私の本のさし絵をいつも描いて下さっている林やよいさんの文、ご本人の了解を得て転載します。
「わ・はは」という、重度の障害のあるお子さんを持つお母さんたちのサークルの冊子に掲載されたものです。
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ありがとう 林やよい
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脳性まひで、知的にも身体的にも重度のしょうがいのある娘と暮らしてきて十七年経った。人には「お母さん、よくがんばって育てて来られたわね」と言われるが、どう考えても「しょうがいじの母向き」でない私を、引っ張ってきてくれたのは、娘のほうである。
たとえば私は、たいへんひがみっぽい。
子どものころから、何か物事につまづくたびに「どうせ、私なんか」とすねていた。
体育でも、勉強でも、友だち付き合いにおいても、「できる人」と自分を比べては、いちいち落ち込んだ。だから、「標準」とかけ離れている娘を授かったときは、きっともう立ち直れないと思った。
ところが・・・・・。
予想をはるかに超えて発達がゆっくりな娘と暮らし、ほとほと疲れ果て、比べるのをやめた途端に、ストン、と楽になった。実は「こうでなくっちゃだめ」という物差しを作っていたのは自分で、比べることで私を苦しくしていたのは私自身だったということに、気付いたのだ。
また私は人に気持ちを伝える事が、ひどく苦手だった。
「誤解されるぐらいなら黙っていたほうがいい」と思っていた。
でも、娘と暮らしていると、全然知らない人に車いすの介助を頼んだり、スロープや身障者用のトイレがどこにあるか尋ねたりしなければならない。
さらに進路選択の節目節目には、しょうがい児というものについて全くわからない人たちを相手に、あの手この手で気持ちを伝えなければ門戸が開かない。はじめは仕方なく、だった。
でも、話しかけてみると、世間の人たちは案外温かく、聞く耳を持ってくれていることがわかった。
だんだん、行動を起こすのが苦にならなくなり、このごろは、人に働きかけて、どんな反応が返ってくるかを待つことが、楽しみにさえなってきた。
それから、私は、物の見方がひどく悲観的であった。
何かうまくできたことがあっても「所詮、これだけしかできない」とへこむ。ところが、できないことだらけの娘と付き合っているうちに、ほんの少しの「いいこと」も、目ざとく見つけて喜べるようになった。
いつもは表情の乏しい娘が、ちょっと笑った、とか、支え無しで座っていられたとか、ささいな「いいこと」をとても愛おしく思えるようになった。すると、毎日の暮らしが「いいこと」だらけに変身した。
「いいこと」は、娘の成長だけにとどまらない。
きょうも空が青い、とか、とりあえず元気で起きて動ける、とか、爆弾が飛んでこないところに住んでいられる、とか。
暮らしている周りのことが、いちいち大切に思える。
「当たり前」のことが実はちっとも当たり前ではなく、「在り難い」ことだったことに気付いた。
特別な変化があったわけではない。
娘は十七歳の今も発達診断では生後八か月程度の発達レベルだと言われている。オムツも取れないし、食事も全介助が必要だし、車いすがないと移動はできない。言葉も出てくる気配がない。
だけど、朝、まだすやすや眠っている娘の気持ちよさそうな顔を見ているだけで、心の底から幸せがふつふつと湧き上がってくる。
娘との暮らしは、なんと言ったらいいか、とても、哲学的である。
ほとんど黙っていて、でも、ひたむきに生きている確実な存在であるからこそ、娘は命の重さを、ダイレクトに伝えてくれるのかな。
そして私にいろいろなことを考えさせてくれるのかな。
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林さんのことは、以前にも紹介したことがあります。
ほんとに不思議なご縁の方なのです・・・・・・・。
http://www.soratomo.jp/article/13483818.html