ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

卒業式シーズンです。
今日は、近くの幼稚園の卒園式だったらしく、胸に造花をつけた坊やとお母さんがお話ししながら歩いていました。

2期務めた教育委員から卒業したので、入学式も、卒業式も参列しなくてすむようになりました。教育委員は来賓のトップ位置なので、校長先生に先導されて、体育館に入る時の順番が第一番なので、毎回、プレッシャーでした。
市長か市議会議長が列席される場合にはナンバー2の位置なので、助かったーと思うのでした。

そのうえ、演壇に上がるときに転ばないかしら、とか、スリッパが脱げないかしら、とか、せっかく指導室が書いてくれた祝辞を読む時にくしゃみ発作(花粉症の)におそわれたらどうしよう、とか、くしゃみ発作に備えてティッシュだけはフォーマルのウェスト部分に隠しておこうかとか、いやいや、隠したティッシュが、壇に登るときにポトンと落ちたら末代の恥だわ………とか、ばかばかしいことを心配しなくてすむようになりました。

リルケのことばに「人間にとって一番不幸なのは、これから起こるかもしれない不幸の数々を想像している時だ」とかなんとか、たしかそんなことばがあったと思いますが全くそんな感じ。

教育委員を8年間やったので、単純計算すれば、小学校中学校の入学式と卒業式それぞれ1回ずつ年4回を8年分=32回 式に参列した計算ですが、一度も転ばなかったし、くしゃみ発作にもおそわれずにすみました。

別の誰かのことば、「想像した最悪のことは、たいてい起きないものだ」です。

さて、こんなことを言いたいのではなくて、お子さんたちの成長は、本当に素晴らしい、といいたかったのです。

卒業式に出なくてすむようになってラクになった反面、特別支援学級併設校の卒業式で、幼児期、2歳、3歳でお会いしたお子さんが、りっぱなお兄さんお姉さんになって巣立ってゆくまぶしい姿を見られないのは。、とても残念です。

「2しゃい(歳)」「3しゃい(歳)」のころ、ベッタリ床にへばりついてベェベェ泣いていた姿は片鱗もなくスラリとした笑顔のステキな長身の少年になっていたり、
3しゃいころに、「マシラのごとく」多動で、お友達をひっかくわ、つきとばすわ、かみつくわ、だった問題児?が、下級生に頼られる兄貴に育っていたり、
はたまた、感覚過敏で、これじゃあ生きていくのが大変だよねぇぇぇぇと同情していたお嬢さんが、運動部で活躍して「高校ではバスケをがんばりたいと思います」などと述べるのを聞くと「あ〜れぇ〜。3歳のころは、ボールなんか、ゼッタイに取れなくて、逃げ回ってたじゃない?」とびっくりしてしまいます。

人は成長します。
子どもの成長は、なおさらすばらしいです。
だからこそ、今、先が見えなくて不安で不安でたまらない保護者には、先を歩いた保護者の体験談が、何より必要だな〜と思うのです。

両者をうまくマッチングさせる「場」と「しかけ」が必要で、これが難しいんですね。
狛江市では「家族まるごと支援」の方向を打ち出して、これから進んで行こうとしていますが、実際に、何をどう進められるのか、総論OKでも、各論は多難です。

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「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

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