『技法以前 べてるの家のつくりかた』
向谷地生良 医学書院(シリーズ ケアをひらく)
帯には「私は何をしてこなかったか」とあります。
読み終えて「ほーーっ」と満足のため息をついた本は久しぶりでしたし、読み終えたとたんに二回目を読んだ本は全くいつ以来かしら・・・というほど胸のすく思いの本でした。
最初のほうで「履物をそろえると心もそろう、まず形から入れ、中味はあとからついて来る」という言葉は本当か?との導入があり、さらにこのように書かれています。
(略)ーーーー援助者として外に表された所作は、同時に私たち援助者としての内側に還流し、次なる所作を発動する基礎となっていく。当然のように、その循環の中で大切なのは、【心をそろえてから履物をそろえるのではなく、まず履物をそろえる】、という振る舞いである。
「形から入る」とは、そのような経験の蓄積から導きだされた実践知である。
(中略)
先に紹介した道元の言葉の後に「誰かが乱しておいたら黙ってそろえる」という言葉が続く。周囲のご機嫌とりだとか、よい子ぶっているという批判をおそれずに、黙々と履物をそろえ続けるという所作がゆっくりと人を動かす。
それと同じように、臨床場面で吟味された「形」が、その背後にある思想や理念をゆっくりと実質化し、現実化するのである。
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目次は次のようになっています。
1章 形から入れ
2章 専門家に何ができるか
3章 信じるということ
4章 「聴かない」ことの力
5章 人と問題を分ける
6章 病識より問題意識
7章 プライバシー 何が問題か
8章 質より量の“非”援助論
終章 「脳」から「農」へ
+α 「奇跡のリンゴ」の木村さんとの鼎談
私たちSTはセラピストと呼ばれる職種の常として、「何かをする人」「してあげる人」でなくてはならないという強迫観念にかられがちです。
「する」「してあげる」というのは専門家の驕り、勘違いで、実は相手の力を奪っているのではないか?
「しない」ことの中に実は大切なことがあるのではないか?と問いかけられました。
「べてるの家」関連の本を読むときにいつも再確認させられる「ことばの力」「仲間の力」の大切さを思うと同時に、専門家としてどういう姿勢でいたらいいのか、たくさんの示唆が与えられました。