ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

10日ほど前からのどの奥がムズムズしたり、イガイガしたりして、風邪が出たり入ったりしてるな・・・との自覚がありました。
何とか持ちこたえていたのですが、いくつか、どうしても出なければならない会議や、引き受けていた講演が終わり、久々のお休みができたとたんに、ゴホゴホといかにも風邪っぽい咳になり、鼻水も出てきました・・・・。

普通は、薬はあまり飲まないのですが、今日、特定健診の結果を聞きにかかりつけのお医者さんに行ったついでにお薬をいただいてきました。

夏から冬の身体にギアチェンジするためには、一度くらい風邪を引かなきゃダメだという考え方もあるみたいだし、野口整体などでは「経過」とか「調整」という考え方をするようで、それは、とてもナットクできる考え方ではありますが、でも、いざ、風邪を引くと、「早く治りたい!」って思うのも事実。

10月27日、桐生の「ひろさわ保育園」に招いていただき、行ってきました。
もう長いお付き合いで、いつ行っても、「保育園はかくあるべき!」と思わされます。ひろさわ保育園は、保育園には珍しく、神社の中にあります。

桐生ついでに、親友・金居孝子さんのお店「とおりゃんせ」に行ってきました。
夜通し・・・ってわけには行きませんでしたが、どうして、こうたくさんしゃべることがあるんダロ、と思うほどしゃべってきました。当然、夜は桐生泊まりでした。
しゃべりすぎて口から風邪が入りこんだのかも・・・・。


桐生「ふる川」の「ひもかわうどん」を食べに連れて行ってもらったのですが、それはそれは美味しいものでした。

「麺処酒処ふる川 暮六つ 相生店」です。
駅近くのホテルパークイン桐生にある「味処 ふる川」も有名ですが、相生店の方が夜遅くまでやっているので(長々としゃべるには)便利でした。
「ひもかわうどん」の想像を超えた姿が「食べログ」に出ているので、興味ある方は見てください。http://tabelog.com/gunma/A1002/A100201/10001434/

なにせ、幅が10センチくらいあるんですから  \(◎o◎)/!

相生(あいおい)は、わたらせ渓谷鉄道と東武桐生線の乗り換え駅である「相老」(あいおい)駅の近くの地名です。
相老といえば、以前、まだ、星野冨弘さんが、東村に住んでいらしたころ、お宅に伺う時に何回か乗り換えたものです。
とおりゃんせの金居さんと知り合ったのも、ちょうど、同じころ。

人の縁は不思議だなぁ、人間は、支え、支えられて生きるんだなぁ、など、なつかしく20年前を思い出しました。
40代のころ、私は、ほんとに、生きるのが大変でした・・・・。

2012-10-25

暑いってどんな感じだったかしら?と思い出だせないほど涼しく、朝夕は肌寒いほどになってきました。

このまま、気温が下がって、冬の訪れということになるのですね。
なんだか不思議な気持ちがします。

今週末10月27日は桐生へ、そのあと、大分、長野、大阪など、いくつかの遠出が控えています。保健師さんからの講演依頼以外は極力断っている、と言っても、言語聴覚士の県士会や、小児科医研修など、今伝えておかないと! と思う依頼があり、ついつい動き回ることになっています。
そうこうしているうちに12月16日、東京での自分の主催研修会もあり、それが終わると年が暮れます。

あたふたの毎日ですが、でも、待ってくださる人がいるのは、本当にありがたいことです。

ずっと前、コーラスをしていた頃に知った歌があります。

「友だちはいいな」(繁下和雄作詞 小山章三作曲)

一度聞いたらすぐに歌えるような、なつかしい歌です。

♪♪友だちはいいな/どんな時でも/心と心が 通じあう♪♪

♪♪     喜び悲しみ/分かち合う ♪♪

作曲者の小山章三先生は、いくつもの合唱曲を作曲している方です。

どんな曲か?  YouTubeにありました。⇒ 「友だちはいいな」

私はこの歌を歌うと、なぜか、涙が出てきます。

小山先生は、長野県出身の方です。
長野県+歌といえば、県歌「信濃の国」が有名です!  
長野県人が集まると、必ず歌うという。
時々買いに行く肉屋さんの壁にも、「信濃の国」の歌詞が張ってあります (^_-)-☆
歌詞が難しくて、耳で聞くだけでは分からない所があるのですが、解説つきの曲がYouTubeにあったのを聞いて(見て)勉強になりました〜〜〜〜

    ⇒   歌「信濃の国」

また、歌いたいです・・・・・・。

小学校高学年~思春期〜青年期に、いろいろなうまく行かなさをかかえて、学校に行けなくなったり、お家に引きこもったり(引きこもらざるを得なくなったり)するお子さんにお会いしたり、間接的に話を聞いたりすることが、このところ、とても多くなりました。

実際に、時代、世相のせいで、そういう子どもや青年が増えているのか、「問題」としてとらえられるようになってきたので顕在化したのか、それとも、私が大きくなった人たちの育ちに注意を向けるようになったせいなのか、理由は分かりませんが。

さまざまな背景はあるでしょうが、あらためて、コミュニケーションの大切さを思っています。
そして、「きこえとことばの教室」の先生、阿部厚仁さんの本を読み直して、いろいろ考えるところがあります。

阿部先生は、こんなふうに書いています。長くなりますが引用します。


「私たち、言っていません!」

待ちに待った異動教室。みんな貸切バスに乗り込みました。こらから目的地まで、歌を歌ったりゲームをしたりして楽しく過ごすのです。
後ろの方では席の交換が始まりました。
「席、かわれよ」
「なんで」
「いいから、あっち行け」
「理由を言ってよ」

「うぜえんだよ、死ね!」

こういうことばを使っているのは、男の子でしょうか、女の子でしょうか。

どの子もかんたんに「死ね!」と口にします。

みんなのように「死ね!」とは言えない子もいます。

   (中略)

仲間になるか、仲間はずれになるか

あいさつ代わりに蹴る、押す、叩く。

「バカ」「うざい」「死ね」と言う。
そういう日常に傷ついた子はどうなるでしょうか。
ふた通りあります。

ひとつは同調です。
「何言ってんの、バーカ」
「あんたこそ、バカのくせに」

と言い返しながら、輪の中に入っていく。すると言動は、どんどんエスカレートしていきます。

もうひとつは防御です。
「オレはいい」とひとり輪からはずれていく。
そんな様子を見て、まわりはまた言います。
「なんだよ、ひとりだけ」
「バーカ」

もちろん、先生は注意します。「その“バーカ”って言う言い方がイヤなんじゃないの?」

でも、「相手を傷つけている」という自覚がないから、注意しても馬耳東風なのです。

    (中略)

子どものことばを育てるのは親

「何トロトロしてんだよっ!」   スーパーに響きわたる怒鳴り声。

見ると、小さな子どもを連れたお母さんです。
子どもが泣けば

「いつまでも 泣いてんじゃねえよ!」

そういう子が小学校にあがるとどうなるか。

やはり、ふた通りあるようです。

一つは親と同じような口調になる。
「何言ってんだよ、てめえ」
ケンカ腰だから、すぐにトラブル。友だちも増えません。

もう一つは落ち込んでしまう。
「お母さん、僕のこと嫌いなんだ」
それをお母さんに告げると
「ほんとですかぁ? 私、やさしいですよ!」

子どもは敏感。
穏やかな口調は大切です。
強くて便利なひとことですませていると、子どものことばは育ちません。
それでは、揺れ動く自分の気持ちを誰かに伝えることも難しいでしょう。

伝わらないから口も閉ざす。
聞いても答えない。
答えても単語。
子どものことばを育てるのは親なのです。

   (中略)

私自身がいちばん怖いなあと感じているのが、「死ね」なんていうことばを安易に使ってしまうところです。
どれだけ相手を傷つけているのか気づかない。
言っている本人も、それほど悪意がない。
そんななかでぶつけられることば。
そういうかかわり方をする子どもたち。
みんなどこにでもいる子どもたちなのです。

   (中略)

コミュニケーションの基盤であり、かかわり合いの始まりである家庭。
そこでどんな会話が交わされ、どんなかかわり合いができているのか。
そのことが、とても気にかかります。

もう少し、子どもを近くで見ていきませんか。
もう少していねいにかかわって行きませんか。
もう少しゆっくりおしゃべりしてみませんか。

長くつづかないコミュニケーションも、うまくかかわれない関係も、ちょっとした工夫やコツ、考え方や見方、接し方に気がつけば、よい方向に変わっていきます。

そらは「きこえとことばの教室」での実践で、私たちが証明済みです。
ためしにやってみてください。
こどもたちと一緒の時間が楽しくなります。

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以下、聞きじょうず、話しじょうずになって、コミュニケーションをすすめるためのヒントが提案されています。

「子どもが変わる ハッピーコミュニケーション  家庭内編」(小学館)

ハッピーコミュニケーション家庭内編.jpg

2007年に出版された本ですが、5年たった今は、さらに切実感、いえ、切迫感が増していると感じます。

同じ著者による
「クラスが変わるハッピーコミュニケーション 学校生活編」(小学館)も合わせて読んでみてください。 


人はことばによってつながり、ことばによって気持ちを共有し、喜びや悲しみを分かち合い、 一緒にこの世界を生きていく元気をもらうのだと思うのです。

ことばを大切にする大人によって、子どもたちは、自分を大切に思い、相手をも大切にする気持ちを育ててもらえる。


そんな、当たり前すぎるほど、当たり前のことに立ち返って、乳幼児からの子育てを見直し、考えなおして行かないと、日本の社会は、これから、もっともっと殺伐とした、ヒドイありさまになってしまいそうで、心配でなりません。
何より「どうせ、オレなんか」「どうせ、アタシなんか」って、自分のことをハナから認められず、信じられない人に、育ってほしくないと思うのです。
子どもたちには、幸せでいてほしいから。


家庭での乳幼児期からの、ていねいなかかわりが大事。
世の中に、受け入れられている、という実感を持たせるようなかかわりをすること。
そのことを、是非とも発信していかなければと思います。
が、それが、「家庭の教育機能の強化」といった、“上から目線”の強制的な統制に走ること万事解決できるとも思えません。

どういう方策がありうるのか。
思春期、成人期に向けて「生きているって、悪くないね!」「助けあって、一緒に暮らそうよ!」っていう気持ちを持つ人間に育ってもらうために。 

やはり、地域での、草の根的な子育て支援の積み重ねでしかやって行けないのでしょうか・・・・。

去る9月30日(日)に、東京・霞ヶ関灘尾ホールで「子どもの心の診療医研修会」が開催されました。
主催は厚生労働省・日本小児科医会・恩賜財団母子愛育会です。
九州や西日本から参加予定だった先生方は、台風の影響で飛行機が欠航になって当日キャンセルが多く出たそうでした。
お医者さんは、勉強熱心だなーと感心し、わが身の不勉強を恥じました・・・・。

毎年夏のセミナーでお話をしている母子愛育会の担当者から「1歳半健診・3歳児健診にからめて、ことばの遅れの診立てとアドバイスについて話してください」とお声がかかったので「いいですよ〜」と軽くお引き受けしたのですが、よくよく聞くと小児科のお医者さん200人が集まる会と聞いて、ちょっとビビりました。

でも、もう一人のスピーカーが、三鷹の「あきやま子どもクリニック」の秋山千枝子先生で、コーディネーターが吉村小児科の内海裕美先生だと聞いてすっかり安心。
日ごろ、1歳2歳3歳代のお子さんたちと接する時に、どんな所に着目するのか、また、ことばやコミュニケーションを促進する毎日の関わりについて、お話しさせていただきました。

秋山先生は、三鷹市の教育委員長です。私も狛江市の教育委員長職務代理者を務めて来ました。医療職の立場から教育の分野にどう関わるか、お互いいろいろ苦労があるので、待ち時間にそんなお話もしました。

発達障がいの早期発見が大事なのは、早い時期に「育てにくさ」の原因を理解し、望ましい接し方に舵を切ることで、親子の関係が悪化しないようにするためです。
何も発達ショーガイ! というハンコを押して、どうこうするためではありません。
そこの所がなかなか正しく理解されないまま、「発達ショウガイ」ということばがどんどん一人歩きしているのが、気がかりです。

気がかりのある子なのか、単に元気いっぱいなだけの子なのか、物静かな性格の子なのか、心配した方がいい対人関係希薄な子なのか。
たくさんの子どもたちを集団で見る保健師さんの「目」は、かなり確かです。

保健師がせっかく、フォローグループに誘っても、かかりつけの小児科で「お母さん、大丈夫だよ、ようすを見れば。小さいうちはこんなもんだよ」などと言われて、かかわりの時期が遅れてしまうこともあります。

1歳6か月、3歳児健診が集団健診(保健センター等で、保健師さんが関わる形での健診)ならいいけれど、個別の小児科に委託になっている地域では、小児科の先生方の悩みも深いのだろうな、「早く見つけなくちゃ!」「見逃しのないように!」というプレッシャーを強く感じておられるのだろうな、と感じました。

全国どこに住んでも、同一基準の健診がうけられ、事後のフォロー体制も等しく整っている・・・・ようになる日が早く来るといいのですが。
ま、とりあえず、自分のいる位置で努力するしかありません。

そうそう、最近、保健師研修や、地域での発達支援関連の研修会の折には、ほぼ毎回、DVD
「ことばを育てる語りかけ育児」を映写して説明しています。
共同注意(視線の使い方や指さし)の話はことばではなかなか伝わらないのですが、動画があると一発で伝わります。ありがたや、ありがたや。

自分が監修したDVDなのですが、会場で再生画像を参加の方たちと一緒に見ながら、毎回「なーるほど、そういうことだったのかー」など、感心しきりです。
価格が価格なので、なかなか個人で購入していただくわけには行かないでしょうが、子どものコミュニケーション発達についての理解が深まるために、もっともっと広がるといいな、と思っています。

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「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。

疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

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