2013年06月08日

全特連(全日本特別支援教育研究連盟) 夏期セミナー

今年の初め、全特連の夏期セミナーの講師依頼を受けました。
何となつかしい! とお引き受けしました。
私の受け持ちは7月30日(火)横浜会場で午後の枠です。

日程等は ↓ ↓ (会場は 八戸、横浜、高知)
   全特連夏期セミナー 

なつかしい! の理由は・・・・
私の師匠、故・三木安正先生を思い出したからです。
全特連は、三木先生が創設された団体だからです。
三木先生は、旭出学園においても常に「実践と研究。二つが車の両輪」「現場での実践に埋没せず、研究的視点を持て」といつもおっしゃっていました。
「研究のための研究ではない。子どものための研究なのだ」と。

全特連の前身 「特殊教育研究連盟」発足は昭和24年(1949年)。
機関誌 創刊のことば・・・・ 「余りにも立派な言葉はもうたくさんだ。貧しくとも心のこもった素朴な行いと言葉がほしい。この雑誌が実際家と研究者を結合させ、さらに海外の同志とも手を結ぶ機縁となることを期待する(三木安正)」

私は、旭出学園を離れ、STになって医療の場に身を置くようになったあと、久しぶりに三木先生のお話を聞こうと、全特連主催の、多分夏期セミナーに参加したことがあります。
いつもどおりのハスキーボイスのお話に、眠気を誘われましたが(!?)、終わったあと受講生の間を控え室に引き上げる先生を「先生!」と呼び止めると「ああ、来てたの?どう?元気?」といつもの笑顔で声をかけて下さったのが、思い出されます。

お会いしたのはそれが最後になりました。
昭和59年(1984年)にまだ72歳の若さでなくなったからです。

今はもっぱら発達障害、発達凸凹が世間で大流行(?)している感がありますが、知的障害のある人たち、特に、重い障害を持つ人たちのことを第一に考える視点が定まれば、おのずと、発達障害の人たちやその周辺の人たちへの立ち位置も定まるのだと思います。三木先生の思想と行動は、その中心をとらえていました。

全特連が三木先生の生誕100年を記念して編纂した「知的障害教育の歩み〜〜三木教育論と戦後小史」。
ほんとは会員向けの本だったらしいのですが、事務局に無理やり頼み込んで一冊分けていただきました。表紙の三木先生の姿もステキで、思わず、「三木先生、お久しぶり!」って言いそうになります。中味も濃くて、時々、引っ張り出して読み返しています。

旭出学園やそれ以外の場所で、成人してもことばを持たない重度の知的障害の人たちと、ことばを使わないコミュニケーションの成立可能性について、人が分かり合うってどういうことなのか、共に生きるって? と真剣に考えていた若き自分をも、なつかしく思い出します。

三木先生の命日は5月31日。
奇しくも、62歳の若さでなくなった私の父の命日も同じ日です。
みずみずしい若葉の季節は、私にとっては、悲しい思い出の季節でもあります。

そうそう、二人とも180センチほどの、当時としては、とても大柄な人(たち)でした。
今も、たまに、180センチ超の方と話をすることがあると、少しだけ、父のこと、三木先生のことを思い出します。
そうそう、こんな具合に、首を傾けて見上げながら話したんだよね、と。

posted by 中川信子 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然のぶこん
この記事へのコメント
この記事へのコメントをご記入ください。
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

(ブログ管理者が承認したコメントのみ表示されます)
この記事へのトラックバックURL
http://www.blogdehp.net/tb/14840823
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
(当記事へのリンクを含まないトラックバックは受信されません。)