ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

石巻チラシ30%.JPG

 pdfファイルはこちら 1308_石巻講演会.pdf

おしらせするのをすっかり忘れていました。もう、直前になってしまいましたが、8月2日(金)石巻で講演会が開かれます。

主催は 石巻市
協力は 「一般社団法人子どもの発達支援を考えるSTの会」
対象は、石巻管内の子どもの発達支援に従事するスタッフです。

震災後、子どもSTの会会員の中から自然発生的に、被災地支援をしようという意思表示があり、募金が集まり、また、会の事務局のご尽力で、昨年6月に陸前高田、7月に気仙沼で、講演会やシンポジウムを開いたり、協力したりすることができました。
今回は、それに引き続く第3弾ということになります。

講演会は、1回限りですが、子どもの発達支援を考えるSTの会の会員による療育等への継続的支援も続いています。
ほんとうにありがたいことです。

7月、8月は講演ラッシュです。ダウンして穴をあけないように、体調管理しないと。

北海道から戻ってすぐ、一昨日(7月21日)は、
一般社団法人家族計画協会主催の「お母さんと子どもの元気セミナー」でした。
保健師さん、助産師さんを中心に100名を越える参加者がありました。
保健師さんの仲間を自任するナカガワとしては、ありがたい会でした。

引き続き、7月22日は、東京都福祉保健局少子社会対策部主催の
母子保健研修でした。東京都の研修は以前に、保育士対象で引き受けたことがありましたが、今回は保健師さんと保育士さんと両方の参加がありました。

230人募集のところに700人近い応募があったとお聞きしました。
ナカガワに人気があるのだと、もちろんそれはうれしいですが、それより、「ことば」の発達について、よく分からなくて困っているスタッフがたくさんたくさんいるのだと責任を感じました。
ST(言語聴覚士)が、もう18000人を越えたというのに、子どもの現場には恩恵が全然届いていないのですから・・・。どこから手をつけたらよいのか・・・。

で、せめての助けになれば、と思い出しました。
最適のパンフレットがあります。
現場の方たちには、きっと役に立ちます。

「ことばが伸びるじょうずな子育て」(家族計画協会 250円+税)
     (購入方法は文末に)

10年ほど前、地方での講演会の折(たしか、厚生労働省が共催か後援かだったと思います。結構大きな会でしたから)にたまたま家族計画協会の担当者が来ておられて、講演を聞いてパンフレット作成の話を持ちかけてくださったのでした。

障がいのあるお子さんや、障がいかもしれないお子さん向けの本は沢山書いてきたけれど、完全に通常のお子さん向けの、言語発達の手軽な本を出して、親ごさんたちの手元に届けたい!というのが当時の私の切なる願いだったので、本当に有り難い申し出でした。
さし絵はもちろん林やよいさん。
とっても、とっても、可愛らしいパンフレットができて、私は大満足でした。

が、家族計画協会の出版物は、住民向け配布教材として各自治体の保健セクション等に100冊なりまとめて販売するためのものであり、一冊単位での販売には対応していないのです。困った・・・。

そこに、助け船を出してくれたのが
(株)エスコアール。  
ST向けの教材や、検査用具、書籍などを販売している会社です。
こちらで、一冊ずつ買える仕組みを作っていただいたので、簡単に手に入ります。

でも、そのことを、ちゃんと大々的に宣伝したことがなかったのを思い出し、今書いている次第です。
ほんとに可愛らしくて、分かりやすいパンフレットなので、どうぞ、手に取ってみてください。

こちらから購入できます。(エスコアール)    ↓

「ことばが伸びるじょうずな子育て」

「道内の飛行場でまだ降りたことのないのは稚内空港だけ。お声がかからないかなー」と、ウワゴトのように言っていたのを聞きつけた方が調整してくださって、バンザイ!稚内に来ました。

夜の講演や特別講義は稚内・名寄・留萌と三連チャンですが、北海道なら長距離移動も苦になりません、涼しいんですから。

稚内では、スタッフの方に宗谷岬に 案内していただきました。帰り道に経由した宗谷丘陵は、単なる丘陵ではなく氷河に侵食された痕がある、との説明に、なーるほどと感心しました。

長距離移動も苦にならないとは言いましたが、稚内から名寄まで200キロ弱を各駅停車でゴトゴト3時間かけて移動するのは少し苦になりました。

20130718 稚内駅掲示 .jpg

というのは、乗るつもりだった「特急サロベツ号」が当分の間運転中止になってしまったからです。道内でサロベツ号と同じ型の機関車が発火するという事故があったためです。
やむなく、早めの時間の各駅停車で移動することになったのです。

 一両編成の稚内発名寄ゆき。所要時間3時間15分。
周りは緑、緑、緑。

しばらく居眠りをして目を覚ましても、緑、緑、緑。
もういっぺん爆睡して目を覚ましたときにも、周りは緑、緑、緑。
北海道は広いです。

稚内駅の「日本最北の駅」の看板と、途中で行き合いのために停車(単線なので、時々、下り電車とすれ違わなくてはなりません)した「幌延(ほろのぶ)」駅の風景をお届けします。 

20130718幌延駅 1 .jpg
20130718幌延駅 2.jpg

宗谷本線の無人駅は、貨物列車の車両を使った質素な建物などもあり、また

耳慣れない読み方の駅

もたくさんありワクワクでした。

抜海(ばっかい)、音威子府(おといねっぷ) 美深(びふか)、紋穂内(もんぽない)、咲来(さっくる)などなど。カタカナで表記されていれば、これほどワクワクしなかったと思いますが、漢字で書いてあるにもかかわらず、意味が全く分からない・・・というのが、ナカガワの興味のツボにはまるのです。

アイヌの地名に、漢字をあてはめた人は、どんな人だったのかなぁ、と、それにも興味しんしんです。

2013-07-13

支援ということばになんともいえない違和感があります。
「私たち支援者は」などと、ポロポロ言う人がいると「んん?」と居心地が悪くなります。

「支援する人」がいるということは「支援される人」がいる、ということです。
その両者がうまく対等な関係性を保てるのならいいけど、実態はどうなのかなー、と思うのです。

カッコつき「支援者」の善意が、ありがた迷惑だったり、余計なおせっかいになっちゃうことも多々あるし・・・

湯浅誠さんが、「支援support   ではなく 協働 working  together」と話しておられたことに深く共感しましたし、北海道の田中康雄先生の二冊の本も、ガッテンガッテンでした。


■「支援から共生への道   発達障害の臨床から日常の連携へ」 田中康雄  慶應義塾大学出版会 2009年

■「発達支援のむこうとこちら」 田中康雄  日本評論社 2011年

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忙しくてなかなか遊びにいけなかった東田直樹くんのブログ、7月7日付けの所にこう書いてありました。

支援というと、みんなは、何を手伝えばいいか、あるいは

どんな風に環境を整えればいいかと考えます。

それも、大切だと思いますが、一番重要なことは、

ずっと頑張り続けられる意欲を育てることだと

思います。

持続力や忍耐力を指しているのではありません。

明日も、頑張って療育や仕事に取り組もうと思える

意欲です。

すぐに成果の出るものだけが、いい支援とは

限りません。

その人にとって大事なのは、20年後30年後の自分が、

自分らしく生きていられるかということではないでしょうか。

「その人にとって」を中心に考えられるのか、「子どもの最善の利益」を最優先に考えられるのか、私にとっても、大きな課題です。

義母が大腿骨骨折で一般病院に入院していました。
私は、「寝ているだけなんて、最悪!一日も早く、回復期リハ病棟のある病院に移らせてあげたい!」と思ったものの、MSW(医療ソーシャルワーカー)さんがあちこち当たってくれても、なかなか転院先が見つからず、このほどやっと回復期リハのある病院に移ることができました。

同室の患者さん同士で集まってお茶を飲んだりおしゃべりしたりできるようなスペースがしつらえられた病室で、通りかかるスタッフがかわるがわる声をかけてくれます。
「生活」が感じられる病院で、とてもありがたいです。

先日お見舞いに行ったら、折りよくリハビリテーションの時間。
PTさんが、ベッドサイドに来て起き上がる練習、足を動かす練習などの手ほどきをしてくれていました。
骨折部位にはまだ痛みがあるのですが、そこに負担がかかる動きをするときには「痛いですよね、痛いですよね」
動きができた時には「おじょうずですよ、そうそう、その調子」「年齢以上の動きですよ」
そして「足の指の動きがとてもいいですね」と具体的に伝えてくれて。

「もっとがんばれ」とか「それではダメだ」とはひと言も言わず、患者自身が「もう少しがんばってみよう」と思えるような声かけの数々。
横で見ていた私は、さすが!と感心しました。
やる気は「(叱咤激励して)出させる」ものではなくて、「(自分からその気に)なってもらう」もの。「なってもらう」には、ほめられる、認められるという喜びがなくては。

リハビリテーションの語源は「再び」「ふさわしいものにする」です。
単なる身体機能の機能回復訓練ではなく、心や生活を含めた「全人間的復権」をめざします。

患者さん自身が「家に戻り“たい”」とか「もう一度自分の足で歩き“たい”」「家族とコミュニケーションし“たい”」などの目標や願い、意欲を持つことが最初のステップ。
意欲を持ってもらうためには、「あなたのことを気にかけていますよ」「あなたは大切な人です」というさりげないメッセージを送ってくれる人(看護師などの病棟スタッフや家族)の存在が不可欠ですし、そこに向かって「一緒に、具体的に努力してくれる人」(リハスタッフ)がいてくれることが大事です。
そんなリハビリテーションの本質を思い出しました。

思い出すといえば、私自身が病院のリハに勤めていたころ、「どうせ、もうよくなりゃしない」「希望なんかない」「訓練なんかしたって、どうにもならない」「いっそ死んだほうがよかった」と、生きる希望や、ましてや、目標などもてずに苦しむ患者さんもいました。
障害を持った自分と折り合いをつけてゆくのは並大抵のことではなく、他人が励ましても意味はない、と分かっていましたが、リハスタッフとして「何もしないで横にいるだけ」の自分の非力を直視するのは、いたたまれない思いでしたっけ。
当時は心身症になりそうなくらいつらい経験でしたが、今思い出すと、なつかしい貴重な経験だったなぁと思えます。

リハの考え方は、発達障害の人たちやその家族、周囲の人たちにも、まったく同じことが当てはまるのだった、発達障害の人たちとの関わりも、「全人間的復権」というリハの観点から見れば当然のことばかりだったな、と、感心し、また、障害と折り合いをつけてゆく人の心のあゆみや、かかわるスタッフ(「支援者」)としての成長も、同じように進んでゆくのだな、と思います。
リハビリテーションの考え方をバックボーンに持つことのできた自分の幸運をも思います。



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