中川信子講演会にお申込みいただき、誠にありがとうございます。
受け付けいたしました。
■参加費は当日お支払い頂きます。
■アクセス
以下をご参照ください。
http://www.zenrouren-kaikan.jp/access.html
■昼食について
会場内でも飲食は可能です。
また、会場近くにも食事のできる場所があります。
■当日、お待ちしております。
そらとも 中川敦
2012年08月29日
中川信子講演会お申し込み26/11/02
2012年08月29日
9月9日(日) 言語聴覚の日 講演会(東京)
9月1日に言語聴覚士法が制定されたことを記念して、毎年各地の言語聴覚士会が講演会やセミナーを開いています。
東京都言語聴覚士会からのご案内、遅くなりましたが掲載します。
2012年9月9日(日) 講演は1時30分〜4時
「当事者が体験を語る 『いまを生きる』V」
2012年08月28日
終了しました
終了しました
「講演会の予定はありませんか?」とお問い合わせをいただくので、このたび、主催の講演会を開くことにしました。
題 : 中川信子講演会「子どものこころとことばの育ち」
内容: 子どものことばの発達と脳のはたらき
「ことばが遅い」とは?
こころの育ちと周りのおとなの接しかた
毎日の暮らしの中でできること
「育てにくい子」のことををどう考え、どう接したらいいか
共同注意の発達について
DVD「ことばが育つ語りかけ育児」を用いて解説
対象 : 保健師 保育士 幼稚園の先生、 療育関係者
教員、 保護者 などどなたでも
日時 :2012年12月16日(日)
10時30分ー12時
13時ー15時30分
会場 : 全労連会館2階ホール
〒113-0034
東京都文京区湯島2-4-4
アクセス: JR総武線・中央線御茶ノ水駅より徒歩7分
その他のアクセス詳細はこちら
参加費 : 5000円(当日会場で支払い)
定員 : おおむね100名程度
申し込み : 以下の申し込みフォームからお申し込み下さい。
主催 : そらとも
2012年08月28日
すいかの皮の乾燥 で 省エネ
暑い暑い日々。
省エネを心がける・・・・と言っても、高齢者の仲間入り間近な私としては、ガマンして熱中症になるよりは、冷房を適切に用いて、ダウンしないことが肝要。
遠慮なく、エアコンをつけることにしています。
でも、電気を消費することに、どことなく罪悪感もあるので、せめてもの罪滅ぼし?のために省エネを心がけ、必ずやっていること。それがすいかの皮の天日乾燥です。
すいかは発汗を促し、腎臓のはたらきを高めるというので、暑い時期には意識的に食べるほうがいいそうですね。
でも、皮がたくさん出ます。
水分の多い生ゴミを燃やすには、石油をたくさん消費する、少しでも水切りに協力してほしい、とテレビで言っているのを見ました。
「なるほどーーー」とガッテンして、それ以来、スイカの皮は、ギラギラの太陽の下で、カラカラに乾かして、容積と水分を減らしてからゴミに出すことにしています。
水気たっぷりのスイカの皮の姿と、カラカラに変わり果てたお姿とをアップしました (^_-)-☆
干しあげた方は、「カラカラ」と音がします。
そういえば、小学校の(多分高学年の)夏休みの自由研究で「野菜の水分量を測る」というのをやったことがあります。
大根やニンジンやきゅうりを小さく切ってカラカラに干して重さをはかりました。結果はよく覚えていませんが、何しろ、「野菜のほとんどは水分なんだなぁ!」と言うことが分かりました。
今回はスイカの皮の重さの変化は測定しませんでしたが、やってみたらおもしろかったかしら。
2012年08月25日
南魚沼市 子ども・若者支援ネットワーク形成のための研修会 (中川登壇は9月8日 土曜日午後)
新潟県南魚沼市で「子ども・若者支援ネットワーク形成のための研修会」として年間通しての連続講座が開かれています。
「困難をかかえる子ども・若者」とのとらえから、発達障害、引きこもり、不登校、就労サポートなどを地域ネットワーク構築を視野に取り組んで行こうと組み立てられた講座です。
詳細は、南魚沼市のHPに載っていますので、ご参照ください。
「子ども・若者支援ネットワーク形成のための研修会」
日程は7月22日(終了) 9月8日、10月20日、11月10日、12月1日
いずれも土曜日で午後13時開始、16時45分終了です。
ナカガワが登壇するのは、9月8日(土)13時30分〜15時
テーマは「発達の遅れ、どうとらえ、どう支援するか〜〜保護者の気持ちに寄り添っうアプローチ〜〜」です。
2012年08月18日
アスペルガー症候群 ことばの援助
題 アスペルガー症候群 ことばの援助
別冊「発達」30号 2009年8月
◆◆アスペルガー症候群の人たちの混乱と不安
◆「子永久低位?」
「子永久低位?」 携帯メールの受信画面にこう表示されたので、私はうろたえました。あれこれ考えた結果「っ」の入力もれかもしれないと思いつき、早速相手に確かめるとその通りだとのこと。一件落着したものの、そのあとしばらくはこのできごとについて考えていました。アスペルガー症候群も含めて、自閉症の人たちにとっての日常はこんな具合なのかもしれない、と感じたからです。
「来週の講演会に誘われているのだけど、行く?」と送ったメールに「子永久低位?」という返事が来るような日々。何が起こっているのか、何が話されているのかがつかめない不安と混乱の連続は、想像の範囲を超えた試練です。彼女の返事は「断わっていい?」だったのですが。
◆「どこに? いつ? 何しに?」
行楽地に向かう特急電車の中でのこと。3歳後半くらいの坊やとお父さん、お母さんが通路をはさんで隣の座席に坐っていました。坊やは落ち着かないようすで、「これからどこ行くの?」「何時につくの?」「何しに行くの?」「これ、何ていう電車?」と立て続けに質問しています。甲高くはないけれど、少々抑揚の乏しい話し方で、何度も何度も。お父さんもお母さんも、そのつど質問に答えます。合間で、お菓子を与えて黙らせることもありつつ、「さっきも言ったでしょ!」とか「何回聞くの!」と言いたくなるにちがいないような場面でも根気づよく答えてあげていました。
一方、坊やはというと、説明してもらって、通常であれば「ふーん」と言うであろう場面でも全くうなずくことなく、次の瞬間には次の質問を繰り出します。お父さんが坊やからの質問に「K特急だよ」と答えているまさにその瞬間、車窓から見えた別の電車に反応して「あ、○○型だ!」と大きな声で言う、という具合。質問しても、その答を知りたいわけではなく、「ただ単に聞いているだけ」なんだな、と分かるような態度。語彙は豊富で、もう文字も覚えているらしい坊やのそんな博学さ、利発さをご両親は誇らしく思っているようすに見えました。
多弁だけれど内容に乏しく、双方向のコミュニケーションの成立しづらさから言って、多分、なんらかの困難を持つお子さんではないかと思われました。ご両親がもてあましたり、困ったりしていないようすなので胸をなでおろしつつも、「絵カードなどで、行く先や電車の名前を示しておいてあげたらどうでしょう?坊やは不安にならずにすむし、ご両親は質問ぜめから解放されるかもしれませんよ」と提案し、「お子さんのこと、どこかに相談していらっしゃいますか?」とたずねたい気持ちを抑えるのが大変でした。
●支援、援助は理解から ことばのしくみ
アスペルガー症候群や高機能自閉症と言われる子どもたちは一見利発で、しゃべりすぎるほどのおしゃべりであることが多く、「ことば」の面での困り感や不安があるようには見えません。でも彼らは、本当は心の中にある山ほどの不安や困りごととひとりぽっちで闘っている子どもたちなのだと思います。成長してゆく彼らには「毎日大変だね。君が安心して暮らせるように、一緒に考えよう。横にいるよ、お手伝いするからね」というスタンスで接する人の存在が何より必要です。
援助のためには、相手が置かれている立場への想像力と理解が必要です。まずは、「ことば」についての基本的なことをおさらいしてみます。
「ことば」の持つ三つの意味を水鉄砲にたとえると
「ことば」ということばには、三つの意味が含まれています。
@言えることば Aわかることば B伝えたい気持ち(コミュニケーション意欲)
ことばを水鉄砲にたとえてみると、水鉄砲の口から水が出る(=ことばを言う)ためには、タンクに水が入っている(=わかっていることがらやことばがある)ことが必要ですが、何より大事なのは、引き金を引く(=人に伝えようとする)パワーを育てること。
これは障害のあるなしに関係ないコミュニケーション発達の鉄則であり、ことばの面でとてもユニークな様相を示すアスペルガー症候群のお子さんたちにもあてはまります。
◆「ことば」の仕組み
「ことば」の仕組みは
@ことば(音)を聞く
A聞いたことばを理解する
Bあたま(脳)の中で考える
C考え(答え)に見合った内容にあてはまることばを探しだす
Dそのことばを音に置き換える
E舌や唇を用いて発音する
といった複雑なプロセスをたどります。そのプロセスのいずれにも大脳左半球の言語を担当する部位(言語野)が関わっています。ことばやコミュニケーションの発達とは、大脳の言語野が機能するようになることです。
ところが、大脳の言語野だけを選択的にどんどん育てる方法は残念ながらありません。脳の構造を模式的に考えると(◆)大脳は脳の一番上の部分です。原始生物からヒトに至る進化の過程で最後に上に積み上げられたからからです。大脳は表面にぎっしり並んだ豆電球に電線がつながっているような構造と考えてみてください。
大脳の下には、「大脳辺縁系」と「脳幹」という二つの部分があり、どちらも、電線の束が通っています。大脳辺縁系は心の働きと関係があり、脳幹はからだの働きをつかさどっています。この三つが合わさって「脳」を形づくっています。
「ことばの働きが育つ」とは、大脳の言語野の部分にセットされている電球がたくさん明るく光る状態なのですが、そのためには体や目、耳、皮膚などの感覚受容器からの情報(刺激)が電線を伝わって電球にまでスムーズに流れ込んでくる必要があります。言いかえると大脳辺縁系や脳幹を走っている電線が、電気をよく通す状態にしてあげないと、大脳の言語の場所は働いてくれないのです。
そのために必要なことというと、体が健康で、こころが安定している状態を基礎に、まわりの大人たちが適切なことばかけや働きかけをしてくれるような望ましい環境を作り出すことに尽きます。その見取り図(■ことばのビル■)を示します。
堅固なことばのビルが建つように、毎日の暮らしの中でていねいに働きかけることが、通常の子どもたちに大切なのと同じようにアスペルガー症候群の子どもたちにも大切なことなのです。
● アスペルガー症候群の子どもたち
◆成長時期ごとのことばとコミュニケーションの風変わりさ
次に、アスペルガー症候群の子どもたちのことばとコミュニケーションの特徴をお話ししていきましょう。
もっとも、アスペルガー症候群と一口に言っても、一人ずつがとても個性的で、ことばやコミュニケーションの状況も大きく異なります。
赤ちゃんの時期の気づきは、親ごさんによって違います。後から振りかえって見て「そういえば、視線が合いにくかった」「抱っこしていてもどこを見ているのかよく分からなかった」ことに思い当たる方もあれば、逆に「よく目を合わせてくる笑顔のかわいい子だった」場合もあります。「おとなしくて手がかからない」「カンが強くて育てにくかった」の両方ともを聞きます。
「自閉症と共通する特徴を持つが、ことばに遅れがない・・・」とされるアスペルガーのお子さんたちですが、ことばにも、コミュニケーションの質にもある種の違和感がつきまといます。その違和感は実は1歳前からすでに始まっているのですが、2歳3歳にかけて強まります。たとえば、自分が見つけた興味あるものについてはどんどん大人にアピールする反面、おとなが話しかけたり誘ったりするものには全く興味を示さないとか、決して「うん」とうなずいてくれないなどの一方通行性。定型発達の子だと「抱っこして!」というはずの場面で「抱っこするぅ!」と終止形で言う。帰宅したお父さんを玄関に迎えに出て「ただいま」と言う、など。「マイペース」と見ようと思えば見えるけれど、どことなく気になる感じがいろいろあります。
ことばの出始めが遅れがちとはいえ、しだいにことば数が増え文章も話すようになるので、多くの親ごさんは安心してしまい勝ちですが、実は、文章で話すようになるとさらにふしぎさは強まります。
お家の人に対してです・ます調のていねいなことば遣いで話す。
「自転車で来たの?」と質問すると「できた」と答えるなどことばの一部分をとりあげて反応する。
複雑な文章を話すのだけれど、借りてきたセリフのようで感情がこもらない。
初対面の人に妙になれなれしく話しかける、など。
これらはことばやコミュニケーションの困難さの特徴的な現われです。
幼稚園・保育園や学校などの集団生活では、その困難さが噴出します。
みんなと一緒の行動が苦手。先生の指示が聞けていない。一人で砂場で遊んでいるのを友達が呼びにいくと食ってかかったり。一貫して持ち続けている感覚過敏のために、静かな授業中より騒がしい休み時間や掃除の時間がつらい。一方、機械的な記憶にすぐれていて、興味の向かう教科では非常によい成績を上げたりもします。
質問されると関係のないことにまでどんどん話が広がって収拾がつかなくなるのもよくあることです。たとえば、「エビ」についての学習をしているときに「エビ」と答えたところまでは良かったけれど、「このエビはひげの形からいって○○エビだと思う。カニも色によって種類が分かれていて・・・カニ漁の方法はどうでこうで、収穫量はどこの国が多くて、その国の特産物は何で、雨量はどうで・・・・」と延々話しつづけ、周りの子たちが辟易しているのにも全く気づかない、という状態。
長じるにつれて、幼い時期の強い緊張は徐々に取れても、体の動きがぎくしゃくして博学な割りに不器用だったり、人が気にしている弱点をズケズケと指摘したり(髪の毛の薄くなっている職場の上司に向かって「ハゲてますね」)、ことばをその意味の通りに受け取ってトンチンカンな行動をする(外回りから汗だくになって戻ってきた同僚が「暑い暑い、今日は一体何度なんだ!」というと、温度計を見に行って「28度です」という)など。また、何でもない場面で、急に怒鳴り出すこともあったり。
どの年齢においても、何となく気になる、どこかがちがう、イライラさせられることの多い、理解しがたい存在、と言えるでしょうか。物知りだったり、計算が速かったり、すぐれている面も持ち合わせているために、障害特性に気づいてもらいにくく、生意気、無作法、空気が読めないやつ、と誤解されることの多い人たちです。
●アスペルガー症候群の人たちの不可解な行動は、多数派との「生理的な仕組みの違い」から生まれています
まず最初に「アスペルガーの人たちは、多数派・定型発達の者たちとは違う生理的な仕組みを持っている人たちなのだろう」と想像することをおすすめします。脳の仕組みで言うと、線が細くてうまく電気を通さない電線や、逆に電気を通しすぎる電線があったり、途中で混線して本来伝わるべき所と違うところに信号が行ってしまったり、電球が過剰に明るく光ったり、逆に暗すぎたり、一つだけ光ればいいところで5個も10個も光ってしまう・・・・のように、です。
脳のそういう働き方の特徴は、誰のせいでもありませんし、他の人と脳を取り替えることもできません。脳の働き方の特徴のために、実際には小さな音が耐え難い大きい音に聞こえたり、教室に一緒に帰るために手をつなごうとしてくれた友達の手の触感が花を生ける剣山の鋭い針のような痛みに感じられたり、人と目を合わせると相手の目が気になって声が聞こえなくなる、という状態に陥っている可能性があります。実際、最近よく目にする当事者の手記やサイトでは、そういった感覚の違いや、外界のとらえ方の違いについて詳細に説明してくれているものが多くあります。
●ことばやコミュニケーションの困難とその支援
ことばやコミュニケーションについては、次のようなことが共通する困難さとしてあげられます。どう考えどう支援できるかあわせて考えてゆきます
1)聴覚、視覚、触覚、味覚、姿勢や体の動きなどの感覚が非常に敏感または鈍い。
隣の子が消しゴムをことんと落としただけなのに突然その子に殴りかかったお子さんがありました。本人としては、突然耳の横で雷のように大きな音を立てられたためのびっくり反応だった可能性があります。
支援
事前に覚悟しておくと我慢できることも多いので、なるべく事前に予告してから行動を起こします。「抱っこするね」といってから抱っこする。「靴を履くよ」と予告してから靴を履かせる。
起きてしまったことに関しては「大きな音がしてびっくりしたね」と気持ちに共感し、「消しゴムが転がっただけだからたたかなくても大丈夫だよ」と本人を落ち着かせ、「ごめんね」と一緒に相手の子にあやまります。
2)一度に一つの感覚チャンネルしか働かない。
目で見て同時に耳で聞くことがとてもむずかしい。目を合わせると目が気になって相手の話が理解できないから目をそらしている、と話す当事者が多くいます。注意の向け方をうまくコントロールできないためかもしれません。
支援
余分なものが目に入らないよう部屋をすっきり片付けることや、音の環境を静かにして一度にひとつの声だけが聞こえるようにしてあげることも大事です。
ジェスチャーや絵カード、指で指して示す、名前を呼んで注意をひきつけてから話しかけるのも大切な配慮です。
3) 聴覚だけでの理解は難しい。
音声によることばはすぐに消えてしまう情報なので、ことばだけで理解するのは彼らならずとも、とても難しい課題です。
レストランで食後のデザートを選ぶ段になって「マスカルポーネチーズのババロアと、クランベリーとラズベリーのフレッシュクリームタルト、ショートケーキアラメゾン、キャラメルナッツシフォンケーキの中からおひとつお選びください」と立て板に水の調子で言われたら多くの人は途方にくれるでしょう。それと似ています。
支援
メニューを見ながらだったらデザートを選ぶことはたやすくなるはず。できるだけ視覚的な手がかりを利用します。
一日のスケジュールを書いたボードを持つことで落ち着くお子さんは少なくありません。
靴を入れる場所をシールで示すこと、着替えを入れる場所にも「パンツ」「シャツ」「靴下」などの絵を添えてみます。こういうことで楽になるのは、アスペルガー症候群のお子さんには限りません。すべての子どもに必要な配慮でもあります。
4)相手の気持ちを想像することが困難
相手の気持ちを想像することが苦手です。そのこととことばを字義通りに解釈することが合わさって「暑い!何度だ!」→「28度です」という対応になってしまいます。
支援
通常は暗黙の了解とされる部分もきちんとことばにして具体的に伝えます。主語、述語のある、正しい文章で話すようにします。「外を歩いてきたので、とっても暑いや。今日はきっと温度が高いんだね」
「そこのゴミ、ポイして」ではなく「○ちゃんの 足の横に 紙くずがあるよ。ほら(と指さす)拾って、くずかごに、入れて」というふうに。
5)興味の対象が限られる、こだわりが強い 注意の向け方の偏り
好きなことには熱心に取り組むのに、それ以外のことには全く興味が向かない。従って身につかない。
支援
不安だから決まりきった安心できるものにすがっているのかもしれません。好きなことを否定せず、好きなことを手がかりに、少しずつ他のものにも興味を広げていけるように、働きかけます。
ミニカーを並べる遊びがマイブームなら、一緒にその遊びを楽しみます。その中で「赤いミニカーをください」とか、「二列に並べるよ」などとやりとりや概念を広げる働きかけもできます。
6)周囲のできごとの“意味”が理解できない
食事のときにお味噌汁をこぼしました。
定型発達の子であれば「ひじがお椀にひっかかった」「お椀が倒れた」「お味噌汁がこぼれた」と、時間系列にそって起きた事象を読み取れます。が、アスペルガー症候群の子どもたちに与えられているのはいつも「今」「ここ」だけなので「(ぬれてなかったテーブルに)突然茶色いお湯がこぼれている!」と感じ、「なぜだ!」「何がおきたんだ!」とただもうびっくりして棒立ちになってしまうのです。フキンを持ってきて拭こうという問題解決など思いつけるはずもありません。
毎日がこういう理解できないことがらの連続なので、次に何がおきるのか。不安でたまりません。せめて、いつも同じ道を通るとか、同じ銘柄のお菓子を食べるとか、同じ服で身を包もうとか、壁ぎわでじっとしていようとか考えるのも無理ありません。
支援
ひとつずつの事態にことばを添えてていねいに説明します。「お椀が、倒れたね」「それで、お味噌汁がこぼれた」「テーブルが濡れたから、フキンで拭くよ」
説明したとしても、毎日新しい事態が起き対応できないことばかりでしょうが、こうして経験をつみ、ことばで整理してもらうことによって行動のレパートリーが増えるにつれて、「これは知ってる」ということがらも増えてゆくでしょう。それが、安心して暮らすことにもつながります。
何が起きたのかわかっていないのですから「僕は何にも悪くない」のです。こういう場面で厳しく叱ったとしても、「怒られた」「怖かった」という思いだけしか残りません。
周囲の大人が淡々と確実に「伝える」「教える」という態度でゆらがないことが大事です。
7)状況把握が困難 文脈の中での理解ができない
意味が理解できないことと関係しますが、すべてのことばがローマ字の羅列で伝えられるような感じ、とでも言えばいいでしょうか。
定型発達の人たちは、周りの状況を、相手の気持ちを想像しながら総合的に文脈全体の中で判断できます。先生がきりっとした顔をして大きめの声でshizukaniといえばカニのことを話しているはずはない、とわかります。ところが状況判断ができないアスペルガー症候群の子どもたちにとっては、shizukanishimashou の中には「カニ」も「西」も「島」も」「ショー」も含まれているので、何が話題になっているのかわかりようがありません。ajisaigakirei の中には「味」も「サイ」も「餓鬼」も「きれ」も「レイ」も含まれているのでアジサイにたどりつけません。
お母さんと夏休みの生活について話をしていたら急に子どもが「ドーナツ、ドーナツ、買って帰ろう」と主張し始めたことがあります。「ナツ休み」の「ナツ」で思いついたんですね!とお母さんと謎解きをしたことでした。
支援
まず何について話すのか、話題についての見通しを伝え、わかりやすく短いことばで適切につたえます。「みんな聞いて。いい? お口を閉じて、おへそを先生のほうに向けて。はい、静かにします」
8)話されていることばの聞き取りと分析能力が不十分
shizukanishimashouの音が電線を通って脳に伝わる過程で、間の子音や母音がどこかに消えてしまうことがあります。接触の悪いマイクを通した声を聞くみたいに、です。
izuanimashou 伊豆?兄?魔性?
支援
ゆっくり話してあげれば、たとえ接触不良でも聞きとりやすくなるかもしれません。
また、単語と単語の間を意識的に区切り、どこからどこまでが一かたまりのことばなのかわかりやすく伝えます。「しずかに□しましょう」と。
また、語尾は終止形の方がわかりやすい子もいます。「さあ、みんなで、シールを、貼りましょうね」よりは「シールを、貼ります」という具合。
9)みかけよりもずっと理解はできていない
話が達者だと、いろいろなことが分かっていると誤解されますが、実は言語理解の能力は貧しいことが多いのです。
発達検査のような限られた場面、限られた題材での応答で仮に能力的に高い数値が出たとしても、実際の生活場面はいろいろな音や刺激や人からの働きかけ、あうんの呼吸、など目に見えない情報が行き交い、錯綜・混乱しています。そういう中を泳ぎ渡ってゆくのは本当に大変なことなのです。
支援
どこまでが分かっているのか、何が分からないのか、何か困っていることはないか。多分困っているだろうということを前提に、絶えず、子どもにそう問いかけます。実際にことばで問わなくても、表情やしぐさに注意し、「困っている」のサインが見えたら手助けするようにします。
早くから「やらせる」ような指導的かかわりより、徹底的に「支える」かかわりをした方が不安を取り除いてあげられます。一概にはいえませんが、成長してからの心理的安定にもつながるはずです。
冒頭で書いたように、アスペルガー症候群の子どもたちは圧倒的な不安と混乱の中に生きているに違いありません。特に幼児期は過度な感覚過敏も重なって、この世の中は異臭とぎらつく光と不快な音、知らない人たちとわけの分からない出来事に満ちています。幼児期に接する支援者や保護者が、彼らのそういう苦しさに共感し、無理をさせず、大丈夫だよ、と声をかけ、「大丈夫」の陣地を一緒に広げてゆく存在になることが大事なのだと思っています。コミュニケーションは安心感、安全感の中からしか生まれないのです。
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木村順(2004) 育てにくい子にはわけがある 大月書店
ニキ・リンコ 藤家寛子(2004) 自閉っ子、こいうふうにできてます 花風社
尾崎洋一郎他(2005)高機能自閉症・アスペルガー症候群とその周辺の子どもたちー特性に対する対応を考える 同成社
藤原加奈江(2005) 2歳からはじめる自閉症児の言語訓練 診断と治療社
2012年追加
木村順(2011) 「発達障害の子の感覚遊び 運動遊び」 講談社
木村順(2011) 「発達障害のある子の読み書き遊び コミュニケーション遊び」講談社
掲載誌 (原稿は図形を省略したため、一部改変してあります)
【別冊「発達」30号】
アスペルガー症候群の子どもの発達理解と発達援助
榊原洋一編著 ミネルヴァ書房 2009年8月
2012年08月14日
やさしいことばを聞きたくて・・・ + 後日談
世田谷区で一人暮らしをしている高齢の母から夜になってから「かかりつけ医のお盆休みを忘れていて、飲み薬が今日までの分しかなかった!」とメールが来ました。
あら大変。心臓とか血圧の薬なので、一週間くらい飲まなくても大丈夫、ともいえますが、薬で健康が維持されているとしたら、この暑さの中、一週間薬なしは心配。
近くにある医院は軒並み御盆休みのようです。
翌朝一番で、いつもお世話になっているケアマネージャーさんに電話して「この時期でもやっている病院を教えてください」とお願いしたところ、いくつも教えてくれました。
午前中しか診療していない公立の大きな病院には行かれません。私は午前中から四時までは仕事の約束があったので。
教えてもらった中に、下高井戸駅前のY小児科内科病院の名前があったので電話して聞いてみると、18時まで診療しているとのことだったので、そこに行くことに決めました。
そのY小児科内科病院には忘れられない懐かしい思い出がありました。
長男が3歳か4歳くらいだったでしょうか、夏の日曜日にアイスキャンディーを食べたら急にひきつけたことがありました。
私たち一家はそのころ、世田谷に住んでいて、当日の休日診療当番医がY病院でした。ひきつけはわりあい簡単におさまりましたが、ともかくも受診!!
かかりつけだった国立小児病院(当時。現・成育医療センターに統合)でのデータや、既往歴などは忘れず持参しました。
Y先生はやさしく「心配いらないでしょう」と言ってくださり、「心配いらない」と判断した理由をちゃんと話してくださいました。
そして、持参した書類を見ながら、「アレルギーの値(IgE)がこれだけ高いのに、喘息の発作は少ないほうですね」とおっしゃいました。
息子のIgE値は、かかりつけのアレルギー専門病院で「こんなに値の高い子は、この病院始まって以来だ!」といわれるほどでしたから。
「精神的には強い子だと思うのですが、そのおかげでしょうか?」と言うと、Y先生はにっこりして「お母さんの育て方が間違ってないからでしょう」とおっしゃいました。
私の最初の本「ことばをはぐくむ」(ぶどう社)のあとがきに書きました。
今でも、Y先生のこのことばを思い出すと涙が出てきます。ありがたくて。
昨日母を診てくださった若い先生は、多分、以前のY先生の次の代の先生だと思うのですが同じYという苗字でした。
事情を話すと、「わかりました、10日分でいいんですね?」とやさしい笑顔。
母が「こんなポカをするなんて。日に日に物忘れがひどくて・・・」と嘆くと、先生は「お歳は?え? 92歳? 92歳でちゃんと一人で薬の管理ができているなんてそれだけですばらしい!! 92歳で、忘れっぽいなんてことを悩める人は少ないですよぉ」と言ってくださいました。
「ガマンしすぎないで冷房はちゃんと使ってくださいね。」とも。
高齢者に対して親切なお医者さんやお店は最近いろいろあります。でも(これは私のひがみ根性かもしれませんが)「はいはい、おばあちゃん、大丈夫ですよ」「おばあちゃんだからどうせできないだろう」「どうせわからないだろう」みたいな前提があっての親切さ、上から目線の親切を感じることの方が多いのです。
Y若先生のおっしゃり方は、それらとは全然違っていて「ひとりの人として大事にしてもらった」という感じがありました。
母も「そんなふうに言っていただくと、元気が出ます!」とうれしそうでした。
私も日ごろ、「来てよかったです」とか「安心しました」と言っていただけるような相談を心がけているつもりですが、なかなか至らないことばかりで。
Y若先生のふるまいから、当事者側としてのいろんなことを、思いました。
年齢や立場や肩書きを超えて、人としての平等、対等。
仕事を通じて、その思想を表現するのは、言うは易く、行うは至難です・・・。
■後日談■
一週間ほどしてから、用事があって、下高井戸のY内科小児科病院の受付にいきました。
朝一番で、まだ患者さんもちらほら。
その時、目の前を、忘れもしない、30数年前に長男を診てくださったY先生が通りかかりました。ちらっと目が合っただけでしたが、そのやさしそうな目を見ただけで、思わず、うるうるっと涙がこみ上げてきました。こんな経験は、あまりしたことがありません。
あれは、何だったのかな〜と、不思議です。
オーラというものなのでしょうか・・・。
2012年08月12日
枝豆
特に目立った産業や、これは!という特産品のない狛江ですが、狛江産枝豆は自慢の品だそうで、「枝豆アイス」を農協で売っています。
市内を自転車で走っていると、至るところに「産直」ののぼりのはためく野菜の無人販売所があります。朝早く行かないとすぐに売リ切れてしまいます。いつも無人とは限らず、おじさんやおばさんが店番をしている時もあります。
無人販売で困るのは、小銭がないときです。ナス一袋100円だけほしいときでも、財布に1000円札と500円玉しかなければ、やむなく、ピーマンやらトマトやらを買い足してムリヤリ500円にせざるをえません。
昨日は枝豆とトマトとナスを買って帰り、枝豆はさっそくゆでました。
採れたて、茹でたての枝豆の美味しさは格別ですからね。
でも、一つ、悲しいこと(?)がありました。ゆでたあとのお湯に、カナブンが一匹浮かんでいたのです。「かまゆで」じゃなくて「なべゆで」!!
枝から豆を一つずつはずした時にも、ウンともスンとも言わなかったなぁ。そのすきに逃げてくれればよかったのに・・・・。
家の中に飛び込んで、「ブンブンブンブン!!!」って飛び回るカナブンは敵みたいにおっかけ回すのに、ゆだったカナブンは「かわいそうに」って言うんですから、全く身勝手な理屈です。
など、考えながら、枝豆には罪はないので、おいしくいただきました。
2012年08月08日
特別ではない「当然支援教育」と、予防的関わり
狛江市は、東京都特別支援教育推進第三次計画のモデル事業を受けて、小学校全校への特別支援教室設置の可能性を探っています。
「学級」ではなく「教室」になってしまう点に大きな問題をはらんでいるとも思われますが、ともかく、小学校6校に対して通級学級設置校が3校ある、つまり2校に一つの通級学級があることを、生かしていかなければと思います。
さて、「特別支援教育」の「特別」が、いつも、とても、気に入りません。
「あの子は【特別】だから、【特別】の場所に行くべきだ」という排除の論理の裏づけになりかねませんし、実際、地域によっては、学校によっては、まさにそのような使われ方をしているところもあるからです。
狛江市は、特別支援教育のスローガンを「全ての学校の、全ての教室で 全ての教員による 全ての子どものための特別支援教育」としています。
「あなたが担任する、その学級で、支援を必要とする子も、そうでない子も、しっかり見て、個に応じる教育をしようではないか!」という呼びかけです。
実際、「手のかかる子」「気がかりな子」を念頭に、わかりやすい授業、安心できることばかけを工夫することで、全ての子どもたちが安定し、授業に向かう態度が確実に改善することは、私自身が、あっちでもこっちでも見聞きしています。
私は日ごろ、保健師さんたちと一緒の仕事が一番多いのですが、地域住民の健康を守るためには、「地域の全数対象の」「予防的関わり」が必須であると感じています。
それは、学校においても、同じ構図だと思っています。
すべての子どもたちに望ましい、ていねいな関わりをしていくことが、何年か先の学級の荒れや、不登校の出現や、いじめの可能性を未然に防ぐ働きもしているのだろう・・・という意味で。
保健師の仕事でも、予防的かかわりをきっちりと、丁寧にやればやるほど、表面的に出て来る「問題」(育児不安からの親子心中とか、虐待とか)が少なくなるので、「この地域は問題がないじゃないか。人員を減らしても大丈夫だろ?」ってな話になってしまうのが、くやしいところです。
でも、出てきた問題に対処する後手後手のその場しのぎではなく、「全ての子ども」に視点を置いた、予防的介入のあり方こそ(就学前ー就学への情報の引継ぎ、ネットワークによる支援も含め)一番課題にすべきことだろうと思います。
日本LD学会会報に、狛江の特別支援教育の工夫について書けと言われ、いろいろ考えました。原稿依頼の陰にはどうやら上野一彦さんがいたようです。
上野先輩は、2月に狛江で開いたシンポジウムにお招きした折、「お世辞ではなく、狛江は、よくがんばってると思いますよ!」って言ってくださいました。
日ごろ辛口批評で有名な上野先輩なので、かなりの高得点だと私たちは気をよくしました。
狛江市が取り組んでくれていることは、方向として決して間違っていないと思っていますが、財源の乏しいわが市で実現していくには、さらに、さらに、知恵と工夫が必要そうです。