ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

○○○は何のためにある?

お酒が教えてくれる物事の本質

 「おまん、何しゆうがぜよ?」と先輩が言いました。ところは高知県。酒豪が多いので有名です。お酒の苦手なKさんが、杯に受けたお酒をそーっと灰皿に捨てているところを先輩に見つかってしまったのです。Kさんが「(お酒を)断ると雰囲気をこわしてしまうと思って……」と答えたら、先輩はこう言ったのだそうです。

 「酒は何のためにある? 灰皿に捨てるためにある? 飲むためにある? そう考えたら簡単なことよ」と。

 まったく正論、まいったー。お酒に強い先輩にとって、酒を灰皿に捨てる心境なんて想像もできなかったのでしょう。

 それ以来、Kさんは仕事や職場の人間関係で何か迷うことがあると、この先輩のことばを思い出し、「それは何のために存在するのか?」と考えることにしているのだそうです。

 「この集まりは何のため?」とか「チームワークは何のため? 職員が仲良くするため? 患者さんのため?」等々。

 Kさんは書いています。「お酒にあてはめて考えると、むずかしく感じていたことがシンプルに見え、自分が取るべき行動が見えてきます。大げさですが『酒は何のためにある?』は私にとって、物の本質をつかませてくれることばです」と。

(高知県言語聴覚士会会報 ことこと―こころとことばと―  No.66 二〇〇五年十二月一日 《ちょっといい話、ほろ苦い話 川崎隆二》 記述は一部著者が変更しました)

ポジティブに導くきっかけとしての「軽度発達障害」

 私の回りはLDだ、ADHDだ、アスペルガー症候群だ、と「軽度発達障害」の話題で持ちきりです。

 確かに、はためからはわかりづらく、本人も周囲もとても困っている、こういうお子さんたちに光があたり、支援の手が届くのはとてもいいこと。でも、あまりにブームみたいになっていることに、ちょっと冷ややかな私もいました。

 でも、先輩のことばを借りて、「軽度発達障害の子どもたちに焦点が当てられているのは何のために?」と考えてみたら、そのもやもやが少し晴れる気がしました。

 Aちゃんは、給食の時間に先生がうっかり「お箸、ちがうでしょ」と持ち方を注意しただけで、「わーーーっ」と興奮してお部屋を飛び出していってしまいます。同じAちゃんに「こういう風に持つと食べやすいよ」と言ってあげればOKなのに、です。Aちゃんは否定的なことばにとても敏感に反応するのです。

 考えてみると「わーーーっ」とはならない「定型発達」の子たちだって、「お箸、ちがうでしょ」って注意されるより、「こういう風に持つんだったよね」「こういう風に持つほうが食べやすいね」とポジティブに言われたほうがうれしいのではないかな、って思います。

 典型的に反応してくれる特徴的な子がいるからこそ、先生方が、ことばの使い方に敏感になり、ポジティブな物言いを工夫するきっかけになりうるのでは。

学校にて 工夫が運ぶ思いやり

 学校で授業を参観する機会があります。先生方の持ち味はそれぞれで、学ぶことがたくさんあります。このところ参観したクラスはいずれも黒板の板書が整理され、先生手作りの視覚教材が工夫され、先生のことばかけもめりはりのあるわかりやすい授業の運びで、低学年なのに子どもたちも落ち着いています。

 参観後の懇談で、先生が「先日の研修会の時に、講師の先生に、わかりやすい指示と視覚的に整理された提示が大切と教えていただいたので、工夫しています」とおっしゃっていました。

 ある先生は、授業で生徒に考えさせながら、プリントを順々に配っていきました。合わせて六、七枚。授業の最後に「では今日のプリントをホッチキスで止めます。ホッチキスを出してください。プリントをページ順にそろえて、ここのところをホッチキスで止めてください」と黒板に長方形の紙の形を書き、その右上のすみっこを斜めに針でとめる様子を板書してくださいました。これなら私だってわかるわよ、と感心しました。

 特別支援教育を視野に、先生方の研修会がかなり行われはじめています。すべての通常学級の先生方に、「支援の必要な」「軽度発達障害」の子たちの特性や接し方の工夫を知っていただくにはまだまだ長い時間がかかるでしょうが、こういう「わかりやすい授業」という形で、実際に形に表れはじめているのだな、ととてもうれしくなりました。

自分に地続きのものとして障害をとらえてゆくきっかけに

 軽度発達障害の子どもたちの多くは、「定型発達=多数派」に近いところで生活しています。障害なんて遠い世界のことと思っていた一般の方たちに、子どもの特性を知らせ、支援いかんによっては、みんなと一緒に楽しくやってゆけるのだ、とわかってもらうこと。そして彼ら、彼女らへの支援は、実は自分や自分の子どもたちのためにもなるのだ、と納得してもらうこと。それこそが、目指すべきことなのではと思います。

 学校教育の中で語られることの多い軽度発達障害ですが、子育てにも、同じような図式が考えられます。通常の子育てより大変だからこそ通常の子育てに必要なことがクリアーに見えてくる……。

 ことばの遅い子を持つ親たちのグループ「言の葉通信」(現・NPO法人ことのはサポート)を主催してきた柳田節子さんが、このほど、ことばの遅い子を持つ親の切実な気持ちを小説に書きました。

 小説の中の母は、子どもを手にかけてしまうのですが、何が彼女をそこまで追いつめたのか、どうすれば、何があれば、彼女はそうせずにすんだのか。

 夫婦とは、親子とは、子育てとは、園や学校とは? すぐには答えの出せない大きな「何のために?」をたくさん投げかけられ、時々本を読み返しています。

※「こうた、もどっておいで」柳田節子

 (東京図書出版会)

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