ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

小学校高学年~思春期〜青年期に、いろいろなうまく行かなさをかかえて、学校に行けなくなったり、お家に引きこもったり(引きこもらざるを得なくなったり)するお子さんにお会いしたり、間接的に話を聞いたりすることが、このところ、とても多くなりました。

実際に、時代、世相のせいで、そういう子どもや青年が増えているのか、「問題」としてとらえられるようになってきたので顕在化したのか、それとも、私が大きくなった人たちの育ちに注意を向けるようになったせいなのか、理由は分かりませんが。

さまざまな背景はあるでしょうが、あらためて、コミュニケーションの大切さを思っています。
そして、「きこえとことばの教室」の先生、阿部厚仁さんの本を読み直して、いろいろ考えるところがあります。

阿部先生は、こんなふうに書いています。長くなりますが引用します。


「私たち、言っていません!」

待ちに待った異動教室。みんな貸切バスに乗り込みました。こらから目的地まで、歌を歌ったりゲームをしたりして楽しく過ごすのです。
後ろの方では席の交換が始まりました。
「席、かわれよ」
「なんで」
「いいから、あっち行け」
「理由を言ってよ」

「うぜえんだよ、死ね!」

こういうことばを使っているのは、男の子でしょうか、女の子でしょうか。

どの子もかんたんに「死ね!」と口にします。

みんなのように「死ね!」とは言えない子もいます。

   (中略)

仲間になるか、仲間はずれになるか

あいさつ代わりに蹴る、押す、叩く。

「バカ」「うざい」「死ね」と言う。
そういう日常に傷ついた子はどうなるでしょうか。
ふた通りあります。

ひとつは同調です。
「何言ってんの、バーカ」
「あんたこそ、バカのくせに」

と言い返しながら、輪の中に入っていく。すると言動は、どんどんエスカレートしていきます。

もうひとつは防御です。
「オレはいい」とひとり輪からはずれていく。
そんな様子を見て、まわりはまた言います。
「なんだよ、ひとりだけ」
「バーカ」

もちろん、先生は注意します。「その“バーカ”って言う言い方がイヤなんじゃないの?」

でも、「相手を傷つけている」という自覚がないから、注意しても馬耳東風なのです。

    (中略)

子どものことばを育てるのは親

「何トロトロしてんだよっ!」   スーパーに響きわたる怒鳴り声。

見ると、小さな子どもを連れたお母さんです。
子どもが泣けば

「いつまでも 泣いてんじゃねえよ!」

そういう子が小学校にあがるとどうなるか。

やはり、ふた通りあるようです。

一つは親と同じような口調になる。
「何言ってんだよ、てめえ」
ケンカ腰だから、すぐにトラブル。友だちも増えません。

もう一つは落ち込んでしまう。
「お母さん、僕のこと嫌いなんだ」
それをお母さんに告げると
「ほんとですかぁ? 私、やさしいですよ!」

子どもは敏感。
穏やかな口調は大切です。
強くて便利なひとことですませていると、子どものことばは育ちません。
それでは、揺れ動く自分の気持ちを誰かに伝えることも難しいでしょう。

伝わらないから口も閉ざす。
聞いても答えない。
答えても単語。
子どものことばを育てるのは親なのです。

   (中略)

私自身がいちばん怖いなあと感じているのが、「死ね」なんていうことばを安易に使ってしまうところです。
どれだけ相手を傷つけているのか気づかない。
言っている本人も、それほど悪意がない。
そんななかでぶつけられることば。
そういうかかわり方をする子どもたち。
みんなどこにでもいる子どもたちなのです。

   (中略)

コミュニケーションの基盤であり、かかわり合いの始まりである家庭。
そこでどんな会話が交わされ、どんなかかわり合いができているのか。
そのことが、とても気にかかります。

もう少し、子どもを近くで見ていきませんか。
もう少していねいにかかわって行きませんか。
もう少しゆっくりおしゃべりしてみませんか。

長くつづかないコミュニケーションも、うまくかかわれない関係も、ちょっとした工夫やコツ、考え方や見方、接し方に気がつけば、よい方向に変わっていきます。

そらは「きこえとことばの教室」での実践で、私たちが証明済みです。
ためしにやってみてください。
こどもたちと一緒の時間が楽しくなります。

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以下、聞きじょうず、話しじょうずになって、コミュニケーションをすすめるためのヒントが提案されています。

「子どもが変わる ハッピーコミュニケーション  家庭内編」(小学館)

ハッピーコミュニケーション家庭内編.jpg

2007年に出版された本ですが、5年たった今は、さらに切実感、いえ、切迫感が増していると感じます。

同じ著者による
「クラスが変わるハッピーコミュニケーション 学校生活編」(小学館)も合わせて読んでみてください。 


人はことばによってつながり、ことばによって気持ちを共有し、喜びや悲しみを分かち合い、 一緒にこの世界を生きていく元気をもらうのだと思うのです。

ことばを大切にする大人によって、子どもたちは、自分を大切に思い、相手をも大切にする気持ちを育ててもらえる。


そんな、当たり前すぎるほど、当たり前のことに立ち返って、乳幼児からの子育てを見直し、考えなおして行かないと、日本の社会は、これから、もっともっと殺伐とした、ヒドイありさまになってしまいそうで、心配でなりません。
何より「どうせ、オレなんか」「どうせ、アタシなんか」って、自分のことをハナから認められず、信じられない人に、育ってほしくないと思うのです。
子どもたちには、幸せでいてほしいから。


家庭での乳幼児期からの、ていねいなかかわりが大事。
世の中に、受け入れられている、という実感を持たせるようなかかわりをすること。
そのことを、是非とも発信していかなければと思います。
が、それが、「家庭の教育機能の強化」といった、“上から目線”の強制的な統制に走ること万事解決できるとも思えません。

どういう方策がありうるのか。
思春期、成人期に向けて「生きているって、悪くないね!」「助けあって、一緒に暮らそうよ!」っていう気持ちを持つ人間に育ってもらうために。 

やはり、地域での、草の根的な子育て支援の積み重ねでしかやって行けないのでしょうか・・・・。

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その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

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