音の力 ことばの力
きんもくせいの香り漂う町で
秋のお彼岸を過ぎ、町を歩くと、きんもくせいの香りが漂っています。どこにあるの? とふり返ると、木が目立たない場所に立って、ひっそり小さな花をつけています。毎日通るのに、全然気づかなかった。
木や花はえらいなぁ・・。「がんばってるね、ありがとう」って声にならない声をかけて通りすぎます。
それにしても、「きんもくせい」が、もしも「ギンボクザイ」だったら、印象はうんと違うなぁ。今日みたいなさわやかな秋の一日も「ザバヤゴ」なんていうのだとしたら、さわやかな感じはしないだろう。音って不思議。そんなふうに思いながら、小さな声でいろんなことばを口に出してつぶやいてみたりします。
言霊(ことだま)
日本には「言霊(ことだま)」「音霊(おとだま)」という考え方があります。
言霊とは、ことばには不思議な力がひそんでいるのだから、その力を使って、モノやコトに宿る精霊に働きかけて、自分や周りの状況を変えることができる、という考え方です。忌み言葉や、おまじない、などは、その一つです。
そうそう、「モノ」とは、「物の怪」「もののあわれ」「まもの」のように、本来は精霊をあらわす語なのだと、ある本に書いてありました、ふぅーん。※
そういえば、山川草木すべてのものに精霊が宿るというアニミズム信仰に近い感じ方、日本には色濃く残っているように思います。
ひっそりといい香りを漂わせる金木犀の木に、ありがとう、って言いたくなったりするのもその一つ。それとも、私だけがよほどヘンなのか・・。
「音霊」というのは、五十音の一つずつにある意味や力があるとする考え方です。ことばの音の印象は、案外こういうこととも関係しているのかな?
実学優先、でも、不思議はおもしろい
言霊に関する厚い本は、すでに何冊か買ってありますが、実学優先の今は不思議探求はおあずけ。なぜなら、言霊・音霊という切り口から「ことば」を探求しはじめると、いずれ神道・古神道を含めた民俗学や、文化人類学、そして比較宗教学とかにも深入りせざるを得ないことは必定。自分でも分かっていますからね。当面は、求められるSTという実学の分野で、ちゃんと仕事せねば。
もともと、文化人類学にすごく興味があったんです。でも、砂がじゃりじゃり口に入るような砂漠や、ヒルが足に噛み付いてくるような奥地でのフィールドワークは、触覚過敏、こわがりの私にはとてもできそうもない、とあきらめて、その後いい具合にSTという実学に出会った、というわけ
「ヘン」から見える大事なこと
でもね、実のところ、私、一種の文化人類学をやってるのかも、って思ったりもしているのです。 つまり、私流の解釈でいうと、文化人類学とか民俗学とは、自分たちが現在属する文化とは違う、別の場所の、あるいは過去の風習やら文化的伝承やらをいろいろ調べる学問。それによって、逆に、自分の今いる場所や自分の立ち位置が鮮明になる、という効能がある。つまり「汝、ヘンなことや不思議なことを知ることによって、自分自身を知れ」ってこと。
「ヘン」のひとつは「変」。「変わっている」「違う」ということ。
発達になんらかの課題を持つ子どもたちは、定型発達とは違う、という意味で、この中に入るでしょう。もっとも、大多数を占める側に入っていれば、ヘンじゃないのか? 異常にサッカー好きなあの子やら、みーんなが好きなゲーム機が嫌いなあの子はヘンな子か?ヘンじゃないのか? よく考えるとわからなくなるけど、ともかく私はみんなと少し違っていて、不思議に満ちた少数派の人たちと付き合うことで、自分の立ち位置を定めようとしている。それは確かなこと。
ヘン 辺
もう一つの「ヘン」は辺。さかい目、あわい、ってことです。あわいというのは、やまとことばで「間」ということ。
調布市と狛江市の市境には、プレートが下げられています。地図上、測量上は、きっちり分けられていますが、でも、実際には自由に行き来でき、あまり、意識することもありません。
「ふつう」と「ふつうじゃない」との境い目。「多数派」と「非・多数派」との境い目。それだって、ほんとは、くっきり引かれている線ではないはず。
でも、あえて、境い目って何?境い目ってほんとにあるの? 境い目の目印は何?って、境い目にこだわって、じーーっと目を凝らしているうちに、その外周と内円との両方を同時に見ることのできる視力、両方を自在に行き来できる視点を手に入れられるのではないか。
「ことばの遅れ」を入り口にしての発達の支援
そんなことを思うのは、このところ「ことばの遅れって何?」って切実に考えているからかもしれません。
1歳から3歳ころにかけての「ことばの遅れ」って、ものすごくあいまいな概念。
あれよあれよと追いついて、難なく次に進んで行ける子たちと、「ことばの遅れ」が何らかの“障害”の兆しであった、としだいに明らかになる子どもたちと。
どっちが普通でどっちが変か選り分けたり、“障害”と普通の間に線を引いたり、無駄なことに力を費やすのではなく、どの子も含めてみーんな一緒に元気に育とうじゃないの、ってみんなが思ってしまうような魔法のことばを探したい。
ことばの遅れは支援の入り口。よかったね、出会えて、「ことばの遅れ」のおかげだね、って言える日をめざして。
「言霊の宇宙へ」菅田正昭 タチバナ教養文庫