ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

静かに燃える火 と 地域  

 教育委員で視界良好 

 この一、二年、私の問題意識は「地域で生きるとは?」という方向に大きくシフトしました。二年前、言語聴覚士と地域とをテーマにした本(「地域生活を支える言語聴覚士の取り組み」学苑社)の編集に取り組んでいたころのことが懐かしく思えるほど、地域は私の中で当たり前のことになってきました。ちょっと以前は、地域だの連携だのと言いつつも、個々の人たち、個々の機関、それも障害のある人たちとの関連でがんばっている姿しか見えていなかった、見ようとしていなかったと思います。ところが一昨年の秋に、狛江市教育委員を拝命して以来、今までなら絶対に出ることのなかったような集まりや会議に顔を出すハメになりました。PTA連合会総会、青少年協議会、社会教育委員の会合、体育協会等々。また、小中学校の入学式卒業式に出席し、学校公開日に授業参観に、学校訪問では校長先生たちのお話を聞いたり。特別支援教育の巡回専門家チームとして出入りする時とも、自分が保護者として出入りしていた時ともまったく違う学校の顔が見えてきます。また、市の福祉関係の委員会に参加するたびに、「地域」が地元や行政のたくさんの人たちの、持続する努力によって支えられていることが見えてきます。謙虚にならなくては、ってつくづく思います。今まで、表向き控えめを装ってはいても、内心は声高に「障害のある子どもたちの利益のために」「我こそは正義なり!」みたいに思っていたな、って、ちょっと恥ずかしい思いになっています。

 静かに燃えるもの 

 そんな折、旭出学園(練馬区東大泉)から「旭出だより82号」が送られてきました。旭出学園は、私が親分と仰ぐ故・三木安正先生が設立されました。今号から、三木先生が生前に「旭出だより」に書かれたものを再録していくとのことで、昭和27928日づけの三木先生の一文が掲載されていました。題は「静かに燃えるもの」です。「手をつなぐ親の会」(現・手をつなぐ育成会)発足当時「手をつなぐ親たち」という本の編集を発案したところ、たくさんの原稿が寄せられ、感激した、という趣旨の文章の最後に次のような部分があります。「われわれ人間の仲間には、智恵の遅れたものが沢山いる。だから、われわれは、彼らを救わなくてはならないと考える。これはわれわれの自負心にすぎない。そう考えるものは、火を燃え上がらせて『のろし』をあげようとするだろう。しかし『のろし』が消えた後はどうなるのだろう。こう考えて来たときに、私の胸の中に『静かに燃えるもの』という言葉が浮かんできた。この言葉は誰かの言葉であったかも知れないが、わたくしは、彼等を救おうというのではなく、彼等とともにあって、どういう社会に住んだらよいかという問題を解決して行くために、火は静かに燃やしつづけなければならないと思うのである。(旭出だより 第6号)」 

夢の浮島 

 これを読んで、以前作成した「市内の機関一覧」の表を思い出しました。同時に、佐藤暁先生が「実践障害児教育」(185月号)に書かれたたとえも。「自閉症の人たちは意味を見出すことが困難なので、広い池のような情報いっぱいの世界にあって、自分に分かる、乗ることのできる『意味の島』がとても少ないのだ、という説明が印象的だったので。 私の中に浮かんだのは、「社会資源」(機関)と「島」と「静かに燃える火」がドッキングしたような図柄です。 「地域」という池の中には「ご近所」「おけいこごと」「保育園」「幼稚園」「保健センター」「小学校」などのたくさんの島があります。“ふつう”の子はそのどこへでも気楽に乗ったり、飛び移ったりすることができます。 でも、支援の必要な子の場合は、「相談機関」「療育機関」「健康課・フォローや相談の事業」「心障学級」「通級学級」など通える場が限られます。保育園や学童保育所に入る場合でも「障害児枠」での申請が必要だったりして、乗れる島の数が少なく、面積も小さくて乗りにくかったりとたくさんの制約があります。乗りやすい島がたくさん増え、しかも、その島の上にちろちろと「静かに燃える火」がともって、暗い水面上で迷う人たちへの道しるべになること。「彼らとともにあって、どういう社会に住んだらよいか」とはそういうことだと思うのです。その島のイメージと一緒に「夢の浮島」というネーミングも浮かんできました。 

地域は大きな網の目だ 

 島以外の部分に落っこちたら絶対絶命って私たちは思っているけれど、実は池全体に、綿密なセーフティネットが張られているのかもしれない。水面下にあるから見えないけれど、よーく目をこらせばはっきり見えて来るのかもしれない。「地域」はどうやら、宝の山、宝の池。そこに住むたくさんのサポーター予備軍。静かに火を燃やしつづければ、その火が広がり、さらに大きな灯りになって。一人でどんどん走っておいて、ほかの人がついてこないと怒るのではなく、一致点を見出し、折り合いをつけてゆるゆると一緒にやってゆく。正論を振りかざすだけでなく願いつづける。障害のある人たちのことが常に話題にのぼる地域ができるよう、すきまを埋める糊の役割を果たせればと思っています。

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