ここは中川信子のホームページです。ことばの発達や障害について、
また、言語聴覚士に関連するさまざまな情報を配信していく予定です。

「そらとも」は「この空のもと、いたるところに、志を同じくする友あり」という意味です。
疲れて、ひとりぽっちと思えるときには、空を見あげ、胸いっぱいに元気を補給しましょう。
その曲がり角の先には、きっと新しい出会いと、すばらしいできごとが待っています。

高山恵子さんたちがやっている「えじそんくらぶ」の活動はみなさま
ご存知のことと思います。    http://www.e-club.jp/

この「えじそんくらぶ」から、2008年3月に広く子育て中の保護者を

対象にした、とてもわかりやすいパンフレットが出されました。

無償ダウンロードできます。

 
えじそんくらぶ  トップぺージ 
http://www.e-club.jp/
  ↓
 参考図書
  ↓
 冊子ダウンロード
   「子育てママを応援します
        〜育児ストレスを減らす三つのヒント」


なお印刷ずみのものの郵送もしてもらえるようです。
一冊40円または30円です。

えじそんくらぶの働きは、すごいですね・・・・。

  今夜は(狛江)市内にある、和泉児童館の「運営協議会」でした。
狛江市の子ども家庭支援センターと児童館とはともに雲柱社という社会福祉法人に委託されてから、どんどん活性化して、来館者数も市の直営時代から比べるとうなぎ上りになっています。行政の運営はどうしても「とりあえずやります」「最低限のことはやっています」という感じになってしまいがちですが(無理もない部分もありますよね。つい先月まで水道課だったり、住民票を出したりする部署にいた方が異動したりするのですから・・・)この雲柱社は、とても熱心な取り組みをしてくれています。障害のある子どもたちを含む児童館活動を作り出す、という方向にも。
  今日の会議で館長は(まだ若いのですが)、「ユニバーサルデザイン」ということばで、児童館の運営の理念を話してくださいました。障害のある子もない子も一緒に生活するのが当たり前になるために、ということで。そのための目標として五つのことが挙げられていました。

     ①私たちは、みんなの≪居場所≫となる児童館を目指します。
     ②私たちは、子どもたちが多くの人と出会い、遊びや行事など
       への参加を通じて≪社会力≫を培う児童館を目指します。
     ③私たちは、子どもたちやその家族の抱えている問題を受け止め、 
      ≪共に担う≫児童館を目指します。
     ④私たちは、世界の人たちと≪共に生きる≫ためのための学習や
      異文化体験、ボランティア活動に取り組む児童館を目指します。
     ⑤私たちは、子どもたちが≪平和≫を愛し、差別や偏見に立ち向かう力を
      育む児童館を目指します。

  「支援とは、≪共にある≫ことから始まる」と誰かが言っていました。
 共にあること。共生。
 言うは易く、実行はとても難しいけれど、この狛江市和泉児童館は一年ごとにその歩みを着実に積み重ね、深めていると感じながら帰ってきました。

2008-09-24

ティ一ングからコーチングへ

白いシャギーマットとシソジュース

「一度会ってみたい、あこがれのタレントをひとりだけ思い浮かべてください」と講師は言いました。「福山雅治でも稲垣吾郎でも、トム・クルーズでも」

これはつい先日わが町の保健師さんが企画してくれた「コーチングセミナー」の第一回目に参加したときのこと。

子育て真っ最中のお母さんや、子育て支援にかかわる市の関係職員など40人ほどの参加者がそれぞれあこがれの人を思い浮かべたところで「では、その人のことは横において・・・」と講師・。

「我が家の居間のテーブルの下に敷いてあるフワフワのラグマットを半年ぶりに洗濯しました。洗濯機に入らないので、わざわざ近くのコインランドリーまで行きましたよ。こんなに白かったか、と思うほど真っ白になったそのマットを持って戻り、居間のテーブルの下に敷きました。そこへ2歳になる娘がやってきます。シソジュースの入ったコップを持っています。よろっとつまづいて転びます。真っ白だったマットには、シソジュースの大きなしみが。

その時、あなただったら、お子さんを怒りますか?」

参加者「そりゃあ、怒ります」

講師は続けます。「では、さっき思い浮かべていただいたあこがれのタレントがお宅に来ているとします。その人がシソジュースを同じようにラグマットにこぼしたとしたら、あなたは怒りますか?」

参加者「怒りませんとも!」

怒りの感情をコントロールしているのは自分自身だった!!

講師「せっかく洗ったばかりの、真っ白なラグマットに、シソジュースのしみができたっていう状況は同じですね。状況が同じなのに一方に対しては声を荒げて怒り、一方に対しては怒らない」

参加者(あれ、ほんとだ、という感じで苦笑)

講師「ということは、『怒る』という感情をコントロールしているのは、自分だ、ということですよね」

そうだったのかー。私は深―くうなずきました。

仕事上お会いするひとさまには、気長で、辛抱強く接することができると自分では思っている私ですが、家族に対しては、山ほどの不平不満が。

相手が悪い! 私はこんなにやっているのに!と、マイナス思考にはまり、相手を責めるという循環に陥りがちです。

「何で、あなたは!」と大声で言い合いでもすればすっきりするのでしょうが、それも大人げない、とセーブするので、なおストレスが溜まる毎日。

でも、言われてみれば、確かに、同じ行動をされても、相手が違えば、こんなにいらいらすることはありません。我が家の玄関にクツが脱ぎ散らしてあると、「全くもう!」と怒りながらそろえるのに、カーペット敷きの相談室への入り口で、スタッフのクツがパパっと取り散らかっていても「あらあら、急いで部屋に入ったのね」と、平静心でそろえられますもの。

具体的な、実行される提案

さらに講師は続けます。

「では、なぜ、自分の2歳のかわいい子に対しては怒ってしまうんでしょう? そう。子どもには、転ばない子、転ばずにシソジュースのしみをつけない子でいてほしい、って期待している。その期待が裏切られるから怒るのではないでしょうか。最初から期待していない相手には怒らないですむことも多いんですね」

あ、ほんとだー。スタッフに対しては

「クツをちゃんとそろえて脱ぐ人になってほしいわ」なんて期待してないもの。

講師「怒らない−怒る の間にはさまざまな段階があります。そのどのレベルにバーをおくか、怒りの感情をコントロールしているのは実は自分なんですね。

おうちに帰ったら、このことをメモにして、冷蔵庫の扉と、トイレと、玄関とに貼っておいてください。人間って忘れやすいので、絶えず目で見てインプットするようにするのが効果的ですから」

ここでも舌を巻いている私がいます。そうかー、ここまで具体的にイメージを伝えることが大事なんだ。私のアタマの中には、すでにトイレの壁に貼ってある「怒りのレベル」のメモが浮かんでいます。帰ったらすぐに実行しよう、と。

自分をほめるタネ探し

講師はさらにこうも言いました。

「そんなメモを貼ったからといって、『今日から怒らないお母さん』になんかなれっこないですよ。でもね、『また怒ってしまった・・』ではなく『いままで10回怒っていたところをメモのおかげで9回に減らせた。すごい、がんばってる私』って自分をほめられたら、うれしいでしょ? うれしい自分がいて初めて相手も生かせる。自分を大事にしたいですね」

確かに・・・。療育や教育や保育をやっていると、まだまだ足りない、もっとやってあげたいってがんばって、結果、自分も相手も追いつめるハメになること、多いもんな・・・。

ティーチングからコーチングへ

最近、巷で大流行のコーチング。心理学やカウンセリングやマネージメントなどの手法を取り入れて発展してきた人間関係改善のためのメソッドです。本は山積み、インターネットにも情報があふれています。あまりに急発展の分野なのでセミナー内容は玉石混交だそう。でも、本来ひとの中にある力をじょうずに引き出すことをめざし、同時に自分の成長のための視点も入っていて、何より職場や学校、夫婦、親子、いろいろな場面に応用できて毎日の役に立ちそうです。

批判する、責める、文句を言う、ガミガミ言う、脅す、罰する、ほうびで釣るといった、実効性が少なく、相手に力をつけることの少ないやり方ではなく「共に成長する」ことが自然にできる工夫が随所に盛り込まれている「コーチング」。これからも体験学習や、理屈面のベンキョーをしてみようと思っています。

2008-09-14

インスタントおばあちゃん

 鹿児島―徳之島

 12月に、徳之島に行きました。島内天城町の保健師の「島さん」にお招きを受けまして。島には「島さん」の苗字が多いらしく、「島さん」の上司である保健福祉課長さんからいただいた名刺にも「島」と書いてありました。

噂好きのオバサンの常として、こういうシチュエーションでは名刺を見たとたんに「ご夫婦?」とツッコミを入れるところですが、その前に、「保健師の島さん」は独身だ、との情報を得ておりましたので、ツッコミそこないました。

 なぜ、事前に「保健師の島さんは独身」との情報を得ていたか・・・。

それは、夕方の飛行機で徳之島飛行場に着いたとたんの家庭訪問に始まり、保育所訪問2園、家庭訪問3件、そして講演と、まる二日半に亘って朝から晩まで「島さん」と一緒に行動して、その間にいろんなことを聞きだしていたからです。

 インスタントおばあちゃん

 徳之島空港に着いたときは、日ごろ落ち着きはらっている私もだいぶ動揺していました。なぜなら・・・・

 鹿児島空港で、徳之島ゆき乗り継ぎ便を待っていたとき、3歳、2歳、3ヶ月

の3人の子どもを引き連れている若いご夫婦と一緒になりました。お子さんたちは、飛行機に乗るのが初めてとか。

 そして行きがかり上、離陸のときには

3歳のお嬢ちゃん、着陸のときには生後3か月の赤ちゃんを抱っこするというハメに相なりました。日ごろ「子育てには周囲の支援が必要だ」とあちこちで言い散らしている関係上、せめてこういう場面では実践しないとね。

その赤ちゃんが、また、とてつもなくかわいい、愛想のいい赤ちゃんで、表情

豊か。ちょっとあやすとすぐに天使の笑み。その笑いを見たい一心で、百面相をする私。周辺の座席の人たちは、孫を抱いたおばあちゃんだと思ったみたい。正式にはインスタントおばあちゃん、ですけどね。ドラえもんのポケットから、こういうたぐいの子育て支援グッズも出てくるといいな。

前庭覚(平衡感覚)と、視線の力を実感

それにしても、昔取ったキネヅカとはよくぞ言ったもの。お母さんの手から赤ちゃんを抱きとったとたんに、しっくりする抱き方、赤ちゃんが落ち着いてくれる抱き方を、私の腕が勝手に自動的に微調整してくれます。体が覚えている。

徳之島が近づき、高度を下げ始めた飛行機は、気流の関係で時々ゆれました。ガタガタとか、フワン!とか、どんな揺れであっても、抱いている赤ちゃんがぎゅっと全身を固くするのが、抱いている腕に伝わってきます。

「おお!赤ちゃんは、こんなぐあいに、常に重力を感じているんだ!なるほど、前庭覚(平衡感覚)は大事な感覚。筋緊張と連動していて、姿勢保持に直結しているわけだ」と、感覚統合のリクツを思い浮かべ、ついでに「そうだ、感覚統合についての画期的な本(※)が1月下旬に出る予定だった、楽しみだなー」なんて連想したりして。

揺れの中、赤ちゃんは泣くこともなく、腕の中で私の目をじーーーっと見ています。赤ちゃんってこんなに見るものだったのね、って言うぐらい。

「私の目玉」を見ているのではなく「『私』と『目』を『合わせて』」いるのです。当たり前のことなのに、大感動。

広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)のお子さんを持つお母さんたちの中には、赤ちゃんのときから「何かヘンだ」という違和感を感じていて、でも、誰に相談しても、思い過ごしだ、って言われてきたという方がよくあります。2歳3歳になってから「目が合わない」「気持ちが通じ合わない」と訴え、理解してくれる専門家に出会ってはじめてわかってもらえた・・・と。

そうだったのね。この「眼力(めぢから)」が、やーっぱり、ちがう。お母さんたちが「ちょっとちがう」と感じるのは、この眼力のことなのかも、と改めて実感。

 子どもたちとまわりの大人たち

そんなわけで動揺する飛行機から降りて、インスタントおばあちゃん体験の興奮さめやらず、まだ少々動揺している私でしたが、お迎えに来てくださった「保健師の島さん」に連れられてそのまま飛行場そばのお宅の家庭訪問。沿道には背丈を越えるサトウキビ畑が連なり、闘牛用の牛を飼っているお家があり。

お訪ねしたお家でもそうでしたが、徳之島では、赤ちゃんに名づけたときに飾った「命名」と書いたきれいなお祝いの紙を壁や仏壇の横に、ずっと貼っておくのだそうです。赤ちゃんが中学生になり高校生になり、紙の色があせてぼろぼろになっても、ずっと。訪問したお宅のお母さんは「私の実家にも、まだ貼ってありますよ」って笑っていました。

徳之島の天城町は合計特殊出生率2.81で全国2位。子沢山のおうちが多いので「命名」の紙が3枚、4枚、5枚と貼ってあるお家はざらなのだそう。

どこに行っても子どもがたくさん。子どもがいるのが当たり前の風景。近所の子、親戚の子、入り混じって遊んでいて、障害のある子がいつの間にかご近所のお家に行ったりするのも想定の範囲内。適当に世話したり遊んだりして、ころあいを見計らって連れてきてくれるのも、当たり前のこと、と聞きました。

保育所を訪問しても、なんとも人懐こい子どもたち。子どもの中で育ったらしい天真爛漫さと、要領のよさと。

いいことばかりではない、影の部分もある、と保健師さんはおっしゃっていましたが、私たちが都会で失ってしまったものがまだたくさん残っているみたいで、体は疲れたけれど、心に活力がみなぎるような、とても貴重な徳之島体験でした。また島に行きたいと思っています、島さんに会いに。

※「育てにくい子にはわけがある――感覚統合が教えてくれたこと」木村順  大月書店

2008-09-14

自分がいいと思うものは人にも勧めたい

  桐生の親友

群馬県の桐生市に親友がいます。ふとしたきっかけで、40歳を過ぎてから知り合いました。知り合った瞬間、厳密に言うと、電話で最初の一声を交わしたとたんに親友になった、という不思議なめぐり合わせ。電話線を通して伝わったのは何だったのかなー?

 彼女と出会ったきっかけは、群馬県在住の星野富弘さんの詩画と、私が属していたコーラスの指揮者の音楽でした。打ち合わせの必要があって、何回か星野さんのお宅にお邪魔したのですが、そのおり、私と彼女はぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。星野さんがそこにいるのも構わずに、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべっているのが常でした。あきれた様子の星野さんが「よくしゃべるね、ふたりは。双子みたいに」とおっしゃり、その瞬間私たちは「ああ、そうだったんだ、私たちきっと前生の双子だね!」と納得し、それ以来、「前生の双子」と名乗っています。

離れていてもつながる心

双子と称するわりには、会うこともなく、メールも手紙も出さず、年賀状さえ出しません。やっている仕事もぜんぜん違うし。でも、ときどきふっと電話すると、「あ、今ちょうど、のぶちゃんのこと思い出してたとこ」といわれたり、逆に電話が鳴ると私の方で「あ、Kさんからだ!」と分かったり、これまた不思議なシンクロニシティ(共時性)があったりします。

 先日、前橋での講演にお招きいただいたので、帰りには桐生に寄ろうと思いつつ、Kさんには直前でよかろうと連絡せずにいました。すると、携帯電話が鳴りました。「あ、のぶちゃん? 前橋に来るんだって? 講演会チラシをFAXしてくれた人がいて。泊まれるの?」とのこと。もちろん「桐生に」って意味。本当なら「桐生に寄る?」があって、「泊まれる?」って聞くべきところ、あいだが抜けても通じる日本語の不思議。

残念ながら、泊まりは無理だったのですが、講演後、3時すぎに桐生に到着、941分の電車にのるまで、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、あっという間の6時間。上り上越新幹線の最終に飛び乗って、うちに帰りついたのは深夜1時過ぎ。四年ぶりの再会でしたが、あーー、よくしゃべった!! 口がだるくなりました。

「とおりゃんせ」が売るものは

KさんはJR桐生駅から歩いて45分のところでお店を営んでいます。絹織物の町として繁栄した桐生ですが、ご多分にもれず、衰退の一途。駅前の商店街のあちこちにシャッターの下りたお店が目立ちます。そんな桐生の活性化のため、一大決心をして郊外から街中の空き店舗に移転して来ました。

お店の名前は「とおりゃんせ」。お人形やオルゴール、それに、彼女のおめがねにかなった美しいものや、気持ちのいいものを売っています。

商売をしているのか、自分の好きなものを身の回りに集めて置いているだけなのか、私は時々分からなくなることがあります。好きなものに囲まれた彼女は幸せそうで、本当にそれらを売る気があるのかどうかわからないから。でも、まあ、お店がつぶれないところを見ると、そこそこ売れてもいるのでしょう。

 ただ、確実なことがあります。Kさんは単なる「販売員」ではない、っていうこと。「このお人形かわいいでしょ?どこそこの何さんという若い作家さんが作ったもので、この色合いがなんともいえない。何町の何何さんは、これを見てああ言った、何さんはこう言った・・・」来店したなじみのお客さん相手に切れ目のないおしゃべりが続きます。

聞いているうちに、ああ、そうか、と私は独り言を言いました。Kさんのおしゃべりは、このお店にある品物たちへの賛美、愛なんだ、と思ったので。

 品物を買っても買わなくても、お店に来た人が感じるのは「愛されている」「大切にされている」という雰囲気。品物を買った人はさらに「私の愛する品物を買ってくれるあなたは、私にとって大事な人になりました」っていうKさんの“思い”を品物と一緒に箱に詰め、袋にさげて帰るのです。そういう感じ。

自分がいいと思うものは人にも勧めたい

「前生の双子」たらしめる共通点の一つは、「自分がいいと思うものは人にも勧めたい」という気持ち。おせっかい。

人はひとりずつ違う、好みも思いも。自分がいいと思うものを相手もいいと思うとは限らない。その事実を何回思い知らされても、何回失敗しても、やっぱり、「ほらおいしいでしょ?」「きれいでしょ?」「ステキでしょ?」「ね?」と言わずにはいられない私たちです。きっとこの性癖は死ぬまで治らない。

「お茶をいれるからね」とお茶が出てきて、誰だかさんが持ってきてくれた煮豆やら、どこどこの人が作った新作のアイスクリームやらが出されます。「おいしい」というと、Kさんはほんとにほんとにうれしそうです。「ね?」って。

出会いの場は楽しくなくちゃ

そうこうするうちに「紹介するわ、こちら、私の親友で東京から来た中川さん。こちらは、桐生で何々をしている何々さん。○○で手伝ってもらった▽▽さんの友だちで・・・・」という具合で、このお店にいると、友だちの友だちは友だちだ、とばかりに、知り合いの輪がどんどん広がって行きます。私もけっこう「地域」を意識して生きているつもりですが、Kさんには逆立ちしてもかないません。

通りすぎるだけ、寄るだけ、のつもりで行っても、なぜかまた行きたくなる、行くのがうれしい、会いたい人がいる「とおりゃんせ」。

療育の世界でも、そんな「とおりゃんせ」みたいな場所があったら幸せだろうなー、って思います。

最初の一歩から、なぜか大好きだった桐生の町がさらに魅力的に見えてきた一日でした。

○○○は何のためにある?

お酒が教えてくれる物事の本質

 「おまん、何しゆうがぜよ?」と先輩が言いました。ところは高知県。酒豪が多いので有名です。お酒の苦手なKさんが、杯に受けたお酒をそーっと灰皿に捨てているところを先輩に見つかってしまったのです。Kさんが「(お酒を)断ると雰囲気をこわしてしまうと思って……」と答えたら、先輩はこう言ったのだそうです。

 「酒は何のためにある? 灰皿に捨てるためにある? 飲むためにある? そう考えたら簡単なことよ」と。

 まったく正論、まいったー。お酒に強い先輩にとって、酒を灰皿に捨てる心境なんて想像もできなかったのでしょう。

 それ以来、Kさんは仕事や職場の人間関係で何か迷うことがあると、この先輩のことばを思い出し、「それは何のために存在するのか?」と考えることにしているのだそうです。

 「この集まりは何のため?」とか「チームワークは何のため? 職員が仲良くするため? 患者さんのため?」等々。

 Kさんは書いています。「お酒にあてはめて考えると、むずかしく感じていたことがシンプルに見え、自分が取るべき行動が見えてきます。大げさですが『酒は何のためにある?』は私にとって、物の本質をつかませてくれることばです」と。

(高知県言語聴覚士会会報 ことこと―こころとことばと―  No.66 二〇〇五年十二月一日 《ちょっといい話、ほろ苦い話 川崎隆二》 記述は一部著者が変更しました)

ポジティブに導くきっかけとしての「軽度発達障害」

 私の回りはLDだ、ADHDだ、アスペルガー症候群だ、と「軽度発達障害」の話題で持ちきりです。

 確かに、はためからはわかりづらく、本人も周囲もとても困っている、こういうお子さんたちに光があたり、支援の手が届くのはとてもいいこと。でも、あまりにブームみたいになっていることに、ちょっと冷ややかな私もいました。

 でも、先輩のことばを借りて、「軽度発達障害の子どもたちに焦点が当てられているのは何のために?」と考えてみたら、そのもやもやが少し晴れる気がしました。

 Aちゃんは、給食の時間に先生がうっかり「お箸、ちがうでしょ」と持ち方を注意しただけで、「わーーーっ」と興奮してお部屋を飛び出していってしまいます。同じAちゃんに「こういう風に持つと食べやすいよ」と言ってあげればOKなのに、です。Aちゃんは否定的なことばにとても敏感に反応するのです。

 考えてみると「わーーーっ」とはならない「定型発達」の子たちだって、「お箸、ちがうでしょ」って注意されるより、「こういう風に持つんだったよね」「こういう風に持つほうが食べやすいね」とポジティブに言われたほうがうれしいのではないかな、って思います。

 典型的に反応してくれる特徴的な子がいるからこそ、先生方が、ことばの使い方に敏感になり、ポジティブな物言いを工夫するきっかけになりうるのでは。

学校にて 工夫が運ぶ思いやり

 学校で授業を参観する機会があります。先生方の持ち味はそれぞれで、学ぶことがたくさんあります。このところ参観したクラスはいずれも黒板の板書が整理され、先生手作りの視覚教材が工夫され、先生のことばかけもめりはりのあるわかりやすい授業の運びで、低学年なのに子どもたちも落ち着いています。

 参観後の懇談で、先生が「先日の研修会の時に、講師の先生に、わかりやすい指示と視覚的に整理された提示が大切と教えていただいたので、工夫しています」とおっしゃっていました。

 ある先生は、授業で生徒に考えさせながら、プリントを順々に配っていきました。合わせて六、七枚。授業の最後に「では今日のプリントをホッチキスで止めます。ホッチキスを出してください。プリントをページ順にそろえて、ここのところをホッチキスで止めてください」と黒板に長方形の紙の形を書き、その右上のすみっこを斜めに針でとめる様子を板書してくださいました。これなら私だってわかるわよ、と感心しました。

 特別支援教育を視野に、先生方の研修会がかなり行われはじめています。すべての通常学級の先生方に、「支援の必要な」「軽度発達障害」の子たちの特性や接し方の工夫を知っていただくにはまだまだ長い時間がかかるでしょうが、こういう「わかりやすい授業」という形で、実際に形に表れはじめているのだな、ととてもうれしくなりました。

自分に地続きのものとして障害をとらえてゆくきっかけに

 軽度発達障害の子どもたちの多くは、「定型発達=多数派」に近いところで生活しています。障害なんて遠い世界のことと思っていた一般の方たちに、子どもの特性を知らせ、支援いかんによっては、みんなと一緒に楽しくやってゆけるのだ、とわかってもらうこと。そして彼ら、彼女らへの支援は、実は自分や自分の子どもたちのためにもなるのだ、と納得してもらうこと。それこそが、目指すべきことなのではと思います。

 学校教育の中で語られることの多い軽度発達障害ですが、子育てにも、同じような図式が考えられます。通常の子育てより大変だからこそ通常の子育てに必要なことがクリアーに見えてくる……。

 ことばの遅い子を持つ親たちのグループ「言の葉通信」(現・NPO法人ことのはサポート)を主催してきた柳田節子さんが、このほど、ことばの遅い子を持つ親の切実な気持ちを小説に書きました。

 小説の中の母は、子どもを手にかけてしまうのですが、何が彼女をそこまで追いつめたのか、どうすれば、何があれば、彼女はそうせずにすんだのか。

 夫婦とは、親子とは、子育てとは、園や学校とは? すぐには答えの出せない大きな「何のために?」をたくさん投げかけられ、時々本を読み返しています。

※「こうた、もどっておいで」柳田節子

 (東京図書出版会)

「知りたい病」も悪くない・・・かも

足利市の連携協議会

 先日、栃木県足利市に行きました。

足利市は、10年以上も前から医療、保健、福祉、教育の各分野をつなぐ発達支援療育ネットワークがあり、それが名前だけでなく実際に機能している地域として興味深く思っていました。

なんでも、連携に意欲的に取り組むキーパーソンと、周りを囲む多くの協力者があり、年月をかけて定着した仕組みだとか。「連携」ができているところは同様の図式なんだな、って感心しました。

 年度末の超・忙しい時期、しかも、夜の6時半から9時という時間帯なのに、保育園の先生方をはじめ、さまざまな場の方たち大勢のご参加に大感激。

 せっかくの機会なので一泊して、翌日は足利学校とばんな寺を見学することにしました。平日なので人も少なく、じっくり回ることができてラッキーでした。

足利学校に貼り出して関する解説によると、「日本の学校は、古来、原則自学自習であった」とのこと。寺子屋も、一斉に教える時間は少なかったときいたことがあります。いいなぁ。学びとは、自ら知ろうとする力を助けることのはず、望まないのに、覚えなきゃならないことが、あまりに多くなりすぎた現代・・・と思いつつお隣にある「ばんな寺」へ。とてもすばらしいたたずまいのお寺でした。

 大猫おことわり 小さければいいの?

 ばんな寺の山門に「境内に大猫を捨てないでください」という貼り紙がしてありました。もともと「過読症」というか、文字があると読まずにいられないビョーキなので、どうしてもそれが目に入ります、気になります。何回読み直してもやっぱりそう書いてある。

 「大猫って何?山猫の一種?」「大猫って栃木県地方限定の猫?」「それとも大きい猫のこと?」「大猫はダメ? じゃあ、子猫ならすててもいいの?」って、瞬間的に頭の中が「?」だらけになります。

コーラスの先生が、「文鳥みたいだよね、まるで。あれ?って思って首をかしげてる人の姿って」と言ってたことばがよみがえるけど、どうしても首は傾くのだ。

 首をかしげたままもうひとつの門をくぐろうとすると、その門には、「犬や猫を捨てないでください」との貼り紙。

「え?あ、もしかしたら?」と、もう一度さっきの門にもどって貼り紙をよーーく眺めたら、「大」と「猫」の間に小さく「、」が打ってあるではありませんか! 

「犬」の「、」が消えてしまって「大」に読めたのね、「犬、猫」だったのね、と一安心。首がまっすぐに。

こだわり、なのだと思います。ごくごくつまらないことでも、いえ、ごく些細なことに限って「本当はどうなの?」「どうなってるの?」って本当のこと、真実を知りたい気持ちを抑えられません。

さぞかし、はた迷惑だと思うのですが、ST業界やその近辺には同じような傾向の人が多いのか、私みたいな性向を容認してくれるので、とても助かります。

「とらっぱ」ってなあに?

前々回桐生の「とおりゃんせ」のことを書いたとき、「前橋に招かれたついでに」って書きました。その前橋での講演の後、昼ごはんをご馳走になったのが、前橋市総合福祉会館の中にある「Cafe とらっぱ」というレストラン。とてもおいしい日替わりランチや、焼きたてパンが売りものです。ここを運営しているのは「社会福祉法人 すてっぷ」傘下の「小規模通所授産施設 とらっぱ」です。

 で、「『とらっぱ』って何ていう意味だろう?」と、「?」だらけになっている私を見るに見かねて、わざわざ調べて返事をくださった親切な方がいました。「とらっぱ」とはスウェーデン語で「ステップ」という意味だとか。ああ、これで安心。

ご縁は続くよ・・・・

 ところで、以前、前橋に住む私の大学時代の友人のSさんから送られてきた焼きたてパンの包装の中には「わーくはうす すてっぷ」と書かれたカードがありました。今回知った「社会福祉法人 すてっぷ」の代表者S氏と私の友人Sさんの苗字は同じ。偶然?首が傾く。

そういえば、Sさん、電話で「主人がかかわっている授産所のパンです」って言っていたっけ。あれ?どういうこと?

というわけで、糸をたぐったら、Sさんはご夫妻だということが判明。
びっくり。

実は「すてっぷ」のことなら、前出の「とおりゃんせ」の女主人のKさんにいつも聞いていたのでした。15年も前から。

 つまり、私は大学時代の友人Sさんとそのご主人がかかわってい「すてっぷ」を、立ち上げ前後のころからずっと知っていたのに、「そういういきさつの すてっぷ」とはつゆ知らなかった、のです。

知っているようで、実は知らないことのなんと多いこと。

足利学校で100円で売っていた「論語抄」に、こう書いてありました。

 「孔子が門人の子路に対して言った。お前にほんとうの認識とは、どういうことか教えよう。それは、真に認識したことと、未だ完全には認識していないこととを区別できること。それがほんとうの認識ということである」。納得!

地域でネットワークをつくる

「社会福祉法人 すてっぷ」は他にも「サービスステーション すてっぷ」(群馬県心身障害児(者)生活サポート事業)、「RUN」(重度知的障害者グループホーム)、放課後クラブ(前橋市心身障害児集団活動・訓練事業)など、たくさんの事業を展開していることを、今回HPを検索して初めて知りました。

地域においては、力のある民間団体のほうがきめこまかな、一貫したケアの体制を作りやすいにちがいない。いつも考えてはいても、でも、大変だろうなぁ、で止まっていることを、すでに実行している人たちがここにもいました。

孔子は「君子とは あれこれ言う前に行い、しかるのちに言うべきことがあれば言うものだ」とも言ったそうです。つまり不言実行、ということね。

Sさんたちも孔子さまもすごいな、と感じ入り、それにしても「知りたい病」も、悪くないな、と思えた一日でした。

沈黙は金  分別の無言

イテテのテって言ってます

 二、三か月前から肩が痛くて、イテテテテ。五十肩だろうと勝手に判断してお医者さんには行かず自分で経過観察中。

それにしても、いつのまに、そんなに時がたったんだろう、あと数年で60歳になるなんて。気持ちはST(言語聴覚士)の養成所を卒業してこの職についた20代半ばの時のままなのに。

定年のない「非常勤・自営業」とはいえ、あと何年仕事できるのかしら。年々、物忘れがひどくなってきてる。いや、そうじゃない、人の顔と名前を覚えられないとか、用事をケロリと忘れるのは若いころからだったっけ。

まっ、いいか。ご縁のある間は仕事して、必要がなくなったら、おのずと、はい、さようなら、ってことになるのだろうから、と、最後は思考停止できるようになったのは、やっぱり年をとったおかげ、亀の甲より年の功。ありがたい。

若いときには、きちんと考え、ちゃんとした答えを出したかった。相手をも厳しく問い詰め、はっきりした返事をもらいたかった。あいまいさに我慢がならなかった。たくさんの情報を集めた上で正しく判断したかったから。

そうやって周到に立てた計画、出した答えのとおりに運んだことは少なくて、むしろ、予想外のことから、大きな枝葉が広がっています。人生、予測不能。

できないこと と できること

人生の残りを数える年になりながら、まだできていないこと、ほんとはできたらいいことを数えあげると、もう大変。たとえば早寝早起き、整理整頓、計画的な生活、約束厳守、適度な運動、持続する意思、不言実行、社交的であること、などなど。とほほほほ。

 一方、できるようになったこともたくさんあります。おっほん。

いい加減、人さまに対する適度な親切と適度な冷淡、言いたいことを言わずに我慢すること、知っていても知らなかったふりをすること、いやなこともうれしいこともどんどん忘れる、大層なことを考えずに自分にできることだけをしようと思えるようになったこと、「そういう見方もあるけど、そうじゃない見方もあるかもしれない」って軽々に判断しなくなったこと、などなど。

できないことのほうに関しては、すでに努力することをあきらめております。今回の人生ではムリさ、とか言って。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが「平安の祈り」をご存じでしょうか。「ラインホールド・ニーバーの祈り」とも呼ばれて、アルコール依存症の方たちの自助グループ活動の折などに唱和されると聞きます。

「神様 私にお与え下さい

変えられないものを受け入れる落ち着きを

変えられるものを変える勇気を    そして、その2つを見分ける賢さを」

というものです。

変えられるものを変えようとする。それが人間にとって、一番ムリのない行き方かな、って思います。何が変えられて何が変えられないのか、見分けることが実は一番難しいのでしょうけど。

分別の無言

トシを取るに伴って身につけた能力のうち、われながら貴重だと思うのは「言いたいことがあっても、言わないでいる能力」です。

184月中旬の朝日新聞一面「おりおりに」に紹介された短歌に目がとまりました。「分別の無言」ということばにとても惹かれたのです。

 「分別の無言つらぬくゴリラいて
かりそめに吾(あ)は人間(ホモ・サピエンス)」
石本隆一 「木馬情景集」平成17年
「冬の動物園」という連作の中の一首だそうで、隣には「眉に皺よせて遠見の腰おろす 黒きゴリラは初冬の賢者」という一首もあるとか。
 言いたくても、その場では言わないでおく。しばらく塩漬けにしておいて、やっぱり言うべきだと思ったときだけ言う。
そういうふうにしてみると、時間がたってからでも言うべきだと思えることはそう多くはありません。
そういえば、若いころは、正義感に燃えて言いすぎてあとから落ち込むことがたびたびでした。相手に向けたことばの刃が、めぐりめぐって、自分のもとにいっそう鋭い切っ先となって戻ってきたことも、ちょっとつぶやいた人物評が、思わぬ落とし穴になったこともありました。
ゴリラのように、ただそこにいつづけることは大事。「分別の無言」と共に。
言い過ぎずに、深く願い続ける
  私の知っている、ごく狭い範囲のことですが、行政の人たち、公務員は、どう水を向けても、他の課のこと、ほかの職員のことを悪くは言いません。内部の人間同士がかばいあっているみたいで歯がゆい、と思える時もあるくらい。
でも、そのわけが見える気がするのが春、異動の季節。中には、180度ちがうじゃない!ってびっくりするような異動もあって、せっかく気心が知れた担当者が別の部署に行ってしまうのが心細い。でも、逆に、その人の新しい配属先が親しいものになる可能性もあります。  
いつ、どこに異動するか分からないから、敵を作らぬように、おおっぴらな批判はせず、でも、配属された部署で、自分に変えられそうなことを見つけて変えてゆく。予想外に同志があらわれて思いが実現したり、機が熟したり。深い志を秘める行政関係者、公務員の中にはそういう人も少なからずいるように思えます。  
私もそういう人たちを見習って、なるべくことば少なに、深く潜航できたらな、と思います。親子さんたちと接するときにも、適度な無言と態度による受容は、大事なキーポイントになりますから。

心の中の止まり木

学会、のち時々、晴れ

金沢で学会がありました。第7回日本言語聴覚学会といういかめしい題で、内容もおカタイものが多いです。

医療職の一端につながるST(言語聴覚士)は、明確なエビデンスを示すことを常に要求されます。エビデンスというのは、根拠、っていうか、証拠、っていうか・・・。つまり、効き目があるってことを数値できちんと示せ、ってこと。

「あの親子さん、最近明るくなったね」「着ているものの色が変わってきたものね」だの、「笑顔が出てきたから、きっとコトバの方も伸びてゆくよ」みたいな、保育や療育や教育の関係者の間ではあたりまえの、つまり、経験則から見て確率の高い内容の会話は「証拠があるか?」って突っ込まれたら、うううって詰まらざるを得ない。エビデンスを示せない私たちは、いかめしい医療職の前ではおどおど小さくなっていなくてはならない、そんな感じ。

  子どものSTにも、少し光が!

でも、今年(平成18年度)の学会テーマは例年とかなり異なっていて、「地域における言語聴覚士の役割――コミュニケーション障害のある人の生活支援」でした。私も「成長時期ごとの、小児・保護者への支援」というシンポジウムにシンポジストとしてお声かけいただき、「支援の入り口としての健診におけるSTの役割」というテーマでお話をしました。健診のことを知ってもらうには、またとないチャンスだ、と思い、二つ返事で引き受けたものの、準備には手こずりました。無事つとめ終え、ほっと一息ついています。

 STは、大多数が医療の中で、成人を対象として、エビデンスを示せる仕事をしているので、子どもを対象とする私たちは、「どうせ、マイナーさ」みたいにどことなく斜めに構えているフシがあるのですが、ある人いわく、「
私たち子どものSTは、言語聴覚士の団体の中では
かなり端っこのほうにいることは自覚しているけど、今回の学会に出て見て木漏れ日は少しあたっているのかもしれないと思いました」
 私も同感です。

プチホテル○○

 金沢の楽しみ。そう、お魚がおいしいこと、あたりー。お酒は・・・・飲めないから残念。

金沢の楽しみのもうひとつ。それは、泊まるのがうれしいホテルがあること。犀川沿い、御影橋という橋のそばの「プチホテル○○」という、部屋数8室だけの、小さなペンションみたいな家族経営のホテル。

56年前、たまたま、金沢に行くことになって、ネット上で探していたときに知りました。「とにかく食事がおいしい、安い、居心地がいい」という書きこみにあふれていたので、おそるおそる泊まってみたのでした。

その時は石川県と、国の母子衛生関係の外郭団体の共催での講演会で、県庁の担当者が黒塗りの公用車で迎えに来てくれる、っていうようなたぐいの催しだったので新聞にもお知らせ記事が載っていたんですが、なぜか、そのプチホテルのオーナーっていうか、オジサンが、そのことも、私のことも知っているみたいだったのです。ちょっと不思議。

でも、はじめての時は人見知りをする私は、オジサンとは、あまり話もせず、でも、夕食のお魚料理の豪勢さと、おいしさと、それでいて、一泊二食7500円という価格にほれ込み、それ以来、金沢に用事があるたびに泊まるので、今回が4回目。

今回、オーナーは『子どものことば』という本をどこからか出してきて、記念にサインを、という話になりました。

この本は1992年に新日本医師協会というところから出た、ごくマイナーな本で、私がまだSTとしての進化の途上にあったころの本。一般の流通には乗っていないので、一部の保育士さんや保健師さんしかご存じないはず。なので、ええー、と驚いて聞いてみたら、なんでもオーナーの奥さんが、「そういう関係の仕事」をしているのだとか。世間は狭いですねー。

 安心できる人や場所

今年の1月にも金沢に行きました。石川TEACCH研究会のお招きで。石川県は、障害のある人たちを地域で支えようとする動きが盛んで、上記のTEACCH研究会のメンバーの中にSTさんも多くおられ、おいしいものをたくさんご馳走になり、意気投合して帰りました。意気投合したのはご馳走に、でもありますが、ココロザシに、です、念のため。

なので、今回「学会」という肩の凝る集まりではあっても、「あの知り合いのSTさんたちが裏方をやっているんだから」と思えて、いつもよりは少しラクに参加できたかな、と思います。見えるもののウラにある、みえない力。

おまけに、プチホテル○○に行けば、オーナーと、娘さん夫婦と、それにおいしいご馳走に会えるっていう楽しみも。

子育ての旅の途上、安全な止まり木

いくら旅なれても、旅は幾分かは心細いもの。行く先に、「知っているひと」「心許せる人」がいることは大きな安心材料。

子育ても、少し旅に似ていると思います。この道を行けば必ず目的地に着けるかどうかわからず不安。そもそも、目的地の設定からして、ちがっているかもしれないのだし・・・。

そんなとき、「困ったらあそこに行こう、あの人が笑顔で迎えてくれる」って思える場所や人があったら、どんなに助かるでしょう。心の中で「あの人」や「あの場所」に支えられている、ってこと。

異動することなく「ひとつの場所にずっといる」「そこに行けば必ず会える」開業医とか、民間の団体とかの果たす役割はとても大きいな、って思います。こんな安心できる止まり木みたいな存在が地域に多くあるといいのですが。

子どもを大切にするための仕掛けは自分もうれしくなる仕組み

検便とかレントゲンとか 

長く生きてきたつもりだったけど、なんと知らないことだらけなんだ、って思うことが続きます。特に、学校とか、行政の関係者と一緒に仕事をすることがふえた昨今、療育一辺倒だったころに比べれば、ずっと視界がひろがった実感。

こないだも、へぇーと感心したことが。全国的に中学生の職場体験が進められています。昨年までは一日だけだったのに、今年は三日に増えた自治体が。「それはいいことだ」って、思うでしょ?単純に。でも、一日だけなら受け入れてくれる事業所も、三日となると負担感が大きくて二の足を踏むため、受け入れ先を見つけるのが大変なのだそうです。納得。

例年受け入れている保育園でも、三日間となると事前に細菌検査(検便)が必要では、という意見が出てその費用をだれがどう捻出するかが検討課題としてあげられたとも聞きました。確かにねー。

そういえば私の市でも、私たち保健事業や療育にかかわる非常勤や嘱託の職員も、毎年レントゲン検査の提出を義務付けられています。自分で検診のチャンスがない人は、市が胸部X線検診の日程を保障してくれている、市の予算で。

One  of  としての特別支援教育

 わがK市では、校内委員会の全校立ち上げに引き続き、昨年から巡回専門家チームによる巡回が始まりました。初年度は一回。二年目にあたる今年は年二回。外から見てるだけだと、「始まりましたったってわずか一回か二回で子どもたちの生活はよくなるわけ?」ってかみつきたくなるところでしょ?

でもね、自分が療育や教育に縁が深いと、そこばかりが大事に見えるけれど、市全体から見ると、町づくりとしての商業振興とか、情報発信のための仕掛けの改善とか、やるべきことは山積み。学校教育関係を見ても、体育館の屋根の補修は待ったなしだし、部活動が優秀な成績をおさめて全国大会に出場することになればうれしさ半分困惑半分。旅費や宿泊費を補助してあげたいけど、捻出するのは一苦労。「ひとりずつに行き届いた教育を」の実現としての少人数指導のための人員配置も必要、など、ほんとにたくさんの事業が並行的に行われ、そのための予算措置がなされています。

2枚でも予算を生かすコピーかな?

検便とかレントゲンとか巡回専門家チームとか、一つずつは小さなことですが、どれも「子どもを大切にする」ということの具体化。行政はこういうふうに、見えない場所で、ささやかなセフティネットをたくさんたくさん張り巡らして、市民生活を支えているんだ、って痛感。

“障害”にかかわる項目は、市全体のたくさんの課題の中のたった一つの項目にすぎないと知れば知るほど「この厳しい予算状況の中で、よくも、巡回の予算取りができたこと!市当局も、よくぞ予算を認めてくれました! 感謝! キミたちはよくがんばった!」って思えます。

不十分なことはそりゃまだたくさんあります。でも、せっかく取れた予算を感謝をもって活かさなきゃ、とも思います。

 先日は、「急にキレることが多く、その際に何日も何ヶ月も前にあったことを脈絡なく持ち出す」というお子さんがいて先生方が困惑していると聞きました。その子の行動の仮の理解のために役立てばと思い、ある本の「タイムスリップ現象」の項目のところを二枚コピーして持ってゆきました。その行動の起きる理由をどう理解し、どう対応したらいいかが簡潔に書いてある本です。「参考になれば・・」とコピーを差し出すと、居合わせた先生方が、「あー、ここに書いてあるとおりだー」と私の方がうれしくなるほど感心してくださり、早速職員室でコピーして、そのお子さんに関わる教員たちに何人にも、声かけして配ってくださっていました。子どもへの理解、少し深まったかな?許せる範囲、少しひろがったかな?

励ましあう関係を持続して楽しみへと

学校での研修会や巡回の場合、一回だけの言いっぱなしで何ができるって無力感にさいなまれたり、逆に、この機会に支援の必要な子のことを通常学級の先生方に理解してもらいたい、って力が入りすぎて逆効果になる場合が多いと思います。少なくとも、過去の私はそうでした。

でも、今は少しちがいます。わが市では学校に継続的に支援に入っている人がいると知っているからです。小学校に週一回ずつ派遣される教育相談室の相談員5名と都の予算で中学に週一回派遣されているスクールカウンセラー4名です。

教育相談員は全部で5名。心理職またはSTで、週3日勤務のうち1日は、朝から夕方まで担当した小学校にはりついて、先生方や子どものサポートにあたります。教育相談員の全体カンファレンスで市内の学校や子どもたちの状況共有をはかっています。小学校が6校というマイナーな狛江ならではかもしれません。

今までは連携が薄かった中学校のスクールカウンセラーですが、担当学区の学校の巡回の際には必ず加わることになったおかげで、小学校を担当する教育相談員と顔をあわせる機会が保障され、巡回の場が同時に支援者同士の相互理解や情報交換の場にもなりました。

年にたった二回の巡回の場ですが、そこが「子どもを支える人」である教員を支える機能を持ち、同時に、その教員を支える人たち(教育相談員やスクールカウンセラー、各校で指名を受けた特別支援教育コーディネーターや副校長など)を支える場所にもなるよう努力しなければと思います。

「またお会いできましたねー」と、互いに喜びをもって顔を合わせられるような関係の積み重ね。それが、子どもたち、親ごさんたち、先生方、そして何より、自分たち自身を元気にしてくれるのだなーと実感します。まだ今の所は悲壮な覚悟で一人でがんばらざるをえない状況の方たちのためにも、今、私がいる場で、「みんなでがんばる」陣地を広げていかねばならない、と思います。

静かに燃える火 と 地域  

 教育委員で視界良好 

 この一、二年、私の問題意識は「地域で生きるとは?」という方向に大きくシフトしました。二年前、言語聴覚士と地域とをテーマにした本(「地域生活を支える言語聴覚士の取り組み」学苑社)の編集に取り組んでいたころのことが懐かしく思えるほど、地域は私の中で当たり前のことになってきました。ちょっと以前は、地域だの連携だのと言いつつも、個々の人たち、個々の機関、それも障害のある人たちとの関連でがんばっている姿しか見えていなかった、見ようとしていなかったと思います。ところが一昨年の秋に、狛江市教育委員を拝命して以来、今までなら絶対に出ることのなかったような集まりや会議に顔を出すハメになりました。PTA連合会総会、青少年協議会、社会教育委員の会合、体育協会等々。また、小中学校の入学式卒業式に出席し、学校公開日に授業参観に、学校訪問では校長先生たちのお話を聞いたり。特別支援教育の巡回専門家チームとして出入りする時とも、自分が保護者として出入りしていた時ともまったく違う学校の顔が見えてきます。また、市の福祉関係の委員会に参加するたびに、「地域」が地元や行政のたくさんの人たちの、持続する努力によって支えられていることが見えてきます。謙虚にならなくては、ってつくづく思います。今まで、表向き控えめを装ってはいても、内心は声高に「障害のある子どもたちの利益のために」「我こそは正義なり!」みたいに思っていたな、って、ちょっと恥ずかしい思いになっています。

 静かに燃えるもの 

 そんな折、旭出学園(練馬区東大泉)から「旭出だより82号」が送られてきました。旭出学園は、私が親分と仰ぐ故・三木安正先生が設立されました。今号から、三木先生が生前に「旭出だより」に書かれたものを再録していくとのことで、昭和27928日づけの三木先生の一文が掲載されていました。題は「静かに燃えるもの」です。「手をつなぐ親の会」(現・手をつなぐ育成会)発足当時「手をつなぐ親たち」という本の編集を発案したところ、たくさんの原稿が寄せられ、感激した、という趣旨の文章の最後に次のような部分があります。「われわれ人間の仲間には、智恵の遅れたものが沢山いる。だから、われわれは、彼らを救わなくてはならないと考える。これはわれわれの自負心にすぎない。そう考えるものは、火を燃え上がらせて『のろし』をあげようとするだろう。しかし『のろし』が消えた後はどうなるのだろう。こう考えて来たときに、私の胸の中に『静かに燃えるもの』という言葉が浮かんできた。この言葉は誰かの言葉であったかも知れないが、わたくしは、彼等を救おうというのではなく、彼等とともにあって、どういう社会に住んだらよいかという問題を解決して行くために、火は静かに燃やしつづけなければならないと思うのである。(旭出だより 第6号)」 

夢の浮島 

 これを読んで、以前作成した「市内の機関一覧」の表を思い出しました。同時に、佐藤暁先生が「実践障害児教育」(185月号)に書かれたたとえも。「自閉症の人たちは意味を見出すことが困難なので、広い池のような情報いっぱいの世界にあって、自分に分かる、乗ることのできる『意味の島』がとても少ないのだ、という説明が印象的だったので。 私の中に浮かんだのは、「社会資源」(機関)と「島」と「静かに燃える火」がドッキングしたような図柄です。 「地域」という池の中には「ご近所」「おけいこごと」「保育園」「幼稚園」「保健センター」「小学校」などのたくさんの島があります。“ふつう”の子はそのどこへでも気楽に乗ったり、飛び移ったりすることができます。 でも、支援の必要な子の場合は、「相談機関」「療育機関」「健康課・フォローや相談の事業」「心障学級」「通級学級」など通える場が限られます。保育園や学童保育所に入る場合でも「障害児枠」での申請が必要だったりして、乗れる島の数が少なく、面積も小さくて乗りにくかったりとたくさんの制約があります。乗りやすい島がたくさん増え、しかも、その島の上にちろちろと「静かに燃える火」がともって、暗い水面上で迷う人たちへの道しるべになること。「彼らとともにあって、どういう社会に住んだらよいか」とはそういうことだと思うのです。その島のイメージと一緒に「夢の浮島」というネーミングも浮かんできました。 

地域は大きな網の目だ 

 島以外の部分に落っこちたら絶対絶命って私たちは思っているけれど、実は池全体に、綿密なセーフティネットが張られているのかもしれない。水面下にあるから見えないけれど、よーく目をこらせばはっきり見えて来るのかもしれない。「地域」はどうやら、宝の山、宝の池。そこに住むたくさんのサポーター予備軍。静かに火を燃やしつづければ、その火が広がり、さらに大きな灯りになって。一人でどんどん走っておいて、ほかの人がついてこないと怒るのではなく、一致点を見出し、折り合いをつけてゆるゆると一緒にやってゆく。正論を振りかざすだけでなく願いつづける。障害のある人たちのことが常に話題にのぼる地域ができるよう、すきまを埋める糊の役割を果たせればと思っています。

みたてと見通し

マザーグースのグレートマザー

数年前に北海道・釧路の保健師さんにお招きいただいたのがご縁で、堀口貞子さんと知り合いました。堀口さんは「マザーグースの会」代表の小児科医。いや、その逆かな?いずれにせよ、二つの顔が表裏一体、切り離しがたく結びついての果敢な活動。釧路の驚くほど活力あるさまざまな取り組みのかげには、堀口さんの存在も大きいと私は思っています。

「マザーグースの会」は1993年に釧路市で設立された「“障害”があってもなくても子どものすこやかな成長を願ういろんな人たちの集まり」です。「発達教育」20003月号 20014月号 に堀口さんが書いています。

北海道道東地域で「マザーグースの会」を知らない方はまさかないとは思いますが、北海道から遠く離れて住んでいる方には、「ゴキゲン子育て」を読んでごらんになることをお勧めします。「マザーグースの会」から発展した「地域生活支援ネットワークサロン」の発行です。

会報の「マザーグース便り」を毎号お送りいただくので、そのつど、へぇへぇ、ほぅほぅと感心しながら読みます。私がSTをこころざすきっかけを作ってくださった大阪教育大学名誉教授の竹田契一先生も、釧路の方たちとは浅からぬ因縁らしく・・・。不思議。

 さて、送っていただく「便り」には、毎号代表である堀口さんがあれこれ書いているのですが、これまた、興味深い内容。最新の69号の記事はひとりじめするにはもったいなかったので、少し変更して引用します。

自然に治る病気と小児科医の役割

「みたて」と「見通し(向かう先)」

『インフルエンザ、ヘルパンギーナ、プール熱。小児科医の仕事の大半は、こういうセルフリミット(自然に治癒する)疾患を診ることで成り立っています。お医者さんがいてもいなくても治る時が来たら自然に治る疾患。じゃあその子たちにとって、私たち小児科医の役割って何なのでしょう?

たとえば突発性発疹。お母さんは可愛い赤ちゃんの初めての発熱にパニック寸前。でも「あー、おそらく突発性発疹ですね、大丈夫、三日後に熱が下がって発疹が出ますよ」と言って、そのとおりになった時ほど親ごさんに感謝されることはありません。「いえ、いえ、あたしは何もしてませんから」「でも、先生の言ったとおりに発疹出ました!」とお母さんはニコニコ顔です。

これってどういう事でしょう?こっちは何もしていないのに、でもお母さんはにっこにこ。つまり、これはお母さんに「みたて」と「見通し (向かう先)」を説明できたということなのではないでしょうか?』

“障害”にかかわっての「みたて」と「見通し」

堀口さんの二番目のお嬢さんはADHDというか、高機能自閉症というか、ともかくなんらかの支援を必要とするお子さんでした。でなければ、いくら堀口さんが活動的な人だからって、本屋さんでばったり会った人と意気投合して「会」を立ち上げての果敢な活動はしなかったのでは?

堀口さんの娘さんは、高校卒業後、札幌に下宿してYMCA国際ビジネス・社会体育専門学校」の「ライフラーニング専攻コース」を卒業しました。

文章は続きます。

『数年前、娘が中学生のころだったと思います。主治医のK先生に「娘が本当の意味で思春期を迎えるのはいつごろでしょうか?」とたずねるとK先生は「おそらく20歳ころでしょう」と具体的に答えてくださいました。私はここ12年その言葉を折にふれて思い出しています。本当に20歳だ。その通りだった。今まさしく彼女は思春期を迎えているのです。これが「見通し(向かう先)」というものではないでしょうか?』

発達“障害”にかかわる専門家の役割

堀口さんは専門家(医者)であると同時に定型発達ではない子の親として、双方向からものごとを見て、発言もしてきました。その彼女は言います。

『(お会いした小さいお子さんの)お母さんに「自閉症特有の泣き方ね」と「みたて」は伝えたけれど、その先の「見通し」は、ちゃんと言えただろうか。これからの「向かう先」を果たして私自身分かっているのだろうか?

それを言えなきゃプロでないんじゃないの?』

私も、同感。医療に限らず、発達障害や子育てにかかわる「専門家」すべてに期待されるのが「みたて」と「向かう先を示す」役割だと思います。

「みたて」のほうはソレナリにこなせるかもしれません。でも、「見通し」のほうは、自分自身が人生経験を重ねることと同時に、子どもたちがどんな経過をたどり、どんな大人になったか、今幸せなのかどうかを実際に知っていなければ親ごさんに伝えることはできないでしょう。

ここでも「連携」の果たす大きな役割を見つけました。

年齢別に分けられることなく、一箇所に囲い込まれることなく、同じ地域に住む人たちが、顔をあわせ、声を交わし合う関係の中で、自然にできる情報の流れ。

地域で開かれる研修会や講演会情報が自然に耳に入るような「地獄耳システム」を標準装備とし、そういう会にマメに顔を出し、知り合いの輪を広げる。

「マザーグースの会」やそのほかの釧路の人たちがこれでもかこれでもか(?)とばかりに繰り広げる講演会や研修会は、勉強だけでなく、連携の機会でもあり、また経験の浅い人たちを教育する貴重なチャンスなのかもしれないな、と思います。

マザーグースの会
事務局
(堀口クリニック)FAX 0154−52−2858

NPO法人 地域生活支援ネットワークサロン HPアドレス

http://www.est.hi-ho.ne.jp/mother/

「ゴキゲン子育て」(改訂版)申し込みは上記サロン FAX 0154-44-5528

音の力 ことばの力

きんもくせいの香り漂う町で

 秋のお彼岸を過ぎ、町を歩くと、きんもくせいの香りが漂っています。どこにあるの? とふり返ると、木が目立たない場所に立って、ひっそり小さな花をつけています。毎日通るのに、全然気づかなかった。
 木や花はえらいなぁ・・。「がんばってるね、ありがとう」って声にならない声をかけて通りすぎます。
 それにしても、「きんもくせい」が、もしも「ギンボクザイ」だったら、印象はうんと違うなぁ。今日みたいなさわやかな秋の一日も「ザバヤゴ」なんていうのだとしたら、さわやかな感じはしないだろう。音って不思議。そんなふうに思いながら、小さな声でいろんなことばを口に出してつぶやいてみたりします。

言霊(ことだま)

 日本には「言霊(ことだま)」「音霊(おとだま)」という考え方があります。
 言霊とは、ことばには不思議な力がひそんでいるのだから、その力を使って、モノやコトに宿る精霊に働きかけて、自分や周りの状況を変えることができる、という考え方です。忌み言葉や、おまじない、などは、その一つです。
 そうそう、「モノ」とは、「物の怪」「もののあわれ」「まもの」のように、本来は精霊をあらわす語なのだと、ある本に書いてありました、ふぅーん。※
そういえば、山川草木すべてのものに精霊が宿るというアニミズム信仰に近い感じ方、日本には色濃く残っているように思います。
 ひっそりといい香りを漂わせる金木犀の木に、ありがとう、って言いたくなったりするのもその一つ。それとも、私だけがよほどヘンなのか・・。
「音霊」というのは、五十音の一つずつにある意味や力があるとする考え方です。ことばの音の印象は、案外こういうこととも関係しているのかな?

実学優先、でも、不思議はおもしろい



 言霊に関する厚い本は、すでに何冊か買ってありますが、実学優先の今は不思議探求はおあずけ。なぜなら、言霊・音霊という切り口から「ことば」を探求しはじめると、いずれ神道・古神道を含めた民俗学や、文化人類学、そして比較宗教学とかにも深入りせざるを得ないことは必定。自分でも分かっていますからね。当面は、求められるSTという実学の分野で、ちゃんと仕事せねば。
 もともと、文化人類学にすごく興味があったんです。でも、砂がじゃりじゃり口に入るような砂漠や、ヒルが足に噛み付いてくるような奥地でのフィールドワークは、触覚過敏、こわがりの私にはとてもできそうもない、とあきらめて、その後いい具合にSTという実学に出会った、というわけ

「ヘン」から見える大事なこと

でもね、実のところ、私、一種の文化人類学をやってるのかも、って思ったりもしているのです。  つまり、私流の解釈でいうと、文化人類学とか民俗学とは、自分たちが現在属する文化とは違う、別の場所の、あるいは過去の風習やら文化的伝承やらをいろいろ調べる学問。それによって、逆に、自分の今いる場所や自分の立ち位置が鮮明になる、という効能がある。つまり「汝、ヘンなことや不思議なことを知ることによって、自分自身を知れ」ってこと。

「ヘン」のひとつは「変」。「変わっている」「違う」ということ。

 発達になんらかの課題を持つ子どもたちは、定型発達とは違う、という意味で、この中に入るでしょう。もっとも、大多数を占める側に入っていれば、ヘンじゃないのか? 異常にサッカー好きなあの子やら、みーんなが好きなゲーム機が嫌いなあの子はヘンな子か?ヘンじゃないのか?   よく考えるとわからなくなるけど、ともかく私はみんなと少し違っていて、不思議に満ちた少数派の人たちと付き合うことで、自分の立ち位置を定めようとしている。それは確かなこと。

ヘン 辺

 もう一つの「ヘン」は辺。さかい目、あわい、ってことです。あわいというのは、やまとことばで「間」ということ。
 調布市と狛江市の市境には、プレートが下げられています。地図上、測量上は、きっちり分けられていますが、でも、実際には自由に行き来でき、あまり、意識することもありません。
「ふつう」と「ふつうじゃない」との境い目。「多数派」と「非・多数派」との境い目。それだって、ほんとは、くっきり引かれている線ではないはず。
 でも、あえて、境い目って何?境い目ってほんとにあるの? 境い目の目印は何?って、境い目にこだわって、じーーっと目を凝らしているうちに、その外周と内円との両方を同時に見ることのできる視力、両方を自在に行き来できる視点を手に入れられるのではないか。

「ことばの遅れ」を入り口にしての発達の支援

 そんなことを思うのは、このところ「ことばの遅れって何?」って切実に考えているからかもしれません。
1歳から3歳ころにかけての「ことばの遅れ」って、ものすごくあいまいな概念。
あれよあれよと追いついて、難なく次に進んで行ける子たちと、「ことばの遅れ」が何らかの“障害”の兆しであった、としだいに明らかになる子どもたちと。
 どっちが普通でどっちが変か選り分けたり、“障害”と普通の間に線を引いたり、無駄なことに力を費やすのではなく、どの子も含めてみーんな一緒に元気に育とうじゃないの、ってみんなが思ってしまうような魔法のことばを探したい。
ことばの遅れは支援の入り口。よかったね、出会えて、「ことばの遅れ」のおかげだね、って言える日をめざして。

  

「言霊の宇宙へ」菅田正昭  タチバナ教養文庫

旗を掲げる

 路上の不法駐車取締り、大賛成。もっとも、自分がクルマを停めなきゃならない場合はちょっと不便。総論賛成、各論反対。で、そんなとき、ありがたいんですよね、コインパーキングがあると。

 私の実家のそばにも、新しくコインパーキングができました。できた時に、すぐに分かりました。なぜなら、パタパタはためくのぼりが立てられたからです。

 遠くからはためいているのが見えて、あれは何? 思わずそばまで行って確かめました。はためく旗は、ありがたい。

 先日、友人のST(言語聴覚士)が「旗を掲げる、って大事よね」って言いました。

 STという職種は、基本的にお勉強みたいにしてことばを教える先生だと思われている。でも、私たちの仕事はそれだけではない、コミュニケーション支援や、親子両方を支えることだってやっているのに、なかなか世の中にはそれが通じないね、という話の流れだったかと思います。

 宣伝がヘタなのよね、いい仕事をしているSTは全国にたくさんいるのに、みんなひっそりと、目立たず働いている。もっと宣伝したり、「ここにSTがいるよー」って存在を明らかにしていく必要があるよね、という意味で「旗を掲げる」と言ったのでした。

お守りとしてのST

「旗を掲げる」ということの具体的な作業のひとつが、講演をお引き受けすることなのかな、と思うできごとが最近ありました。

 私は、自分の町での依頼は、小さな集まりでも、テーマとしてちょっと難しいなということであっても時間が許す限り引き受けようと思っています。子育てをさせてもらった市への恩返し、という感じです。保育園も学童保育所も、おいしい手作り給食も、スキー合宿も、朝サッカーも、合唱祭も、今思えば、市や学校の応援があったからこそできたことだったんだー、と今さらながらに思うので。

 先日、ある場所で、小さい子を持つお母さんにお会いしました。その方が言うのです。「あー、中川先生ですよね、先生のお話、聞きました! 先生みたいな考えの方が市内にいらっしゃると思うだけで、なんだか安心なんですー」って。私は目を白黒。

 何でも、その方は、公民館だか、子ども家庭支援センターだか、小学校のPTAだったか忘れましたがともかく市内で、一般の方対象に子育ての話をしたときに聞きにきて下さったらしいのです。

 お子さんのことで、いろいろ心配が絶えないのだそうです。利発なよいお子さんらしいのですが、「逆に、それで、ついつい、望みが高くなっちゃってー」って。

 で、キンキン声を出してから思うのだそうです。「あ、そうそう、子どもはそこに存在すること自体が奇跡みたいなものなんだ、って中川先生が言ってたっけ」「口の角を引くだけで笑顔ができる、って教わったっけ」と。そうすると、目の前でとんがった目をして自分をにらんでいる「奇跡」に笑いかけてあげる気になれる、のだそうです。

 「ってことは」と私は言いました。「つまり、私は、どこかそこらへんにいるっていうだけで気が楽になる、いわばお守りみたいなものだ、ってわけですね?」と。

 「そうそう、それです、お守り! それです。別に特段、相談に行くほどじゃないけど、行こうと思えば行ける、あそこに行けばいいんだ、って思っているだけで、安心して、なんとか自分でやっていけるんです」とお母さんはとてもうれしそうでした。

旗としての講演

 そうか、そういう存在の仕方もあるのか、と私は妙に感心し、「何かあったら、いつでも相談に来てくださいねー」って言ってお別れしました。

 そして、顔を見せる、話をするっていうことも、一種の「旗を掲げる」ことなのかもしれないな、と思ったのです。

 市では、「センモンカの○○相談をやってます、△△講座もやります」って市報に載せたり、ポスターを貼りだしたりして、市民にせいいっぱい広報します。でも、それだけだとただの情報。

 センモンカと称する人の顔を見たり声を聞いたり、何十分かを一緒の場所で過ごしたりすると、その人がどういう人なのかちょっと分かって、信頼しようとか、いややめとこうとか決められる。

 講演って、「私はここにいますよー。こんなことでお手伝いできますよー、あやしいものじゃありませんよー、見に来てくださーい」って旗を振るような作業でもあるのかもしれないな、と思い直しました。

旗を掲げて団を組む

 大好きな重松清さんの本の一節です。

「あのね、美奈子。応援するっていうのは『がんばれ、がんばれ』って言うことだけじゃないの。『ここにオレたちがいるぞ、おまえは一人ぼっちじゃないぞ』って教えてあげることなの。応援団はぜったいにグラウンドには出られないの。野球でもサッカーでもいいけど、グラウンドは選手のものなの。そこにずかずか踏み込むことはできないけど、その代わりスタンドから思いっきり大きな声を出して、太鼓を叩いて、選手に教えてあげるの。『ここにオレたちがいるんだぞーっ、おまえは一人ぼっちじゃないんだぞーっ』ってね」(団旗はためくもとに『小さき者へ』重松清 新潮文庫)

 グラウンドで実際に戦う選手たちは親子さん。そして、私たちは、どこまで行っても応援団。

 それぞれの場の応援の人たちが旗を掲げ、旗に応援の気持ちを込め、「団」を組まなくてはね。応援する方だって一人ぼっちではついつい士気も衰えます。

 五年前「あのー、この指に止まりませんか?」ってそーっと差し出した指に、いまや六〇〇人近い仲間が集ってくれています。「子どもの発達支援を考えるSTの会※」のこと。最近私が威勢がいいのは、このお仲間たちのおかげかもしれません。

※子どもの発達支援を考えるSTの会 

http://www.kodomost.com/

「神は細部に宿る」ということばが私は大好きです。

作家・画家の佐野洋子さんも、本「ふつうがえらい」(新潮文庫) の中でそういっています。

≪私が一番好きなことばは「神は細部に宿る」というもので、米の飯が
銀色にねっとり光っていたりすると、実に神は細部に宿っていると思い、
「ほっ、ほっ、おいしい」とのりのつくだ煮などをのっけて、うれしいのであ
る。≫

授業参観をしていて、そのことばを思い出しました。
上記とは、ちょっと違っているのですが、「細部には必ず全体が反映される
ものだー」と思ったのです。
目にしたのは、授業中の何でもない一こまだったのですが、そこに、その
クラスの日々の生活が反映されているみたいに思えて、なんだか、
ほっほっとうれしくなりました。

授業の中身は、一人ずつ前に出て、夏休みに経験したことなどをクラスの
みんなに話す、というものでした。
夏休み中に読んで印象的だった本を紹介しようという女の子が、読み上げる
原稿と、読んだ本とを手に持って前に出ました。
で、原稿を読み上げますが、声が小さくて、後ろまで届きません。
「もう一回」という声がかかります。

女の子は、持っていた本を、すぐ横にいた男の先生に「ひょい」と渡しました。
「先生、持っててください」という断りもなく。でも先生はごく自然にその
本を、同じく「ひょい」と受け取り「じゃあ、先生が持っててあげるね」って
言いました。
女の子は原稿を持ち替えて、少し大きな声で読んだので、今度は後ろまで
ちゃんと聞こえました。

このクラスには、何ていうか、子どもたちが安心してその中に存在できる、と
いう雰囲気がありました。先生の声かけは、結構、ぱりっとしているし、
騒がしい子がいると、怖ーい視線を送ったりするにもかかわらず、です。
なぜだろうな、って、最初から不思議でしたが、上記の光景を見て、納得
しました。

先生と子どもたちが「信頼関係」で結ばれている、ってこと。
先生が一人ずつの子どもたちの「特性」や、「得手・不得手」をきちんと
把握していて、全体を動かすと同時に、一人ずつに合わせてちがった
対応をしておられるんだな、ということです。

いやーーー、いいものを見せてもらいました。 いい仕事、してますね。

と思いながら、学校をあとにしました。

自閉症の人たちへの援助の方法のひとつとして名高い
TEACCH(ティーチ)プログラムの日本への紹介者は
佐々木正美先生は児童精神科医です。

私は直接一緒にお仕事をさせていただいたことはないのですが
接近遭遇、というか、実際にお会いすることはないのに、間接的に
一緒にお仕事・・・・という関係があります。

先日、たまたまネット検索していましたら、佐々木先生の息子さんが
立ち上げられたサイトを見つけました。
「ぶどうの木」  http://www.budouno-ki.net/

この中に、佐々木先生が書かれているコラムが載っています。
さすが、と思えるような深さが感じられ、しばし、ほっと息をつきました。

佐々木先生は、お母様の実家が狛江にあった関係とかで、
長い間、狛江の公立保育園の障害児保育の自主勉強会を保育士の
方たちと一緒にやってきてくださっていました。

狛江の保育園の中堅の先生方とお話しすると、佐々木先生の
ことがよく話題に上ります。そういう相談役がいてくださったからこそ
昭和40年代半ば、“障害”のある子どもたちへの療育や保育をどう
やっていけばいいか、前例も教科書もない中でも、ぶれずに積極的に
“障害”のある子どもたちを受け入れてきて下さったんだなと思います。

子どもたちをどう変えるか、成長させるか、ということにどうしても
目が行きがちですが、「一緒に成長してゆく」という謙虚で、かつ
長いスパンでの覚悟を持つことが、私たち対人援助職には欠くことの
できない資質、というか、臨床哲学なのだろうな、と思っています。

 

佐々木先生の本
「子どもへのまなざし」  福音館書店
「続・子どもへのまなざし」  〃
「育てたように子は育つ」 小学館(相田みつをさんとのコラボ)        

       心と体が疲れ気味の方に、オススメします。

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