「神は細部に宿る」ということばが私は大好きです。
作家・画家の佐野洋子さんも、本「ふつうがえらい」(新潮文庫) の中でそういっています。
≪私が一番好きなことばは「神は細部に宿る」というもので、米の飯が
銀色にねっとり光っていたりすると、実に神は細部に宿っていると思い、
「ほっ、ほっ、おいしい」とのりのつくだ煮などをのっけて、うれしいのであ
る。≫
授業参観をしていて、そのことばを思い出しました。
上記とは、ちょっと違っているのですが、「細部には必ず全体が反映される
ものだー」と思ったのです。
目にしたのは、授業中の何でもない一こまだったのですが、そこに、その
クラスの日々の生活が反映されているみたいに思えて、なんだか、
ほっほっとうれしくなりました。
授業の中身は、一人ずつ前に出て、夏休みに経験したことなどをクラスの
みんなに話す、というものでした。
夏休み中に読んで印象的だった本を紹介しようという女の子が、読み上げる
原稿と、読んだ本とを手に持って前に出ました。
で、原稿を読み上げますが、声が小さくて、後ろまで届きません。
「もう一回」という声がかかります。
女の子は、持っていた本を、すぐ横にいた男の先生に「ひょい」と渡しました。
「先生、持っててください」という断りもなく。でも先生はごく自然にその
本を、同じく「ひょい」と受け取り「じゃあ、先生が持っててあげるね」って
言いました。
女の子は原稿を持ち替えて、少し大きな声で読んだので、今度は後ろまで
ちゃんと聞こえました。
このクラスには、何ていうか、子どもたちが安心してその中に存在できる、と
いう雰囲気がありました。先生の声かけは、結構、ぱりっとしているし、
騒がしい子がいると、怖ーい視線を送ったりするにもかかわらず、です。
なぜだろうな、って、最初から不思議でしたが、上記の光景を見て、納得
しました。
先生と子どもたちが「信頼関係」で結ばれている、ってこと。
先生が一人ずつの子どもたちの「特性」や、「得手・不得手」をきちんと
把握していて、全体を動かすと同時に、一人ずつに合わせてちがった
対応をしておられるんだな、ということです。
いやーーー、いいものを見せてもらいました。 いい仕事、してますね。
と思いながら、学校をあとにしました。