ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

旗を掲げる

 路上の不法駐車取締り、大賛成。もっとも、自分がクルマを停めなきゃならない場合はちょっと不便。総論賛成、各論反対。で、そんなとき、ありがたいんですよね、コインパーキングがあると。

 私の実家のそばにも、新しくコインパーキングができました。できた時に、すぐに分かりました。なぜなら、パタパタはためくのぼりが立てられたからです。

 遠くからはためいているのが見えて、あれは何? 思わずそばまで行って確かめました。はためく旗は、ありがたい。

 先日、友人のST(言語聴覚士)が「旗を掲げる、って大事よね」って言いました。

 STという職種は、基本的にお勉強みたいにしてことばを教える先生だと思われている。でも、私たちの仕事はそれだけではない、コミュニケーション支援や、親子両方を支えることだってやっているのに、なかなか世の中にはそれが通じないね、という話の流れだったかと思います。

 宣伝がヘタなのよね、いい仕事をしているSTは全国にたくさんいるのに、みんなひっそりと、目立たず働いている。もっと宣伝したり、「ここにSTがいるよー」って存在を明らかにしていく必要があるよね、という意味で「旗を掲げる」と言ったのでした。

お守りとしてのST

「旗を掲げる」ということの具体的な作業のひとつが、講演をお引き受けすることなのかな、と思うできごとが最近ありました。

 私は、自分の町での依頼は、小さな集まりでも、テーマとしてちょっと難しいなということであっても時間が許す限り引き受けようと思っています。子育てをさせてもらった市への恩返し、という感じです。保育園も学童保育所も、おいしい手作り給食も、スキー合宿も、朝サッカーも、合唱祭も、今思えば、市や学校の応援があったからこそできたことだったんだー、と今さらながらに思うので。

 先日、ある場所で、小さい子を持つお母さんにお会いしました。その方が言うのです。「あー、中川先生ですよね、先生のお話、聞きました! 先生みたいな考えの方が市内にいらっしゃると思うだけで、なんだか安心なんですー」って。私は目を白黒。

 何でも、その方は、公民館だか、子ども家庭支援センターだか、小学校のPTAだったか忘れましたがともかく市内で、一般の方対象に子育ての話をしたときに聞きにきて下さったらしいのです。

 お子さんのことで、いろいろ心配が絶えないのだそうです。利発なよいお子さんらしいのですが、「逆に、それで、ついつい、望みが高くなっちゃってー」って。

 で、キンキン声を出してから思うのだそうです。「あ、そうそう、子どもはそこに存在すること自体が奇跡みたいなものなんだ、って中川先生が言ってたっけ」「口の角を引くだけで笑顔ができる、って教わったっけ」と。そうすると、目の前でとんがった目をして自分をにらんでいる「奇跡」に笑いかけてあげる気になれる、のだそうです。

 「ってことは」と私は言いました。「つまり、私は、どこかそこらへんにいるっていうだけで気が楽になる、いわばお守りみたいなものだ、ってわけですね?」と。

 「そうそう、それです、お守り! それです。別に特段、相談に行くほどじゃないけど、行こうと思えば行ける、あそこに行けばいいんだ、って思っているだけで、安心して、なんとか自分でやっていけるんです」とお母さんはとてもうれしそうでした。

旗としての講演

 そうか、そういう存在の仕方もあるのか、と私は妙に感心し、「何かあったら、いつでも相談に来てくださいねー」って言ってお別れしました。

 そして、顔を見せる、話をするっていうことも、一種の「旗を掲げる」ことなのかもしれないな、と思ったのです。

 市では、「センモンカの○○相談をやってます、△△講座もやります」って市報に載せたり、ポスターを貼りだしたりして、市民にせいいっぱい広報します。でも、それだけだとただの情報。

 センモンカと称する人の顔を見たり声を聞いたり、何十分かを一緒の場所で過ごしたりすると、その人がどういう人なのかちょっと分かって、信頼しようとか、いややめとこうとか決められる。

 講演って、「私はここにいますよー。こんなことでお手伝いできますよー、あやしいものじゃありませんよー、見に来てくださーい」って旗を振るような作業でもあるのかもしれないな、と思い直しました。

旗を掲げて団を組む

 大好きな重松清さんの本の一節です。

「あのね、美奈子。応援するっていうのは『がんばれ、がんばれ』って言うことだけじゃないの。『ここにオレたちがいるぞ、おまえは一人ぼっちじゃないぞ』って教えてあげることなの。応援団はぜったいにグラウンドには出られないの。野球でもサッカーでもいいけど、グラウンドは選手のものなの。そこにずかずか踏み込むことはできないけど、その代わりスタンドから思いっきり大きな声を出して、太鼓を叩いて、選手に教えてあげるの。『ここにオレたちがいるんだぞーっ、おまえは一人ぼっちじゃないんだぞーっ』ってね」(団旗はためくもとに『小さき者へ』重松清 新潮文庫)

 グラウンドで実際に戦う選手たちは親子さん。そして、私たちは、どこまで行っても応援団。

 それぞれの場の応援の人たちが旗を掲げ、旗に応援の気持ちを込め、「団」を組まなくてはね。応援する方だって一人ぼっちではついつい士気も衰えます。

 五年前「あのー、この指に止まりませんか?」ってそーっと差し出した指に、いまや六〇〇人近い仲間が集ってくれています。「子どもの発達支援を考えるSTの会※」のこと。最近私が威勢がいいのは、このお仲間たちのおかげかもしれません。

※子どもの発達支援を考えるSTの会 

http://www.kodomost.com/

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