかとても安心しました。   調布市子ども発達センターにはSTが11名も配置されていて、これからも、(私が籍を置く健康推進課から)「ことばが遅い」などの訴えの子を紹介する先なのです。安心して紹介できそうです。

 今日は、佐渡に来ています。昨夜遅く新潟に着き、今朝の「ジェットフォイル」で佐渡に着きました。この「ジェットフォイル」は、「翼走航行」という方法で(よくはわかりませんでしたが、水上に浮き上がった状態で)時速80キロで走るそうです。船は、かのボーイング社が製作したものだそうです。海を飛ぶ飛行機・・・ってことでしょうか。
  詳細は佐渡汽船HP(⇒就航船案内)をごらんくださいませ。
 佐渡へは、佐渡市立金井小学校「ことば・こころの教室」創立40周年記念の式典に付随する講演会にお招きを受けたからですが、このことについては、たくさんの見聞をしたので、また、別の機会に書きます。

   佐渡に来る前の日は、恒例の市内小学校の巡回相談の日でした。
この巡回は、毎回とても楽しみです。
というのは・・・・・。

 狛江市は専門家チームの巡回の立ち上げのときに、指導主事の先生と教育委員会とがががんばって独自のシステムを作ってくださいました。

  専門家が一人招かれて、独善的(?)なことを言い置いて帰っちゃうというスタイルではありません。これは、まことに失礼な言い方ですが、上記のようなやり方の「専門家の巡回」があまり役に立っていないとか、かえって迷惑しているという声を聞くことがあるので・・・・・。あ、もちろん、とてもよく機能しているところだってあるのだとは思いますが。

  狛江のスタイルは一人ではなく、複数の「専門家」が同時に顔をあわせ、同じクラスを授業参観し、終わったあとの協議に全員が参加し、それぞれ異なる意見や、アドバイスを述べるという形を取っています。

「専門家」の陣容は
○スーパーバイザー(精神科の医師、小児神経医師、言語聴覚士ナカガワ、都の教育相談員経験のベテラン先生)
○学区の特別支援学校(調布・府中)のコーディネーター
○当該小学校に市が週一回派遣している教育相談員(心理職)
○当該小学校から進学する中学校に都から派遣されているスクールカウンセラー(心理)
○作業療法士

です。スーパーバイザーは上記4人のうちの都合のつく1人か2人が参加します。

授業をいっしょに見学し、協議に参加するのは、学校によって少しずつ違いますが、
○当該学校のコーディネーター、  ○校長   ○副校長 ○養護教諭、○特別支援学級設置校の場合はその学級の担任
などが参加して、あーでもない、こーでもない、と意見を述べます。

「偉い先生のご託宣を賜る」のではなく、「視点の違ういろんな人たちが集まって、アタマを寄せて、子どもたちのためにこれからできそうなこと、必要なことを、担任の先生方といっしょに探そうとする」というスタンスです。

 なので、行く側も気が楽ですし、そこで顔をあわせるほかの職種の方の視点に感心したり、新しい情報を貰ったり、巡回相談の場が、それ自体で連携を深める場にもなっています。   また、同じ授業の同じ場面を見た専門家同士でも意見や見方が違う場合もあり、子どものとらえは、正解がただひとつあるというものではないな、ということも、お示しできているように思います。

  一年ごとに、一回ごとに、先生たちの授業が分かりやすくなり、「ダメ」だの、「ちゃんとしなさい」だのという、イヤな気持ちになることばかけが減り、「○○さんは、いい姿勢だね!イスを引いているからね」というよいところ探しの声かけが増え、また、的外れな答えをした子どもに対しも「違う!ちゃんと考えて答えなさい」と間違いを指摘してがっかりさせるのではなく、「そう考えたんだね。なるほど。でも、ちょっと違ったな、残念。他の考えがないか聞いてみよう」などという具合に、肯定的な言い方がとてもふえてきていると感じます。

 目で見てわかるように教材を配慮したり、教室のイスの配置を工夫したり、と、先生たちは、日々努力を続けておられます。

 先生の子どもを見るまなざしや声かけが肯定的になり、しかも授業が分かりやすくなると、子どもたちの集中も高まることは、外から見ていると歴然としています。

 特別支援教育の「特別」が取れて、すべての教室で当然のように分かりやすい授業づくり、ひとりずつに配慮した教育が行われる「当然支援教育」になるといい、と仲間たちでいつも言っているのですが、学校が実際にそういう方向に進んでいる姿を見られるのは、とてもうれしいことです。

  専門家チームのお仲間たちと、「仕事に来て、帰りには、来たときより元気になってる、ってステキですよね!! じゃあ、また!」といいながら、解散しました。   次回の巡回も、どんな新しい発見があるのか、校長先生はじめ、先生方からどんなステキな工夫を聞けるのか、楽しみです。

  保健師さんと一緒に仕事をしている人は、世の中にとても少ないと思います。
「保健師って何をする人?」って聞かれて、当の保健師自身が「えーーーと・・・もごもごもご」と説明に窮するわけですから。(それは、私たちST=言語聴覚士も、似た境遇です)

  私は長い間地域で、保健師さんと一緒に仕事をしてきたので、保健師こそ、これからの地域の健康づくり、発達障害への支援にとって、もっとも必要とされる職種だと確信しています。ふえてほしいと思っています。でも、なかなか理解してもらいにくい仕事なので、人員を減らされることはあっても、ふえることはなかなかありません。

   地域保健をになう保健師の仕事の特徴は、「地域の全数対象」と「予防的かかわりが可能」ということなのですが、これが両刃の剣。   ていねいに家庭訪問をしたり、健康教室を開いたり、ちゃんとした地域保健活動をすればするほど、それが、病気や問題の予防になるために、問題が顕在化せずにすみます。すると、結果の数値だけを見るのが習い性となっている行政の財政部門からは、「なんだ、問題はないじゃないか、保健師の数、もっと減らしても大丈夫だね」っていう見方をされてしまう・・・ということ。


 保健師さんたちを対象にした雑誌『月刊 地域保健 21年9月号』(東京法規出版)の特集は「私の保健師必要論」です。「保健師って何をするの?」「なーるほど、だから、必要なのね!!」ということを分かりやすく説明してくれています。
  あまりかかわりのない方も、ぜひ、これを読んで、保健師の応援団になってください。

  購入は下記「月刊地域保健」のサイトから「バックナンバー」でお申し込みください。
     http://www.chiikihoken.net/

  日本LD学会で、釧路の小児科医・堀口貞子さんに久しぶりに会いました。しゃべった、しゃべった!
堀口さんは、有名な「釧路マザーグースの会」生みの親の一人として、そのスジに名前がとどろいているのはよく知っていましたが、お会いしたことはありませんでした。
  数年前、保健師さんのお招きで釧路に講演に行った際、堀口さんが会場に来ていて(お仕事はどうしたんだろ?あの時)初対面のあいさつもそこそこに「昼ごはんを一緒に食べに行きましょ」、ということでラチされ、主催の保健師さんそっちのけで昼休みじゅう、ずーーーっとしゃべって、そのまま親友になった、という人です。

  何百キロも離れたところで生まれ、成長し、互いに全く知らないまま仕事をしていたのに、なぜか「赤毛のアン」などの愛読書の多くが共通、自分の暮らす地域で「顔の見える連携」を基本に、敵を作らず味方をふやすネットワーク作りを目指そうとしてきたこと、特別支援教育の方向をトクベツな子へのトクベツな支援ではなく、子育て全般の支援の一部に位置付けたい、など仕事に向かう発想も、なぜかとても似ているのでした。(行動特性は、まるで似ていないのですが・・・・)

  今回も、LD学会の会場で「あ、そうそう、堀口さんに、待ち合わせ場所を教えてあげなくちゃ」とメールを書き始めたところへ、メール受信中の合図がありました。「あ、堀口さんからのメールだな!」と直感したら、やっぱりそうでした。二人同時に「あ、連絡しなくっちゃ」と思った、というわけで、不思議なシンクロニシティ(共時性)。

  私の新刊「発達障害とことばの相談」(小学館)の中に書いたこと、(高校生のころ、「私にはこの木の葉は緑色に見えるけれど、それは、もしかしたら、あなたがピンクと呼んでいる色かもしれない。私とあなたがこの木の葉を同じ緑色だと感じている証拠はどこにあるんだろう?」などと考えていたこと)について、堀口さんも、全く同じように思っていたことがある、と知り、これまた不思議でした。

  昨秋、釧路に遊びに行ったとき、堀口さんのクリニックで大型本「ノーム」(ヴィル・ヒュイゲン著  サンリオ)を見つけて、話そっちのけで、隅から隅までよみふけりました。私が持っているのは小型本「ノーム くらし編」〔サンリオ 今は在庫切れのようです)だけなので。
  あ、そうそう「ノーム」というのは、見える人にだけ見える精霊・小人さんのことです。アイヌの人たちの間に伝わる「コロボックル」も、その同類。
  堀口さんが開いているホームページの名前は「コロボックル通信」。このページを見ると、釧路では、えりすぐりの先生方の講演を次から次へと開いていることが分かります。うらやましい。

 別れ際に二人で手帳を取り出し、「えーーと、何月だったら・・・・」と、来夏、釧路湿原散策の予定を立てたりしました。実現するかどうかは、分かりませんが、先に楽しみが待っているって、とてもうれしいことです。

 10月10日、11日、12日の三日間、東京学芸大学で第18回の日本LD学会が開かれました。親の会と支援者(教員などの関係者)が一堂に会する、熱気あふれる集まりです。
熱気と人混みが苦手な私は、今まで一度も参加したことがありませんでしたが、今回は、今年3月に東京学芸大学を定年退官されたLD学会会長・上野一彦さんの晴れ姿(?)を見にえんやらえんやら出かけて行きました。

 LDをめぐっては、いろんな紆余曲折をへて、今日の特別支援教育の進展と展開につながったわけですが、その「源流の一滴」は、上野一彦さんがサミュエル・カーク博士のLD概念と出会ったことにさかのぼることができるんだなー、と、感慨ひとしおでした。そのころ、つまり40年近く前、旭出学園の研究所で、何だか、とってもうれしそうな顔をしている上野さんの姿を思い出しました。

 上野一彦さんは、2007年に出した「LD教授(パパ)の贈り物〜ふつうであるよりも個性的に生きたいあなたへ」(講談社)で、自分もLD(っていうか、むしろ、ADHD)であることを勇気を持って、公式にカミングアウトした、ってつねづねおっしゃってます。それを聞いて「わざわざカミングアウト、なんていわなくたって、ずっと前からそうだったよ。それが上野さんらしさ、なんだし」って思う人も多いと思います。私もです。

 今回の学会では、できたてほやほやの「上野一彦 LD カミングアウト第2弾!」の本が売られていました。「LDを活かして生きよう〜LD教授(パパ)のチャレンジ」(ぶどう社)です。もうすぐ一般書店にも並ぶと思います。
 この本の中では、上野さんと「いま、会いにゆきます」の作者、市川拓司さんとの出会い、お互いの特性の類似がたくさん出てきます。精力的にがんばり続けてきたけれど、どこか、孤独な戦い、の趣きのあった上野さんが、「同類、見つけた!!」って躍り上がらんばかりに喜んでいる感じが伝わってきて、読んでいるだけで、ほっこり、にやにや、うれしくなりました
 もちろん、本の中には、ちゃんとしたLDにかかわるリクツ的な部分も含まれています。

  今回の本は、カミングアウト第2弾!ってことになるらしいですが、私としては、定年退官記念にいろんな人が文を寄せて編集された「LD教授(パパ)の解体真書〜この不思議な生物の記録(うえのかずひことその仲間たち」(非売品)が一般書店にも並ぶといいのに、って思います。 LD教授(パパ)の山なすエピソードがテンコ盛りで、抱腹絶倒なんです。  もっとも、一部のそのスジの人しか買ってくれないでしょうから、採算を度外視した奇特な出版社が現れて、「出版しましょう!!」って言ってくれないと、ムリだろうな・・・・・ 

  家の建て替えを始めたことは前に書いたと思いますが、今週は地鎮祭を行いました。   テレビや写真では見たことがありましたが、「見る」と「やる」とは大違いで、いろいろ面白かったです。

  まずは、神主さんが奏上してくれる「祝詞」って、分かりやすいんだな、っていうこと。「木の香のナンたらの新しい家にナンたら」とか、意味の理解できることばがちりばめられていて、何しろこの儀式全体として、家を作るにあたっての無事と、幸福とをお願いしますよ、という意味なんだな、ということがよく分かりました。お寺でお経を聞くときとはちがって。

  やっぱり「分かりやすい」って、大事なことだな、って思いました。

それから、「クワ入れ」とは言いますが、ほんとに小型木製の鍬で「えいっ!えいっ!えいっ!」と声を出して3回鍬を入れるのでした。夫が鍬でやったあとは、施工業者さんが今度は鋤(シャベルみたいな形の)で砂の山に鋤を入れるのでした。

  お札みたいなものを地面に埋め、棟上げのときにもう一つのお札を棟の上に貼り付けて、地面と天井の両方向から家を守るのだそうです。何だか心強いです。

  昔から伝わる数々の安心の仕組みって、「だからどうした?」と言えばそれまでですが、何だか安心・・・って無形の影響があるのかな、と思いました。

  今日(9月30日)は、群馬県藤岡市に講演でお招きを受けて行ってきました。主催は「子ども課」なのですが、招きいれられたのは教育長室。「子ども課」で今回の研修を担当してくださっている方は、本来、教育委員会の人だ、という流れからして興味しんしん。
  藤岡は、人口7万で、わが町狛江とほぼ同じくらい、古墳や遺跡がたくさんあるというのも共通点。そして、連携のあり方も、ほんとに「実体のある連携」をしているようすがよーーく分かりました。
  「子ども課」は、保健センターの中に席を置いているとのことで、保健センターも見せていただき、センターの活動概要もいただいてきました。
  日ごろ、「健診は支援の入り口」と主張している私ですが、新生児訪問(こんにちわ赤ちゃん事業)から始まる一貫した支援のあり方の一つを目の当たりに見せてもらったという感じでした。
  連携の柱の一つである藤岡言語教室(ことばの教室)で、優れた仕事をしていることもよく分かりました。

 わが町狛江も、「顔の見える関係」を大切に、連携はずいぶん進んだと自負していましたが、天狗になっていてはいけないな、と思わされるような「連携」「協働」でした。さすが群馬!

 そして、とってもうらやましかったことは、ほとんど同じ市の規模なのに(お金がないのも同じような感じらしいです)藤岡市には保健師が19人もいることです!! 
狛江市はたった5人なのに。

 医療職でもあり、地域ワーカーでもあり、行政職でもある、という保健師の存在は、地域住民に対する支援のカナメです。発達障害に限らず、子育て全般、メンタル面のケア、虐待への対応、そして、成人対象の健康支援などなど、何人いても、足りることはないくらい貴重な職種。

  狛江市の保健師数が近隣市に比べても圧倒的に少ないことは承知していましたが、同じ規模の市に、これだけの保健師さんがいるのは、はっきり言って、大ショックでした。何とかしないと。  

  片倉信夫さんの新刊が、学苑社から出るそうです。
片倉さんのことは、このHPでも、前に書いたことがあります。
「辰源さんの独り言」 http://www.soratomo.jp/article/13388596.html
片倉さんは体調を崩していましたが、容態も安定しているとのこと。ほんとによかったです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 新刊名:僕の大好きな自閉症

著者名:片倉信夫・片倉厚子

出版社:学苑社   定価:四六判/2415円

紹介文:   自閉症に対しては、遊戯療法に始まり、行動療法・感覚統合療法から動作法を経て、最近のTEACCHまで様々な技法が実施されてきた。しかし、そのどの技法も教育・福祉の現場に定着し、成果を積み重ねることが出来なかった。一時的にもてはやされ、やがて忘れ去られた。何故なのだろうか。その疑問の答えの一つとして「日本の文化的な伝統を土台としなかったからではないか」という著者の考え方がある。どの現場・方法にも共通する土台である、日本人の基礎的な価値観や人間観を言語化しようとして書かれたのが本書である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

  まだ読んでいないのですが、片倉さんの本なら「人として向き合う」ということについて、きっぱりと、溜飲の下がるようなことが書いてあるに違いないと楽しみです。

  そんなことを考えながら「片倉信夫」を検索していたら、「片倉信夫再見」というブログに出会いました。 http://d.hatena.ne.jp/ishikawa-kz/20090726/1248626690
 

片倉さんの「自閉症なんか恐くない」(2001年 学苑社)を読み直してみようと思いました。

  実家の母は89歳になりましたが、元気に一人暮らしをしています。
  元気といっても、あっちが痛かったり、こっちが具合が悪かったりはしますが、年齢に比べればとても元気で前向きです。本当にありがたいことです (*^_^*)

  今まで世話になった分、恩返ししなくちゃ、と思っているので、週に一回は顔を出すように努力しています。たった10キロの距離ですが、クルマだと、世田谷通りが順調に流れていても、だいたい40分かかります。
 北海道なら10キロだったら、10分足らずでつく距離なのにな・・・と、信号待ちをしながら考えます。

  信号といえば、毎回、感動します。日本は、まだまだ大丈夫だぞ、って思います。
  というのは・・・・・
  実家に行くのはたいてい夕方から夜にかけてなので、帰りは11時ころになります。
大きな信号はもちろんですが、小さな道との交差点で、信号が赤だと、どのクルマも、おとなしく停まって待る・・・・んですよね。右からも、左からもクルマの来る気配がなくても、おまわりさんの姿が見えなくても、さーっと走り抜けて行く車がいないことに、なんだか、感動しちゃうんです。 

  特に、自宅の一番近くの交差点は夜11時も過ぎると、めったにクルマは通りません。
直線なので、曲がってくるクルマがなく、歩行者どころか自分以外に人っ子一人いないのが見晴らせるのに、やっぱり赤信号で停車して待つ、自分自身のことをも「君はえらい!」って思いつつ、なんとなくニヤニヤしてしまいます。律義というか、生真面目というか・・・・。

  人はいつかは死にます、必ず。母がいなくなったら、この道を夜に走ることもなくなるんだなー、などと思いつつ、信号待ちがなんだかうれしいのでした。
 生きているのって、ステキだな、人間って悪くないな、なんて思いながら。

    
 

  映画「ぼくはうみがみたくなりました」の試写会を見に行った方から、感想が寄せられたのでご紹介します。

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「ぼくはうみがみたくなりました」の映画、試写会で見ましたが、とても心に残っています。

 単に”自閉症”の啓発映画ではなくて、自閉症の”ぼく”に出会った人たちの心模様が
とても自然に、暖かく、ていねいに描かれていて、観る人がどこかに自分を投影できるような・・・
  「こう関わってください」と教えるのでなく、見終わったあとに、
ふと、自分と障害を持つ彼ら彼女らとのかかわりを見つめ直す・・・そんな気にさせる深い映画でした。
暖かいメッセージが伝わってきました。
 障害のある”ぼく”は単に”いる”のでなく、まわりの様々な人たちの心の中に響きあって存在するのだ・・・・・・・・・・・
あたりまえのようなことですが、あらためて感じました。
 ぜひ多くの方に観てほしいなと思います。 

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 私は18日までの恵比寿での上映期間には時間が作れそうになく、残念です。

  職人さんのふるまいには、いつも感心させられます。今回もそうでした、解体業者さん。

  我が家が建て替え工事を始めたことは、お伝えしたと思います。
旧宅の解体が9月8日火曜日から始まり、今日12日土曜日で、土地はすっかり更地になりました。すごいハヤワザ!!

 いろんな取り壊しの現場を通りかかると、ガシャーン、バァリバリバリ、ドスン!ゴンゴン!!  と、ほこりをもうもう巻き上げながら、家がひとたまりもなく崩れていく様子に遭遇します。

 我が家もあんなふうに崩されるのだとしたら、ちょっと悲しいな、と思っていたのですが、予想とはとても違っていました。大きな重機が運び込まれたのですが、取り壊し方の美しく静かなことといったら。

 確かに重機で「バリバリ」壊していくのはその通りなのですが、職人さんたちみんな、することがていねいなのです。たとえば、木切れを4−5個まとめて、そばにおいてあるまとめ用のボックスに入れるとします。私だったら、いちいち歩くのも面倒なので、「ええい!ぽい!」とボックスに投げ込むところなのですが、彼らは、「わざわざ」数歩歩き、「ボックスに投げ込む」のではなく「ボックスに入れる」のです。

  板も柱も乱雑に積み上げるのではなく、向きをそろえ、ていねいに金属片を除いて分別して行きます。分別がとても厳しくなっているから、と、言っていましたが、何しろ立ち居振る舞いが「投げやり」ではないのでした。
  お世話になった家がなくなっていく過程は、決してうれしいものではありませんが、なんだか「ていねいに扱ってもらっている」という思いがして、とてもほっとしました。
  解体前の数日間かけて、最後のごみをすべて撤去し、ふうふう言って雑巾がけをし、お家さんに最後のご挨拶をして、きれいにして出てきた甲斐がありました。

  家の真ん中の柱には、息子たちの背の高さを測った痕が残っています。それだけ残してほしいと建築士の方に伝えたのが、解体業者さんにもちゃんと伝わっていたらしく、現場に柱が一本残されていました。110センチくらいから始まって、170センチを越えるまでのマジックインクの痕が残っています。残した柱をどうするか、は未定ですが、長いようでいて終わってみれば短かった子育ての思い出のすべてがこの柱に残されているような感慨があります。

 それにしても・・・・
やっぱり、「はたらくじどうしゃ」は カッコいいな!!
  幼い長男の手を引いて歩いていたころ、道路工事、特に穴を掘っている場に遭遇すると、どんなに促しても動かなかったものです。(実は、私も、同じ気持ちでした。いくら見ても見飽きない)
 今度、生まれ変わることがあったら、ぜひ、大型重機の運転手をやってみたいものだとかねてより思っていましたが、今回、思いを新たにしました。クレーン車とか、バックホウとか、ショベルカーとか、もちろんダンプカーもいいし、ロードスイーパーもおもしろそう。
 ねらった場所にぴったりつけたり、一センチとたがわずきちんと穴をほったり、目的の柱を間違いなく、傷なく撤去できたり、道路わきの溝をきれいに掃除できたりしたら、どんなにうれしいことでしょう!!

  そんな話を以前、千葉の統合保育をしている園でおしゃべりしていたら、「私もそう思って、大型二種の免許、取ったんですよ」っていうスタッフの方がいました。
  考えるだけじゃなく、実行に移す人、いるんですね。

     自閉症の青年と、悩める看護学生の出会いを描いた小説「ぼくはうみがみたくなりました」(ぶどう社)が映画化されました。
  9月18日まで、東京 恵比寿ガーデンプレイス内東京都写真美術館ホールで公開中とのことです。
  詳細は、下記「ぼくうみ 公式サイト」をごらんください。  
  http://bokuumi.com/

  小説の作者であり、自閉症の大輝(ひろき)くんの親でもある山下久仁明さんが、映画製作を企画して全国にカンパを呼びかけた矢先、中学校を卒業したばかりの大輝くんが、交通事故で亡くなりました。全国の人たちが心配したのですが、山下さんと、彼を応援する全国の人たちの力で映画が完成したそうです。

  映画公開にあわせてトークイベントなども、いろいろ企画されています。
http://bokuumi.com/news_2.html

  とてもよい映画にできあがっているとのことですので、たくさんの方に見ていただけるといいですね。

  「知っている人を知っていることも大事」  
  これは、「きこえ・ことばの教室」の先生方の中で、合言葉になっていることだそうです。
 たしかに、自分自身が全部のことをカバーできるわけじゃないのですから、何か聞かれたときに「あ、そのことだったら 〇〇さんに聞いてごらんなさい」と答え、別のことを聞かれたら「あ、それは、△△さんが知っていると思うよ」と教えてあげられるような情報を持っていることも、重要な支援ですよね。

  先日、あるお母さんに会ったところ、私のHPを見て飯田医院に行き、漢方薬を飲むようになって家族全体がとても具合よく回るようになった、と、うれしそうに話してくださいました。その変化が漢方薬だけのおかげだと断定的にはいえませんが、ともかく「よい方向」に行くのはとてもうれしいことですし、そのことを感謝してもらえるなんて、私はなんて恵まれた役回りなのでしょう、と思いました。


  このところ毎日のように、いろんな問い合わせがあり、それに対して「さぁ〜 わかりません」ではなく「〇〇さんに聞いてごらんなさい、連絡先はね・・・」と応えられる自分がいます。
  メールだのインターネットだのの進歩に助けられてのことですが、お役に立てて、うれしいなぁ、と思います。

 先週末は、車イスを持参して、遠出しました。遅い夏休みです。
 中央高速 須玉インターで下りて、141号線を清里方向に行く途中にある「おいしい学校」http://www.oec-net.ne.jp/は、ネーミングが風変わりですが、その中のレストラン「ぼのボーノ」のピザやスパゲティも、とてもおいしかったです。
http://www.oec-net.ne.jp/tabe.html
 素材が大事と言いますが、本当に、野菜は水でできているんだなぁ、と思えるような味でした。

 今週末は、山口にお招きいただいて、行ってきました。
 山口宇部空港から、山口市内への往復、タクシー社内で、運転手さんといろいろお話しして視野が広がりました。
  行きの運転手さんは、以前建築関係の仕事をしていた方とかで、東名高速の崩落を突貫工事で直した話に関連して、1時間で乾く高性能コンクリートがある、と教えてくれました。ただし、それは、通常のコンクリートの100倍も高いのだそう。でも、人件費とか、不通期間の経済損失を考えれば、高くても採算が取れるのだろうとの話、へぇぇぇぇぇ。
  それに対して、豪雨による土砂崩れで不通になっていた262号線は2ヶ月近くかかってやっと昨日開通したそうです。人件費がだいぶかかったことでしょう。

 帰りのタクシーの運転手さんは、コンビニで販売するお弁当の製造にかかわる仕事をしていたことがあるとかで、毛髪が落ちないように、髪も、袖口も、ズボンの足元も厳重にゴムで閉め、厳密なタイムスケジュールと任質管理のもと、すごい数のお弁当を作るさまを話してくださいました。

 今までは、何気なく買っていたコンビニ弁当ですが、今後は作る人の存在に思いを寄せながら、大切に食べなくちゃ、と思いました。

  「町は大きな教室だ」という題の本が、以前、発達協会から出ていたと思いますが、ほんとだなぁ、人生、ずっと勉強だなぁ、と思いながらだいぶ涼しくなった東京に帰ってきました。

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「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

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