ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

 私は一人30分とか45分とかに区切られた時間で2歳3歳の小さなお子さんたちと遊びます。
保健師さんが子どもの相手をしてくれて、私はもっぱらお母さん(お父さん)とお話しするときもあるし、私が一人で二役をこなす時もあります。

できるだけ楽しくなって、本当の力を見せてもらいたいと思うので、子どもの興味に合わせ、子どものペースに合わせ、笑顔が出るようにと心がけます。
なので、遊ぶのは、うんと楽しいはずです。

問題は帰るとき。
「さあ、そろそろおしまいに・・・・」と言っただけで、キッと私のことをにらむ子もいれば、「ええーっ」と棒立ちになる子もいれば、ことばが話せるようになっている子だと「やだ」とか「もっとあそぶ!」とか言います。

お母さん(お父さん)たちは、私たちスタッフへの遠慮もあるのでしょうが「早くおしまいにしないと、次のお友だちが来ちゃうから」と説得したり、「帰りに公園で遊ぼう」と取引したり、いろいろです。

本来子どもは、楽しいことからムリヤリ引き離されるのはイヤなのが当たり前。
「イヤ」とか「もっと遊ぶ」って言ってくれるのが自然。
「イヤ」「帰らない!」と言い張る子に、「そうだよねぇ、もっと遊びたいよねぇ」「まだ帰りたくないよねぇ」と、君の気持ちはよ〜〜くわかるよ・・・と共感しつつ「でも、そろそろおしまいにしないといけないから、困った」「そうだよね、もっと遊びたいよねぇ」と何回も行きつ戻りつしていると、徐々に、帰る方向に向かってくれるものです。

もちろん、どうしてもイヤで、大泣きするのを抱きかかえて部屋の外まで連れて行くハメになることもありますけれど・・・。

でも、「イヤだ」とか「帰らない!」と言ってくれると、私たちは「気持ちを出せていてよかった!」とほっとします。

逆に、「そろそろおしまいに・・・・」と言ったあたりで、さっと帰り支度を始めたり、お母さんが「先生にサヨナラして」というと、じょうずにサヨナラできてしまったりすると、「ええ〜、大丈夫かしら?」「自分の気持ち、ちゃんと出せてるのかな?」と心配になります。

2歳、3歳の子は、「イヤだぁぁぁぁぁ」とか「もっと〜〜〜するんだぁぁぁぁ」と、ダダをこねつつ、徐々に自分の気持ちをおさめていくことを学んでいる時期。
最初からお利口さんであることを要求しすぎるのはよくない。

「言うことを聞きすぎてるんじゃない?」「この時期に学ぶべきことを、ちゃんと学べているのかな?」「先に行ってから、揺り戻しがこないかな?」と考える視点も、必要と思います。

親としては、なるべく素直に、悶着をこさず従ってくれる子であるように求めるものです。私にも覚えがあります。その方がラクですから。
でも、子どもの育ちにとって「イヤだぁぁぁ」とちゃんと
気持ちを出せるのは大事なのだということ、そして、その気持ちを受け止めてもらうことがとてもとても大事だということを子育て中の親ごさんたちに、もっと伝えていく必要があるように思います。

9月8日、南魚沼市(新潟県)の「子ども若者支援ネットワーク形成のための講演会」に行ってきました。

主催の「子ども・若者育成支援センター」が教育委員会内に設置されているというのもうらやましいことで、勉強したかったし、相方(?)が、「発達障害の子のいいところ応援計画」(ぶどう社)等で有名な阿部利彦さん(現・星槎大学)なのも楽しみで、行きました。

案の定、「子ども・若者育成支援センター」は、市内の保健師さん、保育園、学校と連動しながら、とても積極的な動き方をしており、100人以上の来場があって、あちこちで「やあ、こんにちは」といったあいさつが交わされていることから見ても、日常の連携が、スムーズに働いているんだなぁ、と思わされました。

阿部先生のお話は、抱腹絶倒がらみ、でも、発達障害や、かもしれない子どもたちへの理解のまなざしを広め、深めるものでした。
めでたく卒業していくことになった子が、最後に阿部先生に残したということばも、「そういう子、いるよねぇ」と、つくづく感じました。つまり、「フツウ」だったら「先生、お世話になりました。ありがとうございました」とでも言って別れて行くような場面で、「先生も、いい仕事しましたね!」と言った、という・・・・(笑

会場の「南魚沼市ふれ愛支援センター」は、大河ドラマ「天地人」に出てきた直江兼続(かねつぐ)の居城近くとかで、落ち着いたたたずまいの場所でした。

越後湯沢から会場もより駅の六日町までは上越線でゴトゴト行ったのですが、線路の周囲は田んぼが広がり、黄金色一色。まさに、「黄金色の」「たわわな実り」ということばがぴったりでした。
来週あたりから、稲刈りが始まるとのこと。
刈り取られた稲が「米」になると、「魚沼産コシヒカリ」になるんですね。

日ごろ、東京ばかりにいてバタバタしていると実感できませんが、この国は「瑞穂の国」なんだなぁ、と思いました。

東京都調布市とのかかわりは、もう35年になります。

あゆみ学園(現・子ども発達センターへと発展)に行き始めてからです。

その後、健康推進課での、健診後フォロー事業としての「子どもの相談室(ことば)」の仕事も、はや、25年以上になります。
保健師さんたちの熱心さと、連携先である発達センターや、フォローグループの内容の充実に支えられてのことです。
仲間がいるからがんばれます。
それは、狛江での仕事も同じです。

さて、調布市の保健センター(たづくり西館)までは、20分ほどの距離を、クルマで通勤しています。クルマの免許を取る前は、バスか自転車で通っていました。
クルマはラクです。暑くても寒くても、雨でも風でもノープロブレム。

ただ、地下駐車場がトレー式なので、最初は停めるのがとても大変でした。
今はだいぶ慣れたので、汗ダクにならずに、トレーに入れられるようになりました。
と言っても、やっぱり、何回かは切り返しをしなくてはなりません。

今日は、見事! 一発でバック駐車ができました!!
切り返しなしで駐車できたのは、今まで100回以上停めたうちでも、まだ数回です。
思わず駐車場の係員の方に「やったぁ! 切り返さずに停められた!!」と自慢してしまいました。

「今日は一日いいことがありますよ!」と、言ってもらえて、うふふ・・・でした。

7月23日に、文部科学省より

「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」  が発表されました。

これは、「文部科学省中央教育審議会>初等中等教育分科会>特別支援教育の在り方に関する特別委員会」の報告です。

「概要」の中の冒頭部分だけ貼り付けました。


 〜〜〜〜「概要」より 冒頭部分を貼り付け〜〜〜〜〜〜〜〜

1.共生社会の形成に向けて

(1)共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築

  • 「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。
  • 障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
  • 共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。
  • インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である。小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


詳細はぜひ本文を読んで下さい。

平成19年4月1日付けの文部科学省の「特別支援教育の推進について」(通知)を読んだときのうれしさを思い出しました。

暑い暑い日々。
省エネを心がける・・・・と言っても、高齢者の仲間入り間近な私としては、ガマンして熱中症になるよりは、冷房を適切に用いて、ダウンしないことが肝要。
遠慮なく、エアコンをつけることにしています。

でも、電気を消費することに、どことなく罪悪感もあるので、せめてもの罪滅ぼし?のために省エネを心がけ、必ずやっていること。それがすいかの皮の天日乾燥です。

すいかは発汗を促し、腎臓のはたらきを高めるというので、暑い時期には意識的に食べるほうがいいそうですね。
でも、皮がたくさん出ます。
水分の多い生ゴミを燃やすには、石油をたくさん消費する、少しでも水切りに協力してほしい、とテレビで言っているのを見ました。
「なるほどーーー」とガッテンして、それ以来、スイカの皮は、ギラギラの太陽の下で、カラカラに乾かして、容積と水分を減らしてからゴミに出すことにしています。

水気たっぷりのスイカの皮の姿と、カラカラに変わ
り果てたお姿とをアップしました (^_-)-☆  
干しあげた方は、「カラカラ」と音がします。 

そういえば、小学校の(多分高学年の)夏休みの自由研究で「野菜の水分量を測る」というのをやったことがあります。
大根やニンジンやきゅうりを小さく切ってカラカラに干して重さをはかりました。結果はよく覚えていませんが、何しろ、「野菜のほとんどは水分なんだなぁ!」と言うことが分かりました。

今回はスイカの皮の重さの変化は測定しませんでしたが、やってみたらおもしろかったかしら。

すいかの皮.jpg

世田谷区で一人暮らしをしている高齢の母から夜になってから「かかりつけ医のお盆休みを忘れていて、飲み薬が今日までの分しかなかった!」とメールが来ました。
あら大変。心臓とか血圧の薬なので、一週間くらい飲まなくても大丈夫、ともいえますが、薬で健康が維持されているとしたら、この暑さの中、一週間薬なしは心配。
近くにある医院は軒並み御盆休みのようです。

翌朝一番で、いつもお世話になっているケアマネージャーさんに電話して「この時期でもやっている病院を教えてください」とお願いしたところ、いくつも教えてくれました。
午前中しか診療していない公立の大きな病院には行かれません。私は午前中から四時までは仕事の約束があったので。
教えてもらった中に、下高井戸駅前のY小児科内科病院の名前があったので電話して聞いてみると、18時まで診療しているとのことだったので、そこに行くことに決めました。

そのY小児科内科病院には忘れられない懐かしい思い出がありました。
長男が3歳か4歳くらいだったでしょうか、夏の日曜日にアイスキャンディーを食べたら急にひきつけたことがありました。
私たち一家はそのころ、世田谷に住んでいて、当日の休日診療当番医がY病院でした。ひきつけはわりあい簡単におさまりましたが、ともかくも受診!!
かかりつけだった国立小児病院(当時。現・成育医療センターに統合)でのデータや、既往歴などは忘れず持参しました。

Y先生はやさしく「心配いらないでしょう」と言ってくださり、「心配いらない」と判断した理由をちゃんと話してくださいました。
そして、持参した書類を見ながら、「アレルギーの値(IgE)がこれだけ高いのに、喘息の発作は少ないほうですね」とおっしゃいました。
息子のIgE値は、かかりつけのアレルギー専門病院で「こんなに値の高い子は、この病院始まって以来だ!」といわれるほどでしたから。
「精神的には強い子だと思うのですが、そのおかげでしょうか?」と言うと、Y先生はにっこりして「お母さんの育て方が間違ってないからでしょう」とおっしゃいました。
私の最初の本「ことばをはぐくむ」(ぶどう社)のあとがきに書きました。
今でも、Y先生のこのことばを思い出すと涙が出てきます。ありがたくて。

昨日母を診てくださった若い先生は、多分、以前のY先生の次の代の先生だと思うのですが同じYという苗字でした。
事情を話すと、「わかりました、10日分でいいんですね?」とやさしい笑顔。
母が「こんなポカをするなんて。日に日に物忘れがひどくて・・・」と嘆くと、先生は「お歳は?え? 92歳? 92歳でちゃんと一人で薬の管理ができているなんてそれだけですばらしい!! 92歳で、忘れっぽいなんてことを悩める人は少ないですよぉ」と言ってくださいました。
「ガマンしすぎないで冷房はちゃんと使ってくださいね。」とも。

高齢者に対して親切なお医者さんやお店は最近いろいろあります。でも(これは私のひがみ根性かもしれませんが)「はいはい、おばあちゃん、大丈夫ですよ」「おばあちゃんだからどうせできないだろう」「どうせわからないだろう」みたいな前提があっての親切さ、上から目線の親切を感じることの方が多いのです。

Y若先生のおっしゃり方は、それらとは全然違っていて「ひとりの人として大事にしてもらった」という感じがありました。
母も「そんなふうに言っていただくと、元気が出ます!」とうれしそうでした。

私も日ごろ、「来てよかったです」とか「安心しました」と言っていただけるような相談を心がけているつもりですが、なかなか至らないことばかりで。
Y若先生のふるまいから、当事者側としてのいろんなことを、思いました。

年齢や立場や肩書きを超えて、人としての平等、対等。
仕事を通じて、その思想を表現するのは、言うは易く、行うは至難です・・・。

■後日談■
一週間ほどしてから、用事があって、下高井戸のY内科小児科病院の受付にいきました。
朝一番で、まだ患者さんもちらほら。
その時、目の前を、忘れもしない、30数年前に長男を診てくださったY先生が通りかかりました。ちらっと目が合っただけでしたが、そのやさしそうな目を見ただけで、思わず、うるうるっと涙がこみ上げてきました。こんな経験は、あまりしたことがありません。
あれは、何だったのかな〜と、不思議です。
オーラというものなのでしょうか・・・。

2012-08-12

 特に目立った産業や、これは!という特産品のない狛江ですが、狛江産枝豆は自慢の品だそうで、「枝豆アイス」を農協で売っています。

市内を自転車で走っていると、至るところに「産直」ののぼりのはためく野菜の無人販売所があります。朝早く行かないとすぐに売リ切れてしまいます。いつも無人とは限らず、おじさんやおばさんが店番をしている時もあります。

無人販売で困るのは、小銭がないときです。ナス一袋100円だけほしいときでも、財布に1000円札と500円玉しかなければ、やむなく、ピーマンやらトマトやらを買い足してムリヤリ500円にせざるをえません。
昨日は枝豆とトマトとナスを買って帰り、枝豆はさっそくゆでました。

採れたて、茹でたての枝豆の美味しさは格別ですからね。
でも、一つ、悲しいこと(?)がありました。ゆでたあとのお湯に、カナブンが一匹浮かんでいたのです。「かまゆで」じゃなくて「なべゆで」!!
枝から豆を一つずつはずした時にも、ウンともスンとも言わなかったなぁ。そのすきに逃げてくれればよかったのに・・・・。

家の中に飛び込んで、「ブンブンブンブン!!!」って飛び回るカナブンは敵みたいにおっかけ回すのに、ゆだったカナブンは「かわいそうに」って言うんですから、全く身勝手な理屈です。

など、考えながら、枝豆には罪はないので、おいしくいただきました。

狛江市は、東京都特別支援教育推進第三次計画のモデル事業を受けて、小学校全校への特別支援教室設置の可能性を探っています。

「学級」ではなく「教室」になってしまう点に大きな問題をはらんでいるとも思われますが、ともかく、小学校6校に対して通級学級設置校が3校ある、つまり2校に一つの通級学級があることを、生かしていかなければと思います。

さて、「特別支援教育」の「特別」が、いつも、とても、気に入りません。
「あの子は【特別】だから、【特別】の場所に行くべきだ」という排除の論理の裏づけになりかねませんし、実際、地域によっては、学校によっては、まさにそのような使われ方をしているところもあるからです。

狛江市は、特別支援教育のスローガンを
「全ての学校の、全ての教室で 全ての教員による 全ての子どものための特別支援教育」としています。

「あなたが担任する、その学級で、支援を必要とする子も、そうでない子も、しっかり見て、個に応じる教育をしようではないか!」という呼びかけです。
実際、「手のかかる子」「気がかりな子」を念頭に、わかりやすい授業、安心できることばかけを工夫することで、全ての子どもたちが安定し、授業に向かう態度が確実に改善することは、私自身が、あっちでもこっちでも見聞きしています。

私は日ごろ、保健師さんたちと一緒の仕事が一番多いのですが、地域住民の健康を守るためには、「地域の全数対象の」「予防的関わり」が必須であると感じています。
それは、学校においても、同じ構図だと思っています。

すべての子どもたちに望ましい、ていねいな関わりをしていくことが、何年か先の学級の荒れや、不登校の出現や、いじめの可能性を未然に防ぐ働きもしているのだろう・・・という意味で。

保健師の仕事でも、予防的かかわりをきっちりと、丁寧にやればやるほど、表面的に出て来る「問題」(育児不安からの親子心中とか、虐待とか)が少なくなるので、「この地域は問題がないじゃないか。人員を減らしても大丈夫だろ?」ってな話になってしまうのが、くやしいところです。

でも、出てきた問題に対処する後手後手のその場しのぎではなく、「全ての子ども」に視点を置いた、予防的介入のあり方こそ(就学前ー就学への情報の引継ぎ、ネットワークによる支援も含め)一番課題にすべきことだろうと思います。

日本LD学会会報に、狛江の特別支援教育の工夫について書けと言われ、いろいろ考えました。原稿依頼の陰にはどうやら上野一彦さんがいたようです。
上野先輩は、2月に狛江で開いたシンポジウムにお招きした折、「お世辞ではなく、狛江は、よくがんばってると思いますよ!」って言ってくださいました。
日ごろ辛口批評で有名な上野先輩なので、かなりの高得点だと私たちは気をよくしました。

狛江市が取り組んでくれていることは、方向として決して間違っていないと思っていますが、財源の乏しいわが市で実現していくには、さらに、さらに、知恵と工夫が必要そうです。 

 6月2日 岩手県陸前高田市   7月21日 宮城県気仙沼市 に行きました。

私が理事長を務める「一般社団法人子どもの発達支援を考えるSTの会」は、会員の皆さんから集まった支援金をもとに、療育機関から希望があった物品を寄贈したり、現地に継続的にSTを派遣したりする活動をしています。

事務処理能力ゼロの私に代わって、会の事務所の担当の方が走り回って実現してくださっています。STは、いわば「口先商売」のヤカラですから、具体的に何かを応援する・・・ということができる気がしませんでしたが、今回の講演やST派遣などを通して、目に見えない、こころの育ちやことばの育ちを応援することも、また、子どもに関わっている保育士さんや、療育機関のスタッフの方たちや保健師さんを応援することも、STにできることなのだな・・・・と痛感しました。

気仙沼の講演・シンポジウムの企画主体のSさんは、気仙沼出身の心理職。
震災直後から気仙沼の医療支援に入り、結局、勤めていた東京の病院を退職して、現地支援、コーディネートを続けているという方でした。ヘソクリを取り崩しているのだそう。
凡人の私などは、「どうして、そこまでして?」と思いますが、「やらなきゃならないと思うから」やってらっしゃるのでしょうね・・・・・。
「ミッション」ということばが思い浮かびました。

気仙沼のホテルは、宿泊できるようになったところも多いけれど、復興関連の作業員の方たちを最優先で泊めているので、私たちのような不要不急の人員の泊まるところはほとんどないそうです。
私たちは、Sさんの親戚のお宅に「民泊」させていただきました。

市街地にあったお家は跡形もなく流され、山に近い方にほとんど使わずにあった、この家にやっとのことでたどり着いたのだそうです。昔ながらの畳の部屋が幾部屋もある広いお家でした。

奥さんやおばあちゃんが、おいしいおいしい食事を作ってくださり、いろいろなおしゃべりに花が咲きました。何かの拍子に「流された」という言葉がふっと出てきます。

Sさんがクルマで案内してくださった市街地は、家の土台だけが残るだだっぴろい平地です。クルマが走るには支障のない新しい道ですが、よく見ると、道だけが1メートルほど盛り土されて周囲よりも高くなっています。町全体が1メートル近く地盤沈下した、というのは、こういうことなのですね。

お家の方たちの話では、津波が迫っているなど全く思わず、海岸に近いご自宅に荷物を取りに帰ろうとしていたが、警察の車両が「津波が来るからすぐに山の方に避難して下さい!」と声をかけていたので、「だったら、渋滞もひどいし、山の方に行くかね・・・」程度の気持ちでゆるゆると避難したのだそうです。「あの時、警察のクルマが来てくれなかったら、今頃は・・・・」とおっしゃっていました。

ちょうど、おいしいヒジキをまとめ買いし、さあ、これで当分おいしいヒジキを食べられる・・・と思っていたのだけれど、自宅と、自宅に停めてあったクルマもろともヒジキも流されてしまったとも話してくださいました。
「流される」とは、少しずつ集めたお皿や、調理器具や、好きだった洋服や、家財道具や通帳など、生活の一切合財を失うこと、過去だけでなく、「おいしいヒジキを食べようと楽しみにする」未来をも失うことだったのだ・・・・と、そのエピソードから強く感じました。

町のようすをじかに見ると、「復興」と言っても、そうそう簡単なことではない・・・とつくづく感じます。

せめての協力を、と思い、知的障害のある方たちの作業所「松峰園」で製作している気仙沼の観光キャラクターグッズ「
ほやボーヤ」のストラップを買ってきました。
とても可愛いキャラクターです。
松峰園で、実際に製作している工程を見せていただいたので、なおのこと愛着がわきます。

ちなみに、ホヤとはこのあたりで特産の貝の名前です。見た目グロテスクな形をしていますし、ちょっと苦い味がするんですが、私は大好物です!
ネットで「ホヤ」と検索すると、気持ち悪〜〜い画像が出てきますよ。

「ほやボーヤ」ストラップには、ついている石によって、たくさんの種類があるのですが、私は「金運」メインのものにしました!
お金の必要な事情があるんです、狛江関連で・・・・・。

また、気仙沼、陸前高田に行く機会があれば、と思っています。

 21日の気仙沼での講演・シンポジウムのために一日早く一ノ関まで来ました。東京では、吐き気がするほどの(熱中症寸前?)暑さだったので、着るものはただひたすらに涼しいものを準備しました。気仙沼では療育機関等の見学が予定されているので、暑さで倒れると大変!

ところが、東北新幹線を一関駅で降りたとたん「ナニコレ?」  
寒いんです、半袖では!
信じられな〜〜〜い。
駅の人も、「いやあ、夕方から急に涼しくなって」って言っていました。
ホテルの大浴場で一緒になった人が「一関は、寒いほどですねぇ。盛岡は“ちゃんと”30度近くあったんですけどねぇ」って言っていました。

明日も、一関、気仙沼ともに最高気温21度程度の予想が出ています。
予想外の「避暑」になるのかもしれません。風邪引かないようにしないと!

 今日、7月17日、伊勢崎は39度1分を記録した、とニュースで言っていました。
伊勢崎は、先週末(14日)看護協会伊勢崎支部のお招きで行ってきたばかりです。当日も、暑かったですが、せいぜい33度くらいだったと思います。

私は最近、講演の依頼が、モノスゴク多いので、開口一番「保健師さん以外からの依頼は、基本的にお断りしています!」とお伝えすることにしています。ま、例外もあるんですけどね。

今回も、最初の依頼のメールを保健師さんからいただいたので、お引き受けしましたが、実は主催は看護協会でした。出席者は、看護師さんと保健師さんが半々くらいとのことでした。
確かに病院づとめの看護師さんたちにも、発達障害や「ことばの遅れ」について知っていていただくと、保護者が辛い思いをしなくてすむ場面が出て来るだろうな〜〜と思いました。

一般的には知られていないことだと思いますが、看護協会の中には「看護師職能」と「保健師職能」「助産師職能」があるそうです。
「職能???」
時々、お招きを受けた先の研修会会場の案内版に「保健師職能研修会」と書いてあったりします。最初は、「?」と思いましたが、もう、なれました。

さて、伊勢崎まで行くなら、3駅隣の桐生に行かないわけには行きません。
桐生に行き、親友、金居孝子さんのお店とおりゃんせに行きました。
いつ親友になったかというと、1988年か89年です。星野富弘さん関連で。電話をかけて金居さんの声を聞いたとたんに「あ、これは、親友だ!」と分かった、という関係です。二人ともが同時に思ったところがおかしい。
その後も、電話をかけようとしていると相手もかけようとしていたり、なんだか以心伝心の仲なのですが・・・・

「とおりゃんせ」は本来「お人形とオルゴールの店」のはずなんですが、今回は、からだにいい食品がいろいろ取り揃えてありました。
いろいろないきさつがあって、「からだが元気になる食べ物を食べる!」ことにしたんだって!
私もお相伴にあずかり、「からだによさそうな、しかも、美味しい夕食」を食べさせてもらい、また、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとおしゃべりをしました。

会ったのは2年ぶりくらいらしいのですが、会ったとたんに「昨日の続き」になれるのが、親友の親友たるゆえん。

不思議なもので、会うときはいつも、二人とも、いろんな意味での「岐路」というか「スタート地点」に立っている時なのです。今回もそうでした。

あれこれありますが、でも、「やっぱり、やるっきゃないね!」「がんばってみようじゃないの!」との結論に達しました。

21時18分桐生発のJRに乗り、狛江に0時半くらいに着く予定だったんですが、なんと、小田急で事故が二つおきてしまい、運転見合わせ。途中駅でえんえんと停車してしまいました。
運転再開して、家にたどりついたのは午前2時でした。
小田急線の車掌さんは、まだ若い方のようでしたが、10分か20分おきくらいに「現状をお伝えします」と、細かく車内放送をしてくれました。
おかげで、「しょうがないなぁ」と思いつつも、待つことができました。
「見通しが持てる」って大事ですね。

 クルマを買い替えました。車検の前に。

ほんとは、ハイブリッドを、と思ったのですが、信頼しているクルマ屋さんが「地方で長距離を走るならともかく、東京みたいにチマチマ走っては停まり、走っては停まりするところではハイブリッドは余りオススメしませんねぇ」とのこと。価格の点もあって、ハイブリッドではなく普通の小型車にしました。

前に乗ってたクルマのドアが重い、ハンドルが重いなんて思ったこともなかったのですが、たまたま昨年青森で借りたレンタカーのハンドルがくるくる回り、ドアが軽く開くのでビックリ。こんど買い換えるなら、これにしよう!と思っていたのです。

年齢と共に、力が弱くなり、動きも悪くなる。
その分、使いやすい道具、能力低下を補ってくれる機器の力を借りるに限ります。
バックする時に後ろのようすが映る「リアカメラ」つきのものにしました。

も一つおまけに
ナンバーも気に入っています。5×3=15  に似た「いい感じ」のナンバーなんです。
前のクルマのナンバーは「4699」でした。何かつかみどころがなくて。「4669」なら23の倍数だったんですけどね。

新しいクルマを取りに行く日、旧のクルマによ〜く「ありがとう」って言っておきました。

一番乗ってもらいたかった91歳の母を乗せたら「ドアが軽いわね」「クルマの中が静かね」「振動が少ないね」と言ってくれたので、よかったです。


6月2日(土) 岩手県陸前高田市(会場は隣町の住田町)で、復興支援講演会と銘打って中川の講演会を開きます。

テーマは
「子どものこころとことばを育てるために」
主催は
「一般社団法人(になったばかりの)子どもの発達支援を考えるSTの会」です。
この会は、10年前に、まだまだ社会的に認知されていない子どもの発達支援にかかわるST(言語聴覚士)とその関係者とがつどう「ひろば」を作りたいということで設立、メーリングリストによる情報交換を中心に活動してきました。

会員がかかわっていた陸前高田市の療育教室が被災したことをきっかけに、会として支援金を集め、ST派遣など「顔の見える」支援をしてきましたが、その延長線上で講演会開催の話が持ち上がりました。

私は、力仕事では、全くお役に立ちませんが、「お話をするのでよければ喜んで!」とお受けしました。

現地や近隣の保育士、保健師、幼稚園の先生そして、保護者を対象に、子どもの発達全般についての元気の出る話をしたいと思っています。

詳細は「一般社団法人子どもの発達支援を考えるSTの会」HPからご覧下さい。
当日は、被災地を回るバスツアーも計画しています。

近隣にお知り合いがおられましたら、どうぞ、お伝えください。参加は無料です。

なお、7月21日(土)には同様の中味の復興支援講演会を気仙沼市で開催します。

たまたまNHKテレビをつけたら、宮島(広島県)のことをやっていました。
懐かしい!!
私は中高の6年間、大竹から己斐(こい。現在は西広島)まで45分かけて汽車で通学していたので、毎日二回ずつ(往復で)海に浮かぶ厳島神社の鳥居を見ていました。

夏休みになると「これから行こうか!」って、母と一緒に、汽車で20分、連絡線で10分かけて宮島に泳ぎに行ったことも何回かありました。宮島の海水浴場は海がとってもきれいだったからです。

中学校の遠足で宮島に行ったこともありました。渓流という感じで、実に美しい冷たい水が流れていました。

弥山(みせん)、紅葉谷(もみじだに)、大聖院(だいしょういん)・・・・・
どこも、何回行ったか分かりません。うどんがおいしいです。「牡蠣うどん」てのもあります。
参道の土産物やさん。中高の時の同級生のお店も一軒あるんですよ。

汽車はディーゼルになり、電車になり、宮島口と大野浦の間に「前空」という駅が一つ増えました。
私が汽車通学していた当時(「キシャツウ」と呼ばれていました。大半のクラスメートは広島市内から路面電車で通っていましたからね)山陽線の線路からは、鳥居が「見え放題」でしたが、2年ほど前に宮島を通りかかった時には、海と線路の間にマンションやホテルが建っていて、ほんのわずかの区間からしか見えなくて、残念でした。

時は移り、人も、たくさんのことも変わりましたが、自然と風景と伝統とが変わらず残っているのはとってもうれしいです。
伝統といえば、宮島は「神の島」なので、神様のお使いの鹿を守るために犬を飼うのはご法度だったり、島内にはお墓がなかったり、いくつかの決め事がありましたっけ。
番組の中である人が言っていましたが、確かに島全体に、何度でも行きたくなるような、いつまでも留まっていたいような、不思議になつかしい「気」があるのかもしれません。

私には、苦手なことはたくさんありますが、「一番苦手なのは、人に会うことと外に出かけること」というと、決まって「ええーーっ。とてもそうは見えませんが  \(◎o◎)/!」と言われます。
そりゃあそうでしょう。
私と(家の外で)会う人は「お外に出かけるモード」になっている私としか会わないからです、きっと。

このところ、地域で活動している団体「一般社団法人サポート狛江」は立て続けにシンポジウム、講演会やイベントを行っているので、そのチラシをあちこちに配布して歩かなければなりません。幼稚園、保育園、地域のセンター等々。

たかがチラシ配布と言っても、出かけて行って、園長先生や、その機関の責任者と顔を合わせニコニコして「よろしく〜」って言うのが、ほんとに大変。
一日延ばしにして、最後は踏み倒す・・・という欲求に駆られますが、日にちが迫っており、何より、自分たちで、「やろう!」と言い出して実施することなので、そういうわけにも行きません。あ〜あ、と思いながら、出かけます。
こうやってチラシを配ること自体が「顔の見える連携」を作ってきた底力になっているのも確かですし、思わぬ情報を聞かせてもらうこともあります。

でも、できることなら、一日中、一歩も外に出ず、うちの中で、本を読んだり、ゴソゴソして暮らせたらな・・・・・。一ヶ月くらいなら、難なく、そういう日を過ごせるな・・・と思いつつ、連休に突入です。

さあ、部屋を片付けなくちゃ。何がどこにあるんだか、探し物をしている時間の方が、仕事をしている時間より長いなんて、悲しすぎます。

今日、4月21日は、私が理事長を務める「一般社団法人サポート狛江」が主催した講演会「お互いの“違い”を認めてコミュニケーションを進めるために」でした。話してくださるのは、綾屋紗月さんと熊谷晋一郎さん。
講演に招かれるのは簡単ですが、お招きする側は準備も後片付けも含めて大変!といつも思います。
サポート狛江メンバーの底力を感じるのも、こういうイベントのときです。

綾屋さん、熊谷さんについては、「発達障害当事者研究」「つながりの作法」などの多くの著書があります。

綾屋さんのブログも、今日始めて訪問してみましたが、とても心地よい場所でした。

心地よい といえば、今日のお二人のお話は、とても刺激的で、勉強になることが満載でした。でも、それ以上に、心地よい、充実した、魂の栄養になる時間をもらったなぁ、というのが一番の感想です。

場の雰囲気とのチューニングができないうちは、ことば(音声言語)がうまく出せず、手話でないと話せないという綾屋さん。でも、少しずつ音声で話せるようになって紡ぎ出してくださる「ことば」の一つずつに、力があり、重みがあり、あたたかさがあり、じかに心に響いてくるような「波長」とでも言える「何か」がありました。

熊谷さんのことばは さらに、深く、広く、心地よく、その場にいるだけで、ふわ〜〜っと、まるで極上の音楽に包まれているような気がしました。
聞いているのは「音声言語」なのに、「言語の意味」を超えたメッセージを受け取ったような気がしました。熊谷さんのたたずまい自体も、人を落ち着かせる雰囲気に満ちている気がしました。

本を読んだだけでも「そう、そう!」と思っていましたが、肉体と肉声を目(耳)の前にしてお話を聞くことは、やはり、別の意味合いがあるんだな、と思ったことでした。
「シェア」とでも言うのでしょうか。

講演の会場に、筆談援助による意志疎通をしている女性が来場していました。
講演が終わってから「面白かったですね〜〜」と話しかけると、筆談で「ちょっと、むずかしかったけど。でも、きて よかった です。 なかがわせんせいも おつかれさま でした」と書いて下さいました。
東田くんもですが、この女性も、重い障害を持つとしか見えない外見と、繊細で豊かな内的世界とのあまりに大きな落差に、筆談で意志疎通ができるということを、なかなか信じてもらえなかった時期がありました。
今は、幸いよき支援者に恵まれて、筆談で表現できることを、人ごとながら、本当にありがたいことだと思いました。

私が援助者になれないのは「ゴメンナサイ」という気分でもあるのですが、一回の人生で、一つのからだで、できることは限られているので、私は自分の思う所に従って、少し別の方面で、トライしようと思います。

いや〜〜 疲れましたが、充実 (^_^)v 
気がつくと、ここの所、息をつめたり、はぁはぁと浅い呼吸になっていたのですが、今日は、深い、気持ちのいい呼吸ができています。

 今日は、府中で、東田直樹くんとお母さんの美紀さんの講演会がありました。
東田くんとご家族とお会いしたのは、3年前に東京大学で開かれたシンポジウムの時以来で、東田くんは、一段と大人っぽく、青年らしく、ステキでした (^_^)v

各地での講演日程がずいぶんハードに入っていて、さぞ大変でしょう。
講演前は、場数を踏んでいるナカガワでさえとても緊張するのに。
「僕たちのような子どもたちがいることを、もっと知ってほしい」という願いから、ある種の“覚悟”を持ってのことだろうと思います。

講演前半、東田くんの口から、自閉症の当事者としてのさまざまな特性や困難、周囲の人に望むことなどが話された後、文字盤を使っての質疑応答でした。
後半は美紀さんによる、東田くんとの暮らしと、親としてトライしてきたことのお話でした。

いつものことですが、今回も、本当に不思議な気持ちになりました。
講演前には緊張して、何度も何度も同じフレーズを繰り返したり、合間に(言いたいわけではないのに)関係のないことを言ってしまったり、休み時間にはピョンピョン跳ねちゃったり、「話のできない自閉症の人」としか見えない外見からは想像もできない思慮深い答えが次々つむぎ出されるからです。

4歳3ヶ月の時、当時通っていた塾のスズキ先生とはじめて筆談をしたとき「ぼくのこと なんにも しらないのに  しっている ふうに いうから イヤ」と書き、スズキ先生もお母さんも、絶句し、この子に、こんなこと書けるはずないのに、と思いながら、でも、涙が止まらなかった・・・と、美紀さんも本で書いておられます。私も、東田くんと会うたびに、その外面と内面のギャップに、驚いてしまいます。 

大事なことは、「東田くんは特別だ」とか、「障害の重い子なのだから、こんなことができるはずはない」とアタマから決めつけず、見た目、どんなに障害が重いように見えても、「本当は、全部、分かっているのかもしれない、表現ができないだけで」と思いつつ、一人の人として尊重し、敬意を持って接するということだと、あらためて思いました。

この後も、各地で講演会が予定されています。
チャンスがあったら、ぜひ、ナマの東田くんに会って、感じてください。
直樹くん、お母さん、お父さん、お疲れさまでした!!

なお、明日4月15日(←訂正 : 「5月1日に」)各地で発売される「ビッグイッシュー」5月1日号に、東田くんと演出家の宮本亜門さんの対談が掲載されるそうです。
「ビッグイシュー」は各地の主要な駅頭などで300円で販売され、そのうちの160円がホームレス支援のために使われます。毎号、東田くんがエッセイを連載しています。 

直樹くんがコミュニケーション手段を手に入れた「筆談」については、以前本を紹介しました。 
「言えないことばを伝えたい   発達障害のある人へのコミュニケーションを支援する筆談援助」エスコアール出版部)

 春先は、精神・身体ともに、ぐんにゃりするナカガワです。

4月初め、花粉症の漢方薬(小青竜湯)をいただきに、朝9時過ぎに飯田先生の所に行ったら、子ども連れの患者さんたちで「門前市をなして」いました。
待合室は、5人入ればギュウ詰めなので、それ以外の人が外にあふれる道理です。
私は、家が近いので、また後で出直すことにしよう、と、夜の診療時間(6時〜8時)に出直しました。

医院の入口に電気がついていたので、ほっとして入ると、先生が出てらっしゃいましたが、なんともお疲れ気味のご様子。

「自閉症は漢方でよくなる!」(講談社)が出て以来、全国各地から、患者さんが殺到。やむなく、平日(月・水・木)の午後の診療時間は予約制にしてあります。
午前の診療時間は、9時から12時なのですが、12時ぎりぎりに飛び込んでくる人が後を絶たず、午前の診療を終えるころにはもう2時になり、午後の予約の人が次々詰めかけて、お昼休みを取れない日がず〜〜〜っとつづいていて、風邪が二週間治らなくて・・・・とおっしゃっていました。

「そりゃ大変!! 私がお昼を空けられる日には、門番をしに来ましょうか? 受けつけは11時で終了です! と、来られる方を断る係りをしに?」と言ったのですが、「でも、遠方から来る人を、そうむげに追い返すわけにも行かないですからね・・・」と飯田先生は、どこまでも親切なのでした。

先生ももう87歳!!  薬も、会計もご自分でなさっていて、本当に大変です。
もっとラクになって、長持ちしていただきたい・・・です。
でも、漢方で、驚くほどラクになる子どもや成人の方たちがあるのも事実なので、診療は永遠に続けていただきたいとも思ってしまうし・・・・・。

せめて、私みたいに、決まった薬をいただくだけの人間は、飯田先生の手を煩わさないよう、他のお医者さんで薬をもらうことにすればいいのかな?

とはいえ、飯田先生に行くと、薬を飲み始める前から、なんだかよくなって来たような気がするんですよね、不思議なことに。
今回 別のことで漢方薬をいただきに行った息子も同じことを言っていました。
飯田先生の代わりの先生って、ありえないのです、私たち家族にとって。
それが私(たち)にとっての
名医たるゆえんなのです、きっと。

自閉症の漢方治療 飯田医院

◆「自閉症は漢方でよくなる!」(講談社)

新聞の広告で見つけた映画です。2月から上映中だったそうですが、まだ間に合いそうでよかった!

法隆寺の大修理、薬師寺の伽藍復興などをなしとげた最後の宮大工といわれる西岡常一さんにまつわるドキュメンタリー。

西岡さんの本、「木のいのち 木のこころ」(天)(地))(人)三部作(草思社)は、すばらしく示唆にとんだ本でした。今は3冊分まとめて新潮文庫に収められているようです。
木を使って建てるときの心得は「個性を殺さず 癖を生かす」こと。
人が育つ、人を育てるということも全く同じと思い、一筋に生きる人のことばの一つずつの深さに、わが身を思い返しながら、何度も読み返した本です。

この宮大工西岡棟梁の最後の仕事ぶりの映画、上映は2月から始まっているようですが、まだまだ、この後も上映予定が続きます。

私も時間を作ってぜひ見に行こうと思います。

「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」

ST(言語聴覚士)という仕事をしていてうれしいことの一つは、よき仲間、人間としてすばらしい人 の存在にふれられることです。

成人の言語障害、摂食・嚥下障害については、医療保険、介護保険という頼れる傘ができたために、逆に、自分たちで何とかしなくちゃ、という動きが弱まっているように私からは見えますが、子どもの発達の分野では、何も守ってくれる後ろ盾がないために、逆にがんばる人たちがたくさんいるように思います。


「とくしま発達しあわせネット」の代表のAさんも、全国にいるそんなステキなSTの一人です。代表のAさんがスポーツ大好き人間であることから、キッズサッカーを中心に事業展開し、あわせて発達に関する研修会、勉強会などを行っています。

スポーツといえば、障害のある子どもたちがスポーツを楽しむチャンスは、まだまだ少なく、また、適切な指導のできる指導者もとても少ない現状だそうですが、徳島の子たちは幸せだわ〜。障害のある子どもたちのサッカークラブとしてはNPO法人トラッソスが有名です。狛江の子どもたちもお世話になっています。

さて、「とくしま発達しあわせネット」が世界自閉症啓発デー(4月2日)に併せて行う映画会の案内をもらいましたので、転載します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜転載ここから〜〜〜〜〜〜〜

4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー
4月2日〜8日までは発達障害啓発週間です。

「とくしま発達しあわせネット」では
4月8日(日)に自主映画上映会≪「ちづる」in とくしま≫を行います。
また、会場では発達障害啓発とくしまキャラバン隊さくらによる発達障害体験会や(株)ヤンセンファーマさんのバーチャルADHDの体験会を併せて行います。

映画ちづる公式ホームページ... http://chizuru-movie.com/
申し込み http://tokushimashiawase.web.fc2.com/
とき:2012年4月8日(日)
開 場=14:00
上 映=14:30〜16:00
*発達障害疑似体験会は14:00〜16:30まで

ところ:ふれあい健康館 ホール
          (徳島市沖浜東2-16)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

お近くの方はどうぞ。

お問合せ・ご相談はこちら

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

お気軽にお問合せください