義母が大腿骨骨折で一般病院に入院していました。
私は、「寝ているだけなんて、最悪!一日も早く、回復期リハ病棟のある病院に移らせてあげたい!」と思ったものの、MSW(医療ソーシャルワーカー)さんがあちこち当たってくれても、なかなか転院先が見つからず、このほどやっと回復期リハのある病院に移ることができました。
同室の患者さん同士で集まってお茶を飲んだりおしゃべりしたりできるようなスペースがしつらえられた病室で、通りかかるスタッフがかわるがわる声をかけてくれます。
「生活」が感じられる病院で、とてもありがたいです。
先日お見舞いに行ったら、折りよくリハビリテーションの時間。
PTさんが、ベッドサイドに来て起き上がる練習、足を動かす練習などの手ほどきをしてくれていました。
骨折部位にはまだ痛みがあるのですが、そこに負担がかかる動きをするときには「痛いですよね、痛いですよね」
動きができた時には「おじょうずですよ、そうそう、その調子」「年齢以上の動きですよ」
そして「足の指の動きがとてもいいですね」と具体的に伝えてくれて。
「もっとがんばれ」とか「それではダメだ」とはひと言も言わず、患者自身が「もう少しがんばってみよう」と思えるような声かけの数々。
横で見ていた私は、さすが!と感心しました。
やる気は「(叱咤激励して)出させる」ものではなくて、「(自分からその気に)なってもらう」もの。「なってもらう」には、ほめられる、認められるという喜びがなくては。
リハビリテーションの語源は「再び」「ふさわしいものにする」です。
単なる身体機能の機能回復訓練ではなく、心や生活を含めた「全人間的復権」をめざします。
患者さん自身が「家に戻り“たい”」とか「もう一度自分の足で歩き“たい”」「家族とコミュニケーションし“たい”」などの目標や願い、意欲を持つことが最初のステップ。
意欲を持ってもらうためには、「あなたのことを気にかけていますよ」「あなたは大切な人です」というさりげないメッセージを送ってくれる人(看護師などの病棟スタッフや家族)の存在が不可欠ですし、そこに向かって「一緒に、具体的に努力してくれる人」(リハスタッフ)がいてくれることが大事です。
そんなリハビリテーションの本質を思い出しました。
思い出すといえば、私自身が病院のリハに勤めていたころ、「どうせ、もうよくなりゃしない」「希望なんかない」「訓練なんかしたって、どうにもならない」「いっそ死んだほうがよかった」と、生きる希望や、ましてや、目標などもてずに苦しむ患者さんもいました。
障害を持った自分と折り合いをつけてゆくのは並大抵のことではなく、他人が励ましても意味はない、と分かっていましたが、リハスタッフとして「何もしないで横にいるだけ」の自分の非力を直視するのは、いたたまれない思いでしたっけ。
当時は心身症になりそうなくらいつらい経験でしたが、今思い出すと、なつかしい貴重な経験だったなぁと思えます。
リハの考え方は、発達障害の人たちやその家族、周囲の人たちにも、まったく同じことが当てはまるのだった、発達障害の人たちとの関わりも、「全人間的復権」というリハの観点から見れば当然のことばかりだったな、と、感心し、また、障害と折り合いをつけてゆく人の心のあゆみや、かかわるスタッフ(「支援者」)としての成長も、同じように進んでゆくのだな、と思います。
リハビリテーションの考え方をバックボーンに持つことのできた自分の幸運をも思います。