今週末(22年11月20日)に、札幌で開かれる、伝統ある「北海道乳幼児療育研究会」の第24回大会特別講演講師をお引き受けしています。 いわゆる養育困難ないし、虐待家庭をも視野に入れて、「家庭養(療)育を支える」というテーマでお話しすることになっています。場数を踏んでいる私ですが、さすがに、北海道の乳幼児療育研、と聞くとプレッシャーがかかります。期待を裏切ってはならない!と思って・・・・。
で、そんなこんな、考えていたときに、東田直樹くんのオフィシャルブログにリンクされている「草の根っこブログ」に遊びに行ってみたら、こんなことばを見つけました。
「草の根っこ」さんは、鍼灸の治療院を開いている方だそうです。
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(すぐれた治療者であるドイツ在住のアメリカ人ハンター・ボーモント氏とのグループワークを経験し)ハンター氏がどのように場を創り、どのような在り方で、クライアントの問題に丁寧に深く働きかけていくのか、わからないなりにもじっくり味わうことができました。
その仕事と在り方の素晴らしさは、ひとつの目指すべき理想のセラピスト像として、今も自分の細胞に刻まれています。
2008年の講演の中で、深刻な自殺願望のあるクライアントを例に、ヘビーなケースを前にした時に、どのように「在る」ことができうるのか、話されていたことがずっと印象に残っています。
「そのようなクライアントを前にした時・・・アドバイスの類はおそらく役にたたないかと思います・・・」
「まず、クライアントが安全だと感じられる"スペース"をつくることが大切です・・・」
「これは、例えれば森で野鳥にえさを与えようとするような感じです。
つかまえてやろうとか、緊張とかはおそらくどんなに平静を装っても、伝わってしまうでしょう・・・。たとえば顔の表情筋のわずかな緊張などで・・・
こちら側に、期待やジャッジなどの意図やなんの恐れもないニュートラルな状態があってこそ、はじめて鳥の方は近寄ってみてもいいかな・・・というスペースがうまれてくるのです。」
なかなか簡単には到達できないニュートラルさですが、あきらめずに少しずつ少しずつ目指して
いきたいものです。
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「支援」ということも、かなり、似た部分を持っていると思います。
「あなたのためを思って」が先走りしすぎると、親ごさんにとって、決して幸せな状況にはならない。 でも、やっぱり、言うべきことは、ちゃんと、言わなくてはならない。それは、職業上の責務でもある。
30年もやって来た1歳半健診、3歳児健診後の相談事業が、私にとって、いまだ魅力あるものなのは、こういった二律背反の中で、どう、自分の職業上の誠実さを実現するか、という課題が毎回与えられるからなのだろうな、と思いました。
それにしても、「スペース」「安心できる居場所」というイメージは、生きていくことを支える見えない力になっているなぁ、と思います。
私自身もそういう過程を通ってきましたし、場面緘黙のお子さんの変化を見ると、心から実感できます。
私もそういう「居場所」を作り出す側になりたいといつも思います。はるかな夢、です。
私という存在自体がそういう「安心できる居場所」になること。これは、もっともっと遠い夢です。
石化してお地蔵さんになったら実現できるかな?