ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

2008-09-14

自分がいいと思うものは人にも勧めたい

  桐生の親友

群馬県の桐生市に親友がいます。ふとしたきっかけで、40歳を過ぎてから知り合いました。知り合った瞬間、厳密に言うと、電話で最初の一声を交わしたとたんに親友になった、という不思議なめぐり合わせ。電話線を通して伝わったのは何だったのかなー?

 彼女と出会ったきっかけは、群馬県在住の星野富弘さんの詩画と、私が属していたコーラスの指揮者の音楽でした。打ち合わせの必要があって、何回か星野さんのお宅にお邪魔したのですが、そのおり、私と彼女はぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。星野さんがそこにいるのも構わずに、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべっているのが常でした。あきれた様子の星野さんが「よくしゃべるね、ふたりは。双子みたいに」とおっしゃり、その瞬間私たちは「ああ、そうだったんだ、私たちきっと前生の双子だね!」と納得し、それ以来、「前生の双子」と名乗っています。

離れていてもつながる心

双子と称するわりには、会うこともなく、メールも手紙も出さず、年賀状さえ出しません。やっている仕事もぜんぜん違うし。でも、ときどきふっと電話すると、「あ、今ちょうど、のぶちゃんのこと思い出してたとこ」といわれたり、逆に電話が鳴ると私の方で「あ、Kさんからだ!」と分かったり、これまた不思議なシンクロニシティ(共時性)があったりします。

 先日、前橋での講演にお招きいただいたので、帰りには桐生に寄ろうと思いつつ、Kさんには直前でよかろうと連絡せずにいました。すると、携帯電話が鳴りました。「あ、のぶちゃん? 前橋に来るんだって? 講演会チラシをFAXしてくれた人がいて。泊まれるの?」とのこと。もちろん「桐生に」って意味。本当なら「桐生に寄る?」があって、「泊まれる?」って聞くべきところ、あいだが抜けても通じる日本語の不思議。

残念ながら、泊まりは無理だったのですが、講演後、3時すぎに桐生に到着、941分の電車にのるまで、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、あっという間の6時間。上り上越新幹線の最終に飛び乗って、うちに帰りついたのは深夜1時過ぎ。四年ぶりの再会でしたが、あーー、よくしゃべった!! 口がだるくなりました。

「とおりゃんせ」が売るものは

KさんはJR桐生駅から歩いて45分のところでお店を営んでいます。絹織物の町として繁栄した桐生ですが、ご多分にもれず、衰退の一途。駅前の商店街のあちこちにシャッターの下りたお店が目立ちます。そんな桐生の活性化のため、一大決心をして郊外から街中の空き店舗に移転して来ました。

お店の名前は「とおりゃんせ」。お人形やオルゴール、それに、彼女のおめがねにかなった美しいものや、気持ちのいいものを売っています。

商売をしているのか、自分の好きなものを身の回りに集めて置いているだけなのか、私は時々分からなくなることがあります。好きなものに囲まれた彼女は幸せそうで、本当にそれらを売る気があるのかどうかわからないから。でも、まあ、お店がつぶれないところを見ると、そこそこ売れてもいるのでしょう。

 ただ、確実なことがあります。Kさんは単なる「販売員」ではない、っていうこと。「このお人形かわいいでしょ?どこそこの何さんという若い作家さんが作ったもので、この色合いがなんともいえない。何町の何何さんは、これを見てああ言った、何さんはこう言った・・・」来店したなじみのお客さん相手に切れ目のないおしゃべりが続きます。

聞いているうちに、ああ、そうか、と私は独り言を言いました。Kさんのおしゃべりは、このお店にある品物たちへの賛美、愛なんだ、と思ったので。

 品物を買っても買わなくても、お店に来た人が感じるのは「愛されている」「大切にされている」という雰囲気。品物を買った人はさらに「私の愛する品物を買ってくれるあなたは、私にとって大事な人になりました」っていうKさんの“思い”を品物と一緒に箱に詰め、袋にさげて帰るのです。そういう感じ。

自分がいいと思うものは人にも勧めたい

「前生の双子」たらしめる共通点の一つは、「自分がいいと思うものは人にも勧めたい」という気持ち。おせっかい。

人はひとりずつ違う、好みも思いも。自分がいいと思うものを相手もいいと思うとは限らない。その事実を何回思い知らされても、何回失敗しても、やっぱり、「ほらおいしいでしょ?」「きれいでしょ?」「ステキでしょ?」「ね?」と言わずにはいられない私たちです。きっとこの性癖は死ぬまで治らない。

「お茶をいれるからね」とお茶が出てきて、誰だかさんが持ってきてくれた煮豆やら、どこどこの人が作った新作のアイスクリームやらが出されます。「おいしい」というと、Kさんはほんとにほんとにうれしそうです。「ね?」って。

出会いの場は楽しくなくちゃ

そうこうするうちに「紹介するわ、こちら、私の親友で東京から来た中川さん。こちらは、桐生で何々をしている何々さん。○○で手伝ってもらった▽▽さんの友だちで・・・・」という具合で、このお店にいると、友だちの友だちは友だちだ、とばかりに、知り合いの輪がどんどん広がって行きます。私もけっこう「地域」を意識して生きているつもりですが、Kさんには逆立ちしてもかないません。

通りすぎるだけ、寄るだけ、のつもりで行っても、なぜかまた行きたくなる、行くのがうれしい、会いたい人がいる「とおりゃんせ」。

療育の世界でも、そんな「とおりゃんせ」みたいな場所があったら幸せだろうなー、って思います。

最初の一歩から、なぜか大好きだった桐生の町がさらに魅力的に見えてきた一日でした。

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