12月5日(日)、広島県臨床心理士会のお招きで広島市で講演(午前:一般向け 午後:臨床心理士)することになっていて、前日(4日)に広島入りしました。
広島は、私が中学高校時代を過ごした私立女子校「ノートルダム清心中・高等学校」のある、懐かしい土地です。
同級生とその周辺の人たちの骨折りで、前夜、同期生が20人も集まってくれました!!
3時から「お茶」。お家の用事のある人は5時すぎにお開き。
残ってくれる人と、仕事を終えて駆けつけてくれる人を交えて5時半か6時から「食事会」で、なんと9時半まで広島弁のアクセントに浸って、しゃべりにしゃべりました。
高校卒業以来、44年(!)も、会ってなかった人もいて、ほんとにうれしい時間を過ごしました。
私たちの時代は、髪の毛の長さ、スカートの長さ、校内での行動などに、きわめて厳格なきまりがありました。今日も、その話がいろいろ出ました。当時は反発したけれど、今はなつかしい昔話です。今は、校則も、ずいぶんゆるやかになったそうです。
「心を清くし 愛の人であれ」が、母校の校訓(って言うのかな?)です。
「生命には必ず終わりがある」「目の前のこと、物質的なことだけにとらわれず、何のために、誰のために生きるのか考えなさい」ということを徹底的に教えられました。
アメリカの修道女会が母体だったせいか「自分の意見をしっかり持つ」「考えることは、はっきり発言する」「意見の違う人とも話し合い、決まったことはみんなで実行する」というふうにも育ててもらいました。
「皆さんと同じでいいです・・・・」みたいな人は、いないんですよねぇ。
おとなしくて発言しない人も、話してみると、ちゃんと自分の意見を持っていて・・・。
同級生は、当たり前ですが、みんな同じトシになっています。
この数十年の間、家族にも、自分にも、いろんなことがありつつも、それぞれに、誠実に年齢を重ねて来たようすが、何だか誇らしかったです。
中高時代の私は、自分ではよく覚えていないのですが、勉強が大好きでした。(かなりヘンなヤツ! でも、今も、勉強好きかも・・・)
しかも、汽車通学で、いつも終礼が終わるとバタバタ駆け出していたので、(4時26分を乗り逃がすと次は5時18分、なんていう列車ダイヤだったので。当時は「己斐(こい)」だった駅名は「西広島」に変わりました)、広島市内に住む人たちと、ゆっくり話すことはあまりなかったような気がします。
このブログを書くために、清心学園全体のホームページを初めて開いてみたら、理事長の渡辺和子シスターのお話が「理事長あいさつ」に掲載されていました。
そうそう、私たちいつも、こういうお話を聞いて育ちました。
「大切にしてもらった」という記憶は後になって、じわじわと効いてくる。それが、教育というものだなぁ、と思いました。
40年の時を越えて、一瞬に、「あのころ」に戻り、今夜一晩は、私は「田中信子」で過ごし、少し、アタマがぼーっとしています。