いろんなことが次々起きて、アタフタしているうちに4月も半ばになりました。
ようやく、少し周りを見回す余裕ができたので、久しぶりに、釧路の日置真世さんのブログ「新サロン日記」をのぞいてみました。
そしたら、あるわ、あるわ、宝のことばが。親の会の運営について、なのですが、人生にも、組織の運営にも通じることばかり。日置さんに聞けば「どうぞ」って言ってくれるにちがいないので、了解を得る前ですが、一部引用を。
〜〜〜〜〜〜〜〜4月14日分 ここから〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長く続いていたことを変えるというのはそれ相当にエネルギーがかかるし、軋轢も生むだろうし、やってみないとわからないこともあり、勇気もいるとは思いますが、それらを覚悟のうえ、変えていかなければ組織としての先はありません。
先延ばしにしても、課題が勝手に解決されることもありませんし、かえってできることもできなくなったり、課題が大きくなることの方が多いように思います。
そんなときにおそらく、重要になってくるのは初心に帰ることだろうし、根本に戻ることだろうと思います。 親の会ができた時の趣旨があり、何のために自分たちはどんな役割を果たすために親の会の活動をするのか?
そこに改めて戻る必要があるのです。 会の活動をうまくやるために、それを目的として動くわけではなく、子どもたちの幸せのために自分たちにできることをやろういうスタートがあったわけで、その活動がいつしか苦しいことや無理をすることが多くなり、会の存続が目的になってしまったのなら、結果として子どもたちの幸せに実はつながっていなかった…なんてことにもなりかねません。
だから、課題を感じたときに「そもそも」に戻って、自分たちの立ち位置や身の丈や覚悟や社会との位置関係を今一度見直していくことが実は常に重要だったりするよなぁと痛感します。
まだ本番も終わっていなくて、これから佳境が待っているのに、私たちはすでに終わった後のお疲れ様を考えているのでした。
でも、実はそれもとっても大事で無理なく周囲にも賛同される秘訣は「楽しくやる」こと。楽しいと自然に人が集まってくるし、何より自分たちも楽になります。
ましてや、仕事じゃなく本当に手弁当のボランティア活動の親の会ですから、まずまず楽しくないとダメなのは当然だと私は思います。 〜〜〜〜〜〜〜〜引用 ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
会議って、たいていは、何かを決めるためにやるのだし、効率よくすすめることが必要ですけど、でも、少なくとも、福祉や教育や地域に関わる会合では「あの会議に行くと、あの人に会える」とか「いい話を聞けるだろう」とか、楽しみがあることが参加の励みになりますよね。
手前味噌ですが、狛江で開かれている「地域での一貫した療育システム構築に向けての検討プロジェクトチーム」は、そういう会になっているなァ、って思います。
座長の市川宏伸先生の存在もあって、当事者(保護者)を含めて、楽しく進んでいます。真っ向から否定したり反対したりする人はいないので、自分の意見を出しやすく、毎回「へぇ〜 知らなかった」という発見があり、委員のみんなで少しでも「これから」を良いものにしたいという思いが感じられます。
今後、徐々にまとめの方向に向かうので、事務局である福祉サービス支援室スタッフの力量が頼りですが、やっと、長年、みんなで願い続けたことが実現に向かうのかな〜〜と楽しみです。
なお、4月13日分ブログ記事も読みでがありました〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜4月13日記事 ここから〜〜〜〜〜〜
人と人との会話は目的と求めるものによっていくつかの種類があるのではないかという説です。
私たちが整理したのは以下の5種類。 ①雑談 (他愛のない話題を取りとめもなく話す。相手に求めるものは相槌、適度な同意)
②相談 (どうしたらよいかわからないときに相手に判断や評価を仰ぐ、できれば頼りたい。相手に求めるものはアドバイスや方向性、指示、教示など解答)
③情談 (自分の感情を伝えたい、ぶつけたい、吐き出したい。相手に求めるものは受け入れてもらうこと、同調してもらうこと。感情の交流、共有化)
④フィバ談 (自分の考えていることや感じていることの意味や価値を確認したい、振り返りたい。相手に求めるものは感想、違った視点からの意見、客観的視点や意味づけ 自分を資源化するため材料)
⑤ほうれん談 (報告、連絡などの事務的なインフォメーション。相手に求めるものは把握と了解のみ)
私たちの会話はこの5つの違った意味合いのものを無意識的に使い分けていて、同じ言葉で発信をしていても、実は目的や相手に求めることが違うこともあるんじゃないか?ということになりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なーるほど・・・・。